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2007-01-08 月 今週のニュースDrag

2007-01-08 16:33:39 | 「保存している記事」から

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2007年01月08日(月曜日)付

高成田 享 (タカナリタ・トオル) 経済部記者、ワシントン特派員、アメリカ総局長などを経て、論説委員。 

07年はどんな年?

のんびりとした正月を過ごしつつ、07年がどんな年になるのか考えてみた。といっても占師になろうというわけではない。いろいろ起きるであろう事象をみるときに、こういう視座で考えてみたいという心構えを記してみようということだ。

「視座」などと言うと、おおげさだが、冷戦後の米国の「一極支配」が政治的にも経済的にも崩れるなかで、新しい「レジーム」をさぐる動きが出てくると思う。それをしっかりと見極めるというのが視座ということになる。昨年来、NYタイムズのコラムニストであるトーマス・フリードマンがたびたび「ポスト冷戦後」という言葉を使っているが、まさに、このことだと思う。

その視座からすると、まず気になるのがイラク戦争の失敗に米国がどう落とし前をつけるか、それによって世界はどう変化するか、ということだ。

ブッシュ政権は、イラクへの増派を考えている。現在の14万の兵力のうえに数万規模の増員をすれば、それなりに効果をあげるかもしれない。しかし、その狙いはイラクの制圧(不可能な指令!)ではなく、一定の安定をつくったうえでの撤退、あるいはイラクの安定のために最大の努力をしたうえでの撤退、つまり「名誉ある撤退」のためのステップだ。

08年の大統領選が本格化する来春以降は、イラク問題が大きな争点にならないように、ブッシュ政権も実質的な撤退に踏み切るだろう。問題は、厭戦気分が強まる中で、米国がどこまで世界にコミットメントするかということだ。

米国の引きこもり状態になれば、中東の動乱は拡大し、イランや北朝鮮がますます挑発行為を繰り返し、南米の「反米政権」や「左派政権」は勢いづき、そして、混乱する世界秩序の調整役として、中国やロシアがさらに台頭してくるだろう。

エネルギー大国のロシアは世界が波乱含みのほうが経済的な利益になるが、「和平台頭」の中国は世界が安定したほうが経済的な利益につながる。そう考えると、米国が後退したあとの世界のシナリオ作りに中国がいっそうかかわってくるのは間違いがない。そこには覇権国家の本性も出てくるだろうから、アジアだけを見ても、「パクス・チャイナ」とはならないだろう。

まず米中の文脈で何が起きているかをとらえ、それから日本やロシアなどの諸国を支脈として見る。そういう癖をつけて、北朝鮮問題などを考えたほうがいいのではないか。

米国の外交政策の次に気になるのはドルの動きだ。米国の政治的な引きこもりは、経済的にはドルの下落として表現されるだろう。いつそれが本格化するかは、市場に聞くしかないが、ドルの下落を予測して、それに対抗する手立てをする動きは確実に強まる。

具体的には、ドルにほぼ連動した通貨体制をとる中国、香港などと、変動相場制で独自の動きをする日本や韓国などとの調整の必要性がさらに強まる。そうなると、「アジア共通通貨」(ACU)を模索する動きも強まるだろう。もちろん、政治体制も経済力も異なる国々が多いアジアで、すぐにACUが実現するはずはないが、ドルの衰退という歴史的な流れがはっきりすれば、政治体制を棚上げしたうえで、ACUの導入を考えるしかなくなるだろう。

また、アジア各国が金融危機に備えた資金を拠出するアジア通貨基金(AMF)などの動きも本格化するだろうし、そうなると、IMF(国際通貨基金)におけるSDRのように、ACUが使われる可能性もある。「ドルの下落への影響を最小限にとどめる」という米国には言えない狙いを秘めながら、ACUやらAMFやらの動きが出てくるだろう。

日米の資本市場でのM&Aの動き、自動車やエレクトロニクスなど産業界での動きなども、「内向きの米国」を背景にして、広まっていくかもしれない。

政治と経済の両輪で、米国あるいはドルの衰退という歴史的な流れが強まること。それが07年以降に着目しなければならない動きであり、それを見落とさないようにすることが私の課題ということになる。


2007-01-07 日 毎日新聞社説  団塊退職 働き続けられる社会を

2007-01-07 16:50:29 | 「保存している記事」から

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2007年01月07日(日曜日)付

07年もっと前へ 団塊退職 働き続けられる社会を

 漁港の岸壁で、平日に釣りをする年配の男性がいた。「優雅な身分ですね」と話しかけると、「理想の姿のはずだったが……」と沈んだ声。男性は60歳の定年退職から4カ月目。釣り好きで以前は毎週土日になると釣り糸を垂らした。退職したら毎日釣りに行けると楽しみだったが、実際そうなってみるとかつての喜びはない。朝、きょうは何をしようかと考えると苦痛さえ感じるようになった。

 フードビジネス支援会社「テンポスバスターズ」(東京都大田区)の森下篤史社長は、男性との会話を披露しながら「おいしいものを毎日食べていると、おいしいと感じなくなるのと同じ。働いているからこそ遊びや趣味の時間が楽しみになる」と言う。同社は定年制を廃止し、高齢者を積極雇用する。77歳を最高に60歳以上は全社員の23%の98人。年齢で区別せずに査定する能力主義で、やる気を引き出す。301人以上の大企業で定年制がないのはまれだ。

 戦後のベビーブーム世代である1947~49年生まれの人々が、今年から3年の間に60歳の還暦を迎える。作家、堺屋太一氏の命名により「団塊の世代」と呼ばれる彼らが定年退職の時期にさしかかり、日本の経済や社会にさまざまな影響をもたらすのではないかと言われている。いわゆる「2007年問題」である。

 毎年270万人近くが生まれ、その前後の世代より2割以上も多い。05年の国勢調査によると計683万人。総人口の5.4%を占める。年齢別人口構成の中でとりわけ大きな塊を形成してきた。

 その彼らが一斉に職場から退くことになっては、直ちに働き手の激減を招き、日本経済全体を揺るがしかねない。それでなくても日本は少子高齢社会に突入し、労働力人口が減っていく途上にある。これからは団塊世代を含めた高齢者の労働力に頼らざるを得ない。

 彼らが持つ技術・技能が若い層に十分に伝承されるのかという問題もある。引き継ぎがスムーズにいかなければ、ノウハウは断絶し、日本の損失にもつながる。労働の「量」だけでなく「質」の面からも、団塊世代においそれと引退してもらうわけにはいかない。

 しかも、働く意欲は今も旺盛だ。厚生労働省が05年10月時点の50~59歳を対象に行った調査では、60歳以降も「仕事をしたい」人は71%に上り、このうち「いつまでしたいか」との問いに「可能な限り」という回答が64%を占めた。そのうえ全体の81%が健康状態は「よい」。60歳でリタイアするのは、実にもったいないのだ。

 もっとも、07年になったからと言って、団塊世代が皆一気に退職するわけではない。企業に対し段階的に65歳までの雇用確保措置などを講じることを義務付けた改正高齢者雇用安定法が06年4月から施行されたためだ。年金支給開始年齢の65歳への段階的引き上げに合わせた改正だが、団塊世代の定年時期とタイミングが一致した。

 同法が企業に求める措置は▽定年の引き上げ▽継続雇用制度の導入▽定年制の廃止--のいずれかだ。定年引き上げと継続雇用は最終的に13年度までに65歳まで段階的に引き上げることを認めている。これに従えば、07年に60歳になる人は11年の64歳まで、09年に60歳になる人は14年の65歳まで働けることになる。

 厚労省の調査では、施行後2カ月で84%の企業がいずれかの措置を実施した。中でも大企業は94%と高率だ。しかし、その中身は、となると高齢者が十分に働ける環境が整ったとは必ずしも言えない。実施済み企業のうち、継続雇用導入が86%に達し、定年引き上げは13%、定年制廃止はわずか1%に過ぎないからだ。

 継続雇用制度は原則として希望者全員が対象だが、労使協定で対象者の基準を定めるなどした場合、企業に必要な人材に限った継続雇用が可能になる。調査では、継続雇用のうち希望者全員を対象にした企業は39%にとどまった。

 65歳への雇用延長措置も、結局は問題を先送りしただけと見ることもできる。5年後には、やはり大量退職の時期を迎え、「12年問題」と呼ばれるかもしれない。高齢者が年齢を全く気にせず働けるには定年制廃止が最も望ましいが、これが容易ではない。

 日本では定年までの雇用が保障され、解雇は厳しく制限されている。定年制を廃止すれば社員を永久に雇わざるを得なくなると企業は二の足を踏む。「解雇規制の緩和が定年制廃止の最低条件」という意見も経済界には根強い。

