
「血は天井まで飛び散って…」
木原誠二官房副長官妻の前夫“不審死”
実父が捜査再開を求めた“壮絶現場”
2006年に起きた安田種雄さん(享年28)の不審死事件で、遺族が7月20日の午後、東京霞が関の司法記者クラブで会見を開き、警視庁に捜査の再開を求める上申書を提出したことを報告した。
安田さんの不審死事件をめぐっては、『週刊文春』が自民党の木原誠二官房副長官の妻で、安田さんの元妻であるAさんを重要参考人として警察の捜査が行われていたことを報じている。会見で安田さんの父親(70)は、 「息子が亡くなって、今年で17年になります。しかし種雄の死の真相はいまだに解明されていません。私は、ただ真実が知りたいのです」(安田さんの実父、以下同) と、静かに語った。安田さんの父親によると、安田さんは2002年5月にAさんと結婚。子宝にも恵まれたが、夫婦関係は徐々に悪化していった。2006年には離婚の話も出ていたという。 そんな中、事件は2006年4月10日に起こった。電話をかけても折り返しがなかったため、父親が安田さんの自宅を訪れると、変わり果てた息子の姿を発見したのだ。 「息子は血まみれで目を見開いたまま倒れていました。血は天井まで飛び散っており、右太ももの20~30センチ先には、細長いナイフがきちんと置かれていました。 当時の警察は“事件性はないだろう。自殺だろう”と判断していました。でも種雄の傷は喉元から肺にまで達していました。自分をそんな風に刺したうえで、足元にナイフをきちんとおいてから絶命するなどということが果たしてあり得るのでしょうか」 『週刊文春』によると、警察は当初、安田さんの自宅から発見された覚せい剤の乱用による自殺と見立てていた。遺族が納得しなかったため未解決の不審死事件として処理されたという。
「種雄が亡くなった時も、まともに捜査されず闇に葬られ、諦め生きてきました。それが事件から12年後に再捜査していただけると連絡があった時には心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやると息子に誓いました。しかし、捜査が始まり1年も経たないで捜査の縮小が告げられ、捜査1課の捜査班は解散され、大塚警察署へと管轄が移ってしまいました」 そして、ときおり涙を流しながら、息子についてこんな思いも口にした。 「種雄は中学に入学すると不良とつるむようになり、暴走族に入ったこともありました。高校時代からは雑誌モデルとして活躍していたこともあります。やんちゃな子でしたが、家族想いで、約束は必ず守り、人情に厚く、弱いものいじめだけはしなかった。 そんな種雄は誰からも好かれ、地元の先輩や後輩にも頼られ、亡くなった今でも“種雄のためなら”と、この解明されない真相のために、私たち家族とともに悔し涙を流してくれる子がたくさんいます。 命日には花を送ってくれたり、種雄に会いに来たと言って、私と酒を酌み交わしたり、種雄の残してくれたものは計り知れないです。子どものころは厳しく育ててきましたが、友だちに父親である私のことを自慢していたということを聞いた時には涙が止まりませんでした。種雄は私たちの大切な、大切な息子です」 安田さんの遺族は、7月17日、警視庁大塚署の署長に宛てて、事件の再捜査を望む上申書を提出した。木原官房副長官は、『週刊文春』の取材に対し「事実無根」と回答している。 遺族の無念を晴らすためにも、適切な再捜査によって事件の真相が明かされることを願う――。

木原 誠二(1970年〈昭和45年〉6月8日 - )
家族は元ホステスの妻と子供のほか、元ホステスの愛人との間に隠し子が一人おり、
愛人と不倫関係にあることが週刊新潮や週刊文春で報じられたが、
木原側は愛人関係や血縁関係を否定した。
その後、愛人の代理人弁護士が司法記者クラブに送った文章内で、娘は認知は受けていないが、
木原との間に生まれた婚外子であることを認めた。
また、認知しようという木原の申し出は愛人側が断ったと説明した。
その後、木原の代理人弁護士は週刊文春に対し、文書で記事を「事実無根」で「捏造されたであろう風説」と主張し、
「マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害」と批判し、即刻記事を削除するよう求め、刑事告訴するとした
家族は元ホステスの妻と子供のほか、元ホステスの愛人との間に隠し子が一人おり、
愛人と不倫関係にあることが週刊新潮や週刊文春で報じられたが、
木原側は愛人関係や血縁関係を否定した。
その後、愛人の代理人弁護士が司法記者クラブに送った文章内で、娘は認知は受けていないが、
木原との間に生まれた婚外子であることを認めた。
また、認知しようという木原の申し出は愛人側が断ったと説明した。
その後、木原の代理人弁護士は週刊文春に対し、文書で記事を「事実無根」で「捏造されたであろう風説」と主張し、
「マスコミ史上稀にみる深刻な人権侵害」と批判し、即刻記事を削除するよう求め、刑事告訴するとした
捜査も会見も突然中止。
木原誠二官房副長官の妻「元夫不審死事件」をめぐる“忖度とタレ込み”の裏
7月6日発売の「週刊文春」のスクープで明らかになった、木原誠二官房副長官の夫人が5年前、元夫の不審死事件を巡り事情聴取を受けていたという衝撃的な事実。しかし程なくして捜査は突然の幕引きを迎えることとなってしまいます。その裏には一体どのような力が働いていたのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんが、週刊誌報道を基に独自の推理を展開。さらに誰が5年も前の騒動を今このタイミングで文春にリークしたのかについても推測しています。
内閣官房副長官、木原誠二氏の妻の元夫が2006年に不審死した事件で、元夫の父親が7月12日に記者会見する予定だったが、直前になって、とりやめになった。
理由はわからない。わかっているのは、週刊文春がこのところキャンペーンを続けている元夫の死にまつわる木原夫人の疑惑について、元夫の遺体を発見した父親の口から、何かが語られるだろうと、メディア関係者が予想していたことだ。
木原氏は文春の記事に関し「事実無根の内容であるばかりでなく、私と私の家族に対する想像を絶する著しい人権侵害だ」とする「ご通知」なる文書を司法記者クラブ宛てに送付した。
言うまでもなく木原氏は岸田首相の最側近である。メディアにとっては、官邸の最重要な取材源でもある。文春砲の衝撃にもかかわらず、この件に関してこれまで沈黙してきたテレビ、新聞など主要メディアは、木原夫人の元夫の父の会見が行われた場合、内容しだいでは、木原副長官がらみの一大スキャンダルとして取り上げざるを得なくなるるところだった。
ただでさえマイナカード問題などで内閣支持率が急落している岸田政権に、壊滅的なダメージをおよぼす可能性があっただけに、会見中止の背後で何があったのか、気になるところだ。
週刊文春7月13日号の記事によると、その出来事は06年4月10日、風俗店勤務、安田種雄さんの東京都内の自宅で起きた。夜中の3時ごろ、種雄さんが居間で血まみれになって死んでいるのを、貸していた車を返してもらおうと訪ねてきた父親が見つけた。当時、種雄さんの妻だった木原氏の現在の妻、X子さんは、子供二人とともに隣の寝室で寝ていて、気づかなかったと警察に供述した。
種雄さんは、ナイフで頭上から喉元に向かって刺され、肺近くに達する失血死だった。体内からは致死量の覚せい剤が検出された。警察の当初の見立ては覚せい剤乱用による自殺で、その後、未解決事件(コールドケース)という扱いになった。
それから12年後の2018年春になって、警察が再捜査をはじめた。都内に100余りあるコールドケースを掘り起こすなかで、担当刑事が、ナイフへの血の付き方が自殺というには不自然なことに気づき、この事件に疑念を抱いたのだ。
X子さんは、種雄さんと死別した後、銀座の高級クラブで働いていたが08年、元財務官僚で衆議院議員の木原氏と出会い、14年に女児を出産し、結婚した。
18年春からの再捜査によって、事件は解決に向けて動き始めた。種雄さんが亡くなった当時、X子さんと親密だったY氏が、事件当日、自家用車で現場方面に向かっていたことがNシステムの捜査で判明したのだ。
覚せい剤事件で刑務所に収監されていたY氏に警察は粘り強く事情聴取を重ねた。その結果得られた供述は驚くべき内容だった。
Y氏が安田宅に行くと、種雄さんが血まみれで倒れており、X子さんは「夫婦げんかになって、殺せるなら殺してみろと夫に刃物を握らされたので切ってしまった」とワケを話したというのである。
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