徒然なる健央

たわむれの場

馬鹿な事ばかりやっていた時代の話

2007-10-06 22:05:45 | Weblog
10月9日   土曜   くもり はれ  25度位
 昭和35、6年頃 オリンピックの前の銭湯の様子です。
  私が、北海道から上京して驚いたのは、東京の銭湯の建物・大きさ・立派さでした。そして多くの人が利用していて、憩いの場と云う雰囲気も残っていました。

 横浜の弘明寺の近くに、やすお兄が借りていた部屋がありました。 歩いて5,6分の処に、大きな銭湯”OO湯”がありました。この辺は地方から出の人も多く、”内湯”など無い為 家族連れで来ます。 ”OO湯”は、大盛況!
 当然、母親は子供達と来ます、脱衣所には赤ん坊が着替える”テーブルベット”等揃っていました。
 そして、母親がゆっくり湯に入れるように、子供達の世話・掃除等の為、数人の若い女性(湯屋の娘姉妹と思われます)が働いていました。皆、ピチピチの美人です!男湯の方にも脱衣所の籠の整理、掃除の為、たまに来ます。

 富山県高岡の林の本家、甥の”祥ちゃん”が、やすお兄の所に2、3週間居候していたそうです。
 その後、祥ちゃんと飲んだ時!
   「いや~ たけお君! やすお君がな~OO湯の OOチャンに惚れてな~1日に2回も銭湯へ行ったぞ!!」 「え!!」 私もビックリ! 「1日2回も風呂に行ってどこ洗ったんですかね?・・・」 その後どうなったか祥ちゃんい聞きました 「いや~1回位デートしたらしぞ!」 「その後は?」「どうしたのかな~」「いつもの様に、駄目だめだったんでないか?」 2人で大笑い・・・
   ・・・私も、数回行きました 活発な美人でした。 当時は、町内に1人は、美人がいました。 新丸子の”そば屋”ミッチャンも美人だったなぁ~・・・


*写真は、近くの公園の”大野万灯祭り”です。この近辺は祭りが好きで毎週何処かで、祭りやっています。