 団塊世代の退職で人件費の負担が減るうえ、次世代の昇進が加速し、組織が活性化するなどとプラスに評価する企業も少なくない。終身雇用と年功序列が長く続いてきた日本の企業風土が足かせになって、高齢者の働く場はそう簡単には広がらないようだ。しかし、そこで立ち止まっては趣味に明け暮れる高齢者が増えるだけだ。

 厚労省は07年度から、経営的に雇用延長に踏み切りにくい中小企業を対象に、定年廃止か定年を70歳まで引き上げた場合、最高で160万円の奨励金を支給する制度を導入する。政府はこうした施策をさらに大胆に打ち出し、高齢者が働きやすい環境作りとその必要性の周知を図ってもらいたい。

 学生運動、フォークソング、ニューファミリー……。団塊世代は常に時代をリードし、動かしてきた。ここはもうひと踏ん張りしてもらい、高齢者が望めば働き続けることが可能になる「モデル社会」を新たに生み出してほしい。

 そして、高齢者が生き生きと暮らせる社会の実現を国民全体で目指したい。

毎日新聞 2007年1月7日 0時17分

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2007-01-07 日 今日の西日本新聞社説

2007-01-07 00:04:28 | 「保存している記事」から

2007年01月07日(日曜日)付 西日本新聞社説

2つの流れが働き方を変える 経済統合と人口減少

 アイルランドの人口は約420万人。500万人を超える福岡県の約8割にとどまる。小さな国である。昨秋、福岡県経営者協会の欧州視察団が、同国の首都ダブリンを訪れた。そして、認識を新たにしたという。

 1990年代半ば以降、経済成長の歩みを速めていたのだ。同国は積極的な外資誘致策を展開し、旧来の製造業や農業を中心とした産業構造を、情報技術(IT)や製薬、医療機器、金融サービス分野といった知識集約型を中心とした構造に転換していった。

 外資系企業を引きつけた要因の1つが、人口の4割を占める25歳以下の若者の存在であり、その教育水準の高さだという。

 そして、自国の労働力を中核産業に集中させると同時に、ポーランドやスロバキアといった東欧のほか、リトアニアなどの旧ソ連からの労働力も積極的に受け入れて、それ以外の産業の担い手を確保する政策をとっている。

 労働の「選択と集中」はいまのところ功を奏し、失業率も上がらずに経済成長を続けているという。

 ポーランドやリトアニアなどが2004年5月、欧州連合(EU)に加盟したことも大きい。アイルランドは英国、スウェーデンとともに原則的に旧東欧地域などからの移民を受け入れるEUでも数少ない国である。


低くなる国境の垣根


 対照的に厳しく制限しているのがドイツ、オーストリアである。かつて大量の移民を受け入れてきた歴史もある。さらに、受け入れ派の英国でも移民制限の声が高まっているという。

 外国人労働者が増えれば、さまざまな摩擦が起こってくる。自国民から拒否反応が出るのは当然だろう。

 それでも、EU全体としてみれば、国境を越えた労働移動の制限を緩和する方向に動いている。

 翻って日本を含むアジアの動きはどうだろうか。地域統合を推し進めている欧州を遠くににらみながら、いま、アジアに広域自由貿易圏をつくろうという論議が活発化してきた。

 経済産業省が提唱しているのは、日本と中国、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国に、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた計16カ国による「東アジア包括的経済連携」構想である。

 広域的経済連携の動きは今年、さらに進むだろう。それは、地域内での貿易や投資の拡大だけでなく、人材交流、労働移動の活発化にもつながる。

 実際、フィリピンと日本との間で締結された経済連携協定では、条件付きながら看護師の受け入れも認めた。

 EUと、経産省が提唱した「東アジア」地域の域内貿易比率を見ると、ほぼ同じ水準にある。貿易面での地域経済一体化は進んでおり、次なる段階として日本の労働市場開放を求める声が強まることは当然予想される。

 現実を見れば、さまざまなかたちで外国人労働者が日本で働き、その数は確実に増えている。定住した日系人では子どもの未就学問題や、外国人による犯罪などトラブルも起きている。

 経済統合の動きが今後、本格的になっていくと考えれば、実態に合わせた制度整備を進める時期に来ている。


多様な仕組みそろえ


 日本の労働市場の大改革、いわゆる「労働ビッグバン」という言葉をよく耳にするようになってきた。

 1つは日本を取り巻く国際的な経済環境の変化がある。だが、もっと大きいのは、少子高齢化に伴う人口減少にあることは言うまでもない。

 国内に目を向けると、戦後間もない1947年から49年に生まれた、いわゆる「団塊の世代」が60歳の定年を迎え、大量退職していく時代がいよいよ幕を開ける。

 企業は再雇用や定年延長で対応しようとしている。だが、全国で約680万人とされる団塊の世代をどれくらいまで職場につなぎとめておくことができるだろうか。

 やる気を保ちながら、その経験と知識をフルに活用してもらうためには、活用方法などで試行錯誤が続くのではなかろうか。

 日本経済の活力を維持するため、高齢者の活用や女性の社会進出を促進する。以前から言われてきたことだ。

 これからは、子育てなど人生のさまざまな段階に応じた働き方ができるようにすることが必要だ。

 例えば、企業に対し、半日や1時間単位で有給休暇を認めたり、短時間勤務の正社員制度の導入をもっと積極的に呼びかけたりすることなども考えられるだろう。

 移民など大量の外国人労働者によって労働力不足を補うという考え方は現実的ではない。いったん仕事から離れた女性や、長く働いてもらえる高齢者と外国人労働者がバランスよく増えていくことが大事になる。

 その意味で、男性を中心に終身雇用を前提にして、いわば労使の「あうんの呼吸」でできた労働慣行も変わるかもしれない。性別や年齢、国籍ではなく、個人の能力で評価する契約型社会に移行していく可能性もある。

=2007/01/07付 西日本新聞朝刊=

 


2007-01-06 土 今日の西日本新聞社説

2007-01-06 18:13:35 | 「保存している記事」から

2007年01月06日(土曜日)付 西日本新聞社説

人口減に対応できる将来像を 安心できる社会保障

 なぜ、このような言葉が使われるのだろうか。しかも、私たちが生きていくうえで、とても大切な、生活の基盤を支える分野でである。

 近ごろ、とみに耳にする「難民」と言う言葉である。一般的に戦争などで困難に陥った、とくに、戦禍を避けて流浪している人たちのことを指す。

 「介護難民」「がん難民」「リハビリ難民」…。病院や施設などにも受け入れてもらえず、行き場を失った人たちを例えているのである。

 悲哀さえ感じる言葉を用いなければならないほど、多くの人が将来の介護や医療に漠然とした不安を抱いているのではないだろうか。

 これまで、病を医療が支え、暮らしを福祉が支えてきた。

 だが、いまや医療と介護、福祉の壁はなくなりつつある。とりわけ介護保険制度が導入されて以来、その垣根は低くなった。


■足りない支援体制

 国は医療機関から在宅介護へシフトする施策を相次いで打ち出した。

 医療の必要の少ない人が入院する「社会的入院」を解消するため2012年度までに、現在、全国に38万床ある療養病床を15万床へ大幅削減する。さらに医療機関でのリハビリテーションも、昨年の診療報酬改定で病気の症状ごとに日数制限を設けた。

 その背景には、高齢者の増加で国民医療費が毎年約1兆円ずつ増え続け、医療財政を圧迫していることがある。もちろん、医療の必要の少ない患者を入院させたり、漫然とリハビリを続けさせるのは、医療財政面からも抑制すべきだ。

 問題は、病院から在宅へ移行する際の受け皿が十分でないことだ。介護保険のリハビリ1つ取ってみても、質、量ともに不十分である。

 介護保険が始まって、今年で7年目を迎える。医療と介護の見直しは、一応図られたといえるが、今後は双方が本格的に連携を図ることが大切だ。

 介護保険は、家庭内の介護を「社会化」したという点で画期的だった。

 しかし、とくに認知症の人がいる場合、介護サービスを利用しても、家族の負担は計り知れない。いつ終わるかわからない介護に心理的に追い詰められ、介護殺人や虐待などに走るケースが後を絶たない。

 だれにも気づかれず「孤独死」するお年寄りも増えている。なかには、生活保護を申請したものの認めてもらえず、餓死したお年寄りもいた。

 景気の回復を横目に、所得の格差は開く一方である。生活保護受給世帯は13年連続で増え続けている。

 だが厚生労働省は、福祉政策と受給財源の安定的な持続を名目に、生活保護費の一層の削減に踏み切った。

 生活保護受給者のうち、子育てをしているひとり親に一律支給している「母子(父子)加算」を08年度末までに廃止する。持ち家に住む65歳以上の受給者への支給も停止し、自宅を担保に生活資金を貸し付ける「リバースモーゲージ」制度を導入する。

