
駐車場到着と同時に一斉にイルミネーションが点灯された.思わず息をのむ.全長70mの虹のトンネルくぐって入場した.

光と音のショーは音楽に合わせて光が点滅する.無数のシャボン玉が飛び交う.

光の城を眺めて,木道を辿っていくとやがて芝生の広場にたどり着く.

光の地上絵が様様な絵や模様を描いている.

芝生の広場にに浮き上がる3Dイルミネーションがメルヘンの世界を演出している.
1時間30分の光のシヨーに満足して,館山自動車道から東関東自動車道を走って,7時30分順調に帰宅,久々の外出だった.
市のスポーツクラブ主催のハイキングで,これまで「東京タワー」の600段
http://blog.goo.ne.jp/takahisatt/d/20120528
や霧降高原の「天空回廊」の1445段
http://blog.goo.ne.jp/takahisatt/d/20130715
に挑戦してきた。
今回は,登り口から奥の院まで1015段の石段がある「宝珠山立石寺」別名「山寺」に挑戦する。
「山門」にある「登山口」の標識は「開山堂」への登山口で,実際には200段ほど登っている。
の芭蕉翁の句をしたためた短冊をここに埋めて石の塚を建てたので「せみ塚」といわれている。
「奥の院」の途中から左にの折れると「納経堂」がある。
「崖の上のお堂の風景」はこの山寺を代表する風景であまりにも有名なスポットだ。
「奥の院」から下って「五大堂」から眼下の風景を楽しんだが,お堂の中に目を転じるとまさにこの光景,外国人の落書きが多い。
スポーツクラブ主催の「筑波山ハイキング」に参加した。午前6時出発,筑波山ロープウェイの発着所のつつじヶ丘に8時に到着,準備体操後,8時半に出発した。おたつ石コースといわれる登山コースで女体山側を登り,距離1.0キロメートル,標高差約200メートル,所要時間登り約40分のコースだ。
山頂近くでは「弁慶の七戻り」,「高天原」,「国割り石」,「胎内くぐり」,「出船入船」,「裏面大黒」,「北斗岩」,「大仏岩」などの奇岩,巨岩が見られるが急勾配や岩場が多い難コースだ。
これは天下に名高い「弁慶七戻り」の奇岩だ。
神様の世界を意味する「高天原」は岩の上に天照大神を祭る「稲村神社」が祀ってある。
「国割り石」は昔,諸国の神が集い,この石に線を引いて,神々が行くべき地方を割り振ったといわれる。
「出船入船」は石の形が出船と入船の姿に似ていることから名付けられた。
「裏面大黒」は大黒様の姿を後ろから眺めたという正にその通りの形をしている。
「北斗岩」は天にそびえる姿が北斗星のように雄々しく聳えている様から名付けられた。
「大仏岩」は自然石の重なりがまるで大仏の姿そのものである。木が生い茂って下半身が見えにくいが自然の造形の妙に感心させられる。
日本百名山の中でも最も標高が低く877メートルだが関東平野を隔てて富士山と対峙してひけをとらない。
この名山にも今後何度登れるだろうか。
吉野山の桜はほとんどが白山桜(シロヤマザクラ)という品種であり,山下の北から山上の南へと順に下千本・中千本・上千本・奥千本と呼ばれ,その数は約3万本にも及ぶという。
桜の時期はマイカーが規制され,観光バスやシャトルバスしか駐車場に入れない。そのバスも大渋滞で山道は延々とバスの列が続く。やっとバスを降りると,人人人の群れが延々と続く。
駐車場から金峯山寺まで辿り着くのが一苦労,山の花より人の鼻を見ている思いがする。
吉野山に桜が多い理由は熊野権現の神木とされたことによる。
「修験道の開祖とされる役小角は,金峰山(現在の大峰山系)で修行を積み,その結果,金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)が出現して,これを感得し蔵王権現像を彫ったとされる。その時に用いられた木材が桜樹であった。以降,行者達は桜材を使い権現を彫刻し,これを祀る習わしとなった。これより桜は神木となり,桜の枯れ木といえども薪にさえせず,一枝を折る者は指一本を切るといったような厳しい信仰が厳守されたという。そのため蔵王権現に祈願する際には,神木とされる桜の苗を寄進するのが最善の供養となる風習が起こり,平安時代の頃から多くの桜が植えられるようになった。」「ウィキペディア」
