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2007-08-06 月 「社説--比べて読めば面白い」 ヒロシマ原爆の日(東京新聞)

2007-08-06 13:50:29 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 中国 西日本 琉球新報 産経-2 西日本-2
2007年08月06日(月曜日)付 東京新聞社説と【コラム】筆洗

原爆忌に考える 希望の種子を風に乗せ

 六十二回目の八月六日。ヒロシマはまた、深い祈りに包まれます。でも、夕凪(ゆうなぎ)のあとの風に乗り、広島で生まれた希望の種子が、ほら、あなたの手元にも。

 落日の気配がほのかに周囲を染めて、夕凪が始まりました。

 昼間が夜に交代の準備を促すその間、太田川の川面を滑る風がやみ、せみ時雨もどこか遠くに聞こえます。

 「午後の三時をかなりすぎていた。この時刻にやってくる、この街特有の夕凪がはやくもはじまっている。風はぴたりととまっていた。一滴の風もなかった。蒸れるような暑さのために、手の甲にまで、汗の玉がふき出た」


アカシアの木の下で

 東京から疎開中に被爆した作家大田洋子が、「夕凪の街と人と」で描いた通りの暑さです。

 広島は快晴でした。城南通りの空鞘橋から川上へ、葉桜の並木が縁取る堤防の緑地を歩いていくと、日傘のように形良く枝を広げたアカシアの木が立っています。

 公開中の映画「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)の重要な舞台になった場所でした。

 文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞した、こうの史代さんの同名漫画を原作に、被爆者三代の日常や生と死を映画も淡々と描きます。

 物語前半のヒロイン皆実は、父親と幼い妹を原爆に奪われました。

 それから十三年、皆実自身も原爆症で若い命を失います。

 同じ職場の恋人と、疎開して被爆を免れた弟に見守られ、「原爆スラム」と呼ばれたバラック集落の前に立つ、そのアカシアの木の下で-。

 緑陰に腰を下ろして、ヒロインの最後のセリフをかみしめました。

 「なあ、二人とも、長生きしいね。ほうして忘れんといてえなあ…、うちらのこと…」

 街角で偶然耳にした、観光ボランティアの女性の言葉がそこに重なりました。

 「父と兄が原爆の犠牲になりました。母は当時二歳の私を防火水槽に突っ込んで助けてくれました。母は七十歳を過ぎるまで、その時の模様をいっさい語りませんでした。私にも直接の記憶はほとんどありません。でも永らえた命に感謝を込めて、母の言葉を語り伝えねばなりません-」

 すべてはこの街で現実に起きたことだと、念押しをするように。

 気が付くと、幹の途中から萌(も)え出たばかりの若い枝葉が小さく風に揺れています。

 映画の中のアカシアは、繰り返す死と再生の象徴なのかもしれません。

 夕凪が終わり、たそがれに街が沈んでいきました。


被爆の木が伝えるもの

 広島は「被爆樹木」を大切にしています。

 旧中国郵政局から平和記念公園に移植された被爆アオギリは、爆風に深く幹をえぐられながら、手のひらのような青葉を毎年元気に翻し、童話や歌にもなっています。

 爆心地の近くで生きながらえた広島城二の丸跡のユーカリは、被爆後二十六年目に襲来した台風に倒されました。それでも根元から新たな若芽を吹いて、今ではすっかり元通りの姿になりました。

 原爆ドームに代表される「原爆を見た建物」が核兵器の悲惨を歴史に刻み、浄国寺の被爆地蔵や元安川の灯籠(とうろう)流しが鎮魂の思いを世界に示す一方で、被爆樹木は限りない命の強さ、希望の深さを象徴します。

 昨年の平和記念式典で、日米の小学六年生が「平和への誓い」を読み上げました。

 「一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものでもあり、その人を必要としている人のものでもあるのです」

 夕凪のように風のない、停滞した時間に紛れ、私たちは、今生きて、暮らしていることの尊さを、つい忘れがちになるようです。

 いたずらに日々を憂い、刺激を求め、美しい姿形や勇ましい言動に、魅せられてしまいます。

 「平和への誓い」は続きます。

 「『平和』とは一体何でしょうか。争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も『平和』なのです」

 ヒロシマが、ナガサキが、本当に語り伝えたいものは、「日常」の中にたたずむ「希望」なのかもしれません。


生きていてありがとう

 映画の前半で、ヒロイン皆実の恋人が愛する人を抱きしめながら、しみじみとつぶやきます。

 「生きとってくれて、ありがとうな」

 ヒロシマが日本や世界に届けたい、「心」のようにも聞こえます。

 八月六日。それぞれの場所からヒロシマへ、鎮魂の思いに乗せて答えを返してみませんか。

 

【コラム】筆洗  2007年8月6日

 撮影場所は東京都内の雑踏。一九四五年の八月六日と九日に日本で何が起きたのか、若者にマイクが向けられる。「地震とか?」。誰も答えられない。もちろん原爆投下が答えになる▼日系三世のスティーヴン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』の冒頭の場面だ。都内や愛知県、石川県など全国で順次公開中。米国では今日、三千八百万人以上の加入者がいるケーブルテレビ網で放映される▼映画は十四人の被爆者の証言を軸にしながら、当時の記録映像を交えていく。『はだしのゲン』で知られる漫画家の中沢啓治さんは、六十二年前の今日の記憶は今も鮮明で、「あのセットをつくれと言われたら、そのままつくっちゃいますよ」と話している。父と姉弟を失った日であり、記憶とはときに酷(むご)いものである▼それでも証言者は淡々と記憶をたどる。居森清子さんは当時十一歳。爆心地から四百十メートルしか離れておらず、猛火から逃れるため川に飛び込んだ。在校生六百二十人の学校で、生き残ったのは居森さん一人だった。原爆体験を伝えるために生かされたのだと、自分に言い聞かせている▼映画では、原爆を投下した爆撃機の元航空士が「何人か集まると、必ずバカな奴(やつ)が『イラクに原爆を落とせばいい』と言う」と、いら立つように話す場面がある。広島と長崎を知らないから言えるのだろう。無知を批判したくなるが、日本での風化を思うと言葉が詰まる▼鎮魂の夏。過酷な記憶だとしても、受け継ぐ努力を重ねたい。過ちを繰り返さぬために。


2007-08-06 月 「社説--比べて読めば面白い」 ヒロシマ原爆の日(日本経済新聞)

2007-08-06 13:46:51 | 「保存している記事」から

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2007年08月06日(月曜日)付 日本経済新聞社説

現状是認の外交では核拡散を防げない

 ことしもヒロシマの日がめぐってきた。核の脅威はなお世界に広がり続けている。責任が重いのは、新たな核保有国を甘やかすかのような超大国、米国の対応である。これでは核保有への誘惑は止まらない。

 この1年間の核をめぐる状況で最大の変化は、昨年10月の北朝鮮の核実験だろう。国連安全保障理事会は、大量破壊兵器関連の禁輸、貨物検査を含む制裁措置を盛り込んだ決議を採択した。核実験発表からわずか5日後、全会一致の採択だった。北朝鮮の核実験に対する国際社会の厳しい反応を見せつけた。

 ところが今年1月の米朝ベルリン協議で空気は変わる。米政府は「制裁ではなく規則だから解除はできない」との理由で凍結してきたマカオの銀行の北朝鮮資金の扱いをめぐる交渉に応じ、最終的に解除した。

 制裁の代わりに報酬を与え、それによって北の核を管理する方針に転じた格好だ。核保有を狙う国や勢力は北朝鮮に続こうとする。特にイランに影響しても不思議ではない。制裁解除などを見返りにして核保有を断念させた「リビア型モデル」の実例もあるが、核開発の初期段階だったリビアと核実験まで実施した北朝鮮は同列には扱えないだろう。

 先月末に合意した米印原子力協定は、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドにNPT上の核保有国とほぼ同等の資格を与えた。たとえインドの核関連施設の一部が国際的な査察の対象になるとしても、協定自体は核不拡散の枠組みを大きく揺るがす動きだ。インドの核保有はパキスタンに影響を及ぼし、さらなる拡散の危険をはらむ。

 米国は「テロとの戦い」で連携が必要なパキスタンの核保有も、事実上容認してきた。イスラム過激派は米国が支持するムシャラフ政権に揺さぶりをかけており、核が過激派の手に渡れば、テロの脅威は一段と高まる。世界で最も危険なパキスタンの核の廃棄への道筋は見えない。

 北朝鮮やパキスタンの核保有は、どんな国でも核を保有し、政治的な脅しに使いうる現実を示す。最も脅威を受けるのは最大の核保有国でもある米国だが、北朝鮮やインドなどに対する姿勢は、逆に地球規模の核拡散を促す結果になりかねない。

 日本でも原爆投下を「しょうがない」と述べた久間章生前防衛相の失言があった。ナガサキ出身でもある防衛相がこう語ったことは、核廃絶を求める被爆地の訴えを弱めかねず、国際的文脈でも不適切だった。きょうは核の惨禍と現在の危うい状況を改めて真剣に考える日である。