 生活保護など福祉政策の前提として、個々人の努力が求められることは言うまでもない。だが、生活保護は「最後のセーフティーネット」でもある。本当に生活保護が必要な人々が、福祉の網から漏れるようなことがあってはならない。

 障害者自立支援法の運用でも、地域による格差が問題となっている。国は実態を直視して、障害者が地域の中で自立し最低限の生活を維持できるよう対策を講じてもらいたい。

 これからは医療、介護、福祉を地域社会の中で連携させることが欠かせない。そのためには「地域の目」が大切だ。孤立した世帯を早期発見するには「地域の目」をどれだけ増やせるかがカギを握る。

 そのために、介護支援を軸にきめ細かな地域づくりを手掛けてはどうだろう。地域の実情を熟知した支援相談員を養成し、医療や福祉との連携を図る役目を担ってもらうのである。


■65歳以上が4割に

 昨年末に公表された将来推計人口では、1人の女性が生涯に産む子どもの数が現状のままならば、2055年には総人口は現在より4000万人減り約8990万人になる。65歳以上は4割を占めるようになるという。

 この数字が示す人口減少社会は、社会保障制度が今のままで維持できるかを突きつけている。現在、1人のお年寄りを3.3人の働く世代が支えているが、50年後にはこれが1人を1.3人で支えることになる。

 将来にわたって持続可能で安心できる社会保障制度を築くには、いま1度、実態を個別に検証していく必要がある。無駄な給付の抑制や適正化は当然必要だが、社会的弱者がしわ寄せを受けないためにはどうすればいいか。

 安倍晋三首相は政権公約に「年金、医療、介護、福祉の一体的見直し」を掲げたが、まだ本格的な議論は始まっていない。人口減社会にあっても国民一人一人が安心や信頼を得られるよう、社会保障制度の将来像について明確なビジョンを提示するときである。

=2007/01/06付 西日本新聞朝刊=

 


2007-01-06 土 毎日新聞社説  外交安保政策 「主張」の内実が問われる

2007-01-06 16:22:38 | 「保存している記事」から

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2007年01月06日(土曜日)付

07年もっと前へ 外交安保政策 「主張」の内実が問われる

 ◇中国との互恵関係を進めよ

 安倍晋三首相が就任直後の所信表明演説で「主張する外交」を訴えてから3カ月余がたった。北朝鮮の核実験強行などアジアの国際環境が激動する中で、日本は何を主張し、それを具体化するためにどんな外交努力をすべきか。まさに安倍外交の内実が問われる年になる。

 首相は9日から英、独、ベルギー、仏の欧州4カ国を訪問し、北大西洋条約機構(NATO)の本部で初めて政策スピーチを行う。麻生太郎外相もルーマニアなど4カ国を回る。ユーラシア大陸の外周に位置する新興民主主義国を支援する「自由と繁栄の弧」構想を具体化するためだ。

 07年の日本外交の幕開けは欧州からとなり、米国でもアジアでもない点は新しい試みと言えるかもしれない。

 この訪欧は民主主義など基本的な価値を共有する欧州と対話し、北朝鮮の核問題、拉致問題解決に向け協力を求めることが目的だ。

 ◇首脳交流を軌道へ

 昨年、国連安保理常任理事国入りに失敗した日本は、昨年末に非常任理事国の任期も切れた。北朝鮮対応、国連改革で手詰まり感のある日本にとって英、仏など常任理事国の首脳と会談することは外交の幅を広げることにもなろう。

 今年の重要課題は経済的、軍事的に大国化する中国との関係改善を確かなものにすることだ。

 小泉純一郎前首相が靖国神社参拝にこだわり、中韓両国との関係は悪化した。安倍首相は就任直後に中韓両国の訪問に踏み切り、中国とは、違いをことさら強調せず日中の共通利益を追求する「戦略的互恵関係」の構築で一致した。

 そのキャッチフレーズに中身を持たせることこそが日本の利益であり、北朝鮮の核問題解決にもつながっていくと考える。

 北朝鮮問題では、北朝鮮に融和的な中韓露3国と強硬姿勢をとる日米との連携が必ずしもうまくいっていない。

 米国がイラク問題に忙殺され、今後、北朝鮮への関心は薄れていく可能性がある。緊密化している米中関係を背景に、米国は北朝鮮問題で中国への依存度を増すことにもなろう。そうなると、拉致問題を抱える日本が孤立化していく危険性も十分にあり得る。

 小泉政権下では、中国と忌憚(きたん)のない意見交換をできる空気がなかった。日本はこの機に中国と東アジアの将来についての意見を交換し、認識を共有すべきだ。

 また北朝鮮への圧力強化を求め、拉致問題の重要性についての理解を得る努力が必要だ。中国との連携強化は米国の影響力低下を補い、北朝鮮問題での孤立化を防ぐ道にもつながる。

 具体的には、4月で調整されている温家宝首相の訪日を成功させたい。実現すれば00年の朱鎔基首相以来の首相訪日となる。さらに安倍首相の再度の訪中や胡錦濤国家主席の訪日実現などを通じて、首脳交流を軌道に乗せるべきだ。

 互恵関係が進めば、他の案件でも自然と話し合う環境が整ってくる。日本が国連外交を立て直す上でも中国の協力は欠かせない。また東シナ海のガス田についても、政府間協議を再開し、日中双方が努力して解決策を探るべきだ。

 今年は日中国交正常化35周年であり、同時に盧溝橋事件から70周年という節目に当たる。首相の靖国神社参拝問題が再燃すれば、再び日中間に亀裂が生じかねない。

 参拝するかしないか明らかにしない「あいまい戦略」には、もろい側面もあることを忘れてはならない。

 一方、韓国とは市民レベルの活発な交流に比べて、政府レベルの関係はしっくりしない。盧武鉉(ノムヒョン)大統領は安倍首相の訪韓の際に、歴史問題に固執し中国とは違う対応を見せた。

 日韓は首脳の相互訪問で合意しているが、韓国大統領の来日は04年以来途絶えている。

 今年12月には大統領選も控え、新政権が誕生する。韓国政府にもできるだけ早く盧大統領の訪日を実現させ、現政権下での関係改善を前に進めるよう求めたい。

 北朝鮮の核問題が進展しない現状で、米国との安全保障関係は近年になく重要である。

 首相は年頭の会見で、改憲を参院選の争点にする考えを表明した。集団的自衛権に関する研究にも意欲を示す。そこには安全保障問題で「安倍カラー」を打ち出したいとの思いもあふれている。

 ◇普天間移設問題に全力を

 ただ、集団的自衛権など国民的な大議論が必要なテーマの前に、現実的に対応すべき課題は多い。沖縄の米軍普天間基地移設問題、他国からのミサイル攻撃を2段階で迎撃するミサイル防衛(MD)、そしてイラク特措法、テロ特措法などに関する問題などである。

 普天間基地移設は96年の日米合意以来10年間前に進まず、今年こそ解決へのめどを立てたい。

 知事選では、県内移設に絶対反対の立場ではない仲井真弘多知事が当選した。政府内でも名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部への現行の移設案について一部修正の動きも出ている。もともと地元の理解を得ないまま米国と合意した経過があった。

 知事の柔軟な姿勢を見逃さず、地元と徹底的に話し合って妥協点を見いだすべきだ。

 イラク特措法は今年の7月31日に期限を迎える。陸自はサマワから撤退したが空自がクウェートを拠点に活動している。

 イラク情勢をにらみながら、撤退の可能性も検討すべきだろう。通常国会では日本の対イラク戦争の総括を含め、突っ込んだ議論をしてほしい。

毎日新聞 2007年1月6日 東京朝刊

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2007-01-06 土 北海道新聞社説 柔軟に「生きがい」を探す