金峯山寺に参詣していると突然の煙,境内で大がかりな護摩焚きをしていた。
写真を撮るにも人並みの背後から背伸びをしてカメラを差し上げてシャツターを切る。何とか撮れたのがこの写真である。
み吉野の山べにさける桜花雪かとのみぞあやまたれける 紀友則
あさぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪 坂上是則
吉野山桜が枝に雪散りて花遅げなる年にもあるかな 西行法師
吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ 西行法師
桜前線は,一般的に染井吉野を基準に,南から北へ移っていくように思われがちだが,染井吉野の後にしだれ桜が咲き八重桜が咲く。また,低地から高地への移行もある。従って花の季節は長くなり,人の心が浮き立つ時期も長くなる。在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」の心が良くわかる。
世界遺産の宇治の平等院鳳凰堂が平成の大修理をほぼ終えて,4月3日から1年半ぶりに拝観を再開した。7日遅れて4月10日に,鳳凰堂に入り阿弥陀如来坐像(国宝)を拝んできた。
修理は2012年9月から始まり,平安時代の修理で使ったとみられる顔料で柱などを赤く塗装し,屋根も光沢のない「古色仕上げ」に葺き替えられ,修理は最終的には9月末までかかる見通しで,総事業費は約4億円という。内部の拝観が停止された昨年,宇治市を訪れた観光客は394万8000人と,前年より77万5000人減少たというから平等院鳳凰堂の力はたいしたものだ。
鳳凰堂と阿字池とその周囲の庭園は,現世の極楽浄土を想定して造られたものだという。 桜の花の遠景に朱色の輝きを取り戻したその風景はまさに極楽浄土の世界である。
屋根の上の鳳凰像も金箔を施し,創建時の輝きを取り戻した。
青竹を結んだものがここかしこに置かれている。これは「結界」を示すものである。
結界とは一般的には俗な世界と神聖な世界を区切るものとされる。または修業の場を作るもので,山門や鳥居なども結界であり女人結界などという言葉もある。
川であり,壁であり,堀であり,ドアなども結界であり,道路のセンターラインや進入禁止の立て札,部外者立ち入り禁止のはり紙も結界である。
盛り塩も結界を示すものである。取替えた塩はすぐに洗面所やトイレや台所の流しで,水で流してしまう。なぜなら塩は基本的には邪気を吸収するものなので料理店などで玄関に盛り塩をしているのはこの吸収力を利用してお客を呼ぶ為のものである。
青竹をもって,聖域を示し立ち入りを禁止する方法は神社や寺の各所でみられる。神と人,仏と人,人と人の関係においても結界は霊妙な存在としてそこにある。
「原谷苑」は京都市北区大北山原谷乾町36番地にある。洛北の仁和寺,光悦寺,金閣寺などの近くにあるまさに「花の谷」である。
村岩農園という植木屋さんが所有しており,昭和32年から桜や紅葉を植樹したことから始まったそうだ。
桜,椿,躅(つつじ),馬酔木(あせび),木瓜(ぼけ),雪柳,連翹(れんぎょう),石楠花(しゃくなげ)などが一斉に咲いた様は見事,見事,カメラをどこに向けても焦点の先は花,花,花の群れだ。
当初は親類,身内だけで花見をしていたが,人づてに評判が広がり,一般公開になったそうだ。
ここまでの道路は狭く曲がりくねって大型バスなどは入れないので,我々もタクシーを利用した。
ヤサカタクシーには屋根に三つ葉のクローバーが付いているのだが,四つ葉のタクシーが4台だけ走っていて,その車に乗ると景品がもらえるとバスガイドが紹介していた。その話を運転手にすると「今は2台だけ,二葉あおいが走っていますよ。」 という。「この車がそうなんですよ。」1200台の2台の確率だそうだ。
後で調べると「上賀茂神社様と21年に一度行われる「式年遷宮」に向けて,タイアップ「あふひの二葉タクシー」は上賀茂神社の神紋・二葉「葵」は,古語で「あふひ(逢う日)」と表記され「良き出会い」を意味します。「二葉のクローバー」も「素敵な出会い」を花言葉にしていることから「式年遷宮という悠久の歴史との出会い」「人との幸せな出会い」をコンセプトとした特別仕様車を本日より運行いたします。」と紹介されていた。
