平らな深み、緩やかな時間

358.『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』パノフスキーから学ぶこと

エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky, 1892 - 1968)さんはドイツ出身の美術史家です。一般的には図像解釈学(イコノロジー)の研究で有名な方で、のちに渡米してハーバード大学などで教鞭をとったそうです。その「イコノロジー」をネットの辞書で調べてみましょう。

 

イコノロジー(iconology)

美術史家エルヴィン・パノフスキー(1892-1968)が著書『イコノロジー研究』(1939)において用いた言葉。しばしば「図像解釈学」と訳される。作品におけるモチーフの組み合わせからイメージ、物語、寓意などを認識する「イコノグラフィー」に対し、純粋な形、モチーフ、イメージ、物語、寓意などを象徴的に、すなわち以上のような作品の特質を、国家・時代・階級・宗教・哲学的信条などからなる基礎的な態度の徴候として解釈することが「イコノロジー」と呼ばれる。

(『art scape』より引用)

 

「イコノロジー」と言えば、日本では若桑 みどり(わかくわ みどり、1935 - 2007)さんという美術史学者がよく知られています。私も彼女の著作やテレビ講座でちょっとだけ「イコノロジー」について勉強したことがあります。歴史に疎い私には、彼女の本がかなり難しかったことを覚えています。

そんなわけで、パノフスキーさんのイコノロジーに関する主著にはなかなか手が出せないのですが、今回取り上げたいのは、彼が若い頃に書いた『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』という本です。

この本は1920年代、まだパノフスキーさんが30代の頃に書いた本で、イコノロジーの本格的な研究を手掛ける前のことです。そして私が何でこの本を気まぐれに買ったのかといえば、この本を監訳したのが現象学を研究していた木田 元(きだ げん、1928 - 2014)さんだったからです。

木田さんは、「訳者あとがき」で次のように書いています。

 

だが、ここでも彼は、古代から中世を経て近代にいたる遠近法の技法の展開を広い精神史のうちでとらえ、古代の曲面遠近法、中世におけるその解体、ルネサンス期の平面遠近法の成立、近代におけるその多様な展開を精細に跡づけた上、これをそれぞれの時代の空間観、ひいては世界観とみごとに対応させてみせる。パノフスキーがカッシーラーから借りた<象徴(シンボル)形式>とは、「精神的意味内容が具体的感性的記号に結びつけられ、この記号に同化されることになる」その形式のことであり、彼は遠近法を奏した<象徴形式>の一つとしてとらえてみせるのである。

(『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』「訳者あとがき」木田元)

 

つまり、これは各時代における遠近法について、それを単に作図のための技法として捉えるのではなく、その時代の空間観、世界観、ひいては精神性と対応させて考える、という著作なのです。パノフスキーさんは、イコノロジーの研究においてもエルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer、1874 - 1945)さんというドイツの哲学者の影響を受けていたようですが、若い頃のこの著作においてもそれがあったようです。

それはともかくとして、これはなかなか面白いことではないでしょうか?

私たちはふつう、透視図法による遠近法を完璧な正しい遠近法だと考え、それ以外の図法は未熟なものだと解釈しがちです。しかし、パノフスキーさんは、それを「広い精神史のうちでとらえ」ると言うのです。これは遠近法が単なる技術の問題ではなく、私たちの精神、つまり考え方や思想との関連の中で捉え直す、ということです。なぜパノフスキーさんは、このように考えたのでしょうか?

