小さな発見日誌

日々の忙しさからはなれて、肩ひじ張らずに、
ゆっくりとした気分で、語っていきます

”拝殿が二棟⁉” 塩釜神社(宮城)

2024-05-20 13:08:03 | 神社

前回は塩釜神社の唐門についてお話しました。

次に進みましょう。

一礼をして唐門をくぐり、あたりを見回すと

正面に拝殿が一棟、右手に拝殿がもう一棟あります!

その二棟は、向きも違います!

今回は、御祭神と本殿・拝殿について、お話しましょう。

(塩竃神社公式ホームページより)

 

<御本殿(左宮・右宮・別宮)について>

唐門から入り正面にある御本殿・拝殿は、左右宮です。

 左宮の御祭神 武甕槌神(たけみかづちのかみ)【茨城県鹿島神宮主祭神】

 右宮の御祭神 経津主神(ふつぬしのかみ)【千葉県香取神宮主祭神】

 共に高天の原随一の武の神として国譲りに登場し、国土平定の業をなした神様です。

唐門から入り右手にある御本殿・拝殿は、別宮です。

 別宮の御祭神は、主祭神たる塩土老翁神(しおつじおじ)です。

なぜ主祭神たる塩土老翁神を祀る宮を別宮というのでしょうか。

この別宮とは、メインに対するサブやセカンドという二番目の意味ではなく

特別(スペシャル)な社という意味なのです。

これを前もって知ってる方々は、最初に別宮を参拝するそうです。

タケミカヅチの神とフツヌシの神、そして塩釜様は東北平定に尽力し

その際には塩釜様が道案内をなさったとのこと。

平定後は、塩釜様だけがこの地にとどまり、この地を守り

塩づくりを教えたとのことです。 

 

今回は、このへんで。

次回は、写真をいれながら、もう少し詳しくお話ししたいと思っております。

 

時節柄、皆様、お体ご自愛下さい。

ごきげんよう

___________________________

参考文献 塩竃神社ホームページ

 

 

 

 

 

 

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"唐破風が無い‼” 塩釜神社 唐門の謎 ~唐門について~

2023-03-31 17:25:58 | 神社

ご無沙汰しておりました。

仕事多忙の毎日で、やっとブログ更新に漕ぎ着けました。

前回の続きです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

前回は、塩釜神社(宮城県塩釜市)の随神門をくぐり、狛犬様を説明しました。

さて、いよいよ次の唐門に進みましょう。

なぜ「唐門(からもん)」というのでしょうか。

唐というと、中国の昔の国の「唐(とう)」を思い出すかもしれません。

しかし、「唐門」は中国から来た形式ではないのです!

まずは、「唐門」について紐解いていきましょう。

「唐門」というのは、

「唐破風(からはふ)」がある門のことなのです。

 

「破風(はふ)」とは、

下の写真の赤線の部分のことです。

    写真引用 https://www.my-painter.com/column/20190130gennba5/

下の写真のように、お城には、さまざまな破風があるのがわかりますね。

           写真引用 https://shirobito.jp/article/1467

多種多様な破風のデザインを組み合わせて見事なものになってますね。

では、唐門の"唐”の由来である「唐破風」とはいったいどのようなものでしょうか。

これから探っていきましょう。

「唐破風」は、"唐”という字がついていても、

なんと、「日本特有の破風形式」なのです!

平安時代頃に現れたといわれています。

屋根は、平常、三角につくられますが、

それを敢えて"弓のように丸い曲線に施します。

写真引用 https://riverstone-roofing.com/basic/20150925_karahafu/

これが唐破風です。

必然的に普通の屋根をつくる工程よりも手間が必要となります。

破風の中でも、"唐破風は最も装飾性の高いもの”とされています。

唐破風が盛んだったのが、安土桃山時代。

装飾性の高い唐破風は、最も格が高いとされ、

神社や寺院、城郭建築に用いられてきました。

 

では、なぜ唐」の文字がつくのでしょうか

古来日本では、中国から入ってきた先進的なものを「唐物(からもの)」と言い

中国からのものではなくても、見て珍しいものには、「唐」という名をつけていました。

唐破風の装飾性の高さは、人々の目をひきつけるもので、

「目新しいもの、先進的なもの」として「唐」の文字がついたと考えられています。

唐破風も時代とともに変化しており、古いものは勾配が緩やかで、新しいものほど急であるといわれています。

鎌倉時代に建てられた出雲武雄神社の拝殿(国宝)は、現存する最古の唐破風と考えられています。

            写真引用 https://www.isonokami.jp/map/9.html

 

では、いよいよ、塩釜神社の唐門を鑑賞いたしましょう。

え⁈ 唐破風が無い!

