平らな深み、緩やかな時間

340.『小田原ビエンナーレ2023』に行ってきました。

現代美術展『小田原ビエンナーレ2023』「指標」に行ってきました。

 

https://ooo-hall.jp/global-image/units/upfiles/120576-1-20230728174557_b64c38045a950b.pdf

 

会期も終盤になってしまって、ご紹介が遅くなり申し訳ないです。展示もほとんど終わってしまいましたが、若干の感想を書きとめておきたいと思います。

 

さて、小田原ビエンナーレはどのような展覧会でしょうか?

企画が始まった頃のコメントがありますのでご覧ください。


 小田原ビエンナーレは、神奈川県および近県に在住する美術家による現代美術の自主企画展です。「美術と現在」をめぐる質の高い作品/問いかけを、現在の小田原、その時間と空間の中に展示・展開して、深く現代美術を感じとる場を創出したいと企画されました。

 小田原ビエンナーレ実行委員会の主催で賛助者の協力を得て、隔年に開催されます。

(小田原ビエンナーレ・主催者コメントより)

 

さらに詳しくは、クラウドファンディングのプラットフォームをご覧ください。

https://motion-gallery.net/projects/odawra2023

 

以上のような趣旨から、地元の情報誌や地方版に紹介記事が記載されています。

その数例のリンクを貼っておきます。

https://imakana.kanaloco.jp/article/entry-465861.html

https://www.townnews.co.jp/0607/2023/08/26/694210.html

 

私も過去に参加したことのある『小田原ビエンナーレ』ですが、この展覧会はひとえに事務局の飯室哲也さんの献身に支えられています。小田原の地元の展示スペースを発掘して繋ぎ合わせて、変化に富んだ展示場を確保しています。毎年、若干の変化はありますが、鑑賞者は展示場を巡りながら、いつのまにか小田原の街を散策することになるのです。

今年のテーマは「指標」ということです。このテーマの由来を飯室さんにお聞きしたわけではありませんが、おそらく、展覧会全体として何か一定の方向を差し示そうという意図はないと思います。真剣に美術に取り組む作家たちが集い、その作品を展示することが自ずと現在の美術の姿を表している、ということでしょう。このようなことが言えるのは、参加している作家たちの作品の水準が高いからです。そのために、この展覧会を見て回ることが、すなわち現代美術の「指標」を知ることになるのです。

 

そういう展覧会なので、展覧会全体の方向性や見映えについて言及することは、やめておきましょう。それよりも、私が継続して作品を見ている何人かの作家を取り上げて、その素晴らしい展示について書いておきたいと思います。その積み重ねが、『小田原ビエンナーレ』について語ることにもなるでしょう。

 

まず、「小田原宿なりわい交流館」の2階で展示していた飯室哲也さんの作品を取り上げます。

※なお、このblogが公開された時点で見ることができるのはこの展示だけですが、本日(9月16日 土曜日)は休館なので、ご注意ください。9月18日までご覧になれます。

この黒い板間で見る飯室さんのインスタレーション形式の作品は、いつ見ても伸びやかな感じがして好ましいものです。この建物では、1階の階段の入り口で靴を脱いで上がります。そのために、2階の展示空間では膝をついたり、手をついたりして、通常の視線以外にも、例えば作品を下から眺めることもできるのです。

今回の作品は、私の記憶では三つのパートに分かれていました。

階段を上って左側を見ると、筆による縦の白い線が繰り返し描かれた、大きな紙の平面作品が、ありました。それが壁一面に広がるように貼り付けてありました。

部屋の中央の床には、皮を剥がれた木の枝が緩やかな曲線状に継がれて置かれていました。その曲線の内側にあたる部分には、家庭ゴミ(といってもビニール包装やよく洗った缶類などきれいなものですが)が雑多に並べられていました。

そして、その隣には、白い箱状の手の平より少し大きいくらいの作品が円環状に置かれていました。箱の一つ一つの面には、白い紙によるさまざまな形が貼り付けられています。それはモダンな建築物のようでもあり、コンパクトなオブジェのようでもあります。

飯室さんの作品は、さまざまに形を変えますが、共通しているのは全体と細部の対等な関係性です。例えば一般的には、大ぶりなインスタレーション作品であれば、作品全体の構造が大切にされ、細部表現は全体に従属するものになりがちです。また、小さなオブジェ作品であれば、その細部に視線を集中させるために、一つ一つの作品がよく見えるように展示するのが普通でしょう。

ところが飯室さんの作品は、木の枝を継いで大きな曲線のうねりを作っておきながら、家庭ゴミの細部にも目が向くように作品が構成されています。また、白い箱の作品の方は、単体で見ても面白味のあるオブジェなのに、あえて大きな円環を形成するように並べて、見る人の目を拡散しているのです。

どうして飯室さんは、このような表現を継続しているのでしょうか?それは全体と細部、という矛盾した要素をそのまま作品に取り込むことに、飯室さんが制作の意義を見出しているからでしょう。飯室さんから、そのような硬い話を聞いたことはありませんが、ここで前回のblogの最後に取り上げた、辺見庸さんの言葉を思い出してみましょう。

 

わたしたちはいま、もっと迷子になるべきなのだ。

(『入江の幻影』「カラマーゾフと現在」辺見庸)

 

この思いは、飯室さんとも、あるいは今回、これから私が取り上げる作家たちとも共通するのではないでしょうか?作品を見栄えよく完成させることにゴールがあるわけではないのです。

 

それでは会場を変えて、「小田原三の丸ホール」の作品について見ていくことにします。

 

「小田原三の丸ホール」に行くと、1階の廊下の広い壁面に、石原瑞穂さん、木下泰德さんの作品とならんで、鵜澤明民さんの作品がありました。

赤(というより紅色?)青、緑、黄色、オレンジなどの極彩色の絵の具が、べっとりと波打つように画面上に乗せられています。その抽象的な形象は、デカルコマニー技法で制作されたような模様となっています。それは、作家の作為を感じさせない潔い表現となっているのです。

数年前の鵜澤さんは丸い形を描くなど、描画行為をあえて表出させるような絵を描いていました。現代絵画が見出した作家の行為性という文脈を、さらに先鋭化させて表現することを、鵜澤さんは試みていたのだと思います。

このところの鵜澤さんは、さらに表現の視野を広げたようです。作品には『量子力学生成』というタイトルが付けられていて、芸術を超えた森羅万象にまで思いが及んでいるようです。すべての現象の原点はどのように見えるのか、それは究極の混沌と秩序が私たちの想像を超えて混在するのかもしれない、というような壮大なイメージを鵜澤さんの作品から感じます。色や形のバランス、画面構成、などといった一般的な絵画制作の方法論は、鵜澤さんにとってはどうでもいいことでしょう。鵜澤さんの思考レベルの高さを感じさせる作品群が展示されていたと思います。

 

会場を進んでいって、「小田原三の丸ホール」に着くと、広くて風通しの良い空間に参加作家の作品が並んでいました。写真の作品もあり、立体作品もあり、どれも作家の力量を感じさせる作品ですが、まずは古藤典子さんの作品を見てみましょう。

古藤さんは、いわゆるミニマル・アートを彷彿とさせる作品を作り続けている人です。紙と鉛筆だけを駆使して、画面構成という概念を拒絶するようなシンプルな画面作りが、古藤さんの特徴であると言えるでしょう。

それがこの所の古藤さんは、特殊な金属を使って作品を制作しているのではないか、と思えるような不思議な質感の作品を発表しています。もちろん、古藤さんは特殊な金属など使っていません。モノクロームの画面と鉛筆が主たる素材であるところは以前の古藤さんの作品と変わりませんが、今回の展覧会ではとにかく画面の質感と微妙な色合いが魅力的なのです。それらの要素だけでも、すでに旧套的な絵画を超越しているので、その作品がどのような画面構成をしていても、もはや構成的な絵画には見えないでしょう。

そのせいか、古藤さんの画面も少し力みが消えたような、すごくスッキリと、そして楽に見られる作品になっています。以前のように、それまでの絵画を拒絶するような緊張感ではなくて、絵画を超越したところに存在する美しさを楽しむような余裕が感じられます。

このような古藤さんの作品の魅力はどこから来るのか、どうして古藤さんの作品はミニマル・アートに拘泥し続けている他の作家たちのような袋小路に陥らないのか、と思いながら『小田原ビエンナーレ』のカタログを読んでみると、彼女の作品の原点がイタリアの空間主義の作家、ルーチョ・フォンタナ(Lucio Fontana, 1899 - 1968)さんにあることを知りました。現代美術の歴史を安易に読み込む人にとっては、ミニマル・アートがモダニズム理論の帰結のように解釈できるのかも知れませんが、美術の動きは多様です。私は、フォンタナさんの作品が特別に魅力的だとは思いませんが、彼がいち早く絵画空間と絵画の物質性について考察し、作品を発表したことについては、重要な出来事だったと思います。