2007-08-06 月 「社説--比べて読めば面白い」 ヒロシマ原爆の日(読売新聞)

2007-08-06 13:41:24 | 「保存している記事」から

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2007年08月06日(月曜日)付 読売新聞社説、編集手帳、よみうり寸評

ヒロシマ 原爆の罪と核抑止力のジレンマ

 広島はきょう6日、長崎は9日に被爆の日を迎える。

 両市は毎年、この日に平和式典を開き、被爆体験の継承と、人道に反する核の廃絶を訴えてきた。しかし、世界はいまだに核の恐怖の下にある。

 昨年10月、核実験を強行した北朝鮮は、日本にとって最大の脅威だ。核廃棄を迫る6か国協議でも、それを実行させる道筋は不透明なままだ。イランの核開発についても疑惑が増している。

 今年6月30日、久間防衛相(当時)が、原爆投下は「しょうがない」と発言した。原爆投下を正当化するもの、との批判が渦巻いたが、感情的次元の反発が中心で、複雑な“核状況”をめぐる論議にはならなかった。

 20万人以上の無辜(むこ)の民の命を奪った広島、長崎への原爆投下は、日本として決して容認することはできない。

 だが、米国内には、原爆投下を肯定する意見が根強くある。原爆の投下が、戦争終結を促し、日本本土侵攻作戦を回避した結果、多数の米軍兵士の命を救ったというのである。

 しかし、米国は、日本の継戦能力の喪失を認識していながら、事前警告もせずに残虐な核兵器を使用した。

 原爆投下には、ソ連の参戦を阻止する狙いがあり、米国内にそれを裏付ける証言も残されている。

 民主党の小沢代表は、参院選公示前の党首討論で、原爆投下について、米国に謝罪を求めるよう安倍首相に迫った。首相は、北朝鮮の核の脅威に対抗するためには、「核の抑止力を必要としている現実もある」と答えた。

 原爆投下は肯定できない。他方、日本は、国の安全保障を米国の核抑止力に頼らざるをえない。これは、戦後日本が背負い続けている“ジレンマ”である。

 日本の反核運動は、1965年、共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)と、旧社会党系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)とに分裂した。社会主義国の核は防御的とする共産党と、いかなる国の核にも反対と主張する社会党との対立が主因だった。

 米ソ核対決の時代から、北朝鮮の核の脅威に直面している現在も、「核廃絶」を唱えるだけで、こうした日本の“ジレンマ”に向き合わずにいる。

 広島市の秋葉忠利市長が6日に行う平和宣言では「米国の時代遅れで誤った政策にはノー」としながら、北朝鮮の核については直接、言及がないという。

 「核廃絶」の訴えを空回りさせないためには、どうしたらいいのか。難しい課題である。

(2007年8月6日1時31分  読売新聞)


8月6日付 編集手帳

 ビルの地下室に、うめき声と血のにおいが充満していた。原爆で壊滅した広島の夜、蝋燭(ろうそく)もない闇のなかで妊婦が産気づく。栗原貞子さんの詩「生ましめん哉(かな)」である◆私は産婆(さんば)です、産ませましょうと、ひとりの重傷者が名乗り出る。やがて産声が聞こえた。「かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ/生ましめん哉/生ましめん哉/己(おの)が命捨つとも」◆赤ちゃんは女の子で「和子」と名づけられた。小嶋和子さんはいま、息子さんと広島市内で食事と酒の店を営んでおられる。誕生日は原爆投下の2日後、もうすぐ62歳になる◆亡き母は被爆体験をほとんど語らず、和子さんは高校に上がるまで詩のモデルであることを知らずにいた。「胎内被爆した娘が世間から偏見をもたれないように、という気遣いだったのでしょうね」◆開店前の忙しい夕刻、和子さんは仕事の手を時折やすめつつ話してくれた。いまは栗原さんの詩が朗読されると、生まれ出る身ではなく、地獄のような夜の底に命がけで産んでくれた母の身になって聴くという。涙がとまらない、と◆一個の光が闇の深さを伝えることもある。希望の結晶ともいうべきひとつの生命から、おびただしい死者の絶望が浮かび上がることもある。地下室の産声はいつまでも、言葉なき語り部でありつづけるだろう。

(2007年8月6日1時36分  読売新聞)


8月6日付 よみうり寸評

 考えたくない。話題にもしてほしくない。日本が核攻撃を受けるという事態は、その一つかもしれない◆中公新書「核爆発災害」(高田純著)が東京中心部が核攻撃された場合の被害を予測している。結果は壊滅。数百万人が負傷し、数十万人が死亡する。広島、長崎では上空数百メートルで爆発したが、被害予測では地表での爆発も想定した。上空での爆発よりも衝撃波が強まり、ビルが大破するなど被害は甚大◆著者の高田さんは、地下街に逃げ、被曝(ひばく)を避けるといった自衛策や政府の体制整備を提案している。考えすぎと言い切れるだろうか◆原爆投下から62年となる広島、長崎の核廃絶への願いをよそに、世界では、核兵器の拡散と高性能化が懸念されている。昨年、北朝鮮も核爆発実験を試みた◆これまでに世界で実施された核爆発実験は2000回以上。その爆発エネルギーは広島型原爆にして数万個分になる。そして世界には、米、露を中心に2万6000発を超える核弾頭がある◆現実は核廃絶とほど遠い。遠くを目指しつつ、わが身をどう守るか。知恵が要る。

(2007年8月6日13時58分  読売新聞)


2007-08-06 月 「社説--比べて読めば面白い」 ヒロシマ原爆の日(毎日新聞)

2007-08-06 13:38:13 | 「保存している記事」から

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2007年08月06日(月曜日)付 毎日新聞社説

原爆の日 核廃絶の信念を揺るがすな

 原爆の日が巡ってきた。広島は今日6日、長崎は9日に鎮魂と平和の祈りに包まれる。私たちはこの日、改めて「核兵器廃絶」の決意を確認したい。今年は例年以上に、その思いを強くする。

 長崎市の今年の平和宣言は「政府の核兵器廃絶への考え方が揺らいでいる」との認識に立ち、被爆国としての自覚を強く促し、核兵器廃絶に向けたリーダーシップの発揮を政府に求める。私たちも同じ思いだ。

 背景には、久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言がある。唯一の被爆国の国民として共有すべき思いがあれば、口に出るはずがなかった。

 残念なのは、国民の間にも単なる失言あるいは説明不足との受け止め方があったことだ。被爆者への連帯と核兵器廃絶への願いが薄らいでいることの表れだろう。広島市の秋葉忠利市長は平和宣言で、原爆被害の実態と、被爆者が語り部として苦しみの中から発したメッセージの意義を改めて訴える。特に若い人に真剣に受け止め、考えてほしいという願いを込めてのことだ。

 一方、毎日新聞が行ったアンケートでは、参院選の自民党当選議員のうち日本の核武装検討容認派が、「今後の国際情勢によっては」を含めて24%にのぼった。北朝鮮の核実験以降、対抗措置としての核保有を念頭に置いた短絡的な声が幅を利かすようになったことを憂慮する。

 原爆の惨禍と、今なお続く被爆者の苦しみを今一度思い起こしたい。都市を根こそぎ破壊し、市民を無差別に殺傷するだけでなく、生涯にわたる後遺障害を引き起こす兵器が、三たび使われることがあってはならない。核兵器がある限り、広島、長崎の惨劇が繰り返される恐怖は消えないのだ。

 世界には、核兵器を持つことで存在感を増したり、より優位な交渉力を得ようと考える指導者もいる。しかし、「非核三原則」を掲げる日本は毅然(きぜん)として、そうした考えを排除しなければならない。その上で、核兵器の非人道性と平和の大切さを訴え続けることこそ被爆国としての責務だ。

 全人類を何度でも滅亡させるだけの核が依然として存在し、核兵器廃絶への道のりは遠い。だが、私たちは核拡散防止条約(NPT)体制の下、知恵を出し合い、未加盟国も含めた核兵器の不拡散と削減・廃棄に向けた取り組みを粘り強く進めなければならない。朝鮮半島の非核化に向けた関係各国の一層の努力も必要だ。

 北朝鮮では、予断を許さないものの、核放棄に向けた動きが見え出した。原爆投下を正当とする世論が支配的な米国でも、キッシンジャー元国務長官らが世界の核兵器廃絶を米国が主導するよう訴える声明を出した。政府は「核兵器のない平和な世界の実現を目指し、核軍縮努力を続けていく」と強調する。今こそ、国民と一体となって核兵器廃絶の訴えを強め、その一歩となる核兵器削減にも積極的に取り組むべきだ。

