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*柳孝明goo_エンタメブログ****

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本音派イチローと対照的な生き方  ユニホーム脱ぐ「ゴジラ松井」

2013-01-06 22:21:48 | スポーツ

本音派イチローと対照的な生き方  ユニホーム脱ぐ「ゴジラ松井」

http://www.47news.jp/topics/entertainment/2012/12/post_5578.php

日本で10年、米国で10年プレーした松井秀喜選手がユニホームを脱いだ。「ゴジラ」のニックネームが示す通り、頑強そのもののような体も、古傷の両膝が悲鳴を上げていたようだ。「思うような成績が挙げられない」と、日本時間28日の早朝にニューヨークで行われた引退会見でちょっと無念そうに話した。「これまで野球しかやってこなかったので、いろいろな勉強をして、今後のことを考えたい」と、相変わらず冷静な受け答えだったが、松井選手の野球人生そのものは強い印象を残すものだった。

▽通算507本塁打

1992年夏の甲子園大会。石川・星稜高の4番松井が高知・明徳義塾高から5打席とも敬遠されるという前代未聞の出来事が起こって、一躍注目された。その年のドラフト会議で4球団が1位指名で競合する中、巨人・長嶋茂雄監督が当たりくじを引き当て、人気に拍車がかかった。巨人では本塁打王と打点王を各3度獲得、首位打者にもなり不動の4番打者を務め、2003年にフリーエージェント(FA)でヤンキース入りした。巨人で332本、メジャーで175本と日米通算で507本塁打を記録した。

ただ、02年に50本塁打した実績から、松井といえば本塁打というイメージがあり、大リーグでの本塁打数にファンは物足りなさを感じたのも確かだろう。ヤンキースに入団して2年目に31本塁打しているが、これがメジャーでのシーズン最多だった。

▽常勝義務が個性を殺す?

7、8年前だったと思う。松井選手と対談したにイチロー選手が、打率が思うように上がらないことをぐちったこの1年後輩に「打率なんか低くてもホームランを40本、50本と打てばいい。それはお前にしかできないことだから」と言った。自分の特長を徹底して追求するイチロー選手らしい姿勢だが、それは松井選手への不満だった。松井選手は巨人やヤンキースという常勝を義務付けられた球団に身を置いたことで、チームの勝利を最優先にせざるを得なかった結果、本塁打も打点も打率も数字を残したいと思ったのだろう。ただ、メジャーは日本ほど甘くはなかった。もし、持ち前の長打力をもっと生かす打撃を追い求めていたら、また違った松井選手が見られたかもしれなかった。

そのイチロー選手が目指しているのがワールドシリーズ初出場と世界一。それを松井選手は09年にワールドシリーズ優勝と同シリーズMVP獲得で実現している。やはり、二人は日本球界を代表する大リーガーなのだ。

▽イチローと松井

松井選手とイチロー選手はなにかにつけて対照的だった。プレースタイルもそうだが、特にその言動は対極にあるといえる。私は勝手に「建前の松井、本音のイチロー」と思っている。イチロー選手はオリックス時代から通り一遍の「頑張ります」といった受け答えをすることはなかった。米国でも野球記者には「野球をしっかり勉強して来て」と厳しかった。対して松井選手は的外れな質問にも丁寧に答える優等生だった。宗教家の家で育ったことが大きく影響していると思うが、やさしい性格で喜怒哀楽をあまり表に出さないタイプである。

▽「たかが野球でもいいかな」

建前と本音が混在しているのが世の常であるが、建前が前面に出過ぎると真実を覆い隠す。私も野球記者として多くの監督を取材してきたが、阪急、近鉄で監督をした故西本幸雄氏や巨人のV9監督だった川上哲治氏などはへたな質問でもしようものなら、記者をにらみ付け、答えなかった。本音派である。逆に質問される前に自らしゃべるサービス精神旺盛な監督もいたが、こういう監督は往々にして本音を言っていない場合が多い。

松井選手がかつてこんな野球観を語ったことがあった。「たかが野球、されど野球だが、僕はもうすこし、たかが野球であってもいいかなと思う」と。とことん練習に打ち込んだ姿とすこし野球から距離を置いた姿が浮かぶ。こんな本音を語れる松井選手なのである。どんな第二の人生を歩むか、楽しみにしたい。

