小さな発見日誌

日々の忙しさからはなれて、肩ひじ張らずに、
ゆっくりとした気分で、語っていきます

塩釜神社の随神門(楼門)左大臣・右大臣、豊磐間戸神・櫛磐間戸神が逆⁈

2022-02-05 11:22:30 | 神社

2022年が始動しています。

前回から、また時間が経ってしまいました。

仕事多忙のゆえ、数ヶ月に一回の更新になってしまいますが

今年も頑張っていこうと思っておりますので

宜しくお願い致します。

さて、前回の続きを始めましょう。

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塩釜神社の立派な随神門の左右には、

門に向かって、左側 (ご本殿から見て右側)に

奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)様

 

 

門に向かって、右側(ご本殿から見て左側)に

豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)様 がいらっしゃいます。

どうして、この神様がたなのでしょうか。

それは、古事記では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)が天孫降臨(てんそんこうりん)した際、

宮殿の守護を担うため、共に降臨した天石戸門別神(アマノイワトワケノカミ)またの名を櫛磐間戸命(クシイワマトノミコト)、豊磐間戸命(トヨイワマトノミコト)を御門の神として記されています。

貴人の外出時に護衛として随従した近衛府舎人(とねり)を随身(ずいしん)と呼び

それが転じて、主神に従い守護するという意味で随神となったとされています。

 

とても良い表情をなさっています。

しばらく、みとれておりましたが

「ん?」と不思議に思うことが出てきました。

今まで参拝したことのある神社やネットの情報では

右大臣が豊磐間戸神、左大臣が奇磐間戸神(櫛磐間戸神)なのです。

(例えば、東京の神田明神大國魂神社、岡山の牛窓神社等々)

それが、塩釜神社では逆なのです‼(上記の写真参照)

これはいったいどうしてなのでしょうか⁈

 

早速、塩釜神社様にお聞きしましたところ

神主様が、丁寧に説明してくださいました。

 

「古事記では、豊磐間戸神と櫛磐間戸神は、門に召された神として

 もともとは、一(ひとはしら)の神様だったのです。

 ですから、どちらが上とか下とかという身分の区別はないのです。

    塩釜神社では、古語拾遺(こごしゅうい)をもとにしております。

 古語拾遺では、豊磐間戸神が先に記されております。

 平安時代中期 905年(延喜5年)に編纂(へんさん)が始まった延喜式(えんぎしき)では、

    左大臣が上位ということになります。

 ですから、古語拾遺の中で、先に書かれている豊磐間戸神を

    塩釜神社では、左大臣としております。

 左大臣・右大臣のどちらを、豊磐間戸神・櫛磐間戸神とするかは

 神社によって、いろいろな解釈があり、各神社で違うのです」と

教えてくださいました。

お話を伺って、大変勉強になりました。

各神社に参拝の折には、随神門全体はもちろんのこと、

左大臣と右大臣のどちらが、豊磐間戸神様か櫛磐間戸神様かを拝見するのも

楽しみになってきました。

これは、私にとって、小さな発見日誌・・・、いえ、大きな発見となりました。

神主様、貴重なお話を、誠にありがとうございました。

以上のように,随神門をじっくりと鑑賞して、一礼してくぐりますと

また次の門、そして狛犬さんたちが、迎えてくれます!

ここからは次回また。

今回は、この辺で。

ごきげんよう。

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文中の緑色の文字をクリックすると

より詳しいことがわかります。

 


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