毎日新聞 2007年8月6日 0時02分


【余録】 原爆の日

 歴史の女神クリオが持つのは巻物だが、人はしばしば彼女に天秤(てんびん)を持たせる。先ごろ「広島・長崎への原爆の使用が戦争を終わらせ、連合国の何十万、日本の何百万もの命を救った」と述べた米国の核不拡散担当特使もその一人だ▲戦後間もないころから原爆使用を正当化してきた米国の論法である。用いられるのは、広島・長崎の犠牲を、失われたかもしれないという数十万の連合国軍兵士や数百万の日本人の生命とつりあわせる天秤だ。いうまでもなくこのなかで現実に生命を奪われたのは被爆者だけだ▲今年は歴史の天秤を用いる日本の閣僚も現れた。「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」。天秤の一方に「ソ連による占領」をのせた久間章生前防衛相は発言の不見識を問われて辞任した▲実際の歴史認識としてもあやしげな命の計量には女神クリオも当惑しよう。そして当時の米政府や軍が実際にどんな天秤を用いて原爆投下を決断したのであれ、数千度の火球で焼かれた一般市民、とりわけ子供らには自分の命をそんな天秤にかけられねばならぬどのような理由もない▲「被爆者は私たちそのものです」というのは、ドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」(東京・岩波ホールで公開中)の日系3世の米国人監督S・オカザキ氏だ。映画では大半がまだ子供だった14人の被爆者が静かな口調で体験を語る。それが、実際この世に起こったただ一つの現実だ▲「ヒロシマナガサキ」は原爆の日のきょう、全米にケーブルテレビで放送されるという。どんな天秤でも量れない生身の人間の無念や悲しみ、祈りへの共感こそがいつかは世界を変えると信じたい。

毎日新聞 2007年8月6日 0時02分


2007-08-06 月 「社説--比べて読めば面白い」 ヒロシマ原爆の日(朝日新聞)

2007-08-06 13:29:32 | 「保存している記事」から

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2007年08月06日(月曜日)付 朝日新聞社説 と 天声人語(7日付)

原爆の日―「しょうがない」の罪深さ

 原爆の日が、まためぐってきた。6日に広島、9日に長崎へ原爆が落とされ、62年がたつ。

 今年の被爆地は昨年までとは、いささか様相が異なる。長崎県出身で防衛相だった久間章生氏が原爆投下について「しょうがない」と述べたことが、さまざまなかたちで影を落としているのだ。

 久間氏の発言をもう一度、確かめておこう。

 「原爆が落とされて、長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、というふうに思っている」


 ●人が虫になった

 「原子爆弾を炸裂(さくれつ)させた時、ひとは神さまを捨てて、みんな虫になってしまったのだとわたしは思います」

 被爆2世である芥川賞作家の青来有一(せいらい・ゆういち)氏は、小説「爆心」で、長崎の被爆者の心境をこうつづっている。

 天災ならまだしも、心のある人間が、これほどの大量殺人を犯すわけがない。まして、原爆が落とされたのは、長崎市でもキリスト教徒の多い浦上地区だった。自分たちと同じ信仰を持つ米国人が、そんな無慈悲なことをするとは信じられない。人間ではなく、きっと虫になってしまったのだ。そんなあきらめにも似た思いが伝わってくる。

 だが、それは「しょうがない」という気持ちとは違う、と長崎市の平和推進室長を務める青来氏は言う。「多くの被爆者は長い時間をかけて過去の傷をのみこんできた。もうこの先、地球上で核兵器を使わないようにするのならと、心の中で決着をつけてきたんです」

 被爆者には、仕返ししたい気持ちや恨みに思うことがあっただろう。だが、自分たちのような悲惨な体験はこれで最後にしたい。そう考えることで、多くの被爆者は、仕返しや恨みの気持ちに折り合いをつけてきたのだ。

 そうした複雑な感情も知らないで、被爆体験のない人から「原爆投下はしょうがない」などと安易に言われてはたまらないということだろう。


 ●「非核」をどう訴える

 病理学者で原爆投下の歴史に詳しい土山秀夫・元長崎大学長は、むしろ久間氏が「しょうがない」の後に続けた言葉に注目する。「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうるのかな」という部分だ。

 直接的には過去のことを語っているが、現代でも場合によっては、核兵器を使うことができるとも聞こえる。現職の防衛相の言葉だけに、被爆者は怒りを増幅させたというのだ。

 世界を見渡せば、インド、パキスタンに続き、昨年は北朝鮮が核実験をした。核保有5大国の核軍縮は進まず、核不拡散条約(NPT)の信頼が揺らぐ。

 国内では麻生外相らが核保有の議論をすべきだと説く。そこへ、久間発言である。核兵器への抵抗感が、政治家の間で薄れているのではないか。そんな不安にかられたのは被爆者だけではない。

 だが、果たして日本の国民は、久間氏の発言を一方的に非難ばかりできるのだろうか。そんな自問もしてみたい。

 日本はかつてアジアの国々を侵略し、米国に無謀な戦争を仕掛けた。しかも、無数の人命を犠牲にして、負け戦をずるずると引き延ばした。その揚げ句に落とされた原爆なのだ。

 一方、戦後の日本はといえば、圧倒的な軍事力を持つ米国と安保条約を結び、「核の傘」に頼ってきた。それでいて、「非核」を訴えるという居心地の悪さもある。

 そうした事実を直視し、考えるきっかけにしなければいけないのではないか。

 問題は、だからしょうがないではなく、世界に同じ悲劇が起きないように、日本が何を訴えていくかだ。過去の歴史を反省し、アジアの国々と手を携える必要があるのはいうまでもない。


 ●米国にも変化の兆し

 久間発言を支持したのは、多くの米国民だったかもしれない。

 米国では「原爆投下で戦争が終わり、100万の米兵が救われた」というような正当化論が依然、根強いからだ。

 だが、その米国にも変化の兆しがないわけではない。

 この夏、日系米国人のスティーブン・オカザキ監督の映画「ヒロシマナガサキ」が日本で公開されている。

 この映画が画期的なのは、米国で4000万世帯が加入するケーブルテレビが、制作資金を出したことだ。そのケーブルテレビで6日から全米に放映される。

 映画は被爆者14人と、原爆を投下した米軍機の乗員ら4人の証言でつづられる。投下の瞬間や、治療を受ける被爆者の映像が生々しい。500人の被爆者から話を聞き、完成まで25年を費やした。

 オカザキ監督は「9・11のテロ以降、米国人は核兵器が使われるのではないかということに現実味を感じている。今ほど被爆者の体験が重要な意味を持つ時代はない」と語る。

 広島では14万人が犠牲になり、長崎の死者は7万人に及んだ。生き残った人や後から被爆地に入った人も放射能の後遺症に苦しんだ。その恐怖を米国も共有する時代になったのだ。

 久間発言によって鮮明になったことがある。日本の国民には、核を拒否する気持ちが今も強く生きているということだ。それを世界に示したことは、思わぬ効用だったかもしれない。

 この怒りを大切にすること。それは日本の使命である。

 

天声人語 2007年08月07日付

 「原爆の日」の朝、広島の街を通り雨がぬらした。平和記念公園の川べりを、千羽鶴を抱えた高校生が通る。献花をたずさえ、お年寄りが歩く。

 投下された8時15分、原爆ドームの上空を仰いでみた。雲間にうっすらと青空がのぞく。「その時」を告げる鐘にあわせて、約600メートルの中空(なかぞら)で炸裂(さくれつ)する巨大な火の玉を思い描いた。現実なら、私は瞬時に消滅するだろう。容赦なく抹殺される我が身を思えば、心は冷える。

 想像をめぐらしたのは、『原爆詩一八一人集』(コールサック社)という本を広島の書店で見つけたからだ。きのうが発行日である。栗原貞子「生ましめん哉(かな)」、原民喜(たみき)「コレガ人間ナノデス」。名高い原爆詩とともに、今の詩人の作品も多く収録している。

 被爆体験者は少ない。想像力で言葉を紡いできた。戦後生まれの江口節さんの「朝顔」は、〈いつものようにその人は出かけた/いつものように汗を拭(ふ)きながら/いつもの空に/6000度ものまぶしいはなびらが開くなぞ/知るはずもなかった…〉。何十万の命に向けて炸裂した核兵器のむごさを突く。

 時とともに被爆者は亡くなり、平均年齢は74歳を超えた。原爆の日以外は記念公園もひっそりする。風化なのだろう、広島市の小学生の5割は投下日時を知らない。原爆の惨をどう伝え継ぐか、模索が続いている。

