平らな深み、緩やかな時間

61.「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50 年の軌跡 」

サイ トゥオンブリーの、日本では初のまとまった展覧会が開催されています。
http://www.haramuseum.or.jp/
展覧会が開催されている原美術館は品川の高輪にありますが、美術館の建物、たたずまいそのものが魅力的なので、あまり日本では名前の知られていないサイ トゥオンブリーではありますが、私の行ったときには館内は盛況で、カフェテラスでくつろぐ人たちもたくさんいました。これがサイ トゥオンブリーの本格的な初の展覧会、というのは遅きに逸しているような気がしますが、若い人たちがそんなこととはかかわりなく、感覚的にサイ トゥオンブリーの作品の美しさを受容しているのだとしたら、それはそれで良いことなのだろう、と思います。売店でカタログを見ようとしたら、どこにもなかったのですが、どうやらすでに売り切れていたらしいです。ちょっと残念。

そのサイ トゥオンブリー( Cy Twombly, 1928 -2011)ですが、美術史的にどんな位置にいる人なのかと言えば、これがけっこう複雑です。アメリカ出身の画家ですが、抽象表現主義のジャクソン・ポロック(Jackson Pollock, 1912 - 1956)らよりは一世代下、ネオダダ、ポップアートを主導したロバート・ラウシェンバーグ(Robert Milton Ernest Rauschenberg, 1925 - 2008)と同世代で、ともに美術学校やブラック・マウンテン・カレッジで学ぶなど、仲もよかったようです。しかし、彼の作品はラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズの作品とは違っているし、かといって、抽象表現主義の作品とも違っています。デュビュッフェ、もしくはコブラ(COBRA、CoBrA)のカレン・アぺルやピエール・アレシンスキーのようなプリミティブ・アートを志向する人たちの作品と、初期(1950年代前半)においては似ているけれども、その後、独自の絵画作品を展開していった点でやはり異なります。彼は活動の場をアメリカからイタリア(ローマ)に移したそうなのですが、地理的にもアメリカの現代美術の主流からすこしはずれたところにいたのかもしれません。それが1980年頃にようやく世界的に認められるようになり、フランスの批評家、ロラン・バルトに評価されたこともあって、国際的な賞をたくさん受賞するようになります。2001年にはヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞していますから、晩年は世界有数の巨匠になったと言えるでしょう。

さて、サイ トゥオンブリーの作品を個性的にしているもの、抽象表現主義ともポップアートとも、そしてミニマリズムとも異なるものにしている要因は、いったい何なのでしょうか?それはおそらく、彼が描くことの行為性、もっと単純にいえば壁に落書きを書くときの快感のようなものから外れることなく作品を展開していったことにある、と私は考えています。例えば、ポロックはクレメント・グリーンバーグに導かれ、オールオーバーな平面性へと志向することが表現の目的となっていきます。ポップアートはポップなイメージへと、プリミティブ・アートはプリミティブな形体描写へと、ミニマル・アートの単純な行為性は、やがて精巧な反復行為へ、さらに精巧な平面性へと向かっていきます。それぞれ表現は異なるものの、どこかでモダニズムの息づまるような生真面目さにからめとられていったように思います。サイ トゥオンブリーは、その生真面目さが絵を描くときの根源的な画面との接触性を失わせてしまう危機をはらんでいることを、本能的に知っていたのではないでしょうか。彼の作品はモダニズム絵画にありがちな様式化、つまりスタイルを固定して求道的に突き進むようなやり方からは一歩引いたところで、それでいてサイ トゥオンブリーらしさを失わずに制作を続けていきました。彼の独特な行為性に注目したのは、他ならぬロラン・バルトだったのですが、私も以前に宮下圭介さんの作品を論じる際に、バルトの文章を引用しています。ここに、再度その文章を書き写してみます。


さて、この新しい領域へと踏み出した宮下の作品は、それにともなって新しい展開を見せています。宮下は、素材の物質性にかかわることなく、画面上に自由に線や形象を描くようになりました。そこに描かれた形象は、円や長方形のような明らかな形体ではなく、また文字や記号でもありません。これらの図像(宮下自身は「sign」と言っていますが、ここでは仮に「図像」と呼ぶことにしましょう)を見て、私は以前にサイ・トゥオンブリ という画家を引き合いに出したことがあります。トゥオンブリは宮下のように層(被膜)を重ねる画家ではありませんが、その描線についてロラン・バルト が書いた文章が、記憶にあったので思い出したのです。バルトはトゥオンブリについて、こんなふうに書いています。※「彼の作品は概念(トレース[痕跡])に属さない。活動(トレーシング)に属する。さらにいえば、活動が展開される限りでの場(紙面)に属するのである。」 この、「痕跡」よりも「活動」に属する、というところが、宮下の行為性豊かな図像と、どこかで重なっているように思ったのです。また、トゥオンブリは宮下と違って、画面に文字を書くことがしばしばあります。その文字は何かの意味を指し示すためではなく、「絵の中に矛盾」を持ち込み、絵の静けさを「震撼」させるためだ、とバルトは解釈しています。確かにトゥオンブリは文字を不器用に、おそらくは意図的に読みにくく書いています。このトゥオンブリの文字表現が、当の文字の意味から遠ざかるように書かれているのだとすれば、これもまた、宮下の図像表現とどこかで共通するような気がするのです。
(『宮下 圭介 ―透視するまなざし―』より)
※引用箇所は『美術論集』 著・ロラン・バルト  訳・沢崎 浩より