ここで具体的に『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』を覗いてみましょう。パノフスキーさんは「パースペクティヴ」という言葉の解釈からこの著作を始めています。

 

「Perspectivaという言葉はラテン語であり、<透かして視る[Durchsehung]という意味である。」デューラーは遠近法の概念をこう言い替えようとしている。この「ラテン語」はすでにボエティウスにも見られるものであり、もともとはそれほど深い意味をもってはいなかったように思われるのだが、われわれとしてはやはりデューラーのこの定義の本質的な点を採り入れたいと思う。つまり、単に家とか家具とか個々の対象が縮尺されて描かれているようなばあいにではなく、画面の全体がールネサンス期の別の理論家の表現を借りればーいわばそれを透してわれわれが空間をのぞきこんでいるように思いこむ「窓」と化しているようなばあいに、ーしたがって、個々の人物や物の形体が画像としてそこに載せられいたり、立体的にそこから取り付けられていたりするように見える物質としての画面や浮彫(レリーフ)面がそういうものとしては否定され、それを透して垣間見られる全体的空間、すべての個物を包みこむ全体的空間がそこに投影される単なるスクリーンとしてとらえなおされているようなばあいにー、そしてそうしたばあいにのみ、まったき意味での「遠近法的な」空間直観がおこなわれていると言うことにしたいのだ。

(『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』「第Ⅰ章」パノフスキー著、木田元ほか訳)

 

ちなみに、上の文章に登場するボエティウス(Anicius Manlius Torquatus Severinus Boethius、480 - 524か525)さんは、古代ローマ末期のイタリアの哲学者、政治家、修辞学者だそうです。ですから「パースペクティヴ」の語源は古代ローマに遡ることができる、と言うことでしょう。

デューラー(Albrecht Dürer, 1471 - 1528)さんは、言うまでもなくドイツのルネサンス期の巨匠です。デューラーさんには、遠近法による作図の様子を描いた有名な木版画があります。例えば、次のホームページを開いてみてください。

https://madoken.jp/series/7759/

このデューラーさんの木版画を見ればわかるように、透視図法による作図は私たちの見える通りの映像ではなく、非常に特殊な前提の上で成り立つものなのです。そのことをパノフスキーさんは「すべての個物を包みこむ全体的空間がそこに投影される単なるスクリーンとしてとらえなおされているようなばあい」というふうに言っているのですが、このことについてさらに詳しく、次のように書いています。

 

ところで、この「中心遠近法」全体は、完全に合理的な空間、すなわち無限で連続的で等質的な空間の形成を保証できるように、暗黙のうちに二つのきわめて重要な前提を立てている。第一の前提は、われわれがただ一つの動くことのない眼で見ているということ、第二の前提は、視覚のピラミッドの平らな切断面が、われわれの視像を適切に再現しているとみなされてよいということである。だが実際には、こうした二つの前提を立てることは、ひどく思いきって現実(われわれとしては、このばあい事実的主観的な視覚印象を「現実」と呼んでおいてさしつかえあるまい)を捨象してしまうことである。なぜなら、無限で連続的な等質的空間、つまり純粋に数学的な空間の構造は、精神生理学的空間の構造とは正反対だからである。

(『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』「第Ⅰ章」パノフスキー著、木田元ほか訳)

 

私たちはふだん、「こうした二つの前提を立てる」ことを意識せずにやっていて、「無限で連続的な等質空間」が唯一の正しい作図であるかのように考えてしまうのです。

例えば一つ目の前提について言えば、私たちは遠近法で作図するときに、自分の視点を固定することをごく自然に行なっているのです。実際に目の前にあるものを描くときに、その側面にあたる形が微妙に見えたり、見えなかったりするとしたら、どちらかに固定して作図することをいつの間にか学ぶのです。

また、二つ目の前提について言えば、パノフスキーさんはこの著書の中で「主観的」な歪みの生じている「曲面」の遠近法の図と、型通りの「平面」遠近法の図を比べて、ていねいに解説しています。そして、私たちの実感している視覚の世界が、直線的に割り切れるものではないことを示しているのです。私たちは遠近法で作図するときに、その「曲面」的に実感できる世界を無意識のうちに直線的に補正して表現しているのです。

このように、「無限で連続的な等質空間」である透視図法による作図は、私たちの視覚で感受できる世界とは相容れないものなのですが、それにも関わらず透視図法が自明なもののように受け入れられているのです。

それは、なぜなのでしょうか?

