ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

日本初の釘板デスマッチ

2008年01月31日 | プロレス
S52年(確か・・)に日本武道館で行われた、日本初の釘板デスマッチ
通称「ネイルデスマッチ」がA・猪木対上田馬之介で行われた訳ですが
下の釘板に落ちなくても、シュールですねぇ。

後のインディー、W☆INGやIWA・JAPANでも
松永vsレザーフェース、そして、中牧&血みどろブラザーズ等で
行われましたが、インディーでは釘板に落とされたり、ぶつかって行ったり
ちと、グロい系になってしまう場合もありましたが、
実際、あんなに均等な幅で釘が打ち込まれたボードに落ちても、
それほど痛くないというそうです。
逆に、釘数本の方が遥かに痛いと・・・。
(松永の東京墨田区の丸八通り沿いにあるステーキ屋「Mr・デンジャー」には
対戦相手のレザーフェイスのコスチュームが飾ってありました。
松永氏、礼儀正しく優しかったです。ステーキもおいしいですよ)

写真ではこの猪木vs上田、そして、Aブッチャーvsドリーファンクjr等
見ましたが、ブッチャーvsドリーの試合は、エプロン上、まあ、事実、リング上に
釘板が敷かれ、そこの額を押し付け合い、血みどろになる両者の写真は
子供心に凄惨に映ったモノです。猪木vs上田は釘板に落ちない事知っていたしで。

ただ、この昭和50年代初期に行われたこのデスマッチ、デスマッチというより
プロレスの魅せ方を改めて面白いと感じますねぇ。両者共。

事実、セメント(ケンカ)に滅法強い両者、上田さんの海外でレスラー同士の
日本人嫌いイジメでセメントでやり返したという話は結構有名だから
セメントレスラーというイメージは上田さんの方が強く感じてしまいます。
(前書きましたが、シンのヒールを守る為、上田さんのゲンコを貰ったりが自慢・・
度の過ぎた礼儀のなっていないファンを捕まえ説教して、きちんと諭し、
帰りの遅れた子供の親に直接電話して、「これから帰らせますので」と
筋を通す、上田さんの人柄にホロリです。慰問もしていましたしね)

猪木が本当に強い男とセメントで対峙したというのは、モハメッドアリ戦位だし。
パキスタンでのペールワン戦は、ペールワンが既に峠を越えていたそうだし。

そして、全日本時代以降からの上田さんの試合をメインに観ていた私は
この猪木戦でのスリリングなレスリングに感心してしまいます。
両者共に死亡事故が起きた相撲部屋レベルの稽古をしていた両者ですからね
シュートも強ければ、プロレスも上手いですねぇ。
       ↓
(三回に別けないとyoutubeに入らなかったんですねぇ)
http://www.youtube.com/watch?v=foFg5uPWQSc&eurl=http://tigerandrusuka.blog97.fc2.com/blog-entry-210.html

http://www.youtube.com/watch?v=FaAPe0hmaU0&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=lB3kOacuI7Y&NR=1

上田さんのやられっぷり、何かの拍子でリング下に落ちそうなそぶり等、
本場アメリカで一人で戦ってきた上手さを感じますね。
そして、アームブリーカーで腕を折られたふり・・・T・J・シンも
やられたあの演技がとても上手い「名演技!」とM高橋に太鼓判押されているしで。
(もう、すっかりそういう、玄人的見方になってしまいました・・・

後の大仁田達は本当に判りやすく傷ついた姿を見せる事で
絶大な人気を博しましたね。
やはり、幾ら、猪木が大仁田を毛嫌いしていても、猪木&大仁田は
同じ、ベクトルの人間に感じます。

話は飛びますが、日本プロレスの「猪木、日プロ乗っ取り事件」の
裏切り者として、称される事が多い上田さん。馬場も手を引いたように
猪木の野心にとてつもない危機感を上田さんは感じていたそうです。
事実上、日プロはとてつもなく腐敗していたそうですが、やはり現場同士の
レスラー・・・あの馬場さんが引いた事で大まかに再・想像出来ます。

まあ、こういう物語(アングル)を作り、こういう凄惨なデスマッチを
装うのも、なりふりかまわない猪木のビジネスが功を奏し、身を結んだんですね。

後に長州は始め、大仁田をはじめインディーを毛嫌いしていた新日本。
昔はこういう事をやっていた訳だし、確かに業界の大仁田アレルギーは
強かったですが、二度新日本を辞めた長州が現実の苦しさをしり
自身の団体、WJで有刺鉄線マッチをやってしまうのですからねぇ。
しかも、長州と大仁田が雑誌で対談して、大仁田のあの頃の本音、
(新日の格上意識が嫌いだった)とか、普通に話し合えるのが
激動のプロレスを物語りますね。
前田も長州の「格」意識が嫌だったそうで。

事実、長州はあの、パーマ時代からブレイクした後でも
ミューヘンオリンピック、日本代表という、強さを持っていて
スパーリングでカールゴッチに勝てる!と、ゴッチ道場に通わなくなった位だし。

まあ、既にやっていた、強さを見せるスパーリングを徹底的に鍛えるゴッチ道場を
プロレスの世界では通じない事が判る長州ならではの考えですね。
(柔道無差別級金メダリストのルスカには流石にスパーでも負けたそうですが)

こういうマニアな映像サイトもあったりで。(後で観よう!)
    ↓

http://home.intercity.or.jp/users/saigou/sagawavideo.htm



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2 コメント

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さすが (GRECOおやじ)
2008-01-30 21:48:23
懐かしい名前がずらりと並びましたね。太郎さんのプロレスネタは、昔相当かぶれていた私も知らないことばかりで勉強になります。

出来れば、シンの本当のレスリングを見たかったですね。いつも、コブラクローか反則負けでしたから。

上田馬之介は最後男気を出されてインディーズに入り、不幸な交通事故で引退ということで残念です。

やはり30年前のプロレス面白かったです。
返信する
GRECOおやじさん (太郎)
2008-01-31 03:27:54
多分、数年すると、忘れるかもです・・・。
感受性が強い時期にむさぼるようにプロレスオタクだったんで。

シンは馬場さんをコーチしたフレッドアトキンスに
相当仕込まれているから、ガチでもかなり強いんでしょうね。
あの、ザ・シークも50年代初期の映像を観ると、
レスリングセンス、ビックリでしたよ。その頃は正統派でした。

本当、上田さんの事故は残念でしたね。
これから、T後藤との、本当のレスラー同士の抗争が
始まる所でしたしね。
本当のヒーローは猪木より上田さんかも知れません。
返信する

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