よろず戯言

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合元寺

2014-08-18 00:29:23 | 旅行・まち歩き

前回の記事、「中津城」の続き。

 

中津城を見物し終えて、城下町にある、宇都宮鎮房ゆかりの目的地へと向かう。

が、その前に・・実は中津城城内に入る前に、敷地内にある神社に立ち寄っていた。

黒田長政が中津城内に建立した、城井神社(きいじんじゃ)と扇城神社(せんじょうじんじゃ)だ。

 

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城井神社

 

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城井神社の脇に貼られていた、宇都宮鎮房のイラスト。

 

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扇城神社の説明文看板。

肝心の神社は撮影を忘れてしまった・・・。

 

前に書いた記事、「宇都宮鎮房」でも触れていたが、

黒田官兵衛、長政親子によって謀殺された、宇都宮鎮房。

黒田家が入領する以前に豊前国の領主だった武将だ。

偽りの和睦を結ばれ、一族もろとも滅ぼされた悲劇の勇将。

 

鎮房と付き添いの家臣たちが中津城内で謀殺され、

その後、城内に鎮房の亡霊が現れるようになり、恐怖に駆られた黒田親子が、

その霊を鎮めるためにこの城井神社を建立したという。

のちに黒田家が筑前52万石に移封になった際、

そこで新たな居城とした福岡城内にも、同じく城井神社を作り、鎮房の霊を祀ったという。

 

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城井神社敷地内の地面にあった、

北斗七星をあしらったようなモニュメント。

周りになんの説明の看板や碑らしきものも見当たらず・・・一体なにを表現していたのか?

 

中津城内の城井神社は、黒田家が去った後も、

その後の城主たちによって手厚く守られて今日に至っている。

城井神社の脇にある小さな神社は扇城神社。

これは鎮房と同じく、城内・城下で討たれた、宇都宮家臣達を祀っている。

 

中津城にやって来て、駐車場に車を停めて、

真っ先に訪れたのが、この城井神社と扇城神社だった。

今回の中津への旅は、やはり宇都宮鎮房ゆかりの地めぐりが目的。

そのため、中津出身の偉人、福沢諭吉はスルー。

中津に観光で来て、福沢諭吉をスルーする人間もそう居まい。

 

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福沢諭吉旧邸&記念館。

今回はスルー。

 

そして冒頭へと戻る。

今回の旅の一番の目的地を求め、中津城を出て城下町へと歩を進める。

城下町といっても、もうその面影は皆無で、

雑居ビルや商店、民家・・・ふつうの小規模な地方都市の街並のそれである。

ほどなくして福沢諭吉旧邸と福沢諭吉記念館にたどり着く。

が、今回はスルー。

とちゅう、地元のおばちゃんに目的地の場所を訊ねる。

「ああ、その先を曲がってまっすぐ行きよったら、赤い壁が見えてくるけん、すぐ分かるよ!」

 

おばちゃんに言われたとおりの角を曲がると、寺院が軒を連ねる通りに出た。

各宗派様々な寺院が軒を連ねている。

黒田家が一族の故郷、播磨国姫路から僧を連れて作らせた西蓮寺

閻魔大王を祀っているという、円龍寺

河童を祀っているという、円応寺(えんのうじ)。

その立ち並ぶ寺のなかに、今回の一番の目的地がある。

 

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円応寺にある河童の墓の説明文の看板。

 

目的地に行くとちゅうにあった、通称:河童寺と呼ばれている円応寺に立ち寄った。

この寺は昔、当時の住職が河童の頭領たちに戒名を与えると、

そのお礼にと、河童たちが寺を火災から守ってくれたという伝説がある。

寺の敷地内には、河童の墓もあるという。

興味が湧いて、さっそく案内プレートに従って墓地に入っていった。

どんどん墓地の奥に案内され、けっきょく本堂の真裏あたりの一番奥にそれはあった。

・・・が、この日は雨、その前も数日雨天が続いており、

河童の墓の手前は大きな水たまりになっていて、墓までたどり着くことはできなかった。

遠目に手を合わせた。

 

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河童の墓

大きな水たまりができて、そこまで進めなかった。

 

この河童の墓、実は黒田家家臣団の精鋭、

黒田二十四騎のひとり、野村太郎兵衛の墓とも言われている。

太郎兵衛は播磨時代から官衛兵に仕えていた旧臣。

黒田節のモデル、母里太兵衛の異母弟にあたる。

古くから数多くの武功を挙げて、二十四騎のひとりに挙げられている。

そして中津城で宇都宮鎮房を謀殺する際、

長政の合図で、鎮房の額に一の太刀を浴びせたのが、この太郎兵衛と言われている。

そんな人物の墓が、河童の墓と混同されてしまっているという現実。

 

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野村太郎兵衛祐勝(のむらたろうべえすけかつ)

 

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諭吉さんの看板とともに、至る所に設置されていた官兵衛の看板。

この官兵衛・・というか最近の戦国武将のこのような美形タッチのイラスト、

どうも受け付けない・・・気色悪いわ。

 

円応寺を出て、お寺通り(正式名称チェックし忘れ)を進む。

そこかしこに、リアル描写で美形な官兵衛の描かれた看板が立ち並び、

ごみを捨てるなだの、犬のフンは持ち帰れだの書かれていた。

美化運動を推進しなくてはならない観光地では、どこでも抱える問題なようだ。

官兵衛といっしょに、諭吉先生の看板もあちこちにあり、

おそらくその名言であろう、様々な言葉がしたためられていた。

学のない自分は、「天は人の上に人を作らず~」しか知らないや・・・。 

 

少し歩くと見えてきた!

本当に真っ赤だ!!

 

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真っ赤な壁が見えてきた・・・。

 

中津市にある、壁も寺社も真っ赤に塗られているお寺、合元寺(ごうがんじ)。

ここが今回の旅のメインの目的地。

神社では朱塗りのものは珍しくない。

だが、あまり赤色が歓迎されない お寺でこの鮮やかな赤色は異様である。

葬儀やお供えの花でも、赤色は未だに敬遠される。

赤というと、どうしてもお祝いのイメージがあるからだ。

 

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合元寺、通称:赤壁寺

中津城に鎮房が酒宴に招かれた際、

城下で待機していた家臣たちが拠点としていた場所。

鎮房が謀殺され、城内から逃げてきた家臣たちもここに合流し、

追ってきた黒田家臣たちと壮絶な斬り合いとなる。

だが、多勢に無勢、奮戦むなしく宇都宮家臣はことごとく討ち取られ、

主君と同じくして、全てこの地で最期を迎えた。

 

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合元寺本堂。

内部の柱には黒田家臣と宇都宮家臣が争った際についた、刀傷の跡が残っている。

 

壮絶な死闘のなか、寺の内部には無数の刀傷が残り、

今も柱にその一部が残っているという。

その刀傷を拝みたかったが、あいにくこの日、本堂は閉ざされており、

また寺に誰ひとり居る様子もなく、事務所とおぼしき場所にも人影がなく、

雑多と植木や野菜(寺で菜園て・・・)が栽培され、

手入れもあまり行き届いていない敷地内の庭に呆然とする。

おいおい、これから観光客も増えるだろうに・・・

住職こんなことでいいのかよ!?

坊守さんかい? 本堂の脇で野菜なんか育ててんじゃないよ!?

雑草くらい処理してなさいよ!

檀家さんにやらせなさいよ!

寺の敷地内のあまりの手入れの悪さに、心の中でブツクサ文句を言う。 

 

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そしてこの合元寺の壁が赤い理由。

元々は他の寺同様、白壁だった合元寺。

宇都宮家臣が討ち取られた際、寺の壁が血しぶきで真っ赤に染まった。

それをいくら洗い流しても、いくら白に塗り直しても、赤く血痕が浮き出てきたという。

そのため、とうとう壁を真っ赤に塗ってしまったという。

このエピソードが物語るように、鎮房のみならず家臣達の怨念も相当なものだったに違いない。

 

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寺の外と、内それぞれに説明文の看板があった。

 

本堂は閉ざされていたものの、手を合わせて合元寺を後にする。

周囲の景観に溶け込むことのない、真っ赤なお寺。

立ち去りながらも、その赤い壁が見えなくなるまで、幾度と無く振り返って見てみた。

あ、通称;赤壁寺というが、「あかかべでら」と読む。

「せきへきでら」じゃないぞ!

せきへきだと、苦肉の策,連環の計だ!

 

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寺の外はなんだかきれいに植え込みがされていた。

 

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その植え込みのなかにこんなプレートが。

いわく付きのお寺も、マナーのない飼い主には無力だ。

 

合元寺を後にして、中津城に停めていた車へと戻る。

その途中、月極駐車場でこんな看板を見つけた。

 

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土地もってんだろうな。

 

おい!

駐車場経営してる暇あったら、寺の庭もうちょっとなんとかせいや!

・・・そう突っ込んで、駐車場に戻り、中津城を後にした。

 

 

 

NHK大河ドラマ・軍師官兵衛にハマって、

その主人公・黒田官兵衛と関わりのあった武将、宇都宮鎮房ゆかりの地を訪ねてみた。

宇都宮鎮房に関わらず、他にもまだ行ってみたい場所は数多くあり、

これから暇を見つけては、行ってみようかと思っている。

 

夏である。

ちょうどいい題材と思って、この合元寺の記事を、

この時期恒例の、恐怖スポット?心霊スポット?レポートの記事にしてみた。

で、この記事が書かれると・・・

長くこのブログをお読みになっている方には察しが付くはず。

夏恒例、マリオカートのルーム戦、納涼おばけ杯だ。

 

今年は・・・

マリオカート8でやろうかと思案中。

ただもう8月も中旬・・・やるとすれば9月になってしまうと思うが、

もし開催するならば、近日中にその内容を発表したいと思っている。

 

 

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中津市内で見つけたメガネ店。

その名も、“ベルリンメガネ”!

ベルリンて・・・ドイツ製なんかいな?

普通に鯖江製でいいやん。

 

  


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