花のごとく風のごとく

定年後の人生を人は「余生」というが,「余った」人生でなく,一つの体で二つの人生を経験する「一身二生」を実践したい。

鎌倉散策と氷川丸

2017年11月20日 22時04分18秒 | 日記
 スポーツクラブの鎌倉・横浜を散策する企画に参加した.先週に引き続き甘えん坊猫の「ミーヤ」を留守番役にすることになった.



 鎌倉定番の「露座の大仏」を参拝するのは何年ぶりだろうか.胎内くぐりを済ませて,次なる名所は,与謝野晶子の歌碑である.



大仏手前の木立の中に,与謝野晶子の
  「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
 という歌が刻まれている。なお,「釈迦牟尼」とあるが,鎌倉大仏は「阿弥陀如来」であることも周知のことである. 



長谷観音の名で知られる鎌倉長谷寺に参詣した.



 本堂の左手に高浜虚子の句碑があった.
   「永き日のわれらが為の観世音」 
 ある夫妻が娘の供養を願って建立した観音像を前に詠んだものだそうだ 



 横浜中華街で昼食後,山下公園の「氷川丸」を見学した.船長室や操舵室にも入って舵も触ってみた.1時間ほど見学したが,まさに波乱万丈の歴史的な船であったと感心させられた.







東京ドイツ村のイルミネーション

2017年11月14日 20時29分15秒 | 旅行
 東京ドイツ村のイルミネーションを楽しんできた.日中は鹿野山神野寺の紅葉見物,赤エビとアサリご飯の食べ放題の昼食,酒蔵見学などで時間を潰して,日没時に東京ドイツ村に乗り込んだ.



 駐車場到着と同時に一斉にイルミネーションが点灯された.思わず息をのむ.全長70mの虹のトンネルくぐって入場した.



 光と音のショーは音楽に合わせて光が点滅する.無数のシャボン玉が飛び交う.



 光の城を眺めて,木道を辿っていくとやがて芝生の広場にたどり着く.



 光の地上絵が様様な絵や模様を描いている.



 芝生の広場にに浮き上がる3Dイルミネーションがメルヘンの世界を演出している.

 1時間30分の光のシヨーに満足して,館山自動車道から東関東自動車道を走って,7時30分順調に帰宅,久々の外出だった.

 


本当に復活します

2016年05月14日 23時07分59秒 | 日記

 箱根の「山のホテル」の庭園のつつじを鑑賞してきました。 



5月11日は朝晩は雨の予報だった。新宿から小田急のロマンスカーで,箱根湯本に着いた頃はさいわいにも曇天で傘の必要はなかった。見事なつつじを鑑賞できたのはいくつもの奇跡や試練を乗り越えてきた成果だったかもしれない。
箱根湯本の「萬翠楼福住」旅館の天井画です。建物全体が明治初期の重要文化財になっているそうです。



「萬翠楼福住」の古代檜の内風呂です。 



 この宿は100年の歴史を持ち「明治初期の重要文化財の宿」ということで,趣のある旅館だった。
 この旅行は,私にとって失明の恐怖からたち返れたエポックの旅であった。
 視力に関することで,そろそろ目の限界なのでこのあたりで止めます。詳細は次回に。

 


復活

2016年01月15日 23時52分20秒 | 日記


 近々復活する予定です。




休止中です

2015年10月13日 00時28分14秒 | 日記
 2006年7月2日にブログを開始して,413件の記事を掲載してきました。
蕎麦打ちや蕎麦栽培,キノコ採り,旅行,炭焼き,バイキンクの食べ歩き,手作りの食べ物作りなど413件も繰り返すと「ネタ切れ」状態になります。猫を飼っているので一泊以上の旅行もできないので旅の話題も行き詰まりぎみでフログの更新が滞っています。
1日平均40人の訪問者,閲覧数平均200人ほどのブログですが,充電でき次第再開するつもりです。