なんたる幸運,宝くじを買うと当たりそうな・・・。
「徒然草」
仁和寺に,ある法師,年寄るまで,石清水を拝まざりければ,心うく覚えて,ある時思ひ立ちて,ただひとり,徒歩(かち)よりまうでけり。極楽寺・高良などを拝みて,かばかりと心得て帰りにけり。さて,かたへの人にあひて,「年ごろ思ひつること,果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて,尊くこそおはしけれ。そも,参りたる人ごとに山へ登りしは,何事かありけん,ゆかしかりしかど,神へ参るこそ本意(ほい)なれと思ひて,山までは見ず」とぞ言ひける。すこしのことにも,先達(せんだち)はあらまほしき事なり。
「現代語訳 」
仁和寺に暮らしていたある坊さんは,老体になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので,気が引けていた。ある日,思い立って,一人で歩いて参拝することにした。八幡宮の付属品である,極楽寺と高良神社だけ拝んで「これで思いは遂げました」と思いこみ「八幡宮はこれだけか」と,山頂の本殿を拝まずに退散した。
帰ってから,友達に「前から思っていた事を,ついにやり遂げました。これまた,噂以上に感動的なものでした。しかし,お参りしている方々が,みんな登山をなさっていたから,山の上に何かあったのでしょうか。行ってみたかったのですが,今回は参拝が目的だったので,余計な事はやめておこうと,山頂は見てこなかったのです」と語った。
どんな些細なことでも,案内がほしいという教訓である。
「徒然草」の時代には失態を演じるさまが話題になるほど超エリートの僧侶がいたはずが,一人としてそうした僧侶に出会うことはなかった。
仁王門から入って,すぐに「おむろ桜満開」の看板があった。仁和寺には洒落物がいるらしい。
御室桜は株が分かれていて背が低いために名物の五重塔が花に隠れることなくそびえている。
金堂,経堂,水掛不動尊,御影堂,観音堂などを巡り,再び御室桜を見物した。
「徒然草」のあの僧侶は山頂の石清水八幡宮には至らなかった。我が人生にも「かくのごとき」失態は多かったとつくづく嘆息する「花見」ではあった。
「京都大原三千院」は「京都の大原さん全員」と誤解されたり「京都大原三千里恋に破れた女がひとり」と「母を訪ねて三千里」と混同されるほど有名である。
久しぶりに大原の地を訪ねた。苔むす庭園に散った椿の配置までもが神秘的な雰囲気を醸し出す。
三千院の心は「一隅を照らす これ則ち国宝なり」にあるという。天台宗の1つで皇族が住職を務めた宮門跡である。
童地蔵は見落としがちだが,何度か訪ねるうちに三千院の顔になっている。
川を鮮やかに染めて椿の赤が一筋に流れていく。
岸辺の崖も椿の鮮やかな緋色の絨毯が敷き詰められている。
「呂律(ろれつ)が回らない」との表現は,三千院の横を流れる呂川と律川からきたもので,唐は呂音,日本は単律の音,呂曲を律旋法で唱誦するときうまく呂と律の使い分けを出来ない・・・そこから「呂律が回らない」と言われるようになったとの事である。
熱帯ドリームセンターでの「沖縄国際洋蘭博覧会」は11日が最終日だった。
内閣総理大臣賞のこの作品をはじめとして見事な作品が展示されていた。
15日から23日まで東京ドームで開催される「世界らん展日本大賞2014」は,世界20か国・地域から約3000種,10万株が集まる一大イベントだが,「沖縄国際洋蘭博覧会」もなかなか見応えがあった。
首里城は14世紀末に創建された中国や日本の文化が融合した琉球独特の城,沖縄戦で消失したが,1992年に現在の姿に復元された。
守礼門から入り,南殿から正殿北殿と巡り,琉球王国の栄華の証を訪ねた。
与儀公園で緋桜を見物した。盛りは過ぎて,名残の桜だったが,雨模様とあって早々に切り上げた。
「おきなわワールド」内にある「玉泉洞」は国内最大級と言われ全長5000メートルに及ぶ。内部は整然と整備されていて,しかも,平日とあって,前後に一人も見物客がいないとう静寂の中で見物できた。
