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耳鼻科で

2009-02-16 20:37:00 | 日記
今年に入り、左耳の奥が圧迫されてる様な気分が時々起こり、鼻を摘まんで息を出す動作をしたら治ってたが先日の土曜日の寝る時に耳鳴りを感じて今日の夕方に耳鼻科に診察に行きました



あ、鼓膜にゴミが付着してますネ、これが原因でしょう

この状態で取れば鼓膜に傷を付けるから耳に薬を入れて20分程してからそのゴミを取り出しますネ



医者の方に耳を向けると私の正面には医者のアイカメラのモニターが映り出されて、鼓膜に付いてる蝉の羽の形をしたモノが鮮明に見えてる、またそれを器具で取る出すのがみえて、同時に耳の中が軽くなった

患者に説明よりも見てもらう方が確実な説得力ですわ




今の男女もすぐにくっく(ひっつく)*(はてな)*が重く感じたら振り払い軽くしないと書いたら苦情がきそう    *(ニヤ)*




耳掃除はしない方がいいみたいですから下記に記します

耳掻きは一般に耳の穴が痒いときに行われる。また、特段に痒みを覚えなくとも、耳垢(耳糞)を取るための日常のメンテナンスとして耳掻きを行う者も多い。しかし耳掻きを過剰に行った結果、外耳道が炎症を起こすこともあるので注意が必要である。医学的にみれば、正常な耳垢には雑菌の繁殖を抑え、皮膚を保護する効能があり、一般的にはそう頻繁な耳掻き(耳垢取り)は必要ではないと考えられている。

           *(チョキ)*



春一番で

2009-02-14 17:35:00 | 日記
手入れをしてないボケの花が春一番に誘われて咲いてる





慣れないデジカメでの撮影で上手く撮れないが写りはマアマアかな  *(ニヤ)*

やはり三脚を使わないと手振れが出るから難しいですわ    *(困る)*


釣り番組でも見よう、と。   *(ニヤ)*


やはり違いが

2009-02-12 21:14:00 | 日記
今晩は、デジカメで撮影しがやはり違いが鮮明にでてる、






デジカメでデジカメを撮影してる暇人もいてるが最新式の1200万画素の写りは綺麗だ

昨年に買った720万画素数のデジカメも綺麗な写りをしてるが今回のは接写ができるの広告と価格でつい、衝動買いですわ、*(驚き)*

まあ、6千円で売れたから差し引くしたらと考えてるが新しいサオを買った方が善かったかな *(困る)*

と日記は書いておこう。

        *(チョキ)*

通り雨

2009-02-11 18:22:00 | 日記
仕事帰りに西山温泉に入り帰る段になって外が通り雨です

ぽかぽかの火照った身体に丁度よい、自宅の近くに来れば日が差してきた






例の梅の木のツボミも膨らんで咲きかけてる。

            *(チョキ)*

ぽかぽか陽気に

2009-02-07 19:58:00 | 日記
ぽかぽか陽気で長い昼寝をしてしまい、1日が短いような気がしてる


今日の日本民話

あの世への迎え
           福島県の民話


 むかしむかし、会津の殿さまのもとに、直江山城守兼続(なおえやましろのかみかねつぐ)という家老がいました。

 ある時、三室寺庄蔵(さんむろじしょうぞう)という山城守の家臣が、ささいなことから家来の一人を殺してしまいました。

 それを知った、殺された家来の身内の人たちは、

「家来だからといって、たいした事でもないのに、お手討とはひどすぎる!」
と、うったえをおこしました。

 これをきいた、山城守は、
「不欄(ふびん)なことをしたが、どうやっても死んだ者は帰らない。手厚くとむらい、それなりのお金でかんべんしてもらえ」と、銀貨二十枚を、身内の者たちにあたえるようにいいました。

 けれども身内の者たちは納得せず、うったえをとりさげようとしません。
「わたしたちは、金などいりません。あくまでも、殺された本人をかえしていただきたいのです」

 それを知った城下の人々からも、同情する声が高まってきました。

「身内のうったえは、もっともだ。直江さまは家臣をかばいすぎる!」

 すると山城守は、殺された家来の兄とおじ、おいの三人を呼びだして、こういいました。

「死んだ者をかえせというが、どうすればよいのじゃ。それほどまでにいうなら、本人を呼びもどすほかあるまい。すまぬがそなたたち三人で、これからエンマ大王のところへいってつれもどしてまいれ」

 山城守は三人を橋のたもとへつれていくと、そこで三人を切り殺してしまったのです。

 そして橋のたもとに、次のような立て札をかかげました。




《わが家臣、三室寺庄蔵が家来を成敗(せいばい)したが、身内の者たちがなげき悲しんで本人をどうしても呼びかえしてくれと申してきかない。そこで、身内の者の三人をむかえにやることにした。エンマ大王さま、先にそちらへいった者を、ぜひ三人にかえしてくださるよう、おそれながら願いあげる。慶長二年(一五九七年)二月七日 エンマ大王殿へ 直江山城守兼続》



 この立て札をかかげてから、町の人たちはおそろしくなって何もいわなくなりました。

 山城守のやりかたを、

「さすがは山城守!」

と、ほめたたえる者もいましたが、
「ずいぶんと身勝手で残酷な処置だ!」
と、山城守をおそれて、うらむ者たちもずいぶんいたそうです。


 ちなみに山城守は、それから二十二年後の十二月十九日に、六十歳でなくなりました。



    おしまい *(チョキ)*