孫の誕生会

2015年09月21日 21時01分43秒 | 日記


 港区海岸一丁目「ホテルインターコンチネンタル東京ベイ」は曲線の外観が特徴のベイサイドの代表的なホテルだ。



 日本料理の「分とく山」などが出店している中で「ジリオン」はイタリアン料理の名店で,阿部洋平料理長はミシュランの星を獲得しているイタリアンだ。



 予約してあったので部屋は個室に案内された。ロゼスパーリングワインで乾杯,今日は孫の誕生会の名目でグルメしている。前菜は「イタリアン特製オードブル4種」だ。



 次はバイキンクコースで根セロリのクリームスープなどから生ハム,野菜サラダまで食べ放題だ。



 次のコースもあるので「自粛」して盛り合わせた。



 次は「選べる生パスタ」で4種類から選べるコースて゜,私は「タスマニアサーモンとフィノッキオのパスタフレッダ」を選んだ。オレンジの酸味でまろやかな仕上がっていた。



 妻は「自家製タリオリーニ,フンギメスカエトとイタリア産パンチェツタにマッシュルームを振りかけて」を選んだ。



 デザートは趣向を凝らしてあった。ワゴンに乗せられてきたクッキーやケーキがお代わり自由なのだ。



 しかも希望の品を皿に取り分けてくれるのだ。



 別腹の言葉通りこの分量が腹に収まった。追加注文は誰もしなかったが・・・。


8月の野菜の花

2015年08月18日 15時39分53秒 | 自然生活


 8月の菜園は日照りと豪雨に見舞われて,野菜たちもさんざんな目に遭っている。南瓜も「日焼け」してそこから腐っていく。それでも健気な南瓜は次々に花をつけていく。

     東西南北南瓜はびこる如何にせむ     徳川無声
     南瓜の葉見る間もひろくなるごとし     日野草城



 オクラはアオイ科の一年草,アオイ科ということはハイビスカスなどの仲間になる。オクラは英語でも「OKRA」と呼ぶ。

     口楽しオクラの種子を噛むことも     中村文平



 落花生の花が終わると,地中へ子房が伸びて莢になるというところから正に「落花生」の名前が付いた。これは「おおまさり」という大粒の品種で近年出回って来たものである。

     落花生喰いつつ読むや罪と罰       高浜虚子



 胡麻は黒,白,金の3種類がある。金は黄色である。これは黒胡麻の花で白胡麻は花も白い。胡麻の使われ方は様々だが,なんといってもあんパンのへそにまぶされているのが傑作である。

     胡麻刈って干して生涯子無き人      細見綾子



 ヘチマは雌雄別の鮮やかな黄色の花をつける。花は小さいが黄色がはっきりしている。ヘチマの化粧水を作るために栽培している。化粧水は足のかかとや腕にも惜しげもなく使えるのがいい。

     糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな      正岡子規



 ことわざに曰く,「親の小言となすびの花は千に一つの無駄もない」と。正に花の数だけ実が成る効率のよい野菜だ。これからは秋茄子の辛し漬けなどで日本酒も悪くない。

     茄子もぐや日を照りかえす櫛のみね    杉田久女



 万願寺とうがらしの花,唐辛子の花は甘くても辛くてもどれも似ている。焼いても煮ても旨いが一番は天麩羅だろう。

 もゆる間がいのち女と唐辛子           三橋鷹女
 
 彼女の激しい一句で締めくくり,残暑を乗り切ろう。




「らん」が生まれ変わって「みー」に

2015年08月03日 21時42分07秒 | 日記


 日中の気温が35度にもなる日が続いて,高台の木立の中にある我が家でもクーラーを使わないといられないようになった。「みー」もソフアーの中央に陣取って一日中寝ている。 



 昨年の10月,野良猫の母猫に連れられて「みー」は我が家に現れた。



 水道のホースから直に水を飲むのが習慣で,風呂の湯を手で掬って飲むのが毎日の習わしだ。



 我が家の犬の「らん」が亡くなって1年経った次の月に,母猫が置き去りにした子猫を飼うことになるのは必然だった。



 好物の煮干しでも「ないない」と言うときっぱりと背を向けるこの潔さは教えた訳でもない。実に聞き分けが良い。



 「らん」の生まれ変わりだから飲み込みがいいのだと解釈している。ただ一つ,夜ごと蝉を狩って,もてあそんで食べてしまうのは残酷だよ。蝉は7日しか生きられないのだから・・・。
 


