※本記事“中津城”には、グロテスクな画像が含まれています。
苦手な方は、お読みになる際ご注意ください。
もうひと月以上も前になるが、休みを利用して、
大分県中津市にある、中津城へ行ってきた。
香川県の高松城,愛媛県の今治城と共に、日本三大水城として挙げられる。
戦国時代、築城の名手・黒田官兵衛によって築城された。
海に面した河口付近に建設され、流れる川を外堀兼運河として利用し、
また人口の堀を築いて海水を引き入れ、城の周りを人口の堀が巡る。
防衛にも海路利用にも適した城として築かれた。
車で小一時間、やってきました中津市。
「時代の足音が聞こえる街」中津。
1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州平定後、秀吉の国割りによって、
一番の功労者であった黒田官兵衛に豊前6郡12万石が与えられる。
官兵衛は当初、豊前国行橋にあった馬ヶ岳城を居城としたが、
内陸部の山頂にある城で、交通の便もよくない立地だったため、
同じ豊前国の最南部の海に面した、この中津に居城を構えることにした。
1588年に築城を開始して同時に城下町の整備も始める。
市街地の海沿いに忽然と姿を現す中津城。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いが起こると、
官兵衛の嫡男、黒田長政が徳川家康の東軍に与して大活躍する。
この功によって、黒田家は筑前52万石に移封となる。
代わって細川忠興が、中津39万石を拝領して入城する。
未完成だった中津城をこの後、忠興が完成させることになるが、
忠興は完成前に藩庁を小倉に移し居城も小倉城に移した。
その後、小笠原家,奥平家と城主が移ろいでゆく。
外堀から見た中津城天守閣。
天守閣は復元(というか架空建築)石垣と濠は当時のまま。
現存する中津城は石垣,濠,土塁の一部は当時の状態で残っているものの、
建物自体は昭和になってから再建されたものであり、
堂々とそびえる天守閣は架空の模擬天守で、
実際には天守閣が存在していたかどうかも謎だそうだ。
天守閣内部は、昨年行った岩国城同様、内部が資料館になっており、
入館料を払って展示物を見ることができる。
奥平家資料館となっていて、徳川に仕えた奥平家の宝物が展示されている。
徳川家康が若かりし頃、
まだ松平友康を名乗っていた頃に着用していた鎧兜のレプリカ。
入館料を払って、奥平資料館を見る。
まず自分は奥平家を知らなかった。
古くから徳川に仕えていたらしく、展示物も徳川縁のものが多い。
1717年(享保2年)から1869年(明治2年)に廃藩になるまで中津藩主として、
この中津城を居城として、治めていたようだ。
武田から徳川へ寝返り、長篠の戦いで奮戦活躍した、松平信昌の鎧兜や家康直筆の書状、
家康からもらった太刀、国宝“大般若長光”(レプリカ?)も展示されていた。
受付で入館料400円(だったっけ?)を払う。
奥のネエちゃんと私語していたのをやめて、
元ヤンキーだろうか? えらくケバいネエちゃんが対応してくれる。
チケットを受け取って、内部に入る。
いきなり甲冑のレプリカがお出迎え。
徳川家康が若かりし頃にまとったという、黄金の鎧兜だ。
さらに奥平家の祖というべき、奥平信昌ゆかりの品々も展示されていた。
資料館・・というか中津城敷地内の至る所に、
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のPRのポスターや幟が目に付いた。
この兜、被って写真撮れってことなのかな?
展示物を観ている間じゅう、さっきの受付のケバいネエちゃんと、
もうひとりのネエちゃんの私語が止まない。
まだ朝早くて、客は自分ともうひとりサラリーマン風の男ひとり。
そんな静かななか、ケバいネエちゃんのどうでもいい会話が延々と続く。
「**さん結婚して何年目ですか~?」
「うちは19年かな~?」
「あ~~ん! これから先そんな長く結婚生活送らないけんのですね!」
ケバいネエちゃんはつい最近新婚したばかりで、既に夫婦間が倦怠気味なのか?
それとも結婚を間近に控えていて、マリッジブルーにでも陥っているのか?
どちらにせよ・・・うるせーよ!!!
