1審で死刑を言い渡されたオウム真理教松本智津夫被告(51)=教祖名麻原彰晃=について、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は15日、控訴趣意書の提出遅延を理由に裁判を打ち切った東京高裁の決定を支持、弁護団の特別抗告を棄却する決定をした。実質審理は1審だけで死刑が確定した。
麻原さんの人生相談
らしい。色々あり過ぎてなにがなんだか忘れちゃいました。
http://jp.youtube.com/watch?v=CB0SOOgHtqA
反省しないところがエライですね。周りがバカばっかってことで、宗教なんてこんなもんでしょー。
麻原 彰晃(あさはら しょうこう、1955年3月2日 - 、本名:松本 智津夫〈まつもと ちづお〉)は、宗教団体オウム真理教(現・アーレフ)の元代表で教祖・テロリストである。
1996年6月19日以降は、教団内部での地位は開祖。同団体は宗教団体アーレフに改組され、アーレフに於いての公式呼称は「旧団体代表」とされた。
著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。宗教団体オウム真理教の信者からは尊師、もしくは本来ヒンドゥー教の導師を指すグルと呼ばれ、崇拝の対象となっていた(宗教団体アーレフでは、尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表わしたものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けることを禁じた)。
教団は日本支配を画策しており、その憲法草案の中では神聖法皇と呼称されていた。また、神や死者の声が聞こえる霊能者であるとも自称していた。
1984年、東京都渋谷区にヨガ道場「オウムの会」を結成し、株式会社オウムを設立。松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。 1986年、ヒマラヤで最終解脱と称す。同年、「オウムの会」を「オウム神仙の会」と改称。1987年、さらに「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改称する。空中浮遊などのショー的なアピールで徐々に信者を獲得していく。
1990年2月の衆議院議員選挙では、真理党代表として東京4区から出馬したが落選。
1995年5月16日に山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)のオウム真理教の教団施設で地下鉄サリン事件・松本サリン事件など、一連のオウム真理教事件の首謀者として逮捕された。麻原は札束を抱えて、第6サティアンの1階への階段途中の壁の中に隠れていた。逮捕された際は失禁していたと伝えられている。
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