7月9日の9時過ぎ、お隣の丹波市から、市島の「鴨庄オオムラサキ飼育の会」の人達4人が、飼育活動の交流を求めて当地に来られた。ケージの中に入り、オオムラサキにご挨拶をいただいた後、粟鹿自治協の喫茶バンビで、コーヒーを飲みながら歓談した。山東町には飼育活動の遙か前から、オオムラサキの採集と標本づくりを手がけておられた波多野哲哉さんという方がおられ、交流会にお呼びしていた。波多野さんからは昆虫少年から今日に至る苦労話を話して頂いた。その中でオオムラサキとの出会いは6月末から7月初めが多かったこと、5㍍の竿網で捕獲したこと、生野が昆虫採集のメッカだったなどの話は、始めて耳にした。話しあいは、オオムラサキの飛び交う里山づくりに及び、いかに元気なエノキを育てるか、そしていかに樹液を出すクヌギなどの雑木林をつくるかが大事だとなり、この仕事は子や孫の時代までかかるとの思いで、参加者の心は一つに結ばれていた。このあと、雑木林づくりの現場、フジツルの巻き付いたエノキの大木にご案内し、交流を終えた。
交流会に先立ち、ケージの中の草を取り、周りの清掃をしていたら、人工樹液の皿が置いてある場所にカブト虫とエノキを食樹とするヒオドシチョウが寄ってきていた。
昨年はケージの中に幼虫を30頭も放ち、失敗した。エノキの本数、成長の程度を考慮せず、沢山の蝶を舞い飛ばしたいという願望が先行し、収容能力を無視して過剰の幼虫をケージ内に迎え入れてしまった。このためエノキの葉はサナギになる前に食べ尽くされ、エサをなくし、行き場を失った幼虫たちは、木から降りて放浪の旅に立ち、のたれ死にし、子孫を残すことが出来なかった。
今年はその痛い教訓を胸に、慎重に進めた。丹波の森公苑からは20頭の幼虫を3月末にもらい受け、4月20日頃、5年生位の鉢植えエノキを2鉢持ち込んだ。それでも足りなくなりそうに思われた4月末、ケージの脇に予備に植えていた3本の枝が70㌢ほどに伸びた地植えのエノキを急きょケージ内に移植した。幸いにして、5日間毎日大量の水を補給してやったことも功を奏してか、首尾良く根がつき、間に合いました。それでもその間に、5頭ほどが行方不明となりました。これでは先々が心配と思い、外にもう1本植えていた2㍍程のエノキに追加でもらってきた発育不良気味の10頭の幼虫を放ち、2㍍四方のネットを被せ、万全を期しました。
今年はサナギの第1号が誕生したのが5月21日でした。30日までに7頭がサナギになりました。羽化の第1号が6月4日。その後の2週間の間に6頭の蝶が誕生しました。6月中に全てのサナギが蝶になりました。7月1日現在11頭の蝶がケージ内にいます。梅雨の合間の、さわやかな風がそよぐ日には、気持ちよさそうに飛び回り、入っていくと待っていたかのように近寄ってきます。そして恋人探しが始まります。その追いかけっこを見ていると、人間と一つも変わりないなという気になる。ケージ内にはクヌギがなく、人工樹液をつくってやっている。腐ったバナナの人工樹液かけが大好物のようで、樹液トレイに絶えず群がっています。卵もほんの少々ですが生んでくれました。
昨年は成虫の飼育に失敗し、9月以降、幼虫不在の状態に陥りました。今春に入り、丹波から幼虫30匹をもらい受けて、再スタートとなりました。エノキの葉が食虫として肥え太り、順調にサナギになっていっています。ホッとしてます。
ケージ外に育てていた露地植えのエノキに10頭を移動、鉢植えのエノキを5本、ケージ内に持ち込むなどの非常手段が功を奏しました。ケージ内に20頭のオオムラサキを舞わさせることができそうです。