 広島・長崎を最初で最後にしなくてはならない。そんな思いが『一八一人集』にこもる。年内には英語版も出るという。被爆国の詩人の深い言葉が、世界の人々に響けばいい。


2007-08-05 日 今日の東京新聞 社説 と コラム

2007-08-05 13:37:46 | 「保存している記事」から

東京新聞 社説 2007年08月05日(日曜日)付

週のはじめに考える 『戦後』は継承したい

 「自民惨敗」からさまざまな民意がくみ取れます。安倍晋三首相の政権運営の稚拙さだけでなく、公約である「戦後レジームからの脱却」への危惧(きぐ)もあったのでは。

 「美しい国へ」と国民生活をめぐる厳しい現実との大きい落差-。

 安倍首相率いる自民党は、この深いはざまに落ち込んで、歴史的な惨敗を喫しました。

 「こんなはずではなかった」。激しい選挙から一週間、安倍首相のぼやきが聞こえてきそうです。

 昨年九月の首相就任後初めての全国規模の国政選挙でした。「美しい国」を目指し、「戦後レジームからの脱却」を果敢に進めて、任期中に憲法改正を実現する…。


首相の未熟さを露呈

 自らの高邁(こうまい)な公約を高々と掲げて国民の信任を受ける。こんな選挙戦を描いていたはずです。

 ところが、国民が「小泉・安倍改革」の副作用である所得格差、地方格差に苦しんでいるところへ、でたらめな年金の扱い、閣僚の失言や事務所経費ごまかしの「逆風三点セット」です。

 首相は選挙直前になって対策を連発しましたが、その慌てぶりや側近をかばう姿勢が国民の不信をあおり、自民惨敗を招いたのです。

 選挙後の赤城徳彦農相の更迭も含め相次ぐ不祥事に、安倍首相の「未熟さ」、特に人事の稚拙さ、危機管理のまずさが露呈してしまいました。閣僚一回の経験不足、政策や見識の軽さなどのためです。

 「政府や政治に向けられた不信すら一掃できないようでは、新しい国づくりなんてできないぞ」(内閣メールマガジン)。首相は国民の声をこう解釈しました。

 「大事の前の小事」。目前の「小事」の処理すらうまくできない首相に「新しい国づくり」はしてほしくない。国を誤る恐れすらある。これが民意ではないでしょうか。


「基本路線」への危惧も

 にもかかわらず、首相は「私たちが進めてきた基本路線は理解いただいた」と言いますが、強弁です。

 むしろ「基本路線」に危惧を抱いた有権者の方が多かったのではないか。そうでなければこれほどの惨敗は説明がつきません。

 例えば「戦後レジームからの脱却」…。レジームは一般に政治制度や体制のことです。共産主義体制、独裁体制などと使います。

 日本の戦後レジームは、六十年余で定着した現憲法の基本理念である主権在民、人権尊重、非戦主義に基づく民主主義体制です。

 ここからの「脱却」とはどういう意味なのか。就任当初この言葉を耳にしたとき、まさか戦前の体制に回帰するのではと驚きました。

 その柱になるのが憲法改正です。「占領時代に素人のGHQ(連合国軍総司令部)がいまの憲法をつくった」(安倍首相)からです。

 あまりに短絡的です。GHQ案が基になったのは確かですが、日本人学者らによる「憲法研究会」などの案がかなり採り入れられました。戦争放棄の九条は、当時の幣原喜重郎首相の提案とも言われています。

 当時の為政者は「ポツダム宣言」で敗戦を受け入れ、時に忍び難きを忍んで、この国を存続させました。

 国会での密度の濃い審議を経て、現憲法を成立させ、豊かで平和な六十年余を実現したのです。

 「戦後レジーム」には、数百万人の生命の犠牲、汗と涙が詰まっています。大黒柱である憲法も含め、簡単に切り捨ててほしくありません。歴史に対する謙虚さが必要です。

 安倍首相は参院選で実績として、教育基本法改定、防衛省昇格、憲法国民投票法成立などを挙げました。集団的自衛権行使のために有識者懇談会も発足させました。

 一連の動きには国権強化、国家によるさまざまな分野への関与強化への志向が見られます。

 首相は「現憲法の基本原則は尊重する」と言いますが、なし崩しにされるのではないか。憲法は米国の押しつけと言いながら、米国が望むように協力して武力行使ができる憲法に変えるのではないか。

 「戦後レジームからの脱却」には危うさが透けて見えます。

 また、旗印の「美しい国」は首相以外の自民候補はほとんどが口にしませんでした。有権者の反発を受けるとみてのことです。いわゆる「基本路線」は有権者に呼び掛けられないままでした。


人心一新の民意に鈍感

 「国民の怒りや不信を厳粛に受け止める」「人心を一新せよというのが国民の声だと思う」

 安倍首相は、神妙な面持ちで反省の弁を繰り返しています。しかし、その結論が「続投」では何をかいわんやです。簡単に戦後を切り捨て「美しい国」を目指すという言葉の軽さ、そして民意への鈍感さがここにも表れています。

 「戦後レジーム」は、改革すべきを改革するのは当然ですが、これからも誇りを持って「継承・発展」すべき私たちの財産です。

 戦後日本が出発した八月十五日を前にあらためて思います。


東京新聞 【コラム】 筆洗  2007年8月5日

 先の参院選挙の結果をめぐり覚えておきたいデータがある。当選した人の過半数、正確には55・7%の人が憲法九条の改正に反対しているという。共同通信社が公示前に行った全候補者アンケートを分析した結果である▼自民党が設置した参院選の惨敗を総括する委員会では、年金や政治とカネの問題、閣僚の不始末という三点セットと、地方の自民党支持層の離反が敗因として挙げられている。それは当然のことだが、九条改正路線の敗北という総括を付け加えることもできよう▼選挙の大きな争点になっていないとの反論はあるかもしれない。でも強烈な改憲論者である安倍晋三首相の登場で、九条の行く末に思いをめぐらす人は増えているように思う。改憲手続きを定めた国民投票法も成立したため、一層無関心ではいられない▼首相は三年後の改憲発議を目指しており、今回と三年後の参院選、次の衆院選を一つの選挙ととらえている。最後には衆参両院の三分の二以上を九条改正派で占める。これが目標になるが、初戦の敗北で次からは圧勝を続けるしかない▼もともと簡単な道ではないので、首相は以前から九条の改正に近い成果を別の手段で得ようともしている。集団的自衛権の行使を禁ずる政府の九条の解釈を見直すことにほかならない▼ここで覚えておきたいデータは、公明党の当選者全員が見直しに反対であることだ。首相が事を急げば、政権からの離脱論が出てもおかしくない。自分の選んだ人が六年間、どんな活動をするのか。公約集は捨てないで持っていよう。


2007-04-17 火 今日の朝日新聞社説

2007-04-17 02:00:00 | 「保存している記事」から

朝日新聞 社説 2007年04月17日(火曜日)付

EU50年―熟年欧州の進化は続く

 人の一生で言えば、そろそろ熟年の域に入ったということか。欧州統合の歩みが50年の節目を迎えた。

 「血塗られた戦いと苦悩の歴史を教訓として、欧州統合は実現した。かつて一度も手にしたことのない共存をいま、我々は達成した」

 先にドイツで開かれた欧州連合(EU)特別首脳会議の宣言は、成果を高らかにうたい上げた。

 始まりは50年前、独仏と周辺の計6カ国が創設に合意した欧州経済共同体(EEC)だった。EUと名を改めた共同体にはいま、東西欧州の27カ国が集い、総人口は5億人近い。

 多くの国々で単一通貨ユーロが普及し、ビザや旅券なしに行き来できる。地球温暖化や通商交渉では世界をリードする存在だ。首脳宣言の高い調子はこうした実績に裏づけられている。

 今から振り返れば、欧州統合は歴史の必然だったように見える。だが、50年前、第2次世界大戦直後の欧州では、まだ「夢物語」の一つにすぎなかった。

 2度の世界大戦の舞台となった教訓から、なんとかして「不戦共同体」をつくり上げたい。その強い思いが出発点だ。冷戦下、旧ソ連圏と対抗するため、当時の西ドイツを西側に取り込み、経済復興を達成する狙いもあった。

 だが、かつて何度も敵として戦った相手と和解し、手を結ぶのは簡単なことではない。フランスは石炭・鉄鋼資源の共同管理に踏み出した。だが、西ドイツの再軍備に仏世論は激しく反発し、なかなか実現しなかった。

 英国は揺れた。当初は対抗して、英主導の別の組織を作った。結局は政策転換したものの、英国の加盟が実現したのは73年になってからだった。

 各国なりの世論や利害のぶつかり合いの中から、今のEUが形成されていった。最初から高邁(こうまい)な理想のもとに結集したと見るのは単純にすぎる。

 時間をかけて各国の国益を調整し、最後は政策の共通化に結びつけていく。これがEUの歩みを通じて欧州の人々があみだした知恵だろう。

 だが50年を経て、新たな試練に直面している。ブリュッセルにあるEU官僚機構が人々の暮らしに直結する制度や仕組みを牛耳っている。統合が深まるにつれ、そんな不満が広がってきた。

 いわゆる「民主主義の赤字」の問題だ。今月のフランス大統領選やブレア英首相の退陣問題が話題を呼んでいるが、指導者交代の持つ重みもかつてとは変わりつつある。

 熟年とはいえ、まだまだ発展の途上なのだろう。市民の参加意識に応える制度をどうつくるか。国境の壁がほとんどなくなることで生じる、競争の激化や格差の拡大にどんな手をうつのか。

 共同体づくりを話すようになったアジアの国々や日本が、学ぶべき教訓は多いはずだ。今後の変化に注目したい。


【以下 参考記事】

asahi.com 国際  > ヨーロッパ
2007年03月25日19時11分 

EU憲法、09年解決を 首脳会議で宣言へ

 欧州連合(EU)は25日、ベルリンで特別首脳会議を開き、懸案のEU憲法問題を09年までに解決する方針を発表した。欧州統合の基礎になったローマ条約調印50年を記念する「ベルリン宣言」に盛り込んだ。ただ、EU憲法に消極的な意見が依然として強いことも浮き彫りになり、期限内に憲法問題を打開できるかは不透明だ。

 今回の首脳会議は、EUの前身の欧州経済共同体(EEC)設立を決めたローマ条約調印を祝い、半世紀に及ぶ欧州統合の価値を強調することがねらい。憲法問題は今後のEU像を左右するため、「ベルリン宣言」にどう盛り込むかが焦点だった。

 「宣言」では「09年の欧州議会選までに、EUとして新たな共通の基礎を定める目標を共有する」との表現で、問題解決への意思を打ち出した。だがチェコなどはEU憲法そのものに消極的で、「宣言」で憲法に言及することに反対する姿勢を崩さなかった。このため「憲法」に代えて「新たな共通の基礎」という言葉を用いるなど、表現を大幅にやわらげた。

 27カ国に拡大したEUの基本法になるEU憲法条約は、フランスとオランダが05年に国民投票で批准を否決して以来、制定に向けた作業が暗礁に乗り上げている。

 このほか「宣言」は、欧州統合の成果として平和や自由に加え、単一通貨ユーロの導入を挙げた。「我々、欧州市民はより良いものをめざして結びついた」として、欧州統合の意義を強調した。

 

asahi.com 国際  > ヨーロッパ
2007年03月23日08時27分

EU50歳、「世界標準」担う一角に

 欧州統合の本格スタートを告げたローマ条約の調印から、25日で50年を迎える。欧州経済共同体(EEC)から現在の欧州連合(EU)に至る半世紀で、加盟国は6カ国から27カ国に拡大し、EUは米国と並ぶ「世界の極」の地位を確立した。ただ近年は、巨大化したEUが市民からかけ離れてしまったとの指摘も強く、「深化と拡大」を続けてきたEUは模索の時期を迎えている。

 面積が四国ほどで、EUでは最も小さい国のひとつのスロベニアが、ブリュッセルにあるEU代表部のスタッフを3倍近くに増やした。現在は約140人。夏までにさらに約30人増員する。08年1~6月に回ってくるEU議長国に備えるためだ。

 04年5月にEU加盟を果たしたばかり。「全欧州レベルの安全保障政策に関与できるなど、小国の我が国には考えられなかったほど可能性が広がった。議長国は非常にやりがいがある」。イゴール・センチャール代表部大使(41)は意欲を隠さない。

 EUでは、加盟27カ国が半年の持ち回りで議長国を務める。今年前半を受け持つドイツが「環境政策」を重点課題に挙げるなど、議長国はそれぞれのテーマを定めるのが普通だ。小国であっても、やりようによっては欧州全体を動かすことができる。

 EUの行政機関である欧州委員会が提案する法案は、年間約250に達する。加盟国による法律制定や改正の6~7割がEU法に対応するためといわれる。EUが決める法律が、加盟国の政策を決定的に左右する。

 EUパワーが及ぶのは域内だけではない。

 「地球温暖化対策で、欧州は世界の先駆けになる」。メルケル独首相は9日のEU首脳会議後の記者会見で、こう宣言した。議長国としてポーランドなどの反対を押し切り、太陽光など再生可能エネルギーの利用拡大義務づけで、加盟国の合意を取りつけた満足感が表れていた。

 欧州委は今年中に、再生可能エネルギーの利用割合を2020年までに20%に引き上げる法案をつくる。EUは日本や米国、中国などにも同調を呼びかける方針で、欧州を超えたグローバル・スタンダード(世界基準)づくりで主導権をとる姿勢を鮮明にした。

 環境分野だけではない。6月には、化学物質の登録や安全性評価を企業に義務づける新たな規制を導入する。化学物質の安全基準で世界に先行し、域内企業の競争力強化にもつなげるのがねらいで、日本企業も影響を受ける。強力な独占禁止法を背景に、米大手企業の合併を阻んだ例もある。「EU基準」が世界を動かす局面は急速に増えている。

 EUは域内人口が4億9千万人を超え、域内総生産(GDP)は約11兆ユーロ(約1700兆円)と米国に並ぶ。旧ソ連圏を含め欧州全域の統合を成し遂げたことがパワーの源だ。

 欧州統合の出発点になったのが、52年に発足した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)。57年調印のローマ条約ではEEC設立を決め、後のEUの基礎を築いた。ローマ条約はその後の改正をへて、現在のニース条約に続いている。

 こうした「統合の深化」と並行して「拡大」も進めた。ECSCの加盟国は仏、西独(当時)、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国。その後、15カ国に増え、04年5月には旧ソ連圏諸国など10カ国を一気に仲間に加えて、東西欧州の再統合が実現した。

■「ベルリン宣言」めぐり不一致

 EUは24、25両日、ローマ条約調印から50年を祝う特別首脳会議をベルリンで開き、欧州統合の意義を強調する「ベルリン宣言」を発表する。だが何を宣言に盛り込むかについて、加盟国の間の不一致が目立ち、文書作成はぎりぎりまでもつれ込みそうだ。

 まず問題になったのが、単一通貨ユーロの扱い。ユーロ導入を見合わせている英国は「宣言」で言及することに消極的だが、ルクセンブルクのユンケル首相は「EUの成功例として挙げるべきだ」と主張する。

 「将来の拡大」についても、加盟交渉が始まっているトルコの仲間入りに警戒感が強い。ポーランドのカチンスキ大統領は「キリスト教の価値に言及すべきだ」と訴えるが、政教分離の観点から賛同者は少ない。

 「宣言」は首脳同士の全会一致で決める。混乱を防ぐため、議長国ドイツのメルケル首相は8日のEU首脳会議で、文案づくりの「議長国一任」を取りつけた。水面下で各国と接触し、議論の噴出を封じ込める作戦だ。

 「宣言」作成は、フランスとオランダが05年、EU憲法条約の批准を国民投票で否決したことをきっかけに持ち上がった。両国の「否」は、巨大化・複雑化したEUに対する市民の警鐘と受け取られた。欧州統合の意義を市民に再認識してもらうためにも、ごたごたの種になるのは避けたいのが大方の本音だ。

 このため「宣言」は平和や安定、単一市場の実現などを欧州統合50年の成果として挙げつつ、「A4判2ページ程度」(EU関係者)の簡潔なものになりそうだ。

 


2007-01-26 金 教育再生会議の第1次報告案 「社説--比べて読めば面白い」 琉球新報

2007-01-26 07:40:02 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 京都 西日本 琉球新報 沖縄タイムス

2007年01月26日(金曜日)付 琉球新報社説

教育再生会議・百年先を見据えられたか

 政府の教育再生会議が安倍晋三首相に第一次報告を提出した。報告では学力向上のため「ゆとり教育」を見直す、教員免許の国家試験化、学校週5日制の見直しなどを検討課題に挙げている。

 処方せんは提示されたものの、今の教育の何が問題なのか、現状分析が見えない。加えて、規範意識の向上など、安倍首相がこれまで唱えていることをなぞったにすぎず、新鮮味に欠けている。

 いじめを苦にした児童生徒の自殺、少年犯罪、高校の未履修問題など、解決を急ぐ必要がある課題が多いのは確かだ。しかし報告は、実施が決まっている施策の後追いや精神論が目立つ。再生会議の存在意義が見えにくい。

 しかも、報告の提出時期は通常国会召集の直前だ。今国会の目玉にしたい安倍首相の政治的アピールに加担したといえないか。

 日本の国民総生産に占める公教育費の割合は先進国のなかでは低い。安倍首相は再生会議に百年先を見据えた議論を期待、「今やるべきことをすべて網羅している百点の案」と満足げだが、国民が期待し、納得する議論になっただろうか。

 ゆとり教育を見直して授業時間を増やすのは、学力向上が狙いだが、学力と授業時間数との関係は明確ではない。指導方法についても言及しているが、これはそれぞれの学校が子どもの能力や学習の進み具合に応じて判断すべきものだ。国は安易に関与すべきでない。

 安倍首相は報告を受け、今国会に教員免許法改正案など関連三法案を提出する方針を表明した。

 昨年成立した教育基本法改正の際には、なぜ「公」を重視するのか、改正によってどんな学校教育を目指しているのかなど、国民の疑問に十分答えることなく、国会審議は進められた。