2007-01-06 06:24:27 | 「保存している記事」から

北海道新聞社説 シリーズ 何を変え 何を守るか 

2007年01月06日(土曜日)付

何を変え 何を守るか *5* 柔軟に「生きがい」を探す

 滋賀県の中央、琵琶湖東岸の近江八幡市は大阪、京都のベッドタウンとして発展してきた。

 まちを象徴する八幡山に毎月一回集まり、山頂周辺の雑草やモウソウ竹を刈る男性グループがある。

 「生き生きクラブ」だ。定年退職後の六十三歳から七十歳まで二十六人の会員がいる。八幡山の環境美化などに取り組んで三年目になる。

 大半は現役時代、仕事中心の生活で、自宅と職場の間を往復した。

 企業の要職にあった人もいるが、お互い職歴には触れない。純粋に、地域を知るのが楽しみで集まる。

 人口七万人の近江八幡で、同様の会が五年間で二十近くも誕生した。

 仕掛けがある。家にこもりがちな退職男性を地域社会にデビューさせる「地域コーディネーター」の存在だ。コーディネーターも退職者で、社会福祉協議会の活動で育った。

 現在、十八人。それぞれの会の活動を熟知し、相談に来る「後輩」に自らの経験を踏まえて助言する。

 会の垣根を越えた活動も増え、ネットワークは広がっている。

*年金制度の将来像を急げ

 「団塊の世代」の大量定年退職がいよいよ始まる。

 一九四七年から四九年の戦後のベビーブームで生まれた人たちだ。

 その数は七百万人近く、日本の生産年齢人口のほぼ一割に当たる。

 日本を引っ張ってきた世代も、社会保障制度を維持するうえでは厄介者扱いされる。

 たとえば、公的年金の問題だ。

 団塊の世代が全員六十五歳を超える二○一五年の時点で、年金の総給付額はいまより24%、十一兆円余り増えると政府は試算する。

 日本の年金は若い世代の保険料で高齢世代の給付を支える仕組みだ。なのに、人口は減り続ける。

 このままだと、五五年には高齢者人口が四割を超え、現役世代一・三人で高齢者一人を支える計算だ。

 年金会計が圧迫される。だが、保険料を上げるにも限界がある。

 では、給付を削るのか。

 政府は年金制度の将来像を財源確保の見通しを含めてきちんと描いたうえで、方針を示す責任がある。

 少子化に歯止めをかけるための実効性のある政策も不可欠だ。

 だが、制度だけでは社会の活力を保てない。一人一人が生き生きと参加できる社会の仕組みが必要だ。

 高齢者にも、時代の変化を読み取る知恵と心構えが要る。

*高齢者同士で支え合おう

 札幌のNPO法人シーズネットは会員八百人を超える互助組織で、高齢者の支援事業を展開している。

 たとえば、独居老人に一日一回、電話をかけ、暮らしや医療、介護の相談に乗る。訪ねることもある。

 電球の交換や除雪、代筆といった身の回り全般のサービスもある。介護保険の対象とはならない分野をカバーする工夫の一つと言える。

 会員の平均年齢は六十六歳。ちょっぴり若い「高齢者」が自分より上の年代を支えているのだ。

 会員はそこに生きがいを感じている。自らの介護予防にもなる。

 今年は、北区内に業者が建設中の高齢者向け賃貸マンションの運営と入居者の支援に乗り出す。

 住人が要介護となれば、関係機関を紹介する。サロンを設け、地域のシニア層の拠点としたい考えだ。

 代表の岩見太市さん(65)はセーフティーネット(安全網)の構築は政府の責任だと前置きし、「今後、社会保障水準が低下した時、それを補うのは人間関係なんです」と話す。

 入居者が互いのプライバシーを尊重しつつ、できる範囲で助け合う。依存型ではなく、自立につながる老後の住まいとして期待される。

*頼れる「ネット」はあるか

 団塊の世代を含む五十代の七割が「六十歳以降も仕事をしたい」と考えている。厚生労働省の調べだ。

 六十五歳までの雇用延長が義務化された。政府は六十歳以上の労働力人口を一五年の時点で、○五年より百六十万人増やしたい意向だ。

 意欲があって健康なシニア層が働き続けることは歓迎したい。

 ただ、働く場の確保は容易ではない。景気回復が遅れる北海道で、高齢者が職を得るのは特に大変だ。

 シーズネットは、高齢者向け賃貸マンションの運営などによって少しでも収益を得たいと希望する。

 今後、仕事を増やすことで、団塊世代の受け皿にしたい考えだ。

 NPO法人が培ったノウハウを提供し、企業と一緒に事業を展開する例はまだ少ない。新しい時代の多様な要求に応える連携、融合のあり方として注目したい。

 札幌学院大学学長の布施晶子さんは「これからは、会社のような縦社会の関係ではなく、NPOや友人のような対等なつながりをどれだけ持っているかが重要」と指摘する。

 たとえば、近江八幡の元気な退職者たちのグループであり、シーズネットのような互助組織である。

 半世紀後、平均寿命は女性が九十歳、男性が八十三歳を超える。

 超高齢化社会の下、年金や医療保険といった制度の維持のうえで予測のつかない事態も起きるだろう。

 なにより、国が社会の安全網をしっかり築く。地域社会と個人も、変化に対応する柔軟なネットワークを張り巡らしたい。

 


2007-01-05 金 毎日新聞社説  日本経済 のど元過ぎればでは困る

2007-01-05 16:33:41 | 「保存している記事」から

シリーズ【毎日新聞社説】 07年、もっと前へ   <<前へ  目次  次へ>>

2007年01月05日(金曜日)付

07年もっと前へ 日本経済 のど元過ぎればでは困る

 ◇危機意識の持続が必要だ

 日本経済は戦後最長の景気拡大の中にあるという。ただし、成長ヲ自体が低く、所得も増えていない。ふところ具合がよくならないため、景気拡大の実感が乏しい。しかし、外に目を向けると光景はまったく異なる。中国やインドなど巨大な人口を抱える新興諸国は成長を続け、経済は世界全体で拡大している。日本経済の課題は、この経済の新秩序と、どう折り合いをつけるかだろう。

 アフリカ諸国でも5%超の成長を達成する国々があるように、世界経済は拡大を続けている。心配されていた米国経済の減速も、バブルと表現されていた住宅関連を除けば堅調だ。株価上昇も手伝って住宅部門の減少の影響も全体的には相殺されているようだ。

 エネルギー価格も高水準ではあるものの、上昇は一服し、失速への懸念をよそに新興諸国の成長も続いている。世界経済の拡大は今年も持続するという見通しの中で、日本も新年を迎えている。

 ◇円安バブルへの備えも

 小泉純一郎前首相の構造改革の継承を掲げて登場した安倍晋三首相は成長重視の「上げ潮」戦略を示している。世界経済の成長の波に乗って、日本の成長率を引き上げ、財政再建など経済的諸課題の解決をめざすという。

 ただ、造反議員の復党問題に加え、経済政策でも道路特定財源の揮発油税への対処など、つまずきや逆戻りもみられる。小泉政権下での旧秩序の「破壊」から、安倍政権下では「創造」が期待されていたが、様子が違う。

 政権運営をめぐる攻防で妥協はよくある。問題はその背景だろう。危機感がなくなり、改革への熱意が薄れていることが、安倍政権の最近のつまずきや逆戻り現象につながっていないだろうか。

 バブル崩壊後の経済危機を終息するためにとられた数々の非常措置も、昨年の日銀によるゼロ金利政策の解除によって終わった。企業収益も好調で税収が伸び、基礎的財政収支の目安であるプライマリーバランスの実現も前倒しで達成できそうな情勢だ。

 安倍政権が成長戦略を唱え、「イノベーションの推進」を強調しても、現実味が乏しいのは、のど元過ぎればということで、緊張感が薄れているためかもしれない。

 もっとも、イノベーションといっても、すぐに成果が出るわけではない。当面は現在の輸出主導の景気拡大策をとらざるを得ないのが実情だ。そのためには、円安が維持される必要がある。日銀の再利上げを極力抑え、内外金利差を持続して、日本の資金が海外に向かい、円が売られる環境が続くことが輸出企業には都合がいい。

 だが、一方で円安の行き過ぎに対する反動も気になる。日本の貿易相手国の通貨を貿易量で加重平均した実効為替レートをみると、物価上昇を差し引いた実質値は85年10月の水準だ。

 前月の9月に行われたプラザ合意直後の水準ということになる。当時の為替レートは対ドルで1ドル=210円程度で、現在は円安バブルと言ってもいい状況だ。しかし、バブルはいつかはじける。反動による急激な円高を防ぐには、日銀は金利を微調整し、円売り圧力を弱める必要があるだろう。

 自動車など輸出企業は絶好調だ。鉄鋼や化学、海運といった重厚長大型の産業も息を吹き返している。半導体や液晶は韓国や台湾の企業に押されてきたが、薄型テレビなどエレクトロニクス製品の競争力も回復してきた。

 その結果、最高益を更新する企業が相次いでいる。しかし、賃上げを考えている企業は少ない。グローバルな競争の中で、競争力を維持・拡大するには、人件費の上昇は避けたいというのが経営者の本音だ。

 リストラに円安の追い風を受けて製造業は復活している。しかし、IT(情報技術)分野での日本の存在感は乏しいままだ。

 小型液晶など電子部品では競争力を持っているものの、携帯電話のような製品になると、世界市場では影が薄い。ソフトウエアではマイクロソフト以外にも、企業情報管理のSAP、データベースのオラクルというように、外国企業の製品が標準だ。

 ◇グローバル化への対応

 トップだった1人当たりのGDP(国内総生産)も順位がずいぶん下がってしまった。後ろ向きの対応から解放され、緩やかながら日本経済は前に進んでいるとはいえ、危機感をなくしていい状態ではない。人口減少、高齢化に備えるには財政の健全化を先送りすることは許されない。

