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Snow Dolphin

大切な友へ…

北の国から 89帰郷

2005-01-21 | 北の国から
♪あ~あ~、あああああ~あ~
コーヒーブレイクも終わったので残り5作品一気に紹介です。

「それが人にケガさせるほどお前にとって大切なものならしかたがないじゃないか・・・男は、誰だって何と言われても戦わなくてはならないときがある。」(五郎)
そりゃそうだわな~と同じように思ってしまいました。 確かに傷害事件はまずかったけど泥の付いた1万円を守りたかった純の気持ちはわかります。。。

純「父さん、僕、富良野に帰ってきちゃだめかなぁ」五郎「・・・だめだぁ。おまえらは仕事しておれに仕送りしてくんなきゃあ」
五郎の気持ちわかるなぁ~(笑) アメリカで挫折しかけたときに同じ事を言われました。
あの言葉が無かったらもっと中途半端な人生を送っていたんだろうな~

「父さん、僕今富良野に帰りたい。こっちに来てはじめて、そう思っています~~あの雪の中で、ゆっくり眠りたい・・・」(純)
俺も上京してから思うようになりました。 人間関係がうまく行かなかったり仕事に疲れたときに思い出してしまう言葉かなぁ~

「生まれて育った村がなくなるって、なんとも言えない不思議な感じだぜ」(勇次)
そりゃあ何とも言えないでしょう・・・

と書いてみましたが私の関心が無いのがよくわかります。(爆)
全て傷害事件を起こした純と風呂で語る五郎に集約されているような気がします。
次の「92巣立ち」で挽回するんですがね~

北の国から 87初恋

2005-01-19 | 北の国から
♪あ~あ~、あああああ~あ~
と言うわけでついに来ました87初恋!
れいちゃん(横山めぐみ)が鮮烈なデビューを飾った作品で、純の初恋と旅立ちを描いた物語です。

「急に遠くへ行くことになりました。黙って行っちゃってゴメンナサイ。純君のこと大好きです。いっぱいいっぱいいいことあるように。」(れい)
雨宿りした小屋に置かれていた尾崎豊の「I Love You」のテープとウォークマン。れいちゃんからのクリスマスプレゼントです。 名台詞では無いと思いますがいいやねぇ~(おやじ発言・・・笑)
そう言えば2002遺言でシュウも同じような事言っていたなぁ・・・

「男は見栄で生きてるもんだ!」(草太兄ちゃん)
う~ん、草太兄ちゃんが言うからかっこいい台詞かも! 純には早いな・・・(笑

「純君も脱げば?」(れい)
雨でびしょびしょになったときに入った小屋で言った言葉。 中学生の私には刺激の強すぎる一言でした(爆

「大里さんちの、おじょうちゃん。農家は昔から助け合い、ってね。むかし~、あんたのじいちゃんやばあちゃんがうまくいかねーで困ってるとき、中ちゃんの親父やオレの親父が、皆で出し合って助けたもんだ。た・す・け・あ・うのが、農家ってもんだ!・・・自分一人よきゃ、あとは知らねー?そりゃ無いだろ、って親父にいっとけっ!! 」(五郎)
五郎がれいちゃんに言った言葉。 れいちゃんに言う事じゃ無いだろうけど今の世の中忘れてはいけない言葉だと思います。

「疲れたらいつでも帰って来い。息が詰まったらいつでも帰って来い。国に帰ることは恥ずかしいことじゃない。」(五郎)
東京に旅立つ純に言った五郎の言葉。 俺も上京するときに言われてたら泣いたかもしれないな・・・俺も富良野に帰っていいですか・・・?(^^;

「おまえの親父がくれた泥の付いた1万円だ。」(トラック運転手)
五郎が手配してくれたトラックの定期便に純が乗り東京に旅立った道中、純はれいちゃんから貰ったウォークマンを聴いて彼女の事を思い出していた。 突然ヘッドフォンを運ちゃんに外され泥のついた1万円札2枚の入った封筒を渡され言った言葉。 この瞬間私の中で五郎がこのお金を作った苦労の課程が容易に想像でき涙してしまいました。

今は殆どの会社が給与明細を渡されお金は銀行口座に振り込まれています。ATMの前でボタンを押せばお金が出てくるので泥の付いた1万円札なんて見る事はないですが、この泥付き1万円はお金の大切さ&生み出す事の大変さを痛感させられました。
その人の苦労が見える1万円って臭い演出と知りながらも考えさせられました。

この87初恋は多分多くの方の印象に残っている物語だと思います・・・。

北の国から 84夏

2005-01-18 | 北の国から
♪あ~あ~、あああああ~あ~
と言うわけで84年夏です。 この時は丸太小屋が全焼するという悲しい出来事がありました。 私はバレーボールで地区選抜に選ばれて合宿していた時期だと思います。

「一から出直しだぁ。また、やり直しだ」 「2年半か…儚い丸太小屋だったねェ」(五郎)
苦労して建てた丸太小屋の前で五郎があの独特の笑顔で言った言葉。 内心はかなり傷ついているのにも関わらず、「焼けてしまった物はしょうがない、また一から出直せばいい」と即座に言ってのける五郎の前向きな姿勢に感動を覚えました。 こういう言葉をさらっと言える心の強さを持った人がどれくらいいるのだろうか・・・?