 提出される関連法案も、まず改正ありきであってはならない。改正の必要性を国民にきちんと説明し、指針を示す必要がある。

 安倍首相は教育再生で政権浮揚のきっかけにしたい意向だろうが、教育は子どものためにあるとの基本を忘れてはならない。

(1/26 9:52)

 


2007-01-26 金 教育再生会議の第1次報告案 「社説--比べて読めば面白い」 朝日新聞

2007-01-26 07:14:24 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 京都 西日本 沖縄タイムス
2007年01月26日(金曜日)付 朝日新聞社説  20日(土曜日)付はこちら

教育再生 見切り発車は危ない

 教育再生会議の第1次報告を受けて、安倍首相は提言の実現に必要な法律改正案をこの国会に出す考えを表明した。法案づくりを担当する文部科学省は大急ぎで作業を始めた。

 今の教育がさまざまな問題を抱えていることは間違いない。早い改革を願う国民も多いだろう。首相が指導力を発揮しようと意気込むのも理解できる。

 問題は、改革の中身と方向である。

 柱の一つは、教員免許法の改正だ。いまの教員免許に有効期限はないが、これを10年間とし、講習を修了すれば更新する。中央教育審議会はそんな制度を答申したが、教育再生会議は不適格教員を排除するような厳しい更新制を求めた。

 私たちも、教える力のない教師には退場してもらいたいと思う。けれど、教師を萎縮(いしゅく)させ、教職をめざす学生を減らしかねない制度は行き過ぎだ。厳格化にはそうした副作用が心配される。

 学校教育法も改正して、校長の補佐役として副校長や主幹のポストを新設する。教師が雑務から解放され、子どもと向き合う時間が増えるなら結構だろう。

 だが、増員なしで管理職を増やすだけなら、逆に現場の教育力は落ちてしまう。増員予算の裏付けが必要だ。

 もっと心配なのは、教育委員会のあり方を根本的に見直すという、地方教育行政法の改正である。

 現在は都道府県と政令指定都市が持つ教員の人事権を、できるだけ市町村に移管する。その代わり、小さな市町村の教育委員会は統合する。教育再生会議はそう提言した。

 ほとんどの小中学校は市町村が設立しているのに、教師は人事権を持つ都道府県に目を向けがちだ。多くの市町村は、人事権が移れば教師の意識が変わると期待している。

 その一方で、第1次報告は国が教育委員会の基準や指針を決め、外部評価制度を導入するよう求めた。教育長の任命に関与する仕組みの検討も求めている。

 地域がその子どもたちの教育のあり方を決められるようにする分権の方向性と、国の関与を強める方向性が混在している。どちらで進めようというのか、これは重大な問題をはらんでいる。

 実現すれば、教育現場を大きく変えるものばかりだ。それにしては、あまりに議論が不足し、疑問点が多い。再生会議のメンバーにも戸惑いの声がある。

 そんな懸念を振り払い、見切り発車で法案化を急ぐ背景には、夏の参院選をにらんで政策の目玉をつくろうという政権の思惑が透けて見える。下がり続ける支持率を挽回(ばんかい)するためにも、最重要課題と位置づける教育改革で具体的な姿を示したいということなのだろう。

 だが、第1次報告が「社会総がかりで教育再生を」とうたったように、教育とは社会全体で取り組むべき事業である。

 国民や現場の声を幅広く集め、合意をつくる努力がもっと必要だ。それなしに実のある改革はできるはずがない。

朝日新聞 20日(土曜日)付はこちら


2007-01-25 木 教育再生会議の第1次報告案 「社説--比べて読めば面白い」 日本経済新聞

2007-01-25 07:22:46 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 京都 西日本 琉球新報 沖縄タイムス
2007年01月25日(木曜日)付 日本経済新聞社説

学校の明日が見えぬ「教育再生」提言

 授業時間数の1割増加や教育委員会の活性化など、教育再生会議の第1次報告には多彩な提言が並んでいる。公教育に対する危機感を共有し、信頼回復への道を探った苦心の作であるのは確かだろう。しかし全体として斬新さに欠け、個々の提言をみても生煮えの印象は否めない。

 柱のひとつは、学力向上へ向け授業時間数の1割増加を求めたことだ。すでに文部科学省は国語や算数・数学、理科などの強化を軸に学習指導要領改訂作業を進めているが、同省の抵抗が強かった「ゆとり教育」見直しを明言した意味は大きい。本格的な路線転換の契機になろう。

 もっとも、「ゆとり」脱却を徹底しようとするなら、学校5日制の見直しを含めた根本的な制度改革が必要になる。報告は5日制についても今後の検討課題として挙げたが、授業時間数増加と密接に絡む問題である以上、ここでもう少し踏み込むことはできなかったのだろうか。

 方向性があいまいなのは、教育委員会改革や教員免許更新制も同様だ。教委改革は外部評価制度導入などが目を引くが、教育行政の担い手として本当に教委が必要なのかという本質的な視点は抜け落ちている。免許更新制は、基本的には中央教育審議会の答申を踏襲しており、不適格教員排除の実効性は不明確だ。

 報告は関連法の改正案を速やかに国会に提出するよう求め、安倍晋三首相も成立を期すとしている。文科省は主要なテーマを中教審に諮問し直す意向だが、いたずらに時間を費やすことなく、提言を早急に肉付けして具体像を示すべきだ。

 今回の報告取りまとめにあたって再生会議は迷走を続けた。昨年末の原案では「ゆとり見直し」などが盛り込まれず、年明けから官邸主導で目玉策を急ごしらえした。提言が生煮えで迫力を伴わないのは、そうした経緯と無関係ではないだろう。

 再生会議は5月に2次報告、年末には最終報告をまとめる。安倍首相は自らリーダーシップを発揮し、改革の道筋を定める必要がある。とりわけ、学校5日制見直しや「教育バウチャー(利用券)」など国民的な論議を呼ぶようなテーマでは、首相の決断がより重要になる。

 1次報告は、いじめ問題や教員の質への不安を背景に、教育への国の関与を強めようとする色彩が濃い。しかし規制緩和と分権を進め、多様な教え方、学び方ができるようにすることこそ重要だという声が強いのも忘れてはならない。再生会議が今後、未来を見据えた大きな構えで改革案を打ち出せるのか注目したい。

 


2007-01-25 木 教育再生会議の第1次報告案 「社説--比べて読めば面白い」 東京新聞

2007-01-25 06:05:10 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 京都 西日本 琉球新報 沖縄タイムス
2007年01月20日(土曜日)付 東京新聞社説

教育再生報告 首相の手のひらの上か

 安倍晋三首相の私的諮問機関、教育再生会議が第一次報告を出した。「ゆとり教育見直し」など、首相の意向が強く反映されている。通常国会での法制化を急ぐとしているが、教育に拙速は禁物だ。

 教育再生会議は発足から四カ月弱で報告にこぎつけた。池田守男座長代理は「安倍首相の強い思いがあった」と強調した。首相自身も「百点満点の報告だ」と、自画自賛とも受け取れる評価だ。

 報告の基本的な考え方は、首相の従来の主張通り「『美しい国、日本』を目指して」などとされ、学力と規範意識が強調されている。

 報告ではゆとり教育の見直しと授業時間10%増などを提言し、教員免許更新の厳格化や教育委員会制度改革のための地方教育行政法改正などの緊急対応を求めている。

 報告に盛られた教育委員会改革や大学九月入学制などは、有識者委員から熟慮を要するなどの意見があり、昨年十二月下旬に公表された原案では見送られた経緯がある。

 「アピール性が乏しい」と受け止めた官邸側が、原案を作り直させたという。今月に入り、首相自らが合同分科会に飛び入り参加してげきを飛ばし、数日前には法改正案を通常国会に提出できるよう伊吹文明文部科学相に指示している。

 支持率低下の中で教育再生を政権浮揚の目玉にするため、報告提出を通常国会に合わせたとの見方や七月の参院選向けとの観測もある。政治優先なら教育からほど遠いのではないか。各界の有識者十七人は「教育のあり方を根本から見直してほしい」と要請されたはずだ。大胆な意見提言が期待されたが、首相の意向に沿うだけというなら役割を果たしたとはいえない。

 第一次報告について伊吹文科相は「中央教育審議会(中教審)抜きの超法規的措置はできない」と述べ、「通常国会で関連法案すべてを通すのは無理だ」と慎重な姿勢だ。

 教育の専門家が教育のあり方を審議する法的諮問機関として中教審がある。戦後教育の中立性を支えてきた教育委員会制度や三十年近く続いてきた「自ら学び考える」本来のゆとり教育に手を付けるというのは、重大な方針転換だ。拙速は避けねばならない。

 学校現場は教師が生徒と十分向き合う余裕もないほどといわれる。学校の外部評価制の導入など、これ以上の管理強化は負担を増すだけだ。

 報告のタイトル通り「社会総がかりで教育にあたる」ためには、国民的な論議が欠かせない。非公開のままでは肝心の議論の中身が見えない。やはり公開すべきではないか。

 