ヤマユリの里

2015年07月20日 23時23分01秒 | 自然生活


 今年も菜園のヤマユリが咲いた。

山百合にねむれる馬や靄の中      飯田蛇忽



 昨年から,菜園の正面に移植しているが,ゴルフ場への道路に面しているため道行く人の反響もそれなりのものだ。

   百合折らむあまりに夜の迫りをり    橋本多佳子




  しづけさは鬼百合の丈そのあばた    森 住雄


 散歩の途中の人が立ち止まるのはもとよりのことですが・・・。



 車を止めて「見事ですね」と声をかけてくれる人も多い。



 手を伸ばしても届かない微妙な位置に植えてあるため,手が届きそうで届かない。

  ひだるさをうなづきあいる百合の花    支考




 団地の人が散歩コースにしている菜園の「平穏」を保つテクニックがこのヤマユリの立ち位置ではないだろうか。


7月の菜園

2015年07月06日 18時16分22秒 | 自然生活


 茄子の3本仕立てを麻紐で吊り上げるために,竹を使って支柱を立てた。横棒から麻紐を垂らして枝を吊り上げる。これはこれで,なかなか手がかかった。

   老農は茄子の心も知りて植ゆ     高浜虚子
   妻と子の暮れゆく顔や茄子植うる   田中草夢
   



 万願寺唐辛子は大正末期に従来から京都で栽培されていた在来種の伏見とうがらしと,ピーマンの一種カリフォルニア・ワンダーを交配して出来たとされている。舞鶴の万願寺地区で作り続けてこられたので,この地区名をとって「万願寺唐辛子というそうだ。東京駅の大丸のデパ地下で1本200円で売られていたこともある。




 南瓜も竹で支柱を立てた。菜園の正面に順調に育っている。
   東西南北南瓜はびこるいかにせむ   徳川夢声
   南瓜の葉見る間もひろくなるごとし  日野草城
 



 坊ちゃん南瓜,伯爵などのほかに生で食べられる「コリンキー」という南瓜を植えた。サラダでも良し煮ても良しジャムにしても良いとのことだが,さっと湯がいて薄くスライスしてサラダの彩りにするのが適当だった。 




 西瓜は親蔓を7,8節で摘芯して,子蔓を5,6本にして整然と伸ばしてきたが孫蔓が伸び出すとご覧の通り伸び放題になっている。 
 



 カラスの攻撃を除けるためテグスを張り巡らしているので空の防備は怠りない。問題は地上のハクビシンである。知人から聞いたタマネギネットで包んで,棒に固定すると防げるというので試してみた。




 ビニールハウス内のトマトはわき芽掻きを徹底したため比較的整然と育っている。掻いたわき芽は鹿沼土に挿して発根させては植えて増やしている。




 収穫したトマトは水を調整しているため比較的甘味が強く,近隣・知人の評判も良い。




 ビニールハウス内の葡萄の巨峰は房先の1センチほどを切り取ると房が充実すると聞いたので実践してみると一粒一粒が充実して育っている。

 それにしても今年の梅雨は長雨が続くことよ。


紫陽花寺 潮来の観光名所が誕生しました

2015年06月22日 13時13分08秒 | 日記


 潮来市堀之内1230番地,天台宗「二本松寺」が「あじさいの杜」として売り出し中とのことで,早速訪れたが,鎌倉の紫陽花寺や東京の飛鳥山の紫陽花に比べても見劣りしない見事な花の山だった。



 4ヘクタールの境内に100種類,10.000株が植えられていて,6月上旬の早咲きから,7月上旬遅咲きまでが見頃だという。



 寺の住職が8年がかりで挿し木して増やした紫陽花を一本一本植えていった様子は福島の「花見山公園」に似ている。
あそこも自分の土地に2代に渡ってこつこつと花の苗を植えていって,今では「三春の滝桜」と並んで花の名所となっている。

http://blog.goo.ne.jp/takahisatt/e/0cb02901dd1a3211b382c659d02ac5c8



 住職が小型のパワーショベルを購入して,自らの手で境内を造成して,今年で8年になるそうだ。



 今年から市内の循環バスも回ってくるようになって,休日には見物の人が列をなしてごった返している。
 震災の被害に遭った瓦をもらって傾斜地の土を留めることもしたそうだ。



 山あり谷ありの傾斜地を生かして,紫陽花の配色にも工夫が施されている。 



 わらべ地蔵の「杜太郎」も花に囲まれて満足げだ。



 この紫陽花の名前は「ダンスパーティ」だそうだ。



 この花の名前は「レッドバロン」で緋色が鮮やかだ。きざはしを昇った本堂の奥から住職の読経の声が聞こえて
花の主は静かに後ろ姿を見せていた。


フレンチの誕生会

2015年06月03日 10時27分06秒 | 日記


 息子の誕生会で上京した。食事は北区王子駅から徒歩1分のフランス料理の「FURUKAWAYA」という店が予約されていた。飛鳥山のあじさいの土手を見上げる眺めの良い店だった。




 
 前菜は「鴨と鶏レバーのパテ」だった。新玉葱が添えられ,イチジクのソースがパテに調和しておいしかった。




 四季のスープとして出されたのは「カリフラワーのスープ」だった。濃いめの味付けのカリフラワーのスープはコクと風味のある一品だった。 




 メーンの料理は肉か魚を選べる。私は魚料理を選んだ。これは静岡の「安良里漁港」から直送される鮮魚が用いられる。この季節は鯛のムニエルで,京都産の「真菰茸」が添えられていた。




 肉料理はフランス産の鴨の胸肉のローストでペリゴール風ということだった。

 パンはバターだけでなくバルサミコ酢を浮かせたオリーブオイルと塩と胡椒が添えられてお変わり自由だった。



 デザートは珍しい「滝野川牛蒡」を使ったスイーツで牛蒡の香りを巧みに生かしていた。
 店の雰囲気も良く,接待の間の取り方もなかなか良かった。 

 ちなみに,飛鳥山のこの一角は北陸新幹線とJR京浜東北線と都電荒川線が見える鉄道マニアに有名なスポットだそうだ。




山椒を煮る

2015年06月01日 15時00分22秒 | グルメ


 山椒は若芽や若い実は木の芽和えや木の芽味噌など香りを生かして調理される。
 
   山椒の実をつみ指に風が吹く      松木利次



 我が家の山椒の木も今年は当たり年らしくたわわに実をつけた。
 
   山椒をつかみ込んだる小なべかな    小林一茶 



 今年も籠に摘んで水に晒して山椒を煮ることにした。

   山椒の芽母に煮物の季節来る      古賀まり子



 山椒の実は秋に熟すると赤くなり,裂けると黒い種を見せる。この赤い皮の部分を乾燥させて粉末にすると粉山椒になる。市販の粉山椒は緑色をしているが,着色しなければ決して緑色にはならない。茶色である。 
 半分は粉山椒用として残したが結構な実が採れた。

   擂り鉢は膝でおさえて山椒の芽     草間時彦



 軽く塩茹でして灰汁を抜き,さらに砂糖,醤油で煮込んで最後に味醂を入れて照りを出す。

   実山椒木のかげ雲のかげに冷ゆ     河野友人



 当座食べる分だけ壺に入れて,あとは冷凍した。

 以前のこのブログで紹介したが,再び水上勉の「土を喰う日々」の「七月の章」の文を紹介する。 


 ・・・祖母がまだ若かったころに,長い未亡人ぐらしだったが,孫の私が昼めしどきに家にゆくと,箱膳に茶碗一つおき,白めしをよそおうだけでおカズは何もない。不思議に思って見ていたら,膳のわきにある信楽壺の口に紐をまいてフタをしてあった厚紙をとりのけて,二本の箸を壺へつっこみ,枝もまじった山椒の実を少しはさんでめしの上においた。壺はつまり,祖母の常備菜であって,真夏のすすまない昼めしの一菜だった。いつかその壺をのぞいてみたら,めっぽう汁が多くて,墨汁みたいになっており,山椒の実も葉の枝も,底にしずんでしまっていた。だから,祖母は,箸につける際に,まるで棒をつっこむようにさし入れて,しばらく,さがすようにしてからはさんでもちあげた。何ほどの実の数でもなかったが,汁がゆたかだから,滴がおちるほどで,その滴を,茶碗の方にあてがって,うけながら,祖母はおいしそうに喰ったのである。「おばば,さんしょううまいかのう」 私は問うた。「うん,これがありぁ,うらはなーんもいらん」 三杯くらいめしを喰った。
足をわるくしてから村を歩かなくなったが,村小使のような「あるき」とよぶ仕事をしていて,戦争で息子夫婦が孫を大勢つれて,疎開してくるまで,のんきにくらしていた後家さんだった。その祖母が,八十三歳まで,土蔵の中にもちこんでいたのは信楽の山椒壺だ。その死に私はめぐりあっていないが,家の者たちのはなしに,祖母は,一日とて実山椒の煮つけを欠かしたことがなかったそうな。