「正吉だな?悪いのは全部正吉だな!」(五郎)
丸太小屋全焼の原因は純と正吉でもあるのにそれを言わなかった純にたいして言った言葉。 多分気づいていたんでしょうね・・・ 「何故素直に言わないんだ、また建てりゃいいだけなのに」と五郎の心の中では言っていたのでしょう。

「子供がまだ食ってる途中でしょうが。」(五郎)
ラーメンを下げられかけた時に普段口べたな五郎さんが言った言葉。 五郎さんの愛情を感じる言葉でした。 ってそもそもあってはならない事なんだけどね~

この回では五郎という素朴な父の大きさを感じました。 自分自身に素直になる事の大切さ、前向きに生きていく事の力強さ、そして親の愛情・・・それらを凝縮したスペシャルでした。

果たしてこういう生き方が出来るのでしょうか? 例えば何か仕事で失敗したときにこういう対応が出来るでしょうか? 私が仕事をやってきた経験上は未だこういう人には合っていません。
「原因は何だ?」「誰が悪いんだ?」そういう言葉が飛び交っています。 誰が悪いも何もそんなのトラブルを起こした本人が一番痛感しているはずですし、そう言っているにもかかわらず相手の心を追い込むこれらの言葉は非常に心が荒んでいると解釈せざるを得ません。

私もそういう言葉を最初に使わないように気をつけ、その人が成長出来るような言葉を投げかけられるような人間になりたいっすね~

北の国から 83冬

2005-01-17 | 北の国から
♪あ~あ~、あああああ~あ~
ドラマも終わりここからスペシャル版が始まりました。
かれこれ21年前ですか・・・私も中学生になって朝から夜までバレーボールに明け暮れ始めた年です。

「ぼくは涙が止まらなかった。だって、正吉は屋根の雪下ろしをやったンだ。それだけが父さんを喜ばすことのできる、たった一つの仕事だったから。正吉は屋根の雪下ろしをやったンだ。」(純)
正吉の母親が五郎に借金をかぶせてしまったことを子供心に申し訳なく思い正吉が夜中にひとりで雪をおろし、足を滑らせて転落&入院した。
この頃から俺も自宅の屋根の雪下ろしを手伝い始めたんだっけ・・・そう言えばうちの親父1回滑り落ちて腰痛めてたな~。 因みに俺はと言うと見事に滑り落ち車庫と雪の間に体がすっぽり落ちたのを覚えている・・・

「五郎、地べただけは手放すんでない」(清吉)
みどりの借金を肩代わりしたときに他人を巻き込みたくない五郎が土地を売ろうと考えている時に大滝秀治が言った言葉。
トラクターや機械を使っている今の世の中とは違い、まだまだ鍬を使ったり手で耕す事が普通だったこの時期。 地べたのもつ意味は今よりも重かったはず・・・

正直部活に忙しかった時期でもありあまり鮮明に台詞を覚えていない。 ただ正吉母の借金はかなり鮮明に覚えていて、それを肩代わりする五郎さんや正吉の心情は当時見ていて辛かった事を覚えている。 因みに借金はみんなが農協から借りて返したと中畑のおじさんが言っていました。 昔はごく普通に人に優しく出来たんですね。

合理化や能力主義が主体となり始めている今の世の中、あれは欧米の宗教の基盤「汝、隣人を愛せ」があって初めて成立するのではないかと思います。
人は人や自然にもっと優しくすべきです・・・

北の国から(81~82 テレビシリーズ)

2005-01-15 | 北の国から
皆さんは「北の国から」というドラマをご存じだろうか・・・? 多分殆どの人は知っているもしくは聴いた事はあると思う。1981年に放送を開始~2002年「遺言」で終了するまで21年という月日をかけ北海道富良野で作られたドラマである。(今クール始まった「優しい時間」も富良野)

このドラマ、道産子と内地の人の心に与えるインパクトは若干違うのでは?と思い道産子の私の心に残っている言葉を書き連ねてみたいと思います。

「電気がなければ暮らせませんよ!!」(純)
純の富良野のうちに来て言った最初の言葉だったと思う。
当時小学生だった私の心には「グサッ」と刺さった一言だった。私たちは恵まれているんですよね~。 今回の新潟の地震で新潟の方々も同じ思いをしたのでは・・・?

「お前ら、いいか、敗けて逃げるンだぞ。(中略)お前ら敗けて逃げて行くんじゃ。わしらを裏切って逃げ出して行くンじゃ。そのことだけはようおぼえとけ。」(清吉)
純が布部駅の喫茶店で言われた言葉ですが、北海道から東京に旅立つ私の心をよぎった言葉でもあります。俺北海道には何も返せていないな・・・

「木は倒される時大声をあげる。殺生も随分した。そして拓いた。(中略)そして若いもんはみんな土地を捨てる。わしらが殺生して切り拓いたこの土地をじゃ。熊や木や馬になんと申し開く。人間は勝手じゃ。」(杵次)
すみません・・・m(_ _)m

「その父さんがさびしいのをがまんしてああやって必死にがんばってる。本当に、おじさんが見て涙が出るほど、お前の父さんはよくがんばってる。 ~それにくらべてお前はダメだ。父さんの手助けを何もしていない。女の蛍よりも働いていない。」(中畑のおじさん)
中畑のおじさんの言葉には結構感動したような気がします。心に残っているって事は小学生の私も親の手助けをあまりしていなかったかもしれません。

「変わるべ?人は毎日、人ほど絶え間なく変わるもの無いべさ、おじさん。」(草太兄ちゃん)
雪子おばさんが来ていた事に対して草太兄ちゃんが五郎さんに言った言葉ですが、ごもっとも!! 人は絶え間なく変わる生き物です。(特に流行には影響うけやすいかも知れません)

他にも今みたら心に響く言葉って沢山あるような気がします。 どうでした?皆さんの心には違う言葉が残っていたでしょうか?
特に「逃げていくんじゃ~」の大滝秀治発言は当時北海道から離れる気が全くなかった私にはどうって事無い言葉だったのですが、上京した今とても考えさせる言葉になってたりします。

でも秀治・・・思いっきり言い訳ですが北海道で私のやりたい仕事の就職口が無かったんです~(T_T