 国際的な経済の連携の強化も重要だ。新興諸国と先進国の経済相互依存関係は日々深化している。高速回線が地球を覆い、世界的規模で分業が進んでいる。それに備えると同時に食糧やエネルギーなどの資源確保のためにも、FTA(自由貿易協定)を推進したい。

 企業がグローバルな競争を勝ち抜くには、事業集約のため再編が柔軟に行われる必要がある。証券市場の透明性の向上も課題だ。

 個人に対しては変化する業務環境に対応し、問題解決能力の向上のためスキルアップが求められている。企業側も、こうした努力には賃金面で報いるべきだ。

 原宿ガールやアキバ系オタクなどへの海外からの関心は高く、アニメや漫画の競争力につながっている。一方、省エネでも日本は世界をリードしている。日本人のライフスタイルを世界に拡大することは地球環境問題に貢献することにもなる。

 人口減少と高齢化が日本では進行するが、なすべきことはまだ数多い。それを着実に実行し、経済でも存在感を高めていきたい。

毎日新聞 2007年1月5日 東京朝刊

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2007-01-05 金 今日の琉球新報社説

2007-01-05 07:08:05 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」  産経新聞 琉球新報

2007年01月05日(金曜日)付 琉球新報社説

首相の年頭会見・改憲は不要な不安を招く

 安倍晋三首相は憲法改正を7月の参院選の争点にすることを年頭の記者会見で表明した。25日に召集する通常国会で、改正手続きを定める国民投票法案の成立を目指す考えだ。

 安倍首相は昨年の自民党総裁選の際も政権構想の柱の1つに改憲を掲げ、首相就任後は、任期中の改憲を目指したいと述べている。参院選の争点に据えることを表明したことで、改憲への動きをさらに一歩踏み込んだ。

 改憲論議の中心は、戦力の不保持や交戦権の否認を定めた9条であるのは明らかだ。安倍首相はその9条について「時代にそぐわない典型的条文」と指摘している。総裁である自民党の改憲草案には「自衛軍」を持つことが明記されている。

 ことしは憲法施行60年の節目の年でもある。憲法の最大の特徴は「平和主義」をうたっていることだ。惨禍を招いた戦争の反省から生まれた平和主義を国民は誇りにし、支持してきた。

 また、日本が周辺国の信頼を得てきた大きな理由の1つは平和主義を貫き、かつ非核3原則があるからではないか。

 平和主義が果たしてきた実績は大きい。これを変える意義は見いだしにくい。改憲論議は慎重に進めるべきだ。

 安倍首相はまた、政府の憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使についても、行使可能なケースを研究する考えを示した。以前にも言明しているから、集団的自衛権の行使を可能にしたいとの強い決意をアピールしたのだろう。

 防衛庁を「省」に昇格する法案が昨年末に成立し、9日に防衛省が発足する。

 防衛庁発足とともに警察予備隊から衣替えした自衛隊には、厳しい規制が加えられてきた。専守防衛に徹してきた自衛隊が、防衛省の誕生によって姿を変えていかないか、多くの国民は心配している。

 さらに、シビリアンコントロール(文民統制)が揺らがないか。久間章生防衛庁長官は「省昇格後も従来の防衛政策の基本を変えない」と述べているが、その方針通り防衛の基本は変えることなく守り通してほしい。

 教育基本法は昨年末、約60年ぶりに改正された。

 一連の流れをみると、安倍首相の目指す戦後体制からの脱却は着々と進められている。改憲はその最たるものだろう。

 国民だけでなく周辺諸国にも不安を与え、不要な警戒感を抱かせる憲法改正は得策ではない。戦後体制からの脱却がなぜ今必要なのか、安倍首相は国民はもちろん、周辺諸国にも詳しく説明する責務がある。

 改憲論議は慎重に慎重を期さなければならない。

(1/5 9:57)

 


2007-01-05 金 今日の産経新聞主張

2007-01-05 07:02:02 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」  産経新聞 琉球新報

2007年01月05日(金曜日)付 産経新聞主張

首相年頭会見 憲法改正で国家像を競え

 安倍晋三首相は年頭の記者会見で、憲法改正の実現を首相在任中に目指す考えを示すとともに、7月の参院選の争点にすると表明した。

 憲法改正は日本の国をどうするかという国家像を示すものだ。北朝鮮の核やミサイルに象徴される国際社会の脅威の変化や人口減社会などに、どう向き合うかという姿勢が問われよう。与野党が日本の進むべき道を提起し、競い合うことを国民は求めているのではないか。

 自民党は一昨年、新憲法草案を策定した。民主党は憲法改正へ「憲法提言」をまとめ、公明党は現行憲法に加筆する「加憲」を提起している。民主、公明両党とも昨年中に改正案を条文化するとしていたが、党首交代などで先送りされている。

 改憲のための手続き法である国民投票法案は与野党の実務者同士でほぼ合意されている。25日召集予定の通常国会で速やかに国民投票法案を成立させ新たな国造りの論議に入ってほしい。

 注目したいのは、首相が「国際社会で平和に貢献するために、時代に合った安全保障のための法的基盤を再構築する必要がある」と述べたことだ。

 具体的には「集団的自衛権の問題を含め、憲法との関係の整理について個別、具体的な類型に即して研究を進める」と語った。

 首相はかねて、(1)国連平和維持活動(PKO)中に一緒に作業している外国の部隊が攻撃されたときの救出活動(2)日本上空を通過して米国などに向かうミサイルの迎撃-が、憲法が禁止するとされる集団的自衛権の行使にあたるかどうか研究するとしていた。

 現在の枠組みでは、救出活動や迎撃は武力行使との一体化や集団的自衛権行使にあたるとして、禁じられている。だが、それで国際社会の一員、さらには日米同盟の担い手として責任を分かち、共に守れる関係が成立するのかである。日本の平和と安全を守るためには、首相が指摘した法的基盤の再構築こそ喫緊の課題である。

 首相はまた、「今年は美しい国に向かってたじろがず一直線で進む覚悟だ」と決意を述べた。昨年からの首相の顔が見えない、などの批判を受けたものだ。逆風であっても信じるところを進み、具体的な実績を一つ一つ挙げていくことが存在感を強める。

(2007/01/05 05:09)

 


2007-01-05 金 北海道新聞社説 放置できない集落の危機

2007-01-05 06:46:44 | 「保存している記事」から

北海道新聞社説 シリーズ 何を変え 何を守るか 

2007年01月05日(金曜日)付

何を変え 何を守るか *4* 放置できない集落の危機

 市営住宅が立ち並ぶ夕張市真谷地地区。その管理を受託する会社に五年前から勤め、地区を見てきた矢口孝行さん(65)がため息をついた。

 「着任当時は団地内の道路を住民が行き交っていた。ごみ集積場では主婦らが談笑していた。そんな姿がすっかり見られなくなりました」

 財政再建団体入りに伴う過酷な負担増を恐れて、住民の転出が目立ち始めた夕張市。真谷地地区ではそうした転出者はまだいない。しかし、年ごとに確実に進む高齢化が、地区の寂れを際立たせる。

 炭鉱離職者ら百三十世帯が暮らし、七十歳以上が35%、六十五歳以上だと52%。「あと五年たてば地区はもっと寂しくなる」と矢口さん。

 生鮮食品が買える商店がない。郵便局も、市役所など行政の窓口もない。高齢化で自家用車を持たない世帯が多く、日々の買い物や各種手続きにも難儀する。

 そんな集落は全道にある。しかし、真谷地は市の財政破たんが住民を一層、重苦しくさせる。

*後継者育成もままならず

 今は現役世代がいる農村も後継者難で、近い将来、危機が表面化する可能性が高い。

 留萌管内遠別町の水田地帯のある地区は二十四戸のうち四十代、五十代が半分で残りは六十代以上。後継者がいるのは二戸しかない。五十代の男性は「地区の将来は心配だが、現状では自分の子供たちに後を継げとは言えない」と顔を曇らせる。

 町内では、住民の力だけでは葬儀が出せない集落もある。町はそれに備えて職員を葬儀手伝いとして輪番で派遣する制度をつくった。「出動要請」は年に五、六件。まだそれほど多くはないが、農協職員の手伝いはごく普通に行われている。

 「限界集落」という言葉がある。六十五歳以上が過半数となり、共同体の機能が果たせなくなった集落。大野晃・長野大教授が提唱する概念だが、葬儀も出せない共同体の姿は「限界」そのものだ。

 限界集落は、放っておけば消滅する。「産業がないなら仕方がない」と見過ごすしかないのだろうか。

 中心市街地でさえ衰退の波に襲われている。集落はむしろ放棄して、住民を市街地に集める「コンパクトシティー」に関心が集まる。総務省は集落再編のための補助金を用意、道も前向きだ。

*「限界自治体」化の心配も

 しかし、移転が高齢者にとって幸福かどうかは別問題だ。大野教授の調査では、高齢者ほど適応は難しく、多くが移転で体調を崩し、死期を早めたと見られる例もあった。

 将来を見限った住民が、集落を明け渡して産廃処分場誘致を決めるという出来事も石川県輪島市であった。市議会が反対し対立している。

 高齢者の幸福、耕地の維持、水源の確保。集落が果たしている機能を無視すれば、都市住民にも悪影響が及ぶ。北海道にとっては、売り物の景観の危機にもなる。

 集落にとどまらず、自治体が「限界化」する心配も大きい。「高齢者が過半数になると自主財源の住民税が激減、自治体が維持できなくなる」と大野教授は指摘する。

 道内の自治体の高齢化率は夕張市が一番で40・6%(二○○六年十月一日現在)だが、国立社会保障・人口問題研究所が昨年十二月に発表した推計では、三○年には道南や離島で限界自治体が出現する。

 集落の活性化は、道政の重要課題だろう。しかし、道は現状把握さえできていない。地域、福祉、農林業の各分野が絡み合い、縦割り行政ではすくい切れないのだ。

*地域住民の努力が不可欠

 新しい取り組みも出てきた。

 京都府綾部市は昨年十二月、限界集落を支援する「水源の里条例」をつくった。新年度から、山間の五集落を対象に基金を設け、定住促進や生活基盤整備などを行う。

 水源を守る集落を「公共財」と認めて税金を投入するという新しい考え方と言えるだろう。

 道内では、小学校や保育所の閉鎖を、新住民を呼び込むことで回避した帯広市愛国地区の例がある。

 市街化調整区域の住宅開発を可能とする都市計画法見直しを知った住民が、市に提案して新しい団地を造った。若い夫婦らも入居、新住民は小学校のPTAや各種の行事に参加し地域に溶け込んでいる。

 地区は、帯広への通勤圏にあり、条件不利地の参考にはなりにくい。

 しかし、住民自身が考え、行政を動かしたこと、新住民にも積極的に働きかけたことは、どんな地域にも手本になるだろう。住民の熱意は活性化の第一歩である。

 愛国地区では、新規就農者の受け入れにも熱心に取り組み、成果を上げている。

 もちろん、道や国が無策でいいはずはない。地域や自治体任せで解決できるような問題ではない。道は、まず実態を調べた上で、国に対する制度要求に動くべきだ。集落を「公共財」と見る発想は参考になる。

 綾部市の条例には原型がある。西日本各地にある棚田保全条例だ。この運動が二○○○年、中山間地農業への直接支払制度に結実した。

 地域が自治体を動かし、自治体が国を動かす。地域を救う道はそうしてこそ開かれるのではないか。

 


2007-01-04 木 朝鮮日報 中西輝政京都大学教授に聞く

2007-01-04 16:20:00 | 「保存している記事」から

2007年01月04日(木曜日)付 朝鮮日報(政治)

「経済大国日本を守るには外交力・軍事力が必須」

中西輝政教授インタビュー

 安倍晋三首相の「外交の師」と呼ばれるのが中西輝政京都大学教授(59)だ。中西教授は安倍首相が掲げる「価値観外交」の基本理念を伝授した。「保守による日本再生」を主張する中西教授は、『大英帝国衰亡史』『帝国としての中国』『アメリカ外交の魂』などの著書としても知られる。昨年12月22日、京都大学の研究室で安倍外交の「核心」と「見通し」について話を聞いた。

‐「価値観外交」とは具体的に何を意味するのか。

 「一言で説明すると、日本の保守勢力も歴史や伝統だけではなく、自由や民主主義、基本的人権、法の支配などの“普遍的価値観”をはっきりと前面に出すべきだということだ。これは安倍外交の基本的な枠組みであり、日本の保守主義が“排他的ナショナリズム”とならないためにも必要不可欠だ。そうしなければ、米国やアジア諸国の理解を得るのが難しい。中国の膨張に備えるには、オーストラリア、インド、東南アジア諸国と経済関係だけではなく、自由民主主義の価値観を共有しなければならない」

‐日本の外交が指向する目標は何か。

 「今や日本は経済大国に見合った“普通の大国”として、世界の大国と共に一つの極となることを大きな国家目標として掲げる時だ」

‐「価値観外交」で韓国が占める位置は。

 「北朝鮮問題は価値観外交の一つの大きな実験場だ。核問題と共に、北朝鮮の人権問題でも韓日両国は手を取り合える。日本も拉致問題にばかりこだわり、“日本人だけを返せ”と言うのはあまりにも視野が狭く、効果がない。韓日両国はお互いに責任のある姿勢が重要だが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は信頼できない。今後両国の関係が良好になれば、価値観を共有し、歴史問題も克服できる。韓日の歴史問題は日米の歴史問題ほど難しくはないだろう」

‐韓日両国で歴史問題が話題になれば、(両国の)保守派同士でも議論が不可能な状況だが。

 「日本の保守陣営は声が大きくなったが、保守派の中には靖国参拝に反対する声も強い。率直に言って、日本の保守派では“首相が参拝すれば日本と価値観を共有しようとする韓国の保守派が不利になるから、中断すべき”という意見もある。安倍首相はそれをよく知っている。安倍首相は靖国神社への参拝はしないだろうと私は考えている」

‐日本の保守勢力は健全なのか。

 「日本人は拉致問題、中国の軍備増強、北朝鮮の核実験などで、ある程度冷戦時代の意識に戻りつつある。安倍首相が就任したのはそのような危機感があったからだ。ほとんどの保守派は日米関係を重視する立場だが、漫画家の小林よしのりさんのような“反米保守派”も人気がある。日本の保守勢力も、“価値観”や“開かれた保守主義”を基礎として新しく生まれ変わらなければならない」

‐米国の中間選挙の結果、ブッシュ政権内のネオコン(新保守主義者)が勢力を失ったのをどう見るか。

 「民主党は今、クリントン時代の民主党とは異なり、保守化している。これまではネオコンや根本主義宗教右派の保守化が目立っていたが、中道までが徐々に保守化し、米国全体が保守に傾いた。中間選挙の結果は米国の政治が左に流れたのではなく、より大きな保守化の流れに乗ったと見るべきだ」

‐「経済大国」から「政治大国」になるのが日本の究極的な目標か。

 「冷戦時代以後は、経済大国に見合った政治力や軍事力なしには経済大国としての地位を守れなくなった。北朝鮮の核実験以降、日本人がはじめて核問題について議論をするようになった。“議論はしてもいいじゃないか”という国民の世論が過半数を占めているが、これは驚くべきことだ。“経済大国”から“普通の大国”になろうというのだ。どのような大国になるのか、その内容が問題となっている」

‐小泉政権の時から「外交力強化」の声は大きかったが。

 「やはりリーダーシップが重要だ。主張する外交を展開しなければならない。冷戦時代はもちろん、それ以後も日本の外交は主張してこなかった。ここ数年になって、“顔が見える外交”が実現した」

‐日本が国連安保理常任理事国になる見込みは。

 「常任理事国になるのは難しい。最後に米国が反対する。日本の核武装に反対するのと同じだ。失敗ばかり重ねて汚点を残すと日本の外交に傷がつくだけだ」

東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS

 


2007-01-04 木 毎日新聞社説  教育改革 熱い大論議を絶やすな

2007-01-04 16:16:02 | 「保存している記事」から

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2007年01月04日(木曜日)付

07年もっと前へ 教育改革 熱い大論議を絶やすな

 ◇現場に根差したビジョンを

 改正教育基本法が成立したら「目的は果たした。もういい」というわけとは思いたくないが、安倍晋三政権の教育改革論がどこか勢いを欠き、議論も締まりがない。

 今年は明治に近代学校教育制度(学制)を公布して135年、昭和の敗戦後に大改編して60年になる。くしくも現行制度は「還暦」の今「再生」を論議されるのだが、なぜ早くも失速気味と感じさせるのか。「底」が浅いからだ。

 首相直属の教育再生会議、あるいは規制改革・民間開放推進会議、さらに国会、官邸、文部科学省、中央教育審議会と、どこで何を論議し、どう収れんさせていくのか、国民にはつかみどころのないまま「会議は踊る」なのである。首相が就任前から力こぶを入れていた教育バウチャー制度(クーポン券が交付され、自由に学校が選択できる制度)導入案は、教育界に異論、難色が出るや本格論議にも入らず腰砕けになり、「大学9月入学」案も棚上げ状態だ。

 ◇方向性を示せない

 また、学力低下論と「ゆとり教育」批判を背に、今年は学力テストが復活する。これをかつてのような、いたずらに学校間競争をあおって亀裂を生じさせるものではなく、どうやって実のある教育指導に結びつけるか、現場が気をもむその方策と見通しも判然としない。