 私が貴船の山椒に舌つづみをうち,軽井沢のわが粗煮の山椒の実を朝めしにのせるくせは,祖母恋いからきている。いつもいうことだが,みれば何のことはないたかが山椒の実にさえ,人はいのちの暦をたぐりよせる。舌からとけて,血肉に入る味とは,つまりこういうその人ならではの歴史にまつわる土の滋養というしかない。・・・


雨不足の5月の菜園

2015年05月18日 18時44分57秒 | 自然生活


 4月までは雨が多く,タマネギの苗が溶けてしまう騒ぎが,一転して5月に入ると雨不足が続いた。ハウスの中も乾燥してトマトの水掛けが容易でない。



 ミニトマトの「アイコ」が着実に結実した。まもなく水を制限して甘いトマト作りに舵をを切る時がきたようだ。



 露地のイチゴが赤くなってきた。そろそろハクビシンとの戦いが始まる。イチゴでもブドウでも熟してくるとハクビシンの餌食になる。ネットで囲っているのだがハクビシンの魔の手は容赦なく襲ってくる。



 天を向いていたソラマメが首を下げてくるとそろそろ食べ頃になってくる。これもアブラムシとの戦いを経て勝ち取った戦果だ。



 カボチャの花が咲いた。そろそろネットを張って誘引しなければならない。



 ズッキーニは花を付けたまま実が成長してくる。あと1週間もすれば収穫できるだろう。



 サヤエンドウは今が盛りだ。茹でても炒めても甘くて歯ごたえがある。今年は太い竹で支えを作ったのでビクともしない。

 

 タマネギは収穫直前にきて,アカサビ病か入ってしまった。農薬は使わないので,茎が倒れて収穫できるまで保ってくれるかどうか・・・。



 スイカは7節目で摘芯した。このあと子蔓を伸ばしていく。



 エダマメは早生,中出,晩生の3種類播いた。大豆にする黒豆や青豆はこれから種を播く。



 ラッキョウが好調なのに比べて,ニンニクは全くの不調。近所の人に聞いても,サビ病や萎縮病にやられて,全滅状態だそうだ。4月の雨の多い天候のせいなのだろうか。



 落花生は実の大きな「オオマサリ」という品種を播いた。直播きとポット播きと2通りを試みた。直播きは鴉の襲撃に備えて不織布をかけた。



 ピーマン,万願寺唐辛子などは肥料袋で覆って植え付けたが,活着して順調に育っている。



 アスパラは盛りを過ぎたが,冬場に堆肥を十分施したせいか,今年はずいぶん収穫できた。

 5月の野菜通信である。


奥湯河原の温泉の旅

2015年05月09日 13時03分50秒 | 日記
 

 奥湯河原温泉の「うおしず」という旅館に宿泊するチケットが舞い込んできた。
 東京駅から東海道線に乗って,途中,小田原で降りて「生しらす丼」を食べた。湯河原駅からバスで奥湯河原に向かったが,時間があるので,途中「公園前」で降りて「万葉公園」の文学の小径を散策した。 



 小径は渓流に沿って続き,登って行くと「独歩の湯」という足湯施設があって,その前に国木田独歩の碑が建っていた。碑は西条八十が提唱して当時の温泉振興会が建立したものだそうだ。「湯河原の渓谷に向かった時は,さながら雲深く分け入る思いがあった」と刻まれている。



 再びバスに乗って,奥湯河原に着いた。さらに徒歩で山道を行くこと15分,やっと「うおしず」に辿り着いた。部屋数10室のすべてに内風呂と部屋ごとの露天風呂が付いている。和風のこぢんまりした宿である。



 地下に降りて渓流に沿った大浴場の露天風呂に入った。満室だそうだが誰もいない。貸し切り風呂だ。



 朝方にも入ったが,またまた貸し切りだった。タオルの返却口に使用済みのタオルがあったから誰かは入ったようだ。



 各部屋に付いている露天風呂も渓谷に臨んでいて,水音と木々の緑に包まれて,月並みだが「時が止まったような」時間だった。 



 夕飯は「先付」の鯛の白子のゼリー寄せから始まり,デザートまで30品以上で食べきれない程だった。中でも「お椀」の栄螺の蒸し物と「御飯」の筍の炊き込みご飯がおいしかった。



 朝食も品数が多く,自家製の湯豆腐は豆の風味が感じられた。また鰺の焼き物は魚に厚みがあり,焼き加減もほどよく身がふっくらしていておいしかった。

 思いがけない旅だったが,食べて泊まるだけの旅もいいものだ。