私ならば、「無限で連続的な等質空間」として世界を捉えた方が、私たちの科学的な思考とも合致するし、その方が便利だからではないか、と分かったような、分からないような安易な答えを用意してしまいますが、パノフスキーさんはそれを近代的な思想の成立と関係づけて考えます。はじめに書いたように、パノフスキーさんは遠近法をその時代の世界観の「象徴形式」として考えているのです。

このパノフスキーさんの著書について、わかりやすく解説した本がありますので、ご紹介します。それは佐藤 康邦(さとう やすくに、1944 - 2018)さんという哲学者、倫理学者が書いた『絵画空間の哲学 思想史の中の遠近法』という本です。その本の中の、パノフスキーさんの『<象徴形式>としての遠近法』について解説している部分を読んでみましょう。

 

もとより彼(パノフスキー)は、ウィトルウィウス(前1世紀のローマの建築家)が紹介しているように古代ギリシャ悲劇の舞台の背景画が驚くほどの立体感を実現していたものであることや、やがてアルベルティが遠近法の理論家に際して示した「視的ピラミッド」や平行線の一点への収斂という事柄について、すでにユークリッド(前450頃〜前380頃)が記述していることは百も承知のうえで、にもかかわらず古典古代においては真の意味での遠近法は成立していなかったというのである。

このような考え方の背景には、パノフスキーが遠近法を「象徴形式」として捉える独自の考え方があることはいうまでもないことである。彼によれば、古代において遠近法が真の意味で確立し得なかった理由は、たんに技術が未発達であったということや空間に対する知見の不足ということに帰せられるものではない。

<中略>

したがって古典古代において真の意味の遠近法が成立し得なかった理由は、何よりも象徴形式の問題、すなわち古典古代においては造形芸術の主要な関心が個々の独立した彫像からなる立体芸術に向かった、ということに帰せられる。さらにそれはせんじつめれば、古代ギリシャにおいては、アリストテレスの空間論があきらかにしているように、等質で無限定な量的システムのうちにすべての物体を包摂するようなデカルト的空間把握が成立していなかった、ということに帰着するといわれるのである。このように真の遠近法がデカルト的空間把握に対応する象徴形式でなければならないということになれば、ルネッサンスの遠近法の期限は古典古代に求めるべきではない。むしろ、まったく非遠近法的に描かれながらも、画面全体の統一を力強く志向したゴシックの絵画のうちにこそ、それが求められなければならない、とすらいわれるのである。

『絵画空間の哲学』「遠近法とは何か」佐藤康邦)

 

文中のルネ・デカルト(René Descartes、1596 - 1650)さんは言うまでもなく、フランス生まれの哲学者、数学者で合理主義哲学の祖といわれる人です。パノフスキーさんは「真の遠近法がデカルト的空間把握に対応する象徴形式でなければならない」と考えたようですが、とりあえず「真の遠近法」という言葉は保留しておきましょう。私にとって、「真の遠近法」と呼べるものがいつ成立したのか、ということはどうでも良いからです。それよりも「無限で連続的な等質空間」である透視図法が、「デカルト的空間把握」に対応しているということに注目しましょう。

デカルトさんの哲学は、近代哲学の源泉となったと言われています。数学的な明証性がデカルトさんの哲学の基礎にありますが、「無限で連続的な等質空間」である透視図法が、デカルトさんの哲学に合致していたのです。そして、今でも私たちの作図の基本に透視図法が意識されているとするなら、そのことと現在の私たちの思考が、デカルトさんの哲学の延長線上にあるということはリンクしているのです。

 

ここまで見てきたように、透視図法という遠近法は私たちの視覚が感受する世界を正しく反映したものではありません。かといって、さまざまな時代に成立した遠近法のうちの一つに過ぎない、ということもできません。というのは、透視図法は「デカルト的空間把握に対応する象徴形式」だからです。

このようなパノフスキーさんの解釈を知っておくことは、私たちが現在、どのような絵画空間を基礎としているのか、そしてそのことが何を意味しているのか、ということを理解する上で役に立ちます。

パノフスキーさんは、この本の最後に次のように書いています。

 

最後に、このことから、(単に遠近法的作図法だけではなく)遠近法的な空間観が二つのまったく異なった側面から論難される可能性があったことも明らかになる。つまり、遠近法が遠慮がちに出発した時点ですでにプラトンが、遠近法は事物の「真の大きさ」をゆがめ、現実や規範(ノモス)のかわりに主観的な仮象や恣意を持ち出すという理由でそれに有罪判決を下したとすれば、もっとも現代的な芸術観は、まったく逆に、遠近法は制限された、また制限を設ける合理主義の道具だという非難をあびせるのだ。

<中略>

しかし、この対極性は、結局のところ同じ一つの事象のもつ二重の局面なのであり、これらの抗議も結局のところは同じ一つの点に向けられているのだ。遠近法的な見方は、それが主として偶然性と主観主義の方向に利用され解釈されようと、絵画空間を(たとえ精神生理学的「与件」を大幅に捨象した上でであろうと)原理的に諸要素から、経験的視空間の図式に従って構築しようとする意志に基礎を置いている。つまり遠近法はこの視空間を数学化するのであるが、しかしそれが数学化しているのは、やはりまさしく視空間なのだ。また、遠近法は一つの秩序づけではあるが、しかしそれは視覚的現れの秩序づけなのだ。そして、人びとが遠近法を、それが「真の存在」を、見られた事物の一つの現れに揮散させてしまうと言って非難するか、それともそれが自由でいわば精神的な形体表象を、見られた事物の一つの現れに固定してしまうと言って非難するかは、結局のところほとんど力点の置き方の問題にすぎないのである。

(『<象徴(シンボル)形式>としての遠近法』「第Ⅳ章」パノフスキー著、木田元ほか訳)

 

パノフスキーさんは、透視図法は視覚的な真実を歪めたものだ、と非難することと、透視図法は表現を合理主義的に制限するものだ、と非難することは、結局のところ「デカルト的な象徴形式」に対するリアクションの表裏にすぎない、と言っているのです。

このことを学習しておくと、例えば写真のように絵を描く写実主義の絵画が、決して視覚的な真実に迫るものではないことがわかるでしょう。同じように、数値化されたコンピュータ内の座標軸の上でいくら自由に絵を描いたとしても、それはデカルト的な「象徴形式」から一歩も出ていないこともわかるはずです。「真実」とか「自由」とか、芸術表現を語るときに常套的に使われる謳い文句は、そんなに安易に使われるべきものではないのです。

 

さて、それではパノフスキーさんよりも私たちの時代に近い人で、このような絵画空間の持つ構造について論じた人、それを問題とした人はいなかったのでしょうか?

このような絵画空間について、自覚的に論じた人に宇佐見圭司(うさみ けいじ、1940 - 2012)さんという美術家がいました。

私は若い頃に宇佐見さんの著作に影響を受け、このblogでも何回か彼について書いています。私は宇佐見さんの明晰な論理に感服しつつ、宇佐見さんの作品については納得できない思いを抱えています。しかし、それはそれで良いことだと思っています。論理も作品も敬服してしまうような人が同時代にいたなら、その人を真似ることぐらいしかできなくなってしまいます。私は宇佐見さんの論理を参照しつつ、宇佐見さんとは別な道を歩む、というのは後進者として悪くないと思います。

宇佐見さんは現代の美術表現が、そして絵画空間が、デカルト的な「還元主義」、つまり物事を構成する要素をできるだけ単純なものへと還元してしまうという思考に囚われていることを常に問題としていました。そのことを的確に捉えた文章として、例えば次のようなものがあります。

 

美術の20世紀は、還元的情熱が燃えあがった時代であった。いや美術だけではなく、芸術・思想全般において、20世紀は還元的情熱がさまざまな行方を模索した時代として位置づけられるのではなかろうか。

<中略>

今世紀はまた科学技術(テクノロジー)の爆発の世紀であった。人間の身体機能や感覚器官はテクノロジーによって延長し、とほうもないひろがりを見せて商品化され、その進展は私たちのまわりに人工的な環境や自然をつくりだしている。

<中略>

テクノロジーの進展と芸術が還元的情熱にとらえられる関係が並行している。これは奇妙な関係だ。先がひろがる扇のような形を想定すれば、テクノロジーの進展とは、ひろがる方への運動を示すのに対し、還元的情熱にとらえられるというのは、逆につけねの方へ向かう運動であり相矛盾する。しかしこの矛盾する関係が大切だと私は思う。テクノロジーの進展は芸術表現のメディア(媒体)をどんどん開発して、メディア=メッセージという情況をつくりだすから、新しいメディアは新型のアートを誕生させる。TVはTVアート、ヴィデオはヴィデオ・アート、コンピュータやレーザーは、・・・。

にもかかわらず今世紀初頭、テクノロジーの爆発の時代は、同時にアートの世界で、還元的情熱が燃えあがった時代でもあったといえるのである。にもかかわらずではなく、だからこそといった方がいいのかもしれない。これは人間の想像力(イマジネーション)の根幹にかかわる問題である。

(『20世紀美術』「Ⅱ 20世紀後半ーヨーロッパ前衛芸術」宇佐美圭司)

 

この宇佐美圭司さんの文章の「テクノロジーの進展と芸術が還元的情熱にとらえられる関係が並行している」という分析に注目しましょう。これはパノフスキーさんが論じたところのデカルト的な「象徴形式」の進行と、まったく同じ分析です。「テクノロジーの進展」も、「還元的情熱」も、デカルトの合理主義の二つの側面にすぎないのです。

やがて宇佐見さんは、これらの動向が芸術の「均質化の危機」を迎えるのだ、と論理を展開していきます。彼はアメリカの抽象表現主義の絵画からミニマル・アートの絵画へと進展していく20世紀絵画の流れを、鋭くも「均質化の危機」として論じたのでした。

ここでパノフスキーさんの論理を踏まえて、このミニマル・アートへの流れを考えてみると、ミニマル・アートの平面的な色面は、遠近法を超えて絵画の「真実」へと近づく方法であったと同時に、遠近法から「自由」になる方法でもあったのです。しかし、それは結局のところ、デカルト的な合理主義を推進する二つの側面を同時に突き進んだのであり、それが表現の「均質化の危機」を生んだのでした。デカルトの哲学が数学を基礎としていることを考えると、それは当然の帰結であったのです。

 

宇佐見さんはこのような鋭い分析をした上で、その合理主義の延長線上での発展を夢見て、制作に励んでいたように私には見えます。宇佐見さんばかりでなく、彼の時代の表現者は、まだそういう夢を見ることができたのだと思います。

しかし、今の私たちは違う、と私は考えます。パノフスキーさんの分析した「デカルト的な象徴主義」を疑い、そこからの離脱を考えなくてはならない時が来た、と私は考えます。もちろん、それは絵画だけの問題ではなく、芸術だけの問題でもなく、哲学や思想を含めた「人間の世界との向き合い方」の問題です。パノフスキーさんの『<象徴主義>としての遠近法』は、絵画空間について考えることが必然的に「人間の世界との向き合い方」を考えることだと教えているのです。

そう考えると、一枚の絵と向き合って、その絵画が持っている空間構造を読み取ることは、とてもスリリングなことだと思いませんか?

その画家がどのような時代に生き、どのような思想的な基盤をもち、それをどのように絵画空間として表象したのか、それが一枚の絵から一気に読み取ることができるのです。

そのことをしっかりと認識した上で、私たちはどのような絵を描くのか、考えていかなくてはなりません。

 

それにしても、1920年代(今から100年前!)に、まだ30代の若者であった研究者が書いた一冊の本が、これほどのことを教えているのですから、これは驚くべきことですね。私にとっては何ともうれしい、そして素晴らしい発見でした。

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