蘭学の資料。
中津城下では解剖学や薬学など、蘭学の研究が盛んだったらしい。
気を取り直して階段を登る。
3階までは資料館となっており、中津藩で盛んだった蘭学の資料、
奥平家所有の美術品や骨董品が展示されていた。
あとはよく解らない、ロータリークラブとかいう奉仕団体?の資料も展示されていた。
大パノラマの長篠合戦図屏。
織田・徳川連合軍VS武田騎馬隊の一大決戦だ。
展示物のなかでひときわインパクトを放っていたのがこの絵。
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)磔(はりつけ)図。
長篠の戦いにおいて、武田の大軍に包囲されつつも長篠城で籠城を続けた奥平信昌。
城内の士気が下がるなか、家臣の強右衛門はひとり城を抜け出し、
堀を潜って川を泳いで敵の包囲を抜け、
命からがら援軍に向かって来ている織田・徳川連合軍にたどり着く。
信長,家康が引き留めるのを聞かず、強右衛門は再び長篠へ戻り、
味方に援軍が間もなく来ることを伝えるが、あえなく敵に捕まってしまい磔にされてしまう。
彼が死と引き替えに援軍到着を味方に知らせたことによって、
城内の士気は上がり、長篠の戦いを勝利に導いたという。
さらにインパクトがあったのがこの絵。
首級を挙げ凱旋する前田利家の画。
この絵を見ていた若いカップルの会話。
「なんこれ!?超キモイ!!」
「昔の侍が敵の首獲って持って帰りよったんやろ。」
「うそー!?エグいぃ~!」
そして最上階は、中津市を一望できる展望台となっていた。
ただ、山の上に建っていた岩国城と違い、
海抜の低い河口付近に立っているため、そんな高くから見渡している感はない。
北側を望めば、福智山や英彦山、耶馬渓渓谷も望める。
東側は周防灘を望める。
西側に中津市街の城下町を望めるのだが、ここもやはり岩国と異なり、
ほとんど城下町の面影を残していないので、見てもつまらない。
天守から見た景色。
展示物を見終えて一階に戻ると、サラリーマン風の男が、
ケバいネエちゃんに捕まっていた。
一階の受付の奥はみやげ売り場になっている。
そこで官兵衛巾着を勧められているようだ。
自分もさっき見た、なんか運気の上がる巾着だとかで、
天守の外にもポスターがたくさん貼られていた。
赤色と黒色のが売られていたっけ。
「こんなん誰が買うかよ!」とか思っていたが、サラリーマン風のニイちゃんが・・・。
「赤は官兵衛の兜の色をイメージしていて、黒は“くろだ”の黒をイメージしています!」
そんな説明せんでも、誰でも判るだろうがよ!
堀に植えられていたハス。
訪れた7月上旬はつぼみがポツポツある程度だったが、
8月も中旬となった今では花が咲き誇っているんじゃなかろうか。
天守閣の資料館を出て、城の周りをぐるりと巡る。
川土手を通って、階段を使って、公道を通って、そうしながら一周することができる。
堀があるため、敷地内で一周できないという。
で石垣の裏側に中津城特有の面白いものが見られる。
黒田時代に積まれた石垣、細川時代に積み足しされた石垣、
その境界を見ることができるのだ。
くっきりと境界が見られる。
向かって右側が黒田時代に積まれた石垣。
左が細川時代に増築された石垣。
その石垣の前に鎮座している黒田如水像。
真新しいので、やはり大河放映に乗っかって、慌てて作ったものだろう。
それにしても、お地蔵さんみたく小さい・・・。
せめて等身大で作れなかったのかよ!
敷地内にあった黒田官兵衛みやげ館という、
おそらく大河ドラマ決定から急遽設けられたであろう、
即席っぽい建物で買い物をする。
ただ単に、中津やその周辺のお菓子や特産品に、
官兵衛のキャラのシールを貼ったりしただけのものが多数・・・。
もっとこう、オリジナルなものを考案しないのかよ!
Tシャツや手ぬぐい、ストラップなんかあったけれど、どうにもデザインが気に入らない。
官兵衛と関係のない中津名物、一万円札せんべいと、蛤しるこを購入。
官兵衛グッズといえば、カレーがあったので買ってみた。
あ、前の記事“宇都宮鎮房”で登場したマンガはここで購入したものだった。
にわか作りの建物、黒田官兵衛みやげ館。
その隣の公衆便所も新しく作られたような感じ。
中津城を出て、城下町へ繰り出す。
中津のもう一カ所の目的地に向かう。
実は中津城よりも、こちらの方がメインだったりする。
宇都宮鎮房ゆかりの場所だ。
この記事はまた後日。
中津城の敷地内に放置されていた廃屋。
大河の影響で観光客増えてんだから、どうにかしなさいよ!と言いたい。
中津城の所有は中津市でも大分県でもなく、個人(いち企業)所有。
天守閣の売却問題とかも抱えており、資金不足が深刻なようだ。
中津城内でポスターが貼られていた、“中津城からあげ”
敷地内に小さな店舗があり、販売されていたので食べてみた。
これが美味いのなんの!
中津は唐揚げの聖地。
独特の甘辛い濃厚な味、これに店それぞれバリエーション豊かな風味が加わる。
今度、中津唐揚げ巡りせないけんな。
中津市内の唐揚げ店、聖地めぐりのパンフレットもある。
おみやげで購入した黒田官兵衛カレー。
“知略の黒”と“仁愛の白”、二色二味入りパッケージ。
パッケージは見開きになっていて、内部にも色々描かれていて凝っている。
黒田二十四騎の兜絵は面白い。
官兵衛カレー黒と白。
黒はイカスミ入りと思われたが、炭入りで黒くしてあるだけだった。
どこぞの石炭メニューと同じだな。
味はちょっとしょっぱく感じて、あまり美味しいとは思えなかった。
白はとにかく甘い!
はちみつ入りでとことん甘い!
リンゴとはちみつ恋をしたバーモントカレーよりも甘い!
どっちも自分にはイマイチだった。
宇都宮鎮房 迎撃カレーの方が数倍美味かった。
パッケージには、「黒と白を混ぜるとさらにマイルドでおいしく!」みたいなことが書かれていた。
何年か前にサントリーから発売されたポーションを思い出した。
黒と白、ミックスするとなんとか・・ってやっていたはず。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます