2016年4月3日(日)
6時半過ぎに、
新宿駅西口に夜行バスが着き、
降りると、雨が降っていた。
傘を持って来なかったことを、
軽く後悔する位の強さだった。
傘がなくても、
まぁ、何とか大丈夫なのだけれど、
私の癖っ毛は、大変なことになるな・・・という感じだった。
今回の上京の目的は、
アルファーの公演の観劇。
今回の公演は、
タイトルが「-2011・3・11- ふるさとは今もかわらず」。
東日本大震災を扱っている内容。
何か、観ておかなければ、
そんな気持ちになって。。。
「ふるさとは今もかわらず」というタイトルから、
時間軸は、今なのだろうと思って観始めた。
震災から5年経った今を、
描くのだろう。と。
開演して、
お正月の集まりから始まる。
田舎のお正月らしく、
親戚の集まりのように、
町内の方々が、入れ替わり立ち替わり訪れる。
そんな中、
ダンス公演をやるから、と、
ポスターができたから、と、
見せに来たダンス教室のメンバーが、
「いつに決まったんだ?」と訊かれて、
ポスターを広げて読み上げた日付は、
「2011年3月11日」。
そこで、あ、震災前だったんだ!
・・・と思った途端に、辛くなっちゃって、
その直後に歌われた、
「松島ぁ~のぉ~」の歌に涙が溢れて来た。
舞台は、港町。
皆が集まっていたのは、
町一番の漁師の家。
あ、きっと、
あの人も、あの人も、あの人も死んじゃうんだ・・・って思ったら、
辛くなっちゃって。。。
前半は、地震が起こるまで、
地震が起こった時までを描いていて、そこで休憩に入った。
客席が明るくなった時、
私は、涙でぐちゃぐちゃだった。
何か、色んな想いを思い出した。
そして後半は・・・、震災後。
半年後とか、
もぅ2年とか、言っていた。
・・・何か、後半は勿体なかったなぁ。p(´⌒`q)
たぶん、言葉が多過ぎたのかも。
東北人は、口数が少ないのかも知れないと思った。
「○○さん、お気の毒だったね。。。」とか、
私たちは、言わなかった。
いや、言えなかった。
特に、○○さんを亡くした当人に向かっては。
確か私たちは、
「(お互いに)大変だったね。。。」と、
声を掛け合ったくらい、だったと思う。
「傷が深い」とか、
「立ち直れない」とか、
敢えて口にはしなかったし、
できなかった。。。
それは、一目瞭然だったから。
だから、言葉が多過ぎたことが、
違和感だったような気がする。
・・・でも、それは東北に住んでいるから感じた違和感なのか。
あの位、心の中を説明しなければ、
伝わらないものだろうか。
それは、私には分からない。。。
ただ、アルファーのメンバーには、
東北在住の人も、
東北出身の人も、
東北に何度も通っている人も、いらっしゃる。
だから、東北を想い、
常に気に掛けていらっしゃるだろうことは、
痛い程に伝わって来た。
そして、やはり私は、洲矢さんの芝居が好きなのだ。
・・・東北弁は、ちょっと違和感だったけれど(^。^;)
それでも頑張っていた。
カーテンコールの最後に、
劇団の代表である洲矢さんが仰った、
「なぜ5年も経った今なのだと思われている方も、いらっしゃると思います。
ですが、5年経って今やっと向き合えたと思っています。」というような挨拶に、
素直に頷けた気がする。
何はともあれ、観に来て良かった。
そう思える公演だった。
今朝、夜行バスで着いたばかりなのだけれど、
私は、15時の高速バスで帰るので(^_^;)
真っ直ぐ新宿へ。
バスに乗る前に、と、
お手洗いに入った時、
鏡に映った自分が目に入ってビックリ!?
