「吾も亦紅なりとひそやかに」という高浜虚子の句から始まる10月18日の讀賣新聞「編集手帳」の全文を紹介して,「吾亦紅」の話題をひとまず閉じたいと思います。このブログへのアクセスも200件ほどに沈静化してきました。
編集手帳
「吾も亦紅なりとひそやかに」(高浜虚子)。「吾亦紅」と書いてワレモコウ,私はひっそりと目立たないけれども,紅をまとう花なのです・・・と独り言をつぶやいているような,どこかさびしげな晩秋の花である。
すぎもとまさとさんの歌う「吾亦紅」(ちあき哲也作詞,杉本真人作曲)は,中年の男が墓参りをして亡き母をしのび,もうすぐ離婚することになった身の上を墓前に告げる歌である。酒場で聴いた有線放送に教えられ,CDを買った。
墓碑の傍らで山から吹き下ろす風に揺れている吾亦紅の花に「小さな町に 嫁いで生きて ここしか知らない 人だった」母の,ひそやかに咲いた人生をかさねている。
つまづいたり,ころんだり,浮き世の酸味を知る年ごろになって,家族から離れて故郷にひとり暮らして逝った母の,語りはしなかった悲しみがようやく分かった。「ばか野郎と なじってくれよ」と歌う。
親が子を思う情はいつの世にも,「永遠の片思い」であるという。片思いに応えられる年齢になったとき,親はいない。墓前にたたずめば人は誰もが,「ばか野郎」となじってもらいたい親不孝な息子であり,娘であろう。この秋,墓参りはしましたか?
「髪に白髪が混じり始めても 俺 死ぬまであなたの子供・・・」すぎもとさんの歌はそう結ばれている。
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