田坂貢二[たさか・こうじ]のプロフィル

1945年広島県生まれ。共同通信では東京、大阪を中心に長年プロ野球を取材。編集委員、広島支局長を務める。現在は大学野球を取材。

ノンフィクション「球界地図を変えた男 根本陸夫」(共著)等を執筆


「ありがとう、ゴンゴール」 中山雅史という日本サッカーの歴史

2013-01-06 22:20:45 | スポーツ


http://www.47news.jp/topics/entertainment/sportscolumn.php

 

東日本大震災の復興支援を目的としたサッカー教室で、子どもたちと触れ合う中山雅史さん=12月27日、仙台市内
東日本大震災の復興支援を目的としたサッカー教室で、子どもたちと触れ合う中山雅史さん=12月27日、仙台市内

過去2シーズン、Jリーグでプレーしたのはわずか3分間。それでも最後の舞台で周囲の期待に応える「ゴンゴール」を決めてしまうのが、この人の持つスター性なのだろう。

12月26日、ユアテックスタジアム仙台で行われたチャリティーサッカー2012。後半残り7分から出場した「ゴン」こと中山雅史に、誰もが求めたのはゴールしかなかった。

今シーズン限りで23年間の現役生活に「一線を引く」ことを決意。「引退」という2文字をあえて使わないところが彼らしい。この記録にも記憶にも残るストライカーは、たとえそれが親善試合とはいえ強烈な印象を残し、そしてピッチを去っていった。

試合終了直前のラストプレーも、点を取るための計算され尽くされた動きだった。宇佐美貴史が中盤でボールを持った瞬間、DF岡山一成の背後に入り込み、宇佐美のスルーパスのタイミングで岡山の前のスペースに飛び出す。いわゆる「消える動き」で岡山のマークを外すと、最後はGKの手を弾くシュートでボールをゴールマウスに送り込んだ。

確かに中山自身も「周りの気の使い方が、痛いほど分かった」と苦笑するように、相手側の多少の優しさはあった。しかし、それはシュートの瞬間に岡山がタックルに入らなかったことだけ。フリーになるためのオフ・ザ・ボールの動きに関しては、文句のつけようのないものだった。

フィジカルコンタクトが避けられないサッカーで、45歳まで現役を続けた良い意味での執念深さ。カズ(三浦知良)という同じ1967年に生まれたもう一人の日本サッカーのレジェンドの存在はあるが、この年齢までプロの肩書きを貫いたのは世界的にも稀というよりも、異常だろう。あのマンUの39歳と38歳のオジサンコンビ、ライアン・ギグスとポール・スコールズの存在ですら奇跡に近いと思えるのだから、カズ&ゴンは“世界遺産”クラスだ。

札幌に所属した最後の2シーズンは厳密にいえばプレーをしていないに等しい。費やされるリハビリへの時間。膝のケガに悩まされ歩くこともままならぬ状態で、それでも中山が現役にこだわったのは常人には理解のできない次元での話なのだろう。自分の意思で現役を引退するかどうかを決められる恵まれた選手(クビになる選手の方が圧倒的に多い)の場合、二通りのタイプがある。まだ、現役で通用する実力がありながら、潔くスパイクを壁に掛ける選手。ドイツW杯直後に29歳で引退した中田英寿氏がこのタイプだろう。一方で、もがきながらも現役にこだわり、しがみつくというタイプも、中田タイプのスマートさにこそ欠けるが、人間的な魅力を感じる。そしてあくまでも推測だが、後者の中山タイプの選手のほうが、よりサッカーを楽しむ引き出しを多く持っているのではないかとも思える。なぜなら、痛くても、辛くてもサッカーを続けられるのは、「サッカーが楽しい」と思える心がなければ不可能だからだ。

「ポストプレーをしても、ボールがうまく収まらない。正直、いまの若い選手と比べればボール扱いなんて本当に下手ですよ。でも向上心がすごく、どんなに苦しくても自分のものにするまで地道に努力を続ける。ベースにサッカーが好きという純粋な気持ちがなければできないですよね」

