平らな深み、緩やかな時間

58.「新印象派」展

最近見た「新印象派」展について記しておきます。
http://www.tobikan.jp/exhibition/h26_neoimpressionism.html

この展覧会は東京都美術館で開催されていて、「光と色のドラマ」という言葉が付されています。
あまり期待をせずに、見に行きました。その理由はいくつかあります。
まず私自身が、新印象派に対して過度な期待を持っていないことがあります。新印象派が美術史の発展の上で果たした意義については大いに認めるところですが、具体的な作品としてよいと思うものに出会うことが少ない、というのが私の新印象派に対して抱くイメージです。はっきりと言ってしまえば、ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat, 1859 - 1891)の作品以外には、あまりよいものがないと思っています。
そして、そのスーラは短命な画家でしたから、作品数もそれほど多くなく、その代表的な作品が来日することはほとんどありません。○○美術館展、などという名画展の目玉として来日することはありますが、今回はどうでしょうか・・・。
さらに言えば、先ほど書いた新印象派の美術史上の意義については、美術の教科書にもさんざん書かれていることなので、いまさら展覧会で確認するほどのことがあるのか・・・。
などということが頭の中をめぐりながら、美術館を訪れました。先入観を持って絵と向き合う、最悪の鑑賞態度だとわかっているのですが、なかなか意図的にまっさらにすることはできません。

結果として、その先入観が覆されるような驚きはありませんでしたが、なかなかよい展覧会でした。
確かにとびきりの名画は少なかったし、スーラの代表作といえるものも《セーヌ川、クールブヴォワにて》、《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》の二点ぐらいだったと思います。あとは私の好きなカミーユ・ピサロ(Jacob Camille Pissarro、1830 - 1903)のよい作品が数点ありました。それらは新印象派の手法で描かれたものではありませんでしたが、渋いグレーのトーンがとてもきれいでした。それから、マチス(Henri Matisse, 1869 - 1954)の新印象派の手法を用いた実験的な作品など、名画とは言いませんが実物を見る貴重な機会だったと思います。
しかし、展覧会を見る意義は、何も名画に出会うことだけではありません。例えば「新印象派の美術史上の意義については、美術の教科書にもさんざん書かれていることなので、いまさら展覧会で確認するほどのことがあるのか?」という先ほどの疑問ですが、今回の展覧会ではその資料が丹念に集められていました。当時の光や色に関する科学的な知見を、若い画家たちがどのようにして絵画上の表現として取り込もうとしたのか、書物や作成された図などの実物を展示して、視覚的に見せるなど意欲的な工夫がされていました。いまならコンピュータ上できれいに処理できるようなことが、手書きの図で苦心して描かれていることなどから、当時の人たちの置かれていた状況などが、わずかですが実感できる気がしました。私たちは過去の作品と向き合うときに、つい現在の状況から推測してしまいますが、何か新しいものと出会ったときの人々の熱気というようなものを知るには、現物を見て実感するに限ります。
それに、彼らの作ったカラーチャートを見ると、まるで現代美術の作品を見るような雰囲気がありました。考えてみると、科学的な知見を絵画表現に大胆に取り込もうとする彼らの試みは、今で言うコンセプチュアル・アートに限りなく近いものだったのではないでしょうか。それまでの伝統的な知見、感覚的な知見、あるいは文学や哲学、思想など他分野からの知見を作品に取り込む態度とは違って、最新の科学的なデータから作品を生み出す、というのは、それまでの作品制作の概念とは、かなり違っているような気がします。画家の内面や感覚の中にあった作品制作の動機を、科学という客観的な世界にゆだねてみる、という態度は、後のデュシャン(Marcel Duchamp、1887 - 1968)のレディメイドの作品ともつながるような気がします。そういう意味では、この展覧会では新印象派の作品が、その後のフォービズムへとつながることを示唆していましたが、そこにはつながりと同時に断絶があるような気がします。新印象派の試みがなければ、フォービズムは生まれなかったかもしれませんが、画家の表現の態度としては、両者の間には深い溝があると思います。画家の作品制作の動機を客観的に見える形にしよう、という新印象派の態度は、20世紀後半の美術へ隔世遺伝しているのかもしれません。例えば、彼らのカラーチャートの図は、荒川修作(1936 - 2010)の作品と、とてもよく似ていると思うのですが、いかがでしょうか。
それから、今回の展覧会で、スーラの有名な「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の小さな習作が、数点展示されていました。完成作の計算された緻密な構成とは異なり、習作ではまるでスナップ写真のように風景が切り取られていて、それが生な感じがして興味深く思いました。スーラはデッサンの達人でしたが、彼のすごいところはモチーフを取り巻く空間まで瞬時につかんでしまうところです。今回の習作も、小さな作品ながらゆったりとした空間が中に広がっていて、見ていると何とも豊かな気持ちになります。スーラは新印象派の技法を先導した画家として位置づけられていますが、どういう時代に生まれてもきっとすばらしい画家になっただろうなあ、と思います。

全体を見て、まじめに企画された展覧会は、やはり人を説得する何かがある、と思わせる展覧会でした。
見る人によって、発見できることが違うのだろうなあ、と感じながら帰路につきました。

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