べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

昔の校門から、運動場へ

2012年08月16日 | さよなら、山鹿小
 写真は、山鹿市立山鹿小学校校庭入り口。お盆をむかえ、「灯篭(とうろう)祭」のやぐらが建ちます。小学校は、小学生だけではなく、地域(ちいき)の大人たちの思い出の場所でもあります。

300,000 people visit Yamaga city.|わたしの街を英語で紹介(6)


 新しい国のしくみが整えられた明治(めいじ)時代。「学制(がくせい)★」は、1872(明治5)年に発表された、最初の学校制度(せいど)です。

 山鹿小学校は、この次の年に建てられます。最初の校門は、運動場に通じる入り口にあったといいます。いまの運動場を見てみましょう。写真右手南側には段(だん)があって住宅が、北側にも石がきをおりて道路がありますね。ここの地名は「花見坂」。この運動場も、ゆるやかな丘(おか)になっていたのです。大宮神社のうらの「鎮守の森」だったのでしょう。

大宮公園から山鹿小学校をのぞく@山鹿市

 新しく学校を造るには、木を切ってその根っこを掘り出し、石をとりのぞき土をならして、ショベルカーもトラックもなく、たいへんな手間をかけたくさんの地域の人たちが参加したのです。新しい時代の、これからの子どもたちのために。

さくら湯、瓦葺(かわらぶ)き終わります


>学制から始まった義務教育推進(ぎむきょういく・すいしん)運動は、当初(とうしょ)は授業料徴収(ちょうしゅう)があったためになかなか効果(こうか)を上げなかったが、1900年に尋常(じゅんじょう)小学校の授業料が無料になるなどした結果、1915年には通学率が90%を超えるなど、学齢期(がくれいき)の国民の就学(しゅうがく)が普遍化(ふへんか)していった。

義務教育」(ウィキペデイア・パソコンむけ)


 校舎の解体が進みます。新しい体育館はもう、天井の灯りもまぶしい。

 さよならまたね、山鹿市立山鹿小学校。私の母校です。(塾長)


さよなら、山鹿小

戦災(せんさい)はなかった

南側校舎、すっぽり包まれる

中央棟花壇、解体開始

渡り廊下走れない

中庭で、けんけんぱっ

ほうきとちりとりと…これ、なんだ?

給食すんだら、掃除の時間

さよなら山鹿小、カウントダウン

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