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生誕90周年 手塚治虫展

2017-12-18 22:15:16 | アート・文化

田川市美術館

 

先月末、田川市にある田川市美術館へ展覧会を観に行った。

漫画家、手塚治虫の原画や貴重な資料が展示された、“生誕90周年 手塚修治虫展”だ。

“マンガの神様”と称される、手塚治虫。

「鉄腕アトム」はじめ、「ジャングル大帝」「ブラック・ジャック」「リボンの騎士」など、

彼が手がけた数々の作品。

その膨大な資料のなかから、厳選されたものが一同に展示された魅力的な展覧会。

 

 

世代的に、アトムもレオもリボンの騎士も観ていないし、

あまり興味がなくて、ブラックジャックやブッダなんかも読んでいなかった。

とくに手塚ファンってわけでもないけれど、

最寄りの美術館で、こんな巨匠の展覧会が開催されるとあらば観に行かないわけにはいかない。

そんなわけで、開催日が待ち遠しくて楽しみにしていた企画展。

 

 

 

紅葉の見頃も終わり、絶え間なく葉が舞い散る11月の終わり。

落ち葉のじゅうたんを踏みながら、美術館の駐車場へ車を止める。

カシカシと落ち葉を踏みながら、美術館の建物へと進む。

赤レンガ調の外壁が、晩秋の景色によく映える。

入口には企画展の大きな看板。

受付で入場料を払って、さっそく会場へ―。

 

ほぼ等身大だと思うけれど、なにぶんデフォルメされているのでデカく感じる。

 

 

そこで待ちかまえていたのは、手塚治虫のほぼ等身大の大きな人形。

本人が描く、デフォルメされたあのお姿でお出迎え。

中央には氏を中心に、代表的なキャラクターがずらりと描かれた壮観なパネル。

ひとつひとつキャラクターを見ていくが、半分以上は知らない・・・。

それでも好きなキャラクターを探す。

自分がいちばん好きなのは、「三つ目がとおる」。

手塚治虫の作品のなかでは、マイナーな方になるのかな?

小学校高学年のとき、このコミックスを何度も読んでいた記憶がある。

あとヒロインの女の子が時折みせる、エッチなシーンにドキドキした記憶も。

 

オデコにバッテンの絆創膏を貼った、ベソをかいているスキンヘッドの子どもが、

三つ目がとおるの主人公、写楽保介(しゃらくほうすけ)。

隣のツンとした女の子が、ヒロインの和登サン。

 

 

アトムのフィギュアもお出迎え。

なかなかのピンボケだ。

 

展示場への入口にはアトムの垂れ幕。

ここまでは撮影可だった。

 

入口前のエントランスから、いよいよ展示場に入る。

まずは、幼少期の資料からスタートする。

手塚治虫が、漫画家になるまでの軌跡をたどる。

兵庫県の宝塚市で裕福な家庭で育ったようで、

戦前に家族のビデオ画像も残っており、

家族でレストランで食事したり、宝塚歌劇を鑑賞したり、

また戦時中の物資が不足しているなか、

紙や絵具などの画材も、いいものを使用して絵が描かれていることから、

かなり裕福な家庭で育ったのが判る。

 

 

小学生時代に、大好きな昆虫をスケッチし、

昆虫標本を正確に模写して描いたものなど、昆虫図鑑や教科書に載せてもいいほどで、

とても小学生が描いたものとは思えないほどのクォリティ。

クラスメートや友達に披露していたという、初めて描いたマンガなども展示されていた。

ザラ半紙に鉛筆書きの、ラクガキのようなもの。

子どもが描いたもので、正直いって面白くもなんともないのだが、

後に大マンガ家になる子の処女作だと思うと、それが神々しく見えてしまう。

それにしても、よくこんなものを取っていたものだと感心する。

 

リボンの騎士

 

青年期に入り、日本が戦争への道へと進むなか、漫画を描くことがタブーとなる。

高校生となった彼もまた、戦闘訓練を受けながら軍需工場で働かされる。

見張り櫓の上に居たときに空襲に遭い、燃え盛って倒壊する櫓から、

命からがら脱出し、数多くの遺体を後目に奇跡的に被害を受けなかった自宅に逃げ帰る。

そんな経験を元に描いた、自伝的漫画も展示されていた。

終戦を受け、絶望のなか落胆する人々とは裏腹に、

神戸市内の灯りを見て、彼は歓喜のあまり喜び叫んだという。

 

火の鳥

 