2007-01-25 木 教育再生会議の第1次報告案 「社説--比べて読めば面白い」 読売新聞

2007-01-25 05:50:33 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 京都 西日本 琉球新報 沖縄タイムス
2007年01月25日(木曜日)付 読売新聞社説

教育再生会議 国民的議論のたたき台ができた

 報告書の表題に「社会総がかりで教育再生を」とある。公教育の再生のためには全国民的な参画が欠かせない、というメッセージが伝わってくる。

 安倍首相直属の教育再生会議が第1次報告をまとめた。取り組むべき課題を掲げた「7つの提言」が柱だ。

 「新味に欠ける」「議論不足」といった批判もあるが、3か月足らずで、教育の根本議論のたたき台をまとめ上げた委員たちの労は多としたい。どの提言をどう実現させていくのか、今後は首相の判断と国会の対応が問われよう。

 提言の最大の特徴は、「ゆとり教育見直し」を明確に打ち出したことだ。「授業時数10%増」「基礎・基本の反復」「薄すぎる教科書の改善」などを提唱し、学習指導要領の改定を求めている。

 子どもの学力低下の不安が広がった背景には、教える内容や授業時数を大幅に削ったゆとり教育がある。今回、政府の有識者会議として、初めて“脱ゆとり”を宣言した意味は大きい。

 「学校週5日制見直し」も今後の検討課題に挙げられた。学力向上を図るために多面的な議論を深めてもらいたい。

 報告書は、提言の内容に沿った速やかな法改正も求めている。

 免許更新制の導入に伴う教員免許法改正もその一つだ。「指導力不足」などの不適格教員を教壇から排除し、「免許を取り上げる」仕組みを提案した。文科相の諮問機関・中央教育審議会が答申した更新制よりも厳しい内容だ。

 文科省は再度、中教審に諮った上、改正法案を通常国会に提出するという。再生会議の提言の趣旨を損なわないよう、十分配慮すべきだ。

 教育委員会の抜本改革のため、地方教育行政組織法改正も緊急課題だとしている。廃止論もあったが、「いじめ」や高校必修逃れ問題での不適切な対応などを機に、逆に機能再生論が高まった。

 「責任の明確化」「教員人事権の市町村教委への委譲」「第三者機関による教委の外部評価」などが提案された。

 一方で、文科省の、教委への指揮監督権限強化も検討課題とされた。国の関与を強めるのであれば、タウンミーティングの「やらせ質問」や、必修逃れの実態を把握しながら教委への指導を怠っていた問題などについて、文科省自体の反省と点検が欠かせないのではないか。

 いじめを繰り返す子どもへの出席停止制度の活用、教師の体罰を禁じた規定の見直しなども盛られている。家庭の「しつけ」の大切さにも言及している。

 報告書をもとに、まさに国民「総がかり」で教育を論じるべき時である。

(2007年1月25日1時45分  読売新聞)


2007-01-25 木 教育再生会議の第1次報告案 「社説--比べて読めば面白い」 毎日新聞

2007-01-25 05:38:12 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 朝日 毎日 読売 日経 産経 東京 京都 西日本 琉球新報 沖縄タイムス
2007年01月25日(木曜日)付
朝日新聞社説  20日(土曜日)付はこちら

教育再生提言 せいては百年の大計を誤る

 政府の教育再生会議が第1次報告を決定し、安倍晋三首相は関連法改正案を通常国会に提出すると表明した。いじめ自殺、履修不足など相次ぐ教育問題や矛盾に素早く対処することに異存はないが、今回の報告の内容や方向は、もっと時間をかけて国民の間に合意や理解を形成すべきものだ。法という形ばかり急いでも実りある成果がないどころか、混乱をもたらすだけになりかねない。

 現状を「公教育の機能不全」とみる報告は改革へ「社会総がかり」を唱え、学力強化、いじめや校内暴力の根絶、教員の質向上、教育委員会の変革などを挙げた。教育、特に学校教育はその時代の価値観や目標を背景に、緩やかながら多くの国民の「このようなものだ」という考えを映している。そういう意味で、今回の報告を読み進めると、これは広く意見を集め、論議を掘り下げるべきだと思われる問題に次々行き当たる。

 例えば、「体罰の範囲の見直し」はあっさりと記述されているが、戦後学校教育の基本理念にもかかわる重大な提起だ。体罰は学校教育法が禁じ、通知によって禁止行為が示されている。直接的な暴力だけではなく、肉体的な苦痛を与えたり、教室から追い出すことなどもその範囲に入る。

 校内暴力やいじめ、学級崩壊、授業妨害など深刻な問題に対処するためにはある程度やむをえないという考え方もあるだろう。それはそうとしても、心や人格を傷つけることがあり、教育上もしばしば逆効果になるとして一切禁止を定めにしてきた体罰を「国が今年度中に見直し、周知徹底のうえ新学期から各学校で取り組めるようにする」とは、あまりに短兵急ではないか。

 また、学力強化のため「教育委員会・学校は補習などを行う『土曜スクール』を実施するよう努める」としているのは、遠回しの表現ながら実質的に学校6日制復活の意を含むとも読める。

 確かに土曜補習をしている公立学校は既にあり、私立の多くが5日制を採用していない実態からみてこの提起には根拠がある。しかし、5日制導入に際しては論議と試行を重ねた。見直すにしても社会の週休2日制との兼ね合いも含め、再びコンセンサスを得るよう進めるべきだろう。

 「魅力的で尊敬できる先生」の育成にしても、「問題解決能力が問われている」教育委員会の変革にしても、その必要性に疑いはない。だが、現場の実情や意見を十分に踏まえながら、改善の目標が具体的なイメージで国民に共有されるように論議を着実に重ねなければならない。

 改正教育基本法の国会審議の際、私たちは、この法によって具体的にどのような新しい学校教育を実現しようとしているのか政府は示すべきだと求めた。それは果たされなかった。

 今から国会に出されようとしている関連法改正案は日々の学校教育活動に直結する。まず改正ありき、ではない。国民にもっと語りかけ、知恵を集めよう。

毎日新聞 2007年1月25日 1時56分
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2007-01-24 水 教育再生会議第1次報告の要旨 (朝日新聞)

2007-01-24 16:23:59 | 「保存している記事」から

asahi.com  政治 > 国政   2007年01月24日23時00分

教育再生会議第1次報告の要旨

 24日にまとまった教育再生会議の第1次報告の要旨は次の通り。

 ■1 第1次報告に当たっての基本的考え方

 私たちは、子供たち一人ひとりが充実した学校生活を送り、自ら夢と希望を持ち、未来に向かって多様な可能性を開花させ、充実した人生を送るために必要な力を身につけて欲しいと思います。

 イノベーションを生み出す高度な専門人材や国際的に活躍できるリーダーの養成が急務です。

 しかし、今日の学校教育は、学力低下や未履修問題、いじめや不登校、校内暴力、学級崩壊、指導力不足の教員、「事なかれ主義」とも言われる学校や教育委員会の責任体制のあいまいさ、高等教育の国際競争力の低迷など、極めて深刻な状況も見られます。「公教育の機能不全」と言っても過言ではありません。

 教育は保護者の経済力にかかわらず、機会の平等が保証されるべきで、絶対に教育格差を生み出してはいけません。

 今こそ「社会総がかり」で教育を再生しなければなりません。私たちは、世界に開かれた「美しい国、日本」の実現を目指します。


 ■2 教育再生のための当面の取り組み

 《七つの提言》

 【1】「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する

 基礎学力強化プログラム→授業時数の10%増加、薄すぎる教科書の改善

 ――学習指導要領を改訂し、読み書き計算の能力や、対話・意思疎通能力などの基礎を重点的かつ効率的に学ばせる▽小学校高学年の理科、算数などについては専科教員を増やす▽補習などを行う「土曜スクール」を実施

 全国学力調査を新たにスタート、学力の把握・向上に生かす

 伸びる子は伸ばし、理解に時間のかかる子には丁寧にきめ細かな指導を行う

 ――教育委員会・学校は、特に、公立小中学校において、少人数指導や習熟度別指導を拡充▽学校選択制の導入

 【2】学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする

 いじめと校内暴力を絶対に許さない学校をめざし、いじめられている子供を全力で守る

 ――学校は、校則に反社会的行為の禁止を明確に示し、いじめている子供には校則違反として厳しく対処

 いじめている子供や暴力を振るう子供には厳しく対処、その行為の愚かさを認識させる→出席停止制度を活用し、立ち直りも支援

 ――学校は、指導や懲戒にもかかわらず、反社会的行動をとる子供に対しては、個別指導や別室での教育などを行う。その際、社会奉仕等の体験活動を採り入れることも考えられる