私は、フォンタナさんの試みたことが古藤さんに隔世遺伝をして、フォンタナさんの作品以上に美しい作品として現在に蘇っていることをとても愉快に思います。ここでもまた、辺見さんの「わたしたちはいま、もっと迷子になるべきなのだ。」という言葉を思い出しておきましょう。古藤さんは、もしかしたら100年近く前のイタリアの美術界で迷子になった人なのかもしれません。

 

この会場でもう一人、『日常的でありふれたこと』というテーマでコーヒーカップやガラスのコップ、透明な瓶に挿された花などを描いている米満泰彦さんについて書いておきましょう。米満さんは、私が若い頃に一緒に展覧会を開催したことのある友人です。そのころの米満さんは、粗いタッチの風景と抽象画を組み合わせた作品を制作するなど、当時としては先端的な表現を試みていました。いつしか米満さんは、そのような複合的な作品から、集中して具体的なものを描写する作品へと変わっていきました。

しかし、その具象的な表現にあっても、米満さんは絵画の現代的な存在意義について考察することをやめていません。何気ない静物画ですが、背景には抽象的なストライプや十字型の模様が組み合わされていたり、少しピンボケの状態で描写されていたり、金属や布の曲面がクローズアップされて描写されていたり、というふうに、「もの」そのものの描写よりも、それがどのような空間の中で存在しているのか、ということに焦点を当てて描いているようです。

すでにさまざまな表現を試みてきた米満さんですが、その結果、今の米満さんが最も描いてみたい絵画はどのようなものなのか、どんな絵画空間に興味を持っているのか、ということを、もっと知りたくなります。会場で米満さんとお話しした時に、若い頃に試みた抽象的な背景に再び挑んでみたら、どうもしっくり来なくって・・・とお話しされていました。おそらく、当時の米満さんと現在の米満さんでは、描写の密度が異なり、絵画空間の把握もより的確になっているのだと思います。若い頃には、曖昧なままに組み合わせることができたものが、今ではその曖昧さに矛盾を感じてしまう、ということではないでしょうか。画家の実感として、この違和感はとても重要だと思います。このような経験が、現在の米満さんが最もしっくりとくる表現とはどのようなものなのか、と導いていくのではないかと思います。

米満さんはこの後も、地元のギャラリーを中心として発表の機会があると聞いています。具体的なものを描く米満さんの仕事が、多くの人の共感を呼んでいるのだと思います。そんな中ですが、さらに米満さんご自身の欲望に忠実な作品を期待したいと思います。

 

まだまだ触れたい作品がありますが、ここで会場を移動します。

私が以前に展示させていただいた「ツノダ画廊」では、ギャラリースペースの下の部屋では上楽寛さんの作品が、上の部屋では数人の作家の写真作品が展示されています。

 

上楽さんの作品を一言で形容すると、アメリカの抽象表現主義の作家たちが試みた絵画を、モノクロームで追究しているような作品、と言えると思います。何か有機的な要素を持つ形象を、作家の行為性を含んだ大胆な筆致で、それもモノトーンを中心として表現する、と言えば説明になるでしょうか。

私はこれまでの上楽さんの作品を見てきて、そのモノクロームのトーンの中に、多様な色彩を感じてきました。優れた水墨画の作品が墨の色以上の色彩を感じさせるように、上楽さんの作品の微妙なモノトーンが、見る者の目の中で色彩を生じさせるのです。

このようにモノクロームでも色彩を感じさせる画家ですから、実際に色を使ったらさぞかし美しく、またパワフルな絵になるのではないか、と私は思っていましたが、今回の展示では色彩を使った作品がありました。それは期待以上の作品で、色彩の美しさに酔うことなく、絵画空間の密度を保ったままに多彩な色をごく自然に、そして必然性を持って表現していました。

おそらく、上楽さんのイメージの中にはつねに豊かな色彩が潜んでいるのでしょう。それがモノクロームの表現で現れるのか、そのままの色彩で現れるのか、というのは車の両輪のように連動しているのではないか、と推察します。それならば、もっと色彩のある作品もたくさん見せていただけると、モノクロームの作品についても、より深く理解し、堪能できるのではないか、と勝手なことを考えてしまいました。

先ほども書いたように、上楽さんの絵画の方法論は、アメリカの抽象表現主義の作品を彷彿とさせるものです。もしも上楽さんが多彩な色彩を使ってしまえば、それはそれらの過去の作品との差異が曖昧になってしまう・・という見方もあるのかもしれません。しかし私は、まったくそのような批評は当たらないと思います。『小田原ビエンナーレ』のカタログの中で、上楽さんは自分の作品と「自然」の形象との結びつきについて、情熱的に語っています。そこにはすでに、上楽さんの固有の表現が実現されているのです。明らかに上楽さんは、かつてのアメリカの現代絵画を超越しています。それも独自な表現として超越しているのですから、あとは鑑賞者である私たちが、そのことをどれだけ深く理解するのか、ということに委ねられています。