やっぱり、髪が大変なことになっていた。( ̄○ ̄;)
高速バスは、
予定通り、15時ジャストに発車した。
予定を5分ほど遅れて、
20時35分頃に仙台駅西口に到着。
雨が降っていたからか、
朝の東京は寒かったのだけれど、
観劇後、外に出たら暖かくなっていたし、
新宿まで移動した後は、
暑くさえ感じた。
さすが、東京。と思ったのだけれど、
帰って来た仙台も、
だいぶ暖かかった。
バスから降りた時は、
「やっぱり寒い。(∋_∈)」・・・と思ったのだけれど、
気のせい?f^_^;
だいぶ暖かいょ。
今日、桜の開花宣言があったらしい。
グランディの桑桜も、
そろそろかなぁ~。o(^-^)o
6時半過ぎに、
新宿駅西口に夜行バスが着き、
降りると、雨が降っていた。
傘を持って来なかったことを、
軽く後悔する位の強さだった。
傘がなくても、
まぁ、何とか大丈夫なのだけれど、
私の癖っ毛は、大変なことになるな・・・という感じだった。
今回の上京の目的は、
アルファーの公演の観劇。
今回の公演は、
タイトルが「-2011・3・11- ふるさとは今もかわらず」。
東日本大震災を扱っている内容。
何か、観ておかなければ、
そんな気持ちになって。。。
「ふるさとは今もかわらず」というタイトルから、
時間軸は、今なのだろうと思って観始めた。
震災から5年経った今を、
描くのだろう。と。
開演して、
お正月の集まりから始まる。
田舎のお正月らしく、
親戚の集まりのように、
町内の方々が、入れ替わり立ち替わり訪れる。
そんな中、
ダンス公演をやるから、と、
ポスターができたから、と、
見せに来たダンス教室のメンバーが、
「いつに決まったんだ?」と訊かれて、
ポスターを広げて読み上げた日付は、
「2011年3月11日」。
そこで、あ、震災前だったんだ!
・・・と思った途端に、辛くなっちゃって、
その直後に歌われた、
「松島ぁ~のぉ~」の歌に涙が溢れて来た。
舞台は、港町。
皆が集まっていたのは、
町一番の漁師の家。
あ、きっと、
あの人も、あの人も、あの人も死んじゃうんだ・・・って思ったら、
辛くなっちゃって。。。
前半は、地震が起こるまで、
地震が起こった時までを描いていて、そこで休憩に入った。
客席が明るくなった時、
私は、涙でぐちゃぐちゃだった。
何か、色んな想いを思い出した。
そして後半は・・・、震災後。
半年後とか、
もぅ2年とか、言っていた。
・・・何か、後半は勿体なかったなぁ。p(´⌒`q)
たぶん、言葉が多過ぎたのかも。
東北人は、口数が少ないのかも知れないと思った。
「○○さん、お気の毒だったね。。。」とか、
私たちは、言わなかった。
いや、言えなかった。
特に、○○さんを亡くした当人に向かっては。
確か私たちは、
「(お互いに)大変だったね。。。」と、
声を掛け合ったくらい、だったと思う。
「傷が深い」とか、
「立ち直れない」とか、
敢えて口にはしなかったし、
できなかった。。。
それは、一目瞭然だったから。
だから、言葉が多過ぎたことが、
違和感だったような気がする。
・・・でも、それは東北に住んでいるから感じた違和感なのか。
あの位、心の中を説明しなければ、
伝わらないものだろうか。
それは、私には分からない。。。
ただ、アルファーのメンバーには、
東北在住の人も、
東北出身の人も、
東北に何度も通っている人も、いらっしゃる。
だから、東北を想い、
常に気に掛けていらっしゃるだろうことは、
痛い程に伝わって来た。
そして、やはり私は、洲矢さんの芝居が好きなのだ。
・・・東北弁は、ちょっと違和感だったけれど(^。^;)
それでも頑張っていた。
カーテンコールの最後に、
劇団の代表である洲矢さんが仰った、
「なぜ5年も経った今なのだと思われている方も、いらっしゃると思います。
ですが、5年経って今やっと向き合えたと思っています。」というような挨拶に、
素直に頷けた気がする。
何はともあれ、観に来て良かった。
そう思える公演だった。
今朝、夜行バスで着いたばかりなのだけれど、
私は、15時の高速バスで帰るので(^_^;)
真っ直ぐ新宿へ。
バスに乗る前に、と、
お手洗いに入った時、
鏡に映った自分が目に入ってビックリ!?
やっぱり、髪が大変なことになっていた。( ̄○ ̄;)
高速バスは、
予定通り、15時ジャストに発車した。
予定を5分ほど遅れて、
20時35分頃に仙台駅西口に到着。
雨が降っていたからか、
朝の東京は寒かったのだけれど、
観劇後、外に出たら暖かくなっていたし、
新宿まで移動した後は、
暑くさえ感じた。
さすが、東京。と思ったのだけれど、
帰って来た仙台も、
だいぶ暖かかった。
バスから降りた時は、
「やっぱり寒い。(∋_∈)」・・・と思ったのだけれど、
気のせい?f^_^;
だいぶ暖かいょ。
今日、桜の開花宣言があったらしい。
グランディの桑桜も、
そろそろかなぁ~。o(^-^)o
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