命が危なかった自身の病気を救ってくれた医者に感銘し、医師を志す手塚青年。

しかし、漫画家の夢も捨てずに、熱心に描き続け、持ち込みを続け、

とうとう新聞紙面に連載されることになった、“マアちゃんの日記帳”で漫画家デビューする。

これをきっかけに、当時“赤本”と呼ばれ親しまれていた安値の雑誌で、

冒険活劇、“新寶島”連載が大ヒットし、SFモノを中心に立て続けに連載漫画を描き始める。

この時代の多くの原稿も展示されていた。

“マアちゃんの日記帳”こそ、新聞紙面の四コマ漫画らしく、かんたんなタッチではあるが、

それ以外の赤本に連載されていた作品は、

既に手塚治虫ならではの、シンプルかつ力強いタッチが感じられる。

タッチに関しては成長過程というものがなく、最初から手塚治虫は完成していたように思える。

 

ジャングル大帝

 

赤本連載から、念願のきちんとした雑誌での連載が始まる。

ここで、誰もが知る、“ジャングル大帝”,“鉄腕アトム”,“リボンの騎士”,“火の鳥”など傑作が生み出されていく。

それらの貴重な原稿や、単行本の描き下ろしイラストなどもずらりと展示されていた。

医師免許は取得したものの、連載が増え二足のわらじを履くことはできず、

ここで手塚治虫は漫画家一本で進んでいくことになる。

彼の医学知識は、のちの作品、“ブラック・ジャック”などで活かされることになる。

 

ブラック・ジャック

 

幼少の頃に好きだったディズニー作品から、

漫画のみならず、アニメーション制作に精力的に動き出す。

自身で制作プロダクションを立ち上げて、試験的なアニメーション制作を経て、

ついに日本初のテレビアニメシリーズ、“鉄腕アトム”の放送に至る。

その後も劇場版のアニメなども多数発表、世界で絶賛されることに。

このときのセル画や、絵コンテなども展示されていた。

アニメーションの起源と言われている回転式の装置も展示されており、

実際に手で触れて、キャラクターの動きを楽しむことができる。

回転する装置の外側の小窓から中を覗くと、アトムやレオが走る姿が見られる。

この装置に子どもたちが集まって、ワイワイ楽しんでいた。

 

全盛期から晩年に至るまで、漫画の原稿はもちろん、

アニメのセル画に、絵コンテ、設定画など数多くの資料を見ることができる。

なかには未完となってしまった、描きかけの原稿もある。

手塚氏が愛用していた、ベレー帽とメガネ,筆記用具も展示されていたし、

再現された作業部屋も展示されていた。

胸の位置で絵を描いたらしく、自身で机を底上げしたり、

アニメ制作では、下に前のコマの絵を置いて透かし、

動きのある絵を描けるように工夫された、照明とガラスシートが付いた机を作ったりしたようだ。

この机は今となっては当たり前かもしれないが、おそらく手塚氏考案なのだろう。

 

展示場に再現されていた、手塚治虫氏の作業場。

机は自身が描きやすい高さに底上げされている。

 

最後にグッズ売り場へ寄って、あれこれ悩んだ末に、

火の鳥とリボンの騎士のポストカードとイラスト画、

それと、“ピノコ語練習帳”と書かれた手ぬぐいを購入した。

見つ目がとおると“ふしぎなメルモ”のグッズが欲しかったけれど置いてなかった・・・。

やっぱり三つ目がとおるは、手塚作品のなかじゃマイナーなんだろうな。

メルモは小さい頃に妹らと観ていた記憶があるが、

ちょっとエッチなシーンが多いため、母に「メルモちゃんは観たらいけん!」って、

視聴を禁止された記憶がおぼろげにある。

セックスシーンとかがあるわけじゃあないし、

まだ未就学児だったんだから、よかろうと思うんだけどな。

 

 

購入したポストカードとイラスト画。

ポストカードはホログラム仕様。

イラスト画は額縁に入れて飾らんといかんな。

 

ポストカードの切手貼付欄に、ヒョウタンツギが!

 

田川市美術館での、同展覧会は今月25日まで。

手塚治虫ファンはもちろん、漫画・アニメが好きな人は見て損はない。

手塚作品に馴染みのない、若い世代の方にも多く見て欲しい。

田川くんだりまで行けるかよ!なんて思っているひと、

201号線バイパス使えば、福岡市内中心部からでも小一時間で来れる。

ついでに田川石炭資料館も見学して、道の駅で名物?の石炭ソフトクリームを食べて帰るといい。

 

ピノコ語練習帳と書かれた手ぬぐい。

思わず買ってしまった。

 

 

「アッチョンブリケ」以外は知らなかった。

そもそもブラック・ジャックは読んでないし、アニメも観ていない。

だけど、ピノコってキャラだけは知っていた。

高校のときくらいだったか、妹が図書館で借りたブラック・ジャック読んでいて、

ピノコのストーリーを読んで号泣していたのを覚えている。

 

 



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