K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

快楽の漸進的横滑り

2020年05月17日 | 映画

そろそろ在宅映画にも飽き、東京での映画館解放が待ち遠しいこの頃です。

今回は1974年に制作された『快楽の漸進的横滑り(原題:Glissements progressifs du plaisir)』という作品。タイトルからして既にセンセーショナルです。

《Story》ルームメイト殺しの容疑で逮捕された美しい女アリス。心臓にハサミが突き刺さっている被害者の体には、書きかけの聖女の殉教の絵。一体なにが…?モラルも常識も超越したセンセーショナルな内容により、各国で上映禁止、フィルムが焼かれる事件まで発生した問題作。(「Filmarks」より)

なお、人に自信をもって勧められる作品では全くございません。寓意の多いいかにも芸術映画という作品です。強烈な描写(教会の地下で行われるシスターへの拷問など)も多く、各国で上映禁止になったのも納得の作品。

フェミニズム×教会批判というコンセプトになるのでしょうか。それにしても主人公のアリスを演じるアニセー・アルヴィナの美しさときたら……ため息が漏れます。 

対立するイメージ

作中は、聖と俗、罪と罰、生と死、シスターと売春婦、男と女、教会での拷問、墓場での性行為等々、対立するイメージが繰り返し描かれます。

その対立の中で人物は揺れ動き、雰囲気もまた曖昧なまま進んでいく。着衣と脱衣が象徴的に映されているのも、こうしたあいまいな状態に在ることを象徴するようです。

理性というヴェールを纏うか本能を剥き出しにするか、全裸のアリスと修道服に身を包むシスターが特に対照的。アリスが赤色の絵具で白い修道服に手形をつけるのは、まさに本能が理性を蝕まんとすることの寓意でもあるのではないかと感じました。また、ポロックら現代アーティストの作品では、「手形」という表象は生命の原初的なエネルギーをも意味しており、原初的な本能の表象としては適切にも思えます。

 

対立を内包する不思議の国のアリス

こうした不安定な対立の中にありつつも、全く動じない、感情を失っているかのような、どこか無垢とさえ言えるアリスには少し恐ろしささえ感じます。

そうした「無垢な売春婦」という矛盾した存在が示唆するのは対立の内包でしょう。それは主張の象徴としてか、止揚した先の革命的立場としてか、主人公としての役割に必要不可欠なようにも思うのです。それはさながら「不思議の世界」に迷い込んでしまった「アリス」が如くです。

こうした対立を内包するアイテムが作中に出てくるのもポイントです。それは「水色のヒール」と「波打ち際のベッド」です。

「水色のヒール」は、かつて親しくしていた女性(海沿いの崖から転落死)の遺品で、アリスはそれをお守りとして飾り、変な風俗客が来ないように祈ります。その一方、風俗を冒険やお祭りに例える台詞などもあり、彼女自身の中に自己矛盾が。

そして、何度も映されるのが「波打ち際のベッド」。過去の友人の転落死事件から海が死のイメージと結びつき、安らぎを与えるベッドを生の象徴と捉えると、臨死の死生観を内包しているように考えられます。

実際、物語の主軸である殺人事件はベッドの上で行われており、ベッドに横たわるアリスの姿は正に得も言われぬ不安定さをそこに現出させているのではないでしょうか。



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