昨日の続き。
増えたものを数えていて、ふと思った。生活を飾る・彩るものを以て、増えたと称しているよなあ。考えてみたら、断捨離と言って減らすモノは、決まってストック品と、人生の装飾品。当たり前だけど、必需品は減らさない。生活に本当に必要なモノは、思ったより少ない。
人生の装飾品が増えることに因んで、ちょっと考えた。
生活に潤いが欲しいと『潤い品』、例えば昨日話した趣味の道具、服、額装などを手に入れることで、楽しく幸せな人生に近づく…のかもしれない。殺風景な家に帰るより、写真が飾ってある部屋がいいかもしれない。生活と仕事以外の活動に取り組むのも、趣味や仲間が増えて生きる上で活気が出るかもしれない。
ただちょっと気になる。私たちはどれだけ、人生を楽しまなくてはいけない…だとか、幸せでなくてはならないという考え方にとらわれているのだろう。誤解してほしくないのだが、楽しい、幸せが悪いと言っているのではない。そうではなく、人生は楽しく幸せであるべきと強迫的に思わされていないだろうか、と言いたいのだ。そんな思考が社会に蔓延している。
だから少しでも自分が取り残されていると感じると、焦ったり怒ったりする。本来生きていくのに、楽しくて幸せな生涯が約束されているはずはない。かくあるべきと思わされているだけなのでは?だって実際の人生は理不尽がいっぱいだよねえ。
人生の初期設定には、幸せも楽しさも装備されていないのではないか。幸せは生きていく中で自分が構築、納得するものであって、社会に思わされている表層的な楽しさは、偶然日本に住んでいるから得られる棚ぼたなのだ。そう考えれば、不必要な怒りや妬み焦りは軽減する。
私はたまたま今の生が恵まれていると思っているけれど、それは運が良かった…もしくは前世で功徳を積んだ(笑)あるいは、忘れっぽいからだと思っている。