K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

ベルナール・ブッフェ回顧展 - 私が生きた時代

2021年02月13日 | 美術
こんばんは。もう会期が終了して暫く経ってしまいましたが、Bunkamura Museumで行われていたベルナール・ビュッフェの個展に行ってまいりましたのでその備忘録を書いておきます。
 


 
《展覧会概要》
20世紀後半のフランスを代表する具象画家の一人ベルナール・ビュフェ(1928‐1999)。刺すような黒く鋭い描線によるクールな描写を特徴とする画風は、第二次世界大戦直後の不安と虚無感を原点とし、サルトルの実存主義やカミュの不条理の思想と呼応し一世を風靡しました。抽象絵画が主流となっていくなかで、人気作家となっていったビュフェは批判されながらも自らの道を貫きます。そして近年、パリ市立近代美術館で本格的な回顧展が開かれるなど、再評価が高まっています。疫病の不安が重くのしかかり、多くの自然災害に翻弄される今、本展は我々と共通点のある時代を生き抜いたこの画家の作品世界を、年代を追う形で「時代」という言葉をキーワードに、ベルナール・ビュフェ美術館(静岡県)が所蔵する油彩を中心とした約80作品で振り返ります。
(ベルナール・ビュッフェ回顧展特設サイトより)
 
 
二つの大戦がもたらした二つの潮流
 
20世紀前半から半ばにかけて、美術に限らずさまざまな芸術分野で激動の時代でした。二つの世界大戦が人々の価値観に大きな影響を与えたからです。
戦争が美術の潮流に与えた影響は端的に言うと現実の歪曲、ダダイズムやアンフォルメルの持つ破壊性です。それは形としては「現実」の破壊、即ち抽象化の一途を辿るのでした。
美術の中心地もパリからニューヨークへ。ウォーホルの出現を待つまで、ポロックらのアクションペインティングやロスコらのカラーフィールドペインティング等抽象表現主義が一世を風靡するわけです。
 
そうした中、愚直に具象絵画を描き続けたのがベルナール・ビュッフェでした。
 

ベルナール・ビュッフェ 《ピエロ(自画像)》 1961

一見、抽象絵画の方が非物体的であるが故に高度な精神性を宿しているように見えてしまいますが、世界大戦後の具象絵画もまた繊細な精神性を捉えているように思います。ダダイズムやアンフォルメル等抽象絵画の運動が外に向いた力だとすれば、こうした具象絵画は内に向いた力、即ち精神を深く探究する力であるように感じます。
ベルナール・ビュッフェに限らず、エドワード・ホッパー《Nighthawks》やアンドリュー・ワイエス《Christina's World》などの絵画もまた、精神性を実に高度に捉えた具象絵画に思えてなりません。



エドワード・ホッパー 《Nighthawks》 1942


アンドリュー・ワイエス 《Christina's World》 1948

こうした外に向いた破壊的な力、そして内なる精神性を探究する力(哲学でいうサルトルやハイデガーら実存主義)、二つの世界大戦は人類に対して真逆の価値観を与えたように思います。
 
 
実存絵画——クロワゾンと死体
 
実存絵画——この言葉は美術史上正式な言葉としては出てきません。(とは言え「実存主義の具現化」とは言われているそう)
ただ、私はこの展覧会を通じて、単なる具象絵画に止まらない、ベルナール・ビュッフェやエドワード・ホッパー、アンドリュー・ワイエス等、人間の真実に迫ろうとした具象画家達をそう呼称しても良いのではないかと感じました。
加えて、彼の作品に出てくる人物像は極端に細身であり、実存的であるとされたアルベルト・ジャコメッティの彫刻にも通じるものがあります。


アルベルト・ジャコメッティ 《Walking Man》 1961
 
ベルナール・ビュッフェの作品に実存性を感じる点は、明確なクロワゾン(輪郭)と曖昧な生と死に対する強い関心です。

本当に物事をリアルに描写しようとすれば、寧ろクロワゾンがあるのは不自然、これが彼の絵画を「意味のある具象」たらしめているのではないでしょうか。
対象を明確な輪郭で形作ることで、その対象の存在感を、いわば実存を強調しているように見えるわけです。


ベルナール・ビュッフェ 《キリストの十字架からの降架》 1948
 
そして、彼はされた動物の姿や剥製状態の昆虫というモチーフも好みました。いずれも生と死の状態が曖昧なモチーフです。特に、死体は死んでいるにも関わらず、生きている以上に生命の色鮮やかさが全面に出る奇妙な存在と言えるでしょう。


ベルナール・ビュッフェ 《肉屋の男》 1949

生と死の曖昧性に対する興味に彼の実存性への関心が伺えます。杉本博司の代表作の一つ、剥製に生命の躍動感を見出した《シロクマ》も同じ着眼点ですね。
 
クロワゾンによる存在の明確化、そして生と死の曖昧性の描写。これらも真逆な視点ながら、実存に対して着実にアプローチする手法と言えるのではないでしょうか。
 
そして、彼はミューズとなるアナベルと出会い、画風に変化が見られるようになります。《赤い花》や《ロブスター》等の作品で色鮮やかな分厚いマチエール(筆致)が見られるようになるのです。
この陰鬱とした絵画からの解放、色彩化は同じくピエロというモチーフを好んだフォーヴィスムの画家ジョルジュ・ルオーに近いものを感じますね。


ベルナール・ビュッフェ 《死16》 1999

実存を探究してフォーヴ(野獣)に至る、その野生の隠れ蓑がピエロだったのかもしれません。

いつの時代も道化じみていますが、ピエロは変装したり滑稽にすることによって、自分を思いのままにすることができるのです。つまり自由なのです…(ベルナール・ビュッフェ)

色々調べていたら《クリスティーナの世界》がまさかの映画化していました。どんなストーリーなのか……



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