1月17日は忘れられない日です。
もう12年がたつのですが、今でも恐怖は忘れません。
ただ、地震や災害に対する意識は低くなっているような気がします。
もし、あれ以上の地震が再び来たら…。
建物が倒壊したら…。
津波が来たら…。
私はパニックになって対処できないと思うのです。
ニュースではさらに大きな地震は必ずくると言っていましたが
ただ、ただ怖いです。
ビーナスブリッジから見る神戸の景色は
今は記念撮影ができるほど復活しましたが
震災当時、ここから見た景色はきっと恐ろしかったと思います。
あの日、そしてあの地震で亡くなった人々、動物たち
あらゆる命に合掌したいと思います。
もう12年がたつのですが、今でも恐怖は忘れません。
ただ、地震や災害に対する意識は低くなっているような気がします。
もし、あれ以上の地震が再び来たら…。
建物が倒壊したら…。
津波が来たら…。
私はパニックになって対処できないと思うのです。
ニュースではさらに大きな地震は必ずくると言っていましたが
ただ、ただ怖いです。
ビーナスブリッジから見る神戸の景色は
今は記念撮影ができるほど復活しましたが
震災当時、ここから見た景色はきっと恐ろしかったと思います。
あの日、そしてあの地震で亡くなった人々、動物たち
あらゆる命に合掌したいと思います。
でもあの揺れは恐怖でした…
神戸、みごとに復興しましたね。
被災された方々の心の傷は癒されることはないかもしれませんが…
悲しみや痛みを乗り越えて、人間て強いなと改めて感じます。
亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りします。
震災体験の風化が問題になっていますが、毎年この日はカメラ関係の掲示板に「阪神大震災と写真ジャーナリズム」といった内容で書き込んでいました。
ようは誰がこれだけの大震災の様子を記録するかといった内容ですけれど、この震災を忘れないでようにという願いも込めて書き込んでいました。
この震災で亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りします。
遠く離れた土地で起こったことではありますが、いつ自分たちが遭遇するか分からない天災。危機管理はしっかりしておきたいですね。
確かに気がゆるんでいます。
近年は、宮城や新潟や福岡...などで次々と災害が起きて、防災グッズも売れていたらしいのですが、急に現実味が薄れましたね。
あの大地震から12年....
私は、高校の部活の後輩を亡くしました。
忘れないことが、一番だと思います。
ニュースで知った時はとてもショックでした。
地震が来た時の為に非難リュックを用意していますが、私も落ち着いて持ち出すことが出来るかどうか自信がありません
建物が倒れたり火が出たりしたら自分を守るので精一杯ですよね
一瞬にして未来を奪われてしまわれた方や残された方々の辛い思い出に胸がつまります。
我が家でも息子がベッドからすり落ちるような状態になって日がたってから痛みが出たりしました。もう一つはやはりネコでした。まだその頃二匹いました。一匹は玄関の靴箱のすみで私が呼びかけても一定方向を向いたままよだれを出していましたし。もう一匹は壊れた棚のガラスで足を切っていたりしました。神戸からは慣れた当地でもかなりのことでした。
ビーナスブリッジでトランペットでいたか演奏している方のことが印象的でした。そしてろうそくをもちながら小さな子がかわいいお手てで握り締めてお祈りしている姿など。わが家もテレビのニュースの再放送を見ながら又涙しておりました。
どこで起きるか本当にわかりませんね。神戸で大地震が起きるなんて、聞いたことが無かったので、まさかと思いました。何が起きたのか、把握できなかったです。大地震の可能性はいつでもあると聞くと怖くてたまりません。
むろんたさん
あの日、私はまだ写真を撮ることを主体としていませんでした。だから記録として残しておくこともできませんでした。ああこの日の私の部屋を写真で撮って残しておいたら、ものすごかったと思います。よく怪我もなくて…っていうくらいめちゃくちゃでした。写真で残すということも思いつかないくらい呆然でした。
でも記録に残しておくことは、記憶に残しておくのと同じくらい大切ですね。
そらまめさん
あの日は電話も通じにくく、埼玉の妹は何度も電話を入れても通じなくて、ものすごく心配したそうです。幸い、我が家は誰も怪我することなく大丈夫だったのですが、連絡が取れるまで、きっと妹は心配でたまらなかったと思います。私も2階にいて、1階の両親が無事かどうかわかるまで、ものすごく怖かったです。なかなか階下に降りられなかったので大声で無事を確認しあいました。
ちっきょさん
身近な方が亡くなったのは辛いですね。一瞬の出来事で、何が起きたかわからないうちに亡くなった人も大勢います。地震は逃げ場所がないだけに本当に怖いです。しばらくはちょっとした揺れにも敏感になっていましたが、今は何の準備もしていないていう有様です。生き残れるかな…。
ビビ母さん
できるだけ、水は買い置きしているのですが、それを持って逃げることができるか…疑問です。あの日私はパジャマのままで何とか家の外にでたのですが、着るものすら何も持たずでした。寒さに父親のガウンを着ていました。それくらい慌ててしまいました。
アコさん
動物たちの被害もものすごく多かったですね。考えるとあの時、メリーは前年の秋に亡くなっていたので、もし、生きていたら、私と一緒にタンスの下敷きになっていたかも…。一緒に寝ていたので。もし、メリーだけが飛び出していたら、いろいろな物が飛んできて、怪我をしていたかもわかりません。そうなると私は更にパニックになっていたと思います。猫ちゃんも恐怖でパニックになっていたのでしょうね。