1943年(昭18)生まれ。
旧三菱重工水島航空機製作所の従業員や資材を運ぶための
専用鉄道じゃったそうな。
現在は第三セクターとなり、
通勤・通学の足としての旅客輸送、また臨海工業地帯への貨物輸送
の二つの仕事をしています。(社長さんは倉敷市長のかおりちゃん)
旅客線は、倉敷中心部から水島まで約10Km、10駅あります。
蒸気機関車が引っ張っていたので、
昔から<ピーポー>と呼ばれとったそうな。
私の年代はディーゼルで、運転士と車掌の2マンでした。
ホームに到着すると、車掌さんが下りてキップを受け取ったり
定期券を見たりします。
降車・乗車が終わり、ホームに人がいなくなると、
車掌さんは、<ピー>と笛を吹き乗車します。
運転士さんはそれに応え、<ポー>と汽笛を鳴らし、
<ピーポー>が発車します。
だから、<ピーポー>と呼ぶのかと思っていました。
現在は<浦田駅>を過ぎて<一文字>あたりから<水島港>まで高架されています。
実家の自転車の処分を頼まれました。
<高架>されてからは<ピーポー>に乗ったことはアリマセン。
(大人になり<車>で移動するからです)
ピーポーで水島まで行き、自転車に乗り、市役所まで連れていき、
あとは歩いて帰宅します。
いい<サイクリング・散歩>になります。
3:25の水島行きに乗りました。
↑ <MR0>倉敷市駅。
昔は川西町にありましたが、東に移動し<JR倉敷駅>に隣接しています。
↑ 子供のように運転士さんの横(先頭)に立ち、
景色を楽しみました。
この車両には<NIIGATA>の文字がありました。
新潟県から来たん?
↑ <MR5>弥生駅。
↑ 八間川。旧東高梁川の跡じゃ。
この近くには<東川町>、<東川>のバス停があります。
牧野博士~ これは何ですか~?
いい朝ドラでした。朝から気持ちのいい一日が送れました。
最終回、素直に泣かせてもらいました・・・!
⁂ 注意!
ごみの持ち込みは<月~金 8:45~16:30><土 8:45~14:00>。
パンクした自転車でのんびり市役所に向かったのですが、
到着したのは16:45。
私は、スイスイと進む下校中の学生の自転車を横目で見ながら
再びパンクした自転車をガタゴトこぎ、
自宅まで帰ったのでありました。
(持ち込みでの自転車の処理費用は100円です。)