いまだに破られることのない年間最多得点36ゴール(27試合)。中山が1998年に達成した大記録はオフ・ザ・ボールの動きを追求した末の結果だった。DFの視界から「消える動き」を経てラストパスを受ける。ともに中山スタイルを追求したのが、当時、磐田のコーチを務めていた山本昌邦氏だ。その山本氏の目を通す中山は「とにかく真面目。ゴンは努力することにかけての天才ですよ」となる。テレビでおどける姿とはかけ離れるのだ。

プロ野球選手が子どものころは、ほとんどがエースで4番だったように、プロサッカー選手も少年時代はほとんどが攻撃のエース。それがプロへとステップアップする過程で、技術的に劣る選手はFWからMF、DFへとポジションを下げていくのが世界的な流れだ。その意味で言えば中山はDFからポジションを最前線に上げ、プロとしてJリーグ最多の157ゴール(すべてJ1)を記録。そのキャラクターと同様に常識を覆す選手と言えよう。

98年4月15日のセレッソ大阪戦から始まった4試合連続のハットトリック。2000年2月16日のブルネイ戦、わずか3分15秒で達成され国際試合最短時間ハットトリック。二つのギネス記録を持つ。印象的なゴールはこれだけではない。98年6月26日、ジャマイカ戦で記録された日本の記念すべきW杯初ゴール。そのすべてが30歳を超えてから記録されたものだった。

人は向上心を失わない限り、前に進み続けることができる。中山雅史という規格外のフットボーラーは、われわれにそれを教えてくれた。ドーハのベンチ脇で崩れ落ちた姿。フランスW杯のジャマイカ戦後に、骨折をしながらも車椅子に乗り律儀に記者たちの前に戻ってきてくれた姿。思い返せば、彼そのものが日本のサッカーの歴史だった。誰にでも愛される好漢ゴン中山。彼の存在を抜きに、現在の日本サッカーの隆盛は考えられない。それを思えば贈る言葉はこの一言だろう。「ありがとう」―。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている

 

インフル集団感染、80代男性死亡=患者と職員、甲府共立病院

2013-01-06 22:18:59 | 医療

インフル集団感染、80代男性死亡=患者と職員、甲府共立病院

 

 甲府市の甲府共立病院(大畑和義院長)は5日、入院患者11人と職員2人がインフルエンザに集団感染し、うち80代の男性患者1人が死亡したと発表した。全員がインフルエンザA型と診断されたが、残りの感染者については快方に向かっている。
 病院によると、昨年12月30日に患者と職員にインフルエンザの症状が表れ、その後、感染が拡大したという。
 死亡した男性患者は入院中の1月2日に発熱し、ノロウイルスにも感染していることが判明。4日夜に多臓器不全で亡くなった。(2013/01/05-22:13)


フィリピン人妻ら逮捕=邦人男性を射殺-比

2013-01-06 22:16:34 | 事件

フィリピン人妻ら逮捕=邦人男性を射殺-比

 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013010600013

 【マニラ時事】フィリピン・マニラ郊外のカビテ州で昨年12月29日、日本人男性の新倉英雄さん(61)=本籍・神奈川県=が射殺される事件があり、フィリピン警察は5日、殺人容疑で、フィリピン人の妻メルリンダ容疑者(46)ら5人を逮捕したと明らかにした。
 警察によると、メルリンダ容疑者はフィリピン人の息子らと共謀し、実行犯とみられる男に10万ペソ(約21万5000円)で新倉さん殺害を依頼した疑いが持たれている。
 メルリンダ容疑者は動機について、金銭トラブルや家庭内暴力があったと供述している。(2013/01/06-06:47)


新年のあいさつ=Fairies編

2013-01-06 22:12:03 | エンタメ

新年のあいさつ=Fairies編

http://www.jiji.com/jc/c?g=ent2_ent2&k=g130013

 

女性7人組ダンス&ボーカルグループのFairiesが新年のコメントを寄せた。昨年を振り返ったメンバーの野元空は、「念願の初レギュラー番組を持つことができて、本当に良い経験になった」とコメント。今年の目標について伊藤萌々香は、「アルバムを出したい。それを引っさげてライブツアーをやりたい」と語った。 出席者:Fairies 【動画はこちら】(2013/01/02)