 昨秋から暮れにかけて続発したいじめ自殺や履修不足、教育タウンミーティングのやらせ発言は、全国の教室で何が起きているか、学力とは何か、教育行政と民意がいかに隔絶しているかなど、根源的な問いかけをするものだった。

 もし、首相や政府が教育改革について洞察深く、腰の据わったビジョンを持つなら、「これを機会にとことん議論し、改革に結びつけよう」となるべきだが、そうはなっていない。与野党含めて国会の審議も、非公開になった教育再生会議の論議もポイントがかみ合わず、方向性をなかなか示し得ない。

 明治初め、列強による植民地化の恐れを抱きながら、つま先だって進められた近代化政策は教育においても急だった。教育制度は国家の強力な管理下に置かれ、「一斉」「均質」を旨とした授業法は富国強兵策を支える人材づくりにつながる。

 戦勝や経済発展とともに大正デモクラシーと自由主義教育、進学率向上、受験競争過熱など教育界はさまざまな変化や局面を見せながら推移したが、昭和の長い戦争時代にすべては抑圧・統制され、破たんした。

 1947年、戦災で校舎がそろわず、青空教室も当たり前という状態で始まった現行制度は、「憲法の精神を具体化するのは教育」という理念に立ち、「民主教育」を掲げた。一方で、急ピッチの経済復興や団塊の世代が成長するとともに学校教育は量的に膨張し、明治以来の一斉、均質の手法や受験偏重の詰め込み暗記教育に強い批判や反省が生じた。こうして70年代「明治と敗戦に続く第3の教育改革」がしきりに語られるようになる。「個性重視」「生涯学習」「変化への対応力」をうたった80年代の臨時教育審議会、90年代の規制緩和、脱偏差値提唱はこの延長だ。

 大づかみにいえば、現在の「ゆとり教育」理念の根はここにある。だが、授業時間削減への不安と批判、学力低下論などとともに、学級崩壊や少年事件続発、教師非行まで「ゆとり」が一因であるような論法が通り、そもそも「ゆとり」が何を目指したのか、なぜ生かしきれなかったのか--など基本的なビジョンに立ち返って議論されることがあまりに少ない。

 うまくいかないから今の教育諸制度、評判の悪い教師にばっさり大ナタを振るえばいい、という勇ましい論調が通りがちだ。慎重でありたい。なぜうまくいかないのか。どうしたら改善されるか。まず教育現場の実際に立って考え、論じ、そこからスタートしたい。有識者会議は重要には違いないが、現場から離れた論議では重みを失う。どう改革の絵を描いても、具体化を担うのは現場だからだ。

 ◇説得力を持つには

 例えば、いじめ問題の論議では、加害生徒の「出席停止」処分を求める声が強く出た。しかし、この制度は以前からあるが、効果ある適用が極めて難しいことを十分に知り、検討した結果の意見だったかどうか。いかなる形にせよ生徒を教室や学校から排除するということが、教師にどれだけ悩ましくつらいことか、その後のフォローがいかに難しいか。それをしっかり踏まえたうえでの提起であれば、説得力は十分持ち得るだろう。

 教育基本法改正で「第3の教育改革を成し遂げた」と、よもや首相も考えてはいまい。確かに、明治初期に、昭和の敗戦後に、時代の要請や理念、価値観、反省や後悔などから踏み出した教育制度は、決して永久に絶対的なものではなく、時代変化に合わせ改革が自由闊達(かったつ)に論じられてよい。その時、数の力で押し切ったり、紋切り型の実のない論議で紛糾をかわしたりするのではなく、堂々と、高らかに新しい理念と価値を論じ、切り結んでほしい。

 基本法改正に続き今年は教育関連法改正審議に入る。堂々と、高らかに、と切望する。

毎日新聞 2007年1月4日 東京朝刊

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2007-01-04 木 北海道新聞社説 地域の「教育力」を鍛える

2007-01-04 06:55:39 | 「保存している記事」から

北海道新聞社説 シリーズ 何を変え 何を守るか 

2007年01月04日(木曜日)付

何を変え 何を守るか *3* 地域の「教育力」を鍛える

 いじめを苦に、自ら命を絶つほど追いつめられた子どもがいる。

 指導に疲れ、心まで病んでしまう教師もいる。

 教育の未来はどうなるのか。不安感が教育現場を覆っている。

 学校の再生は喫緊の課題だ。

 教育基本法改正を実現した安倍晋三首相は「ダメ教員にはやめていただく」と現場の尻をたたく。

 だが、それだけで教育再生が実現できるものではないだろう。

 社会全体で子どもを「育てる力」を取り戻すことが先決だ。教員の努力も大切だが、今こそ父母や住民たちの出番なのではないか。

 子どもたちが生きる地域を、もう一度見つめたい。父母や住民、地元の企業が、自ら何ができるのかを真剣に考え、行動に移すときだ。

*大切な父母や企業の協力

 恵庭市島松小には、児童たちが「田中さんちの畑」と呼ぶ菜園がある。昨秋は菜種を植えた。

 外食産業のアレフ(札幌)が、種を無償で提供した。春になれば、菜種を有料で買い取って食用油をつくり、児童に無料で配る計画だ。

 菜園の面積は約二アール。PTA元会長の田中和紀さん(52)が、無償で土地を提供している。

 菜種の栽培は、田中さんとアレフが企画した。同校は菜種油のリサイクルや廃油の利用法などを理科の授業に取り入れた。児童は環境の大切さに興味を持ち、春の菜種摘みを楽しみにしている。

 田中さんら父母は、学校の近くを流れる川にちなんだ「柏木川プロジェクト」という名前のグループも結成している。

 一九九九年に活動開始し、現在は七十人が参加。川遊びやサケの稚魚放流の授業を手伝っている。

 昨年は河川敷に二十本の桜の苗木を植えた。土地を管理する札幌土木現業所千歳出張所の職員も、子どもの植樹作業に協力した。

*再生のカギ握る住民の力

 企業や土現を巻き込み、地域ぐるみの教育活動に盛り上げている点がユニークだ。

 父母や企業がうまく協力し合えば、独自の学校づくりができることを島松小の事例は示している。

 いかにして地域の「教育力」を結集するか。ここに教育再生の一つのカギがありそうだ。

 江別市いずみ野小では、注目すべき父母の活動が続いている。

 同校は、従来のPTAを廃止し、新たにC(シチズン=市民)を加えたPTCAという住民と父母の組織をつくった。十年前のことだ。

 三百四十三世帯が参加し、「ぞうきんをつくる会」「本を補修する会」など十五サークルが活動中だ。

 学校行事の運営もPTCAが中心だ。運動会では保護者席が混乱なくとれるように話し合いで決める。

 地域防犯パトロールも自主的に行い「学校運営に欠かせないパワー」(伝住修一教頭)になっている。

 住民の大半は、札幌などからの「引っ越し組」で、「わがまち意識」の希薄な土地柄だ。

 「だからこそ、逆に住民が自発的に結集しなければ」と、PTCA会長の桜田智之さん(44)は語る。

 江別市教委は二○○五年度から、父母が小中学校を自由に選べる学校選択制を、岩見沢市とともに道内自治体に先駆けて導入した。

 住民の動向が注目されたが、いずみ野小では、校区外の学校を選んだ住民はほとんどいなかった。

 「学校づくりを通じ、住民の一体感が生まれた結果だ」という桜田会長の言葉は傾聴に値する。

 地域づくりの基本は学校にある。この考え方が活動を支えている。

 学校選択制は、文部科学省が学校間の競争を促進しようと全国的に推進している。競争が地域の教育力向上につながるわけではないことを、文科省は再認識すべきだろう。

*上からの押し付けでなく

 学校と住民の協力体制をつくることは、口で言うほど簡単ではない。失敗例もある。

 文科省は○二年度、全国で九校の「地域運営学校」を試験的に導入した。保護者や住民が学校運営に参加する新しいタイプの学校だ。

 しかし、現実には父母と学校側の意思疎通がうまくいかなかった。

 原因は、文科省が「上」から学校と地域の協力体制を押し付けたからだと、教育学者は指摘している。

 教育の再生には、もちろん学校側の努力も欠かせない。

 例えば、石狩管内新篠津村の新篠津小は、五年生の授業に「田植え」や「稲刈り」を取り入れている。

 児童の六割が農家の子どもたちだ。後継者不足も深刻化している。

 保護者アンケートでは「授業で農家の仕事を教えてほしい」という要望も多い。同校は、そば打ちやみそ造りも教えている。

 子どもに知識を教えることはもちろん重要なことだ。

 同時に、大人が働く姿を見せ、地域の住民が多様な生き方や価値観を伝えていくことも、子どもの社会性を培ううえで欠かせないだろう。

 地域の住民が体験を通して教えてくれたことは、教科書では学べない知識だ。

 それは、間違いなく子どもが成長し、複雑な社会で困難を乗り越える「糧」となる。


2007-01-03 水 今日の産経新聞主張

2007-01-03 15:20:40 | 「保存している記事」から

1月3日付 産経新聞主張

日本の安全 「専守防衛」見直す時だ 北の核に万全の備え必要

 北朝鮮の核や弾道ミサイルの脅威が現実となったいま、国の守りを総点検すべき時が来ている。

 今年5月3日に憲法施行60周年を迎えるが、日本を囲む安全保障環境は、当時と今とでは北朝鮮に象徴されるように劇的に変化した。この変化を踏まえ、国民の平和と安全を守る防衛体制を再構築しなければならない。