どう見ても、ありません‼

なのに、どうして唐門なのでしょう⁇

早速、塩釜神社博物館の学芸員の方にお聞きしました。

すると、次のように教えてくださいました。

「塩釜神社の現在のお宮は、宝永元年(1704年 江戸時代前期)に竣工されました。

 この宝永元年唐門も楼門も造られ、現在まで続いています。

 ちなみに、現在のお宮の前のお宮は、寛文三年(1663年)に竣工されています。

 実は、唐門には、唐破風があったのです。江戸時代あたりまではありました。だから、唐門と言われていたのです。

 それが年代が進むにつれて、唐門が修復されているうちに、いつのまにか、唐破風があらためられたのです。

 唐破風がはずされても、『唐門』と人々が呼んでいたものが、今も呼び名としてのこっているのです」

 

そうだったのですか!これは、小さな発見どころか大きな発見日誌となりました‼

そして、次のようにも、教えてくださいました。

「とても巧妙になおされているので、どの部分をなおしたか、いつごろなおしたか、

 文化財の調査でもわかっていません」

確かによくよく見ても全くわかりません!

学芸員の方の御説明のお蔭様で、なぜ「唐門」というのかわかりました。

大きさについては、

「唐門の柱の高さは、4.17m。

 中央の門の両柱の間の横幅(人が通るところ)は、3.623m、奥行きは、3.434m。

 左右の門の両柱の間の横幅(人が通るところ)は、左右の門とも、2.731m 」と教えてくださいました。

いろいろと詳しくありがとうございました‼

唐門の謎が解けたところで、唐門で一礼をして、その先に進みます。

続きは、また次回に。

今回は、この辺で。

ごきげんよう

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色のある文字をクリックすると、より詳しいことがわかります。

 

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仙台狛犬の祖! 塩釜神社の狛犬 ~狛犬について~

2022-07-01 14:20:14 | 神社

塩釜神社の随神門(楼門)をくぐると


次の唐門前で
狛犬さんが出迎えてくれます。




狛犬について>
  ① 邪気を払い、神前を守護する役目を持つ
  ② 狛犬の起源は、古代オリエント最強の守護獣として刻まれていたライオンが
    始まりと言われている。
  ③ 東大寺南大門の狛犬が、石製としては、我が国最古の狛犬とされている。
  ④ 御祭神に使える動物「眷属(けんぞく)」や「神使(しんし)」が
    狛犬の役目をはたしている神社もある。
    例  埼玉 三峯神社➝狼
       京都 伏見稲荷大社➝狐
       東京 日枝神社(赤坂)➝猿

唐門前の狛犬は、仙台狛犬の祖といわれています。





撮影当日は雨が降っていましたが、どっしりとした重みが一層感じられ、
雨に濡れた狛犬の様子も貴重なものではないかと思っております。

仙台狛犬の特徴としては、次のようなことがあげられるようです。
 ◎ 参拝者に正対する向きでおかれている
 ◎人のような独特なお顔つき
 ◎たてがみが、パーマ状である
 ◎前足が少し前後にずれている
 ◎後ろ足の内側が、ほとんど彫られていない

塩釜神社博物館学芸員の方にお聞きしましたところ
「年代とともに変化しており、仙台狛犬の定義は難しいですが
 上記のような特徴をいくつか兼ね備えているものが多いですね」とのことでした。
仙台の各神社で狛犬さんにお会いした時には、
どの特徴を持っているかを見てみるのが楽しみになりました。

さて、唐門前の狛犬は
  延享(えんきょう)4年 1747年
  仙台 北町 東昌寺下 菊田屋又兵衛 奉納 
  石工 大丸屋 

石工の大丸屋さんや奉納した菊田屋又兵衛さんがどういう方なのか、
石材は何かを、学芸員の方にお聞きしましたが、残念ながら不明だとのことです。
狛犬の高さは、台座も含めて180cm位あるそうです。
東昌寺は、現在では仙台市青葉区にあります。

また、
東神門前にも、狛犬さんがいます。


口が開いている阿形(あぎょう)

        やや後ろから見ると
            ↓

狛犬の後ろに写っているのが東神門です。

口を閉じている吽形(んぎょう・うんぎょう)



こちらは、文久3年 1863年 奉納
     石工 気仙沼町の友輔
学芸員の方のお話によると、
小松屋善七さんによって奉納されたとのことです。
こちらも、石工や石材等については、残念ながら不明とのことでした。

狛犬を奉納する意味は、
大願が成就した時、又は、何かを祈願する時、または、何かの記念に奉納したりと
さまざまですが、
狛犬を見ていると、奉納した方のあつい思いが伝わってくるように思われます。

以上ご紹介した狛犬のほかにも、塩釜神社の境内には沢山の狛犬が置かれていて
今回は全部見きれませんでしたが、またいつか、ゆっくりと拝見したいと思っています。

唐門前で、じっくりと狛犬を鑑賞して
さて、いよいよ立派な唐門をくぐります。

続きは、また次回にお話し致しましょう。
今回は、このへんで。
ごきげんよう



 


  
       

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塩釜神社の随神門(楼門)左大臣・右大臣、豊磐間戸神・櫛磐間戸神が逆⁈

2022-02-05 11:22:30 | 神社

2022年が始動しています。

前回から、また時間が経ってしまいました。

仕事多忙のゆえ、数ヶ月に一回の更新になってしまいますが

今年も頑張っていこうと思っておりますので

宜しくお願い致します。

さて、前回の続きを始めましょう。

_____________________________

塩釜神社の立派な随神門の左右には、

門に向かって、左側 (ご本殿から見て右側)に

奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)様

 