一転,「スーパーエイサー」の公演は迫力満点の演技で感動した。太鼓を叩く若者の真剣な迫力に,最後には涙が出てきた。
「エイサー」は沖縄各地で旧盆に踊られていた「エイサー」をアレンジしたもので,四つ竹,獅子舞,アンガマなどの芸能をたっぷり楽しめる。最後には観客共々踊って盛り上がるのも,旅の思い出として楽しめたことだった。
「茨城空港発着!ひと足先に春を感じる沖縄 美ら海水族館・万座毛・首里城・玉泉洞 早春の桜咲く沖縄3日間」というツァーに出かけた。8日深夜に降った雪も溶けて,茨城空港も通常運行ということを確かめて,10日の午前10時に家を出た。ところが,空港に近づくにつれて,道路脇の雪が深くなってきた。やっと空港に着くと,駐車場はかくの通り,凍った雪に阻まれて駐車スペースに車が入れられない有様。出た車の後にやっと駐車できた。
滑走路などは除雪され発着に影響はなかった。神戸乗り継ぎの日に一便の那覇行きのスカイマークに地上を歩いて乗り込んだ。
「沖縄ナハナホテル」に5時過ぎに到着。夕食はバイキングで,沖縄では有名な「オリオンビール」を注文した。
夕食後,国際通りに繰り出して土産物を物色した。目をつけておいた「御菓子御殿」という店で「海葡萄」,「ちんすこう」,「泡盛の古酒」などを購入して,店から宅急便で送った。
断崖絶壁の景勝地として知られる「万座毛」を見物したが,あいにくの雨で30分ほどで切り上げた。
「おきなわフルーツランド」でパイナップルの食べ放題と買い物。お決まりのツァー業者の指定土産物店。パイナップルはそうは食べられない。
海洋博公園では世界最大級の水族館「沖縄美ら海水族館」と熱帯ドリームセンターでの「沖縄国際洋蘭博覧会」を見物した。
水族館は「沖縄と海との出会い」がテーマだそうだが,ジンベイザメが糞をする光景を目撃した。しかも2発,海水が薄くピンク色に染まったのは餌のオキアミのせいだそうだ。
「オキちゃん劇場」ではバンドウイルカの曲芸を見物した。見物客から抽選で5名が選ばれて,イルカに芸をさせる体験ができた。こうなるとイルカの賢さよりも,芸を教え込む職員の苦労や情熱を感じてしまう。(つづく)
「黄金色に輝くイチョウ並木道甲州街道をドライブ,ケーブルカーで楽々紅葉の高尾山約180分滞在,地元の食材を使用パレスホテル立川バイキング」のキヤッチフレーズのバスツアーに参加した。日本一の急勾配31度18分のケーブルカーで清滝駅から高尾山駅まで登った。
茨城県陶芸美術館で「没後50年板谷波山展」が開されているので,笠間の菊祭りを兼ねて出かけてきた。
板谷波山(いたや はざん)本名板谷嘉七(いたや かしち)。号は,始め「勤川」,のち「波山」。「勤川」は故郷下館(筑西市)を流れる五行川の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」から取り,「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因む。
日本の近代陶芸の開拓者であり,陶芸家の社会的地位を高め,日本近代陶芸の発達を促した先覚者として高く評価されている。陶芸家としては初の文化勲章受章者である。理想の陶磁器づくりのためには一切の妥協を許さなかった波山の生涯は映画化もされている。
館内は撮影禁止。音声ガイド機(500円)を借りて初期の作品から制作年代に沿った展示を見て回った。重要文化財に指定されている花瓶はさすがに迫力があった。
波山といえば,1980年に波山夫妻の骨壷を600万円で売り歩いていた男が古美術関係者の通報により逮捕された。下館市の妙西寺に夫婦とも埋葬されていたが,同年1月犯人は骨壷を盗み,骨を墓地の中に捨て,骨壷を売り歩いていたが売れず,栃木県今市市の川の中に捨てたとされる。なお,波山夫妻の正墓は田端にあり,下館の墓は分骨墓であるそうだ。
「笠間稲荷の菊まつり」は日本で最も古い菊の祭典で,今年で第106回となり,今回も笠間稲荷神社をメイン会場に,艶やかな菊の花約1万鉢が境内をはじめ市内を埋めつくす催しだ。
会期中には,「流鏑馬」や「舞楽祭」などさまざまな催しがある。
帰路,笠間焼きの小さな花瓶を買い求め,芸術と歴史の町「笠間」への思い出とした。