 暴力など反社会的行動を繰り返す子供に対する毅然(きぜん)たる指導、静かに学習できる環境の構築

 ――学校の指導や懲戒についての昭和20年代の「体罰の範囲等について」などの関連通知等を今年度中に見直す

 【3】すべての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する

 社会人として最低限必要な決まりをきちんと教える→学習指導要領に基づく「道徳の時間」の確保と充実、高校での奉仕活動の必修化、大学の9月入学の普及促進

 父母を愛し、兄弟姉妹を愛し、友を愛そう→体験活動の充実

 ――30人31脚など集団スポーツ活動、ロボット・コンテストなどのグループで取り組む学習活動などを通じて心身を鍛え、達成感を共有させる▽古典や偉人伝などの読書、民話や神話、茶道・武道などを通じて、徳目や礼儀作法、形式美を身に付けさせる

 【4】あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる

 社会の多様な分野から優れた人材を積極的かつ大量に採用する

 ――教育委員会は、社会人経験者も積極的に採用

 頑張っている教員を徹底的に支援し、頑張る教員をすべての子供の前に→メリハリのある給与体系で差をつける、昇進面での優遇、優秀教員の表彰

 不適格教員は教壇に立たせない。教員養成・採用・研修・評価・分限の一体的改革

 ――教員の評価を校長や教育委員会が行う際に、保護者、学校評議員、児童・生徒からの意見も反映させる▽新卒教員についても、1年間の条件付き採用期間終了時に、資質や適格性を厳格に判断する仕組みを導入

 真に意味のある教員免許更新制の導入

 ――教育職員免許法等を改正し、教員免許更新制を導入。その際、実績や外部評価も勘案しつつ、講習の修了認定を厳格に行う▽指導力不足と認定されている教員は研修を優先的に行い、改善が図られない場合、分限処分を有効活用し、免許状を取り上げる

 【5】保護者や地域の信頼に真に応える学校にする

 学校を真に開かれたものにし、保護者、地域に説明責任を果たす

 ――学校に対する独立した第三者機関(教育水準保障機関=仮称)による厳格な外部評価・監査システムの導入検討

 学校の責任体制を確立し、校長を中心に教育に責任を持つ

 ――学校教育法等を改正し、副校長、主幹等の管理職を新設し、複数配置を実現

 優れた民間人を校長などの管理職に、外部から登用する

 【6】教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す

 教育委員会の問題解決能力が問われている。教育委員会は、地域の教育に全責任を負う機関として、その役割を認識し、透明度を高め、説明責任を果たしつつ、住民や議会による検証を受ける

 ――教育委員の計画的な研修を実施

 教育委員会は、いじめ、校内暴力など学校の問題発生に正面から向き合い、危機管理チームを設け、迅速に対応する

 ――いじめを放置、助長、加担した教員に対しては、減給などの目に見える措置を講じ、公表

 文部科学省、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校の役割分担と責任を明確にし、教育委員会の権限を見直す。学校教職員の人事について、広域人事を担保する制度と合わせて、市町村教育委員会に人事権を極力、委譲する


 当面、教育委員会のあるべき姿についての基準や指針を国で定めて公表するとともに、第三者機関による教育委員会の外部評価制度を導入する

 小規模市町村の教育委員会に対しては、広域的に事務を処理できるよう教育委員会の統廃合を進める

 ――人口5万人以下の小規模市町村には原則として教育委員会の共同設置を求める

 【7】「社会総がかり」で子供の教育にあたる

 家庭の対応――家庭は教育の原点。保護者が率先し、子供にしっかりしつけをする→「家庭の日」を利用しての多世代交流、食育の推進、子育て支援窓口の整備

 ――早寝早起き朝ごはん運動の推進などを通じて、生活習慣の改善に努める。家庭学習の習慣をつけるよう各家庭でも努力

 地域社会の対応――学校を開放し、地域全体で子供を育てる→放課後子どもプランの全国展開、地域リーダー(教育コーディネーター)の活用

 企業の対応――企業も「仕事と生活の調和(ワークライフバランス)」を実現し、教育に参画する→学校への課外授業講師の派遣、子供の就業体験等の積極受け入れ

 ――企業の経営トップは「ワークライフバランス」を経営上の基本方針の一つとして位置づけ、育児・教育に活用できる有給休暇制度などの諸制度の改善・充実を図る

 社会全体の対応――有害情報から子供を守る

 ――テレビの視聴、インターネット利用などについてのルール作りやフィルタリングの活用などにより家庭自身でチェックする

 《四つの緊急対応》

 【1】暴力など反社会的行動をとる子供に対する毅然たる指導のための法令等で出来ることの断行と、通知等の見直し(いじめ問題対応)→今年度中

 【2】教育職員免許法の改正(教員免許更新制導入)→通常国会に提出

 【3】地方教育行政法の改正(教育委員会制度の抜本改革)→通常国会に提出

 【4】学校教育法の改正(学習指導要領の改訂及び学校の責任体制の確立のため)→通常国会に提出

 ■3 教育再生に向けての今後の検討課題

 履修漏れの再発を防ぐことも踏まえ、高校における教育内容の見直し▽発展的な学習や自学自習にも十分活用し得る充実した教科書の在り方

 大学の教員養成の充実と事後評価システムの導入(認定取り消しなどの措置の導入)など▽国家試験化を含めた教員免許制度▽国の役割・責任の明確化、市町村立学校に対する都道府県教委の関与▽在学年数の柔軟化(「飛び級」や「留年」)

 世界最高水準の教育の実現のため必要な教員数の確保、教育費負担の軽減など、財政基盤の確保▽学校選択による児童・生徒数などに応じた予算配分(バウチャー制度)など教育機関や教員が切磋琢磨(せっさたくま)する環境の整備

 


2007-01-23 火 横浜事件控訴棄却 「社説--比べて読めば面白い」 毎日新聞

2007-01-23 02:41:29 | 「保存している記事」から

「社説--比べて読めば面白い」 毎日 読売 東京 中国 西日本
2007年01月23日(火曜日)付 毎日新聞社説

横浜事件 裁判所も歴史を清算すべきだ

 「横浜事件」の再審裁判の控訴審で、東京高裁が控訴を棄却した。無罪を示唆した1審の説示も批判しており、弁護側には後退したとも映る内容だ。

 高裁判決は、公訴権が消滅した場合は免訴とする、との最高裁判例に忠実に従っている。弁護側の証拠を採用しなかったので予想された結果でもあるが、1審に続く門前払いである。誤判からの救済が再審の理念として、実体審理に踏み込んで無罪を引き出そうとした弁護側の主張は、受け入れられなかった。

 この事件では戦後、元特高警察官の特別公務員暴行傷害罪での有罪が確定しており、再審開始決定では自白は拷問によるものと認定されている。また、終戦直後に司法当局によって訴訟記録が焼却されたため、再審開始が遅れたともいわれている。それだけに高裁の判断が注目されていたが、弁護側は肩透かしを食った格好だ。

 法的には免訴が妥当だとしても、裁判所が戦中戦後の司法の過ちを直視する好機を逸したのは遺憾と言わざるを得ない。司法も戦争遂行に協力し、悪法の極みとされる治安維持法を無批判に適用、戦後まで有罪判決を出し続けた。「横浜事件」はその代表例なのに、有罪とした理由や訴訟記録が廃棄された経緯などに言及しないままでは、世論を納得させられまい。

 実は最高裁をはじめとする司法府は、いわゆる“みそぎ”を済ませていない。多くの政治家や官僚らが公職を追放された際も、ほとんどの裁判官が戦前、戦中の地位にとどまった。しかも、戦後も諸事情があったとはいえ、自白を偏重した誤判を繰り返したり、少なからぬ過ちを犯している。

 多くの関係者が猛省を迫られたハンセン病問題も、裁判所は無縁ではない。1951年に熊本県で起きた「藤本事件」と呼ぶ、ハンセン病元患者が死刑に処せられた爆破・殺人事件の裁判も尋常ではなかった。感染の恐れはないとされたのに、裁判官はハンセン病療養所内に特別法廷を設置し、白い予防服にゴム手袋姿で、証拠書類をピンセットでつまみながら訴訟を指揮した。当然、審理は不十分だったと批判されており、〓罪(えんざい)の可能性が指摘されている。厚生労働省が設置した「ハンセン病検証会議」の報告書でも「憲法が要求する裁判ではなかった」と指弾されている。

 ハンセン病の強制隔離政策については熊本地裁が違憲とする判決を下した後、政府をはじめ関係各界が検証作業を進め、反省の意を表したが、潮流を変えた司法府自体は過去に向き合おうとしていない。同様に、戦中戦後の人権侵害についても口をつぐんだままだ。

 司法が真に国民の信頼を得ようとするならば、自らの過去を謙虚に見直し、その結果を公にすべきではないか。市民が裁判に加わる裁判員制度のスタートも、2年後に迫る。法の支配を盤石なものとするためにも、清算すべき歴史は清算されねばならない。その意味でも、この事件の再審裁判での最高裁の判断に注目したい。

毎日新聞 2007年1月23日 0時54分