 

門に向かって、右側(ご本殿から見て左側)に

豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)様 がいらっしゃいます。

どうして、この神様がたなのでしょうか。

それは、古事記では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)が天孫降臨(てんそんこうりん)した際、

宮殿の守護を担うため、共に降臨した天石戸門別神(アマノイワトワケノカミ)またの名を櫛磐間戸命(クシイワマトノミコト)、豊磐間戸命(トヨイワマトノミコト)を御門の神として記されています。

貴人の外出時に護衛として随従した近衛府舎人(とねり)を随身(ずいしん)と呼び

それが転じて、主神に従い守護するという意味で随神となったとされています。

 

とても良い表情をなさっています。

しばらく、みとれておりましたが

「ん?」と不思議に思うことが出てきました。

今まで参拝したことのある神社やネットの情報では

右大臣が豊磐間戸神、左大臣が奇磐間戸神(櫛磐間戸神)なのです。

(例えば、東京の神田明神大國魂神社、岡山の牛窓神社等々)

それが、塩釜神社では逆なのです‼(上記の写真参照)

これはいったいどうしてなのでしょうか⁈

 

早速、塩釜神社様にお聞きしましたところ

神主様が、丁寧に説明してくださいました。

 

「古事記では、豊磐間戸神と櫛磐間戸神は、門に召された神として

 もともとは、一(ひとはしら)の神様だったのです。

 ですから、どちらが上とか下とかという身分の区別はないのです。

    塩釜神社では、古語拾遺(こごしゅうい)をもとにしております。

 古語拾遺では、豊磐間戸神が先に記されております。

 平安時代中期 905年(延喜5年)に編纂(へんさん)が始まった延喜式(えんぎしき)では、

    左大臣が上位ということになります。

 ですから、古語拾遺の中で、先に書かれている豊磐間戸神を

    塩釜神社では、左大臣としております。

 左大臣・右大臣のどちらを、豊磐間戸神・櫛磐間戸神とするかは

 神社によって、いろいろな解釈があり、各神社で違うのです」と

教えてくださいました。

お話を伺って、大変勉強になりました。

各神社に参拝の折には、随神門全体はもちろんのこと、

左大臣と右大臣のどちらが、豊磐間戸神様か櫛磐間戸神様かを拝見するのも

楽しみになってきました。

これは、私にとって、小さな発見日誌・・・、いえ、大きな発見となりました。

神主様、貴重なお話を、誠にありがとうございました。

以上のように,随神門をじっくりと鑑賞して、一礼してくぐりますと

また次の門、そして狛犬さんたちが、迎えてくれます!

ここからは次回また。

今回は、この辺で。

ごきげんよう。

_____________________________________________

文中の緑色の文字をクリックすると

より詳しいことがわかります。

 

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塩釜神社随神門(楼門)その偉大なる大きさ

2021-09-05 15:59:55 | 神社

お久しぶりです

すっかりご無沙汰してしまいました。

いろいろと仕事に追われ

やっと一段落して、ブログ再開です。

 

さてさて、前回の続きに早速、入りましょう。

____________________

表参道、202段の石段を上りきると、目の前には

随神門(楼門)がそびえたっています。

とても大きいので、近くでは全体が写真に入りませんので

石段を少し下りての撮影です。

随神門とは、神社の外側にある門のことで、

寺院でいうと仁王門に該当します。

塩釜神社の随神門

   江戸時代中期 1704年に

   伊達綱村(仙台藩四代藩主)が造営したもの

      ↳(綱村は、塩釜の発展に力を尽くし「塩釜の恩人」と言われている)

   国の重要文化財に指定されています。

この見上げるほどの、立派な随神門、

高さはいったい・・・

帰宅後に調べても、どこにも出ておらず、電話で

塩釜神社博物館の学芸員の方にお聞きしました。

すると、以下のことがわかりました。

  高さ およそ 12.5メートル

   ↳(塩釜神社博物館に収蔵されている明治時代の図面より)

 

       奥行 4.88m

       幅 8.49m

                    (奥行と幅は、平成時代の計測

      高さについては、明治の図面にしか記載されていない)

計測値については、他ではなかなか出ていないとのことでした。

 

門全体の修復は、傷んできたら、その都度、修復作業を行うそうですが

基本は、20年ごとの塩釜神社式年遷宮にあわせて修復されるとのことです。

平成23年に式年遷宮(第十八回)がありましたので、次はその20年後。

楽しみですね。

 

さて、この堂々とした立派な門、このまま

見上げるだけですーっとくぐりぬけるだけでは、もったいない!

左右の内側にご注目‼

 

 豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)様

 奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)様 が

いらっしゃいます。

この続きは、また次回に致しましょう。

今回は、この辺で。

ごきげんよう

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塩釜神社の随神門(楼門)左大臣・右大臣、豊磐間戸神・櫛磐間戸神が逆⁈

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