 

ここで少し、作品の鑑賞者である私たちの責任について書いておきましょう。

現在、真剣に絵を描いている作家ならば、アメリカの抽象表現主義やミニマリズムに影響を受けていない画家はいないと思います。私たちは、美術という大きな流れの中で活動し、生きているのですから、そのことを否定的に考える必要はありません。ただし、現在の作品が単なる過去の焼き直しになっているのなら、それは鑑賞するに値しないものでしょう。

しかし、今回の展覧会の中だけでも、鵜澤さん、古藤さん、上楽さん、というふうに、過去の作品の影響を超越して、独自の表現の展開を遂げている画家たちがいます。彼らの作品がどれほど価値のあるものなのか、それは筆舌に尽くし難いものです。

そして現在の日本の現代美術の課題は、鑑賞者である私たちが、それらの画家たちの表現に気づくことにあるのだと思います。本来ならば、私などよりもうんと賢いはずの美術批評家や学芸員の方々が、彼らの作品を取り上げて、それなりの批評を書いたり、展覧会を企画していけば良いのですが、なかなかそうはいきません。歯がゆいことですが、この現実は早々に変わる見込みがありません。何よりも、この『小田原ビエンナーレ』の企画者が、作家でもある飯室さんであることが、日本の現代美術の現状を表しているのです。

ですから、このblogを読んでいただいている方々が、それぞれの場所で優れた作家、素晴らしい作品を見出して、それを継続して鑑賞していくことが、現状を好転させていく第一歩になると思います。こういう苦しいときは、下を向かずに楽観的になることも必要です。何よりも、良い作品を見ることは、とても楽しいことです。喜びの気持ちを持ちつつ、お互いにがんばりましょう。

 

さて、最後に同じ「ツノダ画廊」の写真作品についても簡単に触れておきましょう。

飯室さんは、ここでは写真家としての才能も発揮されています。飯室さんの美術作家としての作品との関連性を探すよりも、写真作品として面白いものが揃っていました。

同じことが、加藤富也さんの写真にも言えると思います。構図やアングルの設定が現代美術家ならではのものではありますが、そんなことを考えなくても写真として見ていて面白いのです。

写真表現のように、瞬間的に構図が決まってしまう媒体が、私は苦手です。それだけに、「ツノダ画廊」に展示されていた作家たちの才能がよくわかります。とてもうらやましいです。

その中で、宮下圭介さんの写真は、少し違った印象を持ちました。宮下さんの写真は、まるで宮下さんの絵画作品を見ているようでした。この世界は幾重にも重ねられた層で出来ていて、宮下さんはそのことを可視化する表現を継続している作家です。その宮下さんは、写真を撮っても、絵画作品と同じことを表現していました。ああ、写真でこんなこともできるんだ!と、ちょっとびっくりしました。宮下さんのように、絵画をいくつかの層の重なりによって表現している画家は他にもいますが、宮下さんはその一つ一つの層にリアリティーを見出しています。そのことを宮下さんは「面位」と言ったのでした。詳しいことは、次の私のblogを参照してください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/73bbf4c96115a163d4356b57282d6110

この宮下さんのリアリティーを支えているのが、今回の写真作品のような視点なのだと思いました。絵画の中の層を、単なる方法論として、あるいは制作過程として考えている画家の作品には、それなりの魅力しかありません。しかし、それぞれの層に具体的な位置を感じながら制作している宮下さんの場合は、それらの画家たちとはまったく違った表現になるのです。そのような宮下さんの絵画の根底にあるのが、このような現実を見る眼差しにあるのだ、ということを私は認識はしていたのですが、それをこのように写真として見せられるとは思っていませんでした。

このように、楽しい驚きがありますから、展覧会場に足を運ぶことはやめられません。上楽さんの作品と併せて、「ツノダ画廊」に行ってよかったです。

 

このような展覧会の紹介は、本来ならば会期の始まりに合わせて書くべきなのでしょうが、なかなかそうはいきません。しかし、その記録を書き留めておくことに、それなりの意味があるでしょう。

そして、私は日常の小田原の街のことはよくわかりませんが、このように質の高い現代美術の作品が一地方都市に集まる機会は、それほど多くないと思います。正直にいうと、夏が終わって多忙な毎日が始まっている中で、遠方に出かけるのは少々たいへんでしたが、貴重な体験の一日となりました。

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