カトリック高宮教会

世界のみんな兄弟さ 話す言葉が違っても
主に向かう心は みんな同じ こどもだから
アーメン ハレルヤ

平戸巡礼<9>帰路:到着

2013年11月10日 19時42分17秒 | 巡礼旅行

田平教会を後に、一路福岡へ。

帰りのバスの中では昨年と同様に今日の巡礼を題材にしたクイズタイム。

潜伏キリシタンの祈りは何と呼ばれていたでしょう(正解:オラショ)など20問の問題に挑戦。

みんななかなか好成績で95点・90点を取った3人に記念品が贈られました。

午後7時37分、予定より少し早く福海公園に到着。

今年の巡礼も、充実したものになりました。

準備をしてくださったスタッフのみなさん、

そして巡礼団を受け入れてくださった皆さんや安全運転をしてくださった運転手さん、

ありがとうございました。

 


平戸巡礼<8>田平教会

2013年11月10日 16時48分04秒 | 巡礼旅行

巡礼最後の訪問地は田平教会です。

1866年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に

中田藤吉神父が奔走して集めた寄付によって

1918年鉄川与助設計施工によって建てられた煉瓦造りの教会がこの田平教会です。

最後の訪問地を訪れた時には青空が広がり、

今日の巡礼を祝福してくれているようでした。

田平教会の横には、きれいに整備された信者墓地があります。

ここに建てられた墓碑はすべて西の海を見下ろし

下から見上げると、神様への道を歩んで天に昇った先人たちが

一斉に自分を見て「がんばれ」と励ましてくれるみたいと参加者の声。

沈みゆく夕日も巡礼の終わりを美しく飾ってくれました。


平戸巡礼<6>黒瀬の辻殉教祭

2013年11月10日 14時00分24秒 | 巡礼旅行

聖トマス西神父の父親である、188福者の一人、ガスパル西玄可は、

妻ウルスラ、長男ヨハネ(共に福者)と共に1609年にこの地で処刑され

生月最初の殉教者となりました。

1991年にこの地に信徒の手で「黒瀬の辻殉教碑」が建てられ

毎年殉教記念ミサがおこなわれています。

今年はこの記念ミサにあずかりました。

信徒の皆さんの計らいで前列の席を確保していただき

殉教者の強い信仰を思いながらミサにあずかりました。

ミサの間、強い風が吹き続けていました。

シスターのお話によると、毎年この殉教祭の日は強い風が吹くとのこと。

私たちに殉教者の強い思いが吹きつけているようです。


平戸巡礼<5>山田教会

2013年11月10日 13時23分19秒 | 巡礼旅行

昼食の後、丘の上にある山田教会を訪問。

この教会は1912(大正元)年に鉄川与助の手によって建てられた煉瓦造りの教会で

こうもり天井の脇には蝶の羽のステンドグラスが飾られています。

ミサの時間が迫り、あまり時間がなかったけれど

共に祈りを捧げました。

またここには、聖トマス西の列聖記念碑も建てられています。

 

 


平戸巡礼<3>平戸市切支丹資料館(根獅子)

2013年11月10日 11時02分05秒 | 巡礼旅行

平戸大橋を渡り、紐差教会を横に見ながら

根獅子にある平戸市切支丹資料館に移動しました。

根獅子は平戸松浦氏の家臣・籠手他氏の所領で

領民のほとんどがキリシタンとなり、その後多くの殉教者を生んだところです。

ここで「潜伏キリシタン」や殉教者、そして「かくれキリシタン」の歴史を学びました。

資料館前の海岸には、役人に殺されそうになったキリシタンが

天から降ろされた籠にのって天に昇ったという伝説がある昇天岩があるものの

この日は潮が満ちていて見ることができませんでした。

 


平戸巡礼<2>焼罪史跡公園

2013年11月10日 10時10分44秒 | 巡礼旅行

9時50分、最初の巡礼地「焼罪(やいざ)史跡公園」に到着。

ここには禁教令でマカオに追放された後、1621年に再来日し

その翌年捕えられて田平で火刑となった

カミロ・コンスタンツォ神父様の殉教碑が建っています。

共に祈りをささげた後、これから訪問する対岸の平戸島をながめました。

正面には今回は訪問しない、平戸教会の尖塔も見えました。


平戸巡礼<1>出発:バスの中

2013年11月10日 07時00分10秒 | 巡礼旅行

11月10日(日)は高宮教会の巡礼旅行。

今年は31人が参加し、平戸・生月の殉教者の足跡をたどりました。

午前6時前、未明の大雨は止んだものの、まだ薄暗い福海公園前に集合。

午前7時、出発。

バスの中でロザリオを唱えながら巡礼地に向かいました。

祈りの間、雲が切れ太陽から差す光の筋も見えました。