バルトは、サイ トゥオンブリーの行為(活動)性、画面(紙面)との接触性がその芸術の本質だと言っているように思うのですが、いかがでしょうか。若干、私の読み間違いがあるとしたら、それはサイ トゥオンブリーが「宮下のように層(被膜)を重ねる画家ではありません」と言い切ってしまっていることでしょう。確かに、彼は宮下のような層の重ね方はしませんが、今回展示されていた紙の作品でも、ドローイングの痕跡をペンキで塗り重ね、あたかも年月を経た美しい壁面のような仕上がりの作品がありました。やはり、本物の作品を検証しながら文章を書かなければいけませんね。

ところで、サイ トゥオンブリーという芸術家について、懸念されるところがないわけではありません。それは、その晩年において、画面との接触性が薄れてしまって、モニュメンタルな大作を描く普通の巨匠になってしまったのではないか、という疑惑です。残念ながら、今回の展覧会は紙の作品ばかりだったので、タブローの大作がどうであったのか、ということまではわかりません。しかし、晩年の作品の方がビジュアルな豊かさ、美しさ、強さを持っている反面、画面との接触性が失われていたのかもしれない、という予感を持ったことは確かです。こんなことを書くと、サイ トゥオンブリーのファンの方には怒られてしまうのかもしれません。それに、私の頭が単純なために、どうも言葉が足りずに単純なものの言い方になってしまっていていけません。そこで、林道郎という研究者が、『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(出版/ART TRACE)という素晴らしい講義集でサイ トゥオンブリーについて興味深いことを論じているので、その結びに近い部分を引用してみます。


そういう観点から見ると、たしかにトゥオンブリの作品は、グリーンバーグ流のモダニズムの理論ではとても評価できない「時間性」を持っていると言っていいと思います。前の議論に遡れば、その生産行為の現在が、多義的に私たちに呼びかけてくるとすれば、それはやはり、トゥオンブリの作品において目指すべき結果としての全体が、大文字の「全体」として生産行為を服従させていないということに関わると思います。両立しないスケールの混在、全体像を与えられていないタスクの痕跡、固いメディアと柔らかいメディアの共存、記号的な書字の空間と物質的な絵画空間と蜃気楼のような映像空間の分裂的重層化…。それを「時間性」という言葉でくくっていいものかどうか、むしろほとんど夢の時空のような、圧縮と置換と接続と拡散が同時に起こっているようなそういう時空かもしれないのですが、あの繊細な表面の手業の痕跡は、その一瞥の「いい加減さ」、「手軽さ」に比して、いつも思いがけなく豊かな空白―過ぎ去ったものや来るべきものの存在の断片が浮遊する―に開かれた浮遊する現在を経験させてくれます。そして、トゥオンブリの後期作品における変質という問題に戻れば、見る者が自らの可能的身体の想像的体験として時間を感じとるような構造を持っていたものから、どうも、距離を隔てて「表象された時間」を眺めるようなものになってきてしまうという感じがするわけです。
(『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない Cy Twombly 』 著・林道郎)


このような文章を読むと、サイ トゥオンブリーという画家の存在がいかに稀有なものであるのか、その作品がいかに奇跡的なものであるのか、がわかっていただけると思います。私はちゃんとした研究者ではなく、どちらかと言えばいい加減な画家なので、その立場から、サイ トゥオンブリーをこのような稀有な存在にしている要因を、画面との接触性、その接触している実感にあるのではないか、と単純に思い込んでいるわけです。極端なことを言えば、この接触している実感があれば何を描いても大丈夫、というくらいの才能が、サイ トゥオンブリーにはあると思います。しかし、普通の人であれば、そのような接触性は簡単に失われてしまいます。一枚目はうまくいったけれど、二枚目はもうだめ、ということだってあるわけです。もしもサイ トゥオンブリーのような才能豊かな人に、そのような危機が訪れたとしたら、その原因は何だったのでしょうか?そんなひねくれた興味もあって今回の展覧会を見に行ったのですが、紙という素材はキャンバス以上に画家との接触性を高めるものなので、今回は判断を保留しておきます。ただ、そんな懸念を感じたことは前述のとおりです。

それにしても、無造作にしわがよった薄っぺらな紙の一枚一枚から、サイ トゥオンブリーの息遣いが聞こえてくるような気がして、私はすっかり展覧会を堪能して帰ってきました。やはり、1950年代後半あたりの作品が一番面白かったように思いますが、そうでなくても、彼のアトリエに無造作に落ちていた紙を拾ってきて額に入れたのではないか、と思えるような紙片から絵画特有の新鮮さがに見えたことは驚きです。よどんだ筆洗の中に残されたような絵の具の色も、彼の手にかかるととても美しく感じます。カタログもなかったので、もう1回見に行って、作品を目に焼き付けておきたいものです。夏休みとはいえ、その時間があるかどうか…。

※今回の展覧会では「サイ トゥオンブリー」と表記されていたようなので、それに従いました。一般には「サイ トゥオンブリ」と表記されることが多いようです。引用した文章は、そのもとの文章に従いました。本当の発音は、どっちに近いのでしょうね?

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