
全国最大の指定暴力団山口組ナンバー2高山清司若頭(72)が10月18日に出所した影響で、激化が懸念される山口組と神戸山口組との抗争事件。山口組系組員への銃撃事件で、兵庫県警が実行犯のヒットマンとみて殺人未遂容疑などで逮捕したのは、かつて山口組内の巨大組織として知られ、現在は神戸山口組の中核組織「山健組」(神戸市中央区)の組長、中田浩司容疑者(60)だった。
山健組は先代の山口組5代目組長を輩出し、全国的にも長く他の組織を圧倒する存在感を示していた。だが、2005年に弘道会(名古屋市)出身の6代目が就くと、形勢は逆転。名古屋系組長が重用され、山健組をはじめとする関西系組長は憂き目に遭ってきたという。
04年当時の記事などによると、山健組はそれまでの10年間で勢力を倍増。引退した組長配下の組員を積極的に引き入れるなどし、準構成員を含めると約7千人を超え、山口組内で寡占化が進んでいた。一方、神戸山口組の構成員は18年末で約1700人。暴力団組織は全体的に高齢化が進んでおり、捜査員らによると「ヒットマンになる若い組員がいなくなっている」という。
山健組は先代の山口組5代目組長を輩出し、全国的にも長く他の組織を圧倒する存在感を示していた。だが、2005年に弘道会(名古屋市)出身の6代目が就くと、形勢は逆転。名古屋系組長が重用され、山健組をはじめとする関西系組長は憂き目に遭ってきたという。
04年当時の記事などによると、山健組はそれまでの10年間で勢力を倍増。引退した組長配下の組員を積極的に引き入れるなどし、準構成員を含めると約7千人を超え、山口組内で寡占化が進んでいた。一方、神戸山口組の構成員は18年末で約1700人。暴力団組織は全体的に高齢化が進んでおり、捜査員らによると「ヒットマンになる若い組員がいなくなっている」という。
2019年12月03日、今年08月に兵庫県神戸市にある六代目山口組『三代目弘道会』神戸事務所の前で、車を駐車しようとしていた組員がバイクに乗った男に銃撃され一時重体となった事件で、神戸山口組若頭代行の五代目山健組『中田浩司』組長が殺人未遂の疑いで逮捕された。中田組長は犯行を指揮したのではなく、自らスクーターに乗って拳銃を撃ち放った実行犯だとみられている。
・2019年08月21日18時15分頃、兵庫県神戸市中央区熊内町9にある六代目山口組『三代目弘道会』の神戸事務所の前で、駐車中の車に乗っていた三代目弘道会系組員がバイクに乗った何者かに銃撃され、腹部などに3発被弾して一時重体となる事件が発生した。犯人は現場から逃走し、現場には薬莢6個が残されていた。
•事件から2日後に現場から南に約600m離れたマンションの敷地内で、事件に使用されたとみられる黒のスクーターが発見され、それから数日後には現場から南西に2.5km離れた病院の敷地内で、逃走に使用したとみられる白のスクーターが発見された。1台から暴力団関係者の指紋が検出された。
•2019年12月03日、この事件の実行犯とみられる、神戸山口組若頭代行で『五代目山健組』組長の中田浩司(60)が、殺人未遂と銃刀法違反(発射)の疑いで逮捕された。
•犯行の瞬間は防犯カメラに収められていて、警察がスクーターに乗って逃走する犯人の足跡を解析したところ、犯人は黒いスクーターに乗って犯行し、そのまま逃走した後に白いスクーターに乗り換え、兵庫県神戸市中央区にある五代目山健組組長の自宅に入る姿が確認されたため、中田組長が犯人と同一人物だと判断。
•警察が中田組長の逮捕状を取って行方を追っていたところ、03日夜に大阪府大阪市淀川区で1人で歩いていたのを発見され、逮捕された。
中田組長は1959年生まれ、出身は和歌山県御坊市だと言われている。1977年頃に山健組系組織で渡世を始め、1981年に健竜会の部屋住みとなり、渡辺芳則二代目山健組組長の運転手を務めた。