 大きな懸念材料は、北朝鮮が日本全土を射程圏におさめる弾道ミサイル「ノドン」に核弾頭を小型化して搭載することだ。それへの備えを万全にすることが喫緊の課題である。

 日本の安全は、日米安保体制を主に、日本の防衛力整備を従にすることで基本的に維持されている。その意味で国を守るためには日米同盟をより強化することが不可欠となる。

 同時に、日本の防衛力も周辺環境の変化に柔軟に対処できるものでなければならない。「防衛政策の基本」(平成18年防衛白書)である専守防衛にメスを入れる必要がある。

 白書は専守防衛について「相手から攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様と保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則(のっと)った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」としている。特徴は(1)他国に脅威を与えない(2)防衛力行使は武力攻撃を受けたあと(3)抑止力は米国に期待する-などだ。

 専守防衛が防衛白書に登場したのは37年前の昭和45年だった。それは政治的な造語に過ぎず、日本を脅威的存在にしないという占領時代の残滓(ざんし)をひきずり、実効性を欠いていた。


 ≪日米共同防衛強めよ≫

 しかし、平成5年、北朝鮮が弾道ミサイルを能登半島沖に発射したことを契機に、専守防衛で日本の平和は守れるのかが問われることになった。ミサイルによる第一撃の被害を座視せざるを得ないことや報復力を他国に依存することへの疑問だったが、当時は専守防衛の見直しには至らなかった。

 北朝鮮は昨年7月、弾道ミサイルを連続発射し、10月には核実験を行った。米国は弾頭の小型化には数年を要するとみているが、北による核ミサイル攻撃もありうることを日本は想定すべきだろう。

 日本はミサイル攻撃に対し、海自イージス艦からの迎撃ミサイルと地上配備型の迎撃ミサイルの二段構えで対処する。だが、ミサイル迎撃イージス艦の配備は来年以降であり、その空白は米海軍が埋める。つまり日米共同防衛が命綱なのだ。にもかかわらず、両国は支え合う関係になっていない。

 ローレス米国防副次官は昨年12月、「ミサイルが米国に向かうことが明らかで、日本がそれを撃ち落とせるのに撃ち落とさないのはクレージーだ。そんなものは同盟ではない」と述べたほどである。政府が集団的自衛権の行使を認めないことが、日本の平和と安全を危うくしているといえる。


 ≪第一撃は甘受なのか≫

 一方でミサイル防衛だけで大丈夫かという指摘もある。北朝鮮のノドンは約200基といわれ、ミサイル防衛で対処できないこともあるからだ。

 日米安保条約第4条は「日本国の安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する」をうたう。今、その脅威が生じていると考えるべきだろう。日本政府は協議を提起すべきだ。

 さらに敵がミサイル攻撃に着手した時点で敵ミサイル基地をたたくことは憲法上許されるという見解が平成11年の防衛庁長官答弁で示されている。

 現在、日本はこの自衛権を行使する能力を持っていないが、核ミサイルの第一撃を甘受するのか、それとも一種の“先制的防御”で、敵基地をたたいて、ミサイル攻撃を未然に封ずるかを論議すべき時を迎えていよう。

 安倍晋三首相は昨年12月の記者会見で「国民の生命、身体、財産を確実に守るために安全保障上、どういう政策を遂行していくべきか考えなくてはならない」と語った。首相は官房副長官当時の平成15年、専守防衛見直し論に言及したこともある。

 専守防衛の見直しには国民の合意作りが欠かせない。首相は、国民を守る防衛体制の再構築がいかに重要で、しかも急務であるかを誠意と勇気をもって国民に訴えてほしい。

(2007/01/03 05:01)

 


2007-01-03 水 今日の沖縄タイムス社説

2007-01-03 15:15:41 | 「保存している記事」から

1月3日付 沖縄タイムス社説

「憲法」で考えたい 九条の理念守ってこそ

「なし崩し」感覚が怖い

 「歴史的な大作業だが、私の在任中に憲法改正を成し遂げたい」

 就任後初の臨時国会が閉会した後、安倍晋三首相は会見でこう述べ、自らの政治理念実現に意欲を示した。

 伏線になったのは、教育基本法改正案が衆参の賛成多数で承認され、防衛庁を「省」に格上げする法案も通過したことがあるのは間違いない。

 言うまでもないが、憲法と教育基本法は不離一体といっていい。昨年十一月、朝日新聞の「夕陽妄語」で評論家加藤周一氏は「憲法を根本的に改めれば教基法を改めるのが当然で、教基法を改めるには『憲法の精神』を改めることが含意される」と記した。

 「改憲について何らかの正当な合意がない今日、教基法改訂案を強行採決するのは暴挙である」とも書いている。

 この言葉が持つ意味を私たちはしっかりと検証し、国会議員の一挙手一投足に注意を払う責務がある。

 教基法は教育の「憲法」と言われる。それはまた国家百年の大計を築く礎であり、その根本法は日本の将来像を鮮明に映し出す。

 にもかかわらず衆院教基法特別委員会で目にしたのは、野党欠席の中で行われた与党による強行採決である。

 しかも、二〇〇三年十二月の岐阜県岐阜市に始まる五回のタウンミーティングで内閣府の「やらせ質問」が明らかになった時期に重なる。

 論議すべき課題をなおざりにして、多数によるなし崩し的な採決に不信感を抱いた国民は多いはずだ。が、問題は国民一人一人がどれだけ疑問の声を上げたかである。

 子どもの未来、日本の将来に深くかかわる法律のタウンミーティングが、法案賛成に偏ったシナリオで進められたのだから政府の責任は極めて重い。

 一方で、内閣府の依頼に応じた多くが教育関係者だったという事実にも不安を抱かざるを得ない。

 安倍首相が唱える美しい国が、「個」よりも「国」に重きを置いたとき、平和国家の理念はどう変換されるのか。“いつか来た道”をたどらぬためにも、今なお有効な憲法の理念で現実を捉え直し、平和と民主主義にきちんと向き合うことが私たちの責務だろう。


喜ぶのは国民より米軍

 防衛省法も同じことが言える。同法案が衆院安保委で審議された時間はわずか十四時間余でしかない。

 批判に対し、議員は「国民の負託を受けた私たちの採決」と述べた。だが、国民は平和主義の理念を変える動きを容認したわけではない。

 九日に発足する防衛省のために、政府・与党は、関連法である自衛隊法の改正により自衛隊の「付随的任務」とされている(1)国際緊急援助活動(2)国連平和維持活動(PKO)(3)周辺事態法に基づく後方地域支援―を「本来任務」にすることも構想している。

 意図するのは、米軍の軍事活動を後方支援しやすくし、米軍と一体化した軍事行動を可能にする動きと言っていいはずだ。

 換言すれば「戦争ができる国」への転換であり、「最も喜んでいるのは米国」と言われるゆえんである。

 集団的自衛権を認めてはならず、「平和主義」理念と「専守防衛」の範疇からの逸脱も許してはなるまい。

 国民が気づかぬうちに海外派兵に道を開いては禍根を残す。

 第九条の理念は私たちが世界に誇るべき“不戦の哲学”であり、世界が殺伐としつつある今だからこそ勇気を持って発信していく意義がある。


“翼賛”的空気を懸念

 安倍首相は、二十五日に開会する通常国会で憲法改正手続きを定める国民投票法案の審議に入るつもりだ。

 与党は投票権者を「原則十八歳以上」(当面は二十歳)とすることなどを了承し、民主党との実務者レベルで合意していた九項目について共同修正案の作成を目指している。

 野党第一党の民主党も政治理念の基本的部分が自民党と似通う点が多い。

 地方議会を含め総与党体制と映るところに“翼賛”的な空気が漂ってきているのは間違いなく、その意味では、政治に向き合う一人一人の姿勢が問われていると言わざるを得ない。

 「戦後レジーム(体制)からの脱却」(安倍晋三首相)と改憲ムードの中で右側に大きく舵が切られるのであれば、私たちは全力でその動きを正さなければなるまい。

 第二項を含む第九条はその試金石であり、国民の憲法意識が試されていることを肝に銘じたい。