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Tada日記~~~

日常を綴ります☆

イエスタデイ

2013-12-16 00:48:26 | エッセイ・評論
村上春樹さんの小説です。文藝春秋2014年1月号に掲載されています。

冒頭に出てくるのは、ビートルズのイエスタデイにつけた、何と関西弁の歌詞です。
木樽(原文のタルは、左が木で右が墫の右側)は早稲田の予備校に通い早稲田大学を目指していた、とのことですが、これは早稲田予備校を意識しているのか、と考えてしまいました。
『僕の抱えている問題のひとつ』という表現が然り気無く三ヶ所に散りばめられています。これが人物像の全体と小説の急所を同時に掴みとらせることへの触媒になっている、というdetailの技術は当然のことながら巧みです。これは『僕の印象からすればそれは、本物であるにはいささか感じの良すぎる微笑みだった。』(同様の表現が離れた箇所でも出てきて意味をもつ)にも通じます。

さて、東京出身者が関西弁を話す。このことについて、谷村・木樽間でなされた雑談を伏線として、木樽・栗谷間では議論と呼んでもおかしくないレベルに昇華されます。“議論”における、文化差別かどうかという話から別の『文化交流』へと繋がっています。そして『文化交流』こそがきっかけともなり、冒頭の歌詞、そして『氷でできた月の夢』を思わせる事態になっていきます。歌詞と夢が、実は共通の事態を暗示していると捉えることができます。もっとも、思わぬ事態になったきっかけが『文化交流』だったのであろう、ということが明るみになるのは十六年後の場面です。「文化交流」の提案は結果として「文化断絶」を生んだ、というのはあまりに雑なまとめ方(私=高谷のまとめ方のことですよ)でしょうか。

感情が論理的に語られている。それこそが、この小説の最大の特徴でしょう。『氷でできた月の夢』と聞くと神秘的ではありますが、夢の内容は非常に論理的です。夢を見た人が木樽の知性に対して深い尊敬の念をもち、かつ、夢を見た人自身も知性を備えている、ということが分かります。
全体を見通しても、登場人物の会話は非常に論理性を帯びています。感情を論理的に説明する、というのは理屈っぽさを喚起させるかもしれません。が、この作品では、論理に基づいた感情の告白が、むしろ感情を明快にしているという点が特筆されるべきことだと感じました。(そもそもは、論理とは明快さの保証材料なのだが、日常会話における感情の説明ではなかなか明快さを保証してくれない(笑)。)だから、読みやすく面白く、かつ、内容の希薄さとは無縁、そんな作品なのでしょう。

文藝春秋

2013-10-27 20:41:49 | エッセイ・評論
文藝春秋十一月号に将棋の渡辺明竜王と囲碁の井山裕太さんの対談が掲載されています。リード文では、同世代にはライバルがおらず一回り上の世代と戦っている、という共通点に触れられています。父親または祖父がアマチュア高段者であることや、悔し泣きをした経験、はたまた年上の世代に対する意識などについて対談しています。
個人的には、対局での具体的な局面についての決断を振り返ったりしたらより面白かったのではないかと考えます。対局を通じて思考・思想が生まれているのでしょうから、囲碁将棋について素人である読者が多かったとしても、具体性に富んだ話の提示があったらと思います。そこで素人に対してどう提示するかが編集の役割のひとつであり、また見せどころでしょうから。

分数の不等式

2013-09-18 20:51:12 | エッセイ・評論
   (1/x)≦2を満たす実数xの範囲を求めよ.
という問なら,
解法1)xの符号で場合わけ
解法2)反比例のグラフをかく.
解法3)同値変形 (1/x)≦2⇔x≠0かつx≦2(x^2)
があります.
解法1が最優先で出来るべき方法だと思います.
解法3については,
①与えられた不等式にはx≠0という情報が隠れている.
②x≠0では(x^2)>0となる(ちょうど0の心配もない!)ので両辺にx^2を掛けた.
ということです.
どの方法にせよ,最初の注意点は「負の数を掛けると不等号の向きが変わる」ということです.
なお,pとqが同値である,とは「p⇒qとq⇒pがともに真である」ことを指しますが,感覚的には「情報を増やさずも減らさずもせず,保つ」ということです.
この問題は,解がx<0,(1/2)≦xとなりますが,等号が入るか入らないかもポイントとなります.

ある組x_1、x_2についてf(x_1) <g(x_2)

2013-08-13 15:32:54 | エッセイ・評論
最大値と最小値をもつ関数f(x)、g(x)について、
「ある組x_1、x_2についてf(x_1)<g(x_2)」…*
と同値な条件は
「(f(x)の最小値)<(g(x)の最大値)」…**
です。

「(f(x)の最小値)≧(g(x)の最大値)」とすると、例えば(f(x)の最小値)=8、(g(x)の最大値)=6となり、*を満たしません。よって、(*⇒**の対偶が真なので)*⇒**が示されました。(この段階では、「*を満たすためには**が必要」すなわち「*を満たすためには**でなければ『問題外』。ただし、**を満たしているからといって必ず*になっているとは限らない。」ということです。)
さらに、**を満たしているならば、
(f(x)の最小値)=f(x_1)、(g(x)の最大値)=g(x_2)とおくことで、*を満たす組x_1、x_2をつくれます。よって、**⇒*が示されました。

なお、*は「f(x_1)<g(x_2)となる組x_1、x_2が少なくとも一つ存在する」という意味です。授業解説では最初にこの点に言及します。

宇宙、地図、ケプラー

2013-08-08 23:58:28 | エッセイ・評論
小学校低学年のころ、宇宙についての講演に来た方について、担任の先生から「宇宙に行ったことがあるか何かでの偉い先生」(細部表現は正確ではありません)と説明をうけました。講演者の方は「私は宇宙に行ったことはないが」と言っていました。それを聞いて、私は「宇宙には行ったが、自分にとってはまだ行ったといえるレベルではないのだろう」と解釈しました。実際には行ったことがないはずで、私もなかなかませた考えをもっていたようです(笑)。

つぎは小学校高学年時の話。おそらくメルカトル図法だったのでしょう。最短距離が地図上で直線になるのは「丸い地球を無理矢理平面にしたから」と教わりました。しかし、私はふに落ちませんでした。そもそも、丸い地球を平面にすることは不可能です。実際、メルカトル図法の地図をいくら滑らかに球にしようとしても、極近くがおさまらないことは明らかです。皆は納得していたのでしