ブッダ の 真理   Buddha Dharma


ブッダ(仏)は、内在する普遍の真理

ゾクチェンの心髄 

2007-10-29 | チベット
ゾクチェンの心髄

リクパ(明知)は思考と思考の間の覚醒。

思考はリクパの輝き。

思考はあるがままにされ、消えていく。

Now, Here. 今、ここの直観知が智慧。

ヴィジョンを見ている者を探す。

するとヴィジョンは解決地点にある。

主体と対象の二元性はない。

ゴールを求めることをやめ、修行者自身を探す。

すると成就地点にある。

そのゴールは努力がなく、放棄と修行、欲望と恐怖から自由なところ。

Now, Here. 今、ここの認識である智慧の輝きだ。



空間を凝視する。

未来の願望を棄てる。

心が静まったら自己を見る。



ヴィジョンは空性と光の観照。

瞑想は自然解放を維持。

行為は自由な反応とともにリラックス。

ゴールは、すべての見解と観念の崩壊。

現象は障害ではない。

執着こそ障害だ。

ブッダフッドは無執着。   

このゴールは努力がなく、

完全に放棄と修行、欲望と恐怖から自由で、

今ここの認識である自発的、自然な輝き、ブッダフッドである。

サムサーラとニルヴァーナは存在しない。

すべてはダルマカーヤ。

主体、対象の二元性によりサムサーラとニルヴァーナを違うものとみなしてしまう。

すべての現象は心の投影で、実体がなく空である。

感情、欲望が起こったら直視する。

どこからきたのか?どこにあるか?どこにいくのか?

リラックスして心の本性にとどまる。

偽造された知識では無観念の真理は得られない。

行為によっては無為の境地は得られない。

最高の見地は、すべての観念的二元性から自由だ。

最高の瞑想は、姿勢の修行と他者への拒絶から自由だ。

最高の行為は、すべての努力を超えている。

最高のゴールは、常に内在し願望を超えている。



探求を棄てる。瞑想によって、それを発見することはできない。

トランス状態と心のイメージを棄てる。行為によって成就は起こらない。

幻影のような世界を治療する試みはあきらめる。すべての希望を棄てる。



自然に成就した、はじめから解脱していた完成、永遠に自然解放のヨーガ。

我々はブッダである。ゴールは自然に成就される。

感情の汚れを棄てない。それはあるがままで浄化される。

思考、分析、知識は、成就の本質とは関連がない。

行為はカルマの消滅に導かない。

智慧は今、ここの直観知だ。

心に起こることをはじめから清浄であるとみるとき、二元性、サムサーラとニルヴァーナはない。



Nowness  道とゴールがないこと。

Emptiness   思考は自ら解消していく。