1984年に対立組織の幹部を銃撃し、1986年に逮捕される。服役中に健竜会若頭補佐となり、2000年に出所。その後、健竜会若頭となった。
2005年に井上邦雄四代目健竜会会長が上部団体の四代目山健組組長を継承すると、中田組長は五代目健竜会会長を継承。上部団体の四代目山健組で若頭補佐に起用される。
2015年08月に六代目山口組が分裂すると、所属している四代目山健組に準じて六代目山口組を離脱し、他の10数団体と共に神戸山口組を結成。その後、神戸山口組傘下となった四代目山健組で若頭代行、若頭を歴任。四代目山健組の最高幹部となった。
2018年05月に井上邦雄四代目山健組組長が神戸山口組組長に専念し、中田組長が五代目山健組組長を継承。上部団体の神戸山口組では若頭補佐を経て、現在は若頭代行を務めている。
2019年10月には和歌山県御坊市で開催された秋祭りで、中田組長の名前が入ったのぼり旗が掲げられているのが発見され、問題視される騒動も起こっていた。
・2019年08月21日18時15分頃、兵庫県神戸市中央区熊内町9にある六代目山口組『三代目弘道会』の神戸事務所の前で、駐車中の車に乗っていた三代目弘道会系組員がバイクに乗った何者かに銃撃され、腹部などに3発被弾して一時重体となる事件が発生した。犯人は現場から逃走し、現場には薬莢6個が残されていた。
•事件から2日後に現場から南に約600m離れたマンションの敷地内で、事件に使用されたとみられる黒のスクーターが発見され、それから数日後には現場から南西に2.5km離れた病院の敷地内で、逃走に使用したとみられる白のスクーターが発見された。1台から暴力団関係者の指紋が検出された。
•2019年12月03日、この事件の実行犯とみられる、神戸山口組若頭代行で『五代目山健組』組長の中田浩司(60)が、殺人未遂と銃刀法違反(発射)の疑いで逮捕された。
•犯行の瞬間は防犯カメラに収められていて、警察がスクーターに乗って逃走する犯人の足跡を解析したところ、犯人は黒いスクーターに乗って犯行し、そのまま逃走した後に白いスクーターに乗り換え、兵庫県神戸市中央区にある五代目山健組組長の自宅に入る姿が確認されたため、中田組長が犯人と同一人物だと判断。
•警察が中田組長の逮捕状を取って行方を追っていたところ、03日夜に大阪府大阪市淀川区で1人で歩いていたのを発見され、逮捕された。
中田組長は1959年生まれ、出身は和歌山県御坊市だと言われている。1977年頃に山健組系組織で渡世を始め、1981年に健竜会の部屋住みとなり、渡辺芳則二代目山健組組長の運転手を務めた。
1984年に対立組織の幹部を銃撃し、1986年に逮捕される。服役中に健竜会若頭補佐となり、2000年に出所。その後、健竜会若頭となった。
2005年に井上邦雄四代目健竜会会長が上部団体の四代目山健組組長を継承すると、中田組長は五代目健竜会会長を継承。上部団体の四代目山健組で若頭補佐に起用される。
2015年08月に六代目山口組が分裂すると、所属している四代目山健組に準じて六代目山口組を離脱し、他の10数団体と共に神戸山口組を結成。その後、神戸山口組傘下となった四代目山健組で若頭代行、若頭を歴任。四代目山健組の最高幹部となった。
2018年05月に井上邦雄四代目山健組組長が神戸山口組組長に専念し、中田組長が五代目山健組組長を継承。上部団体の神戸山口組では若頭補佐を経て、現在は若頭代行を務めている。
2019年10月には和歌山県御坊市で開催された秋祭りで、中田組長の名前が入ったのぼり旗が掲げられているのが発見され、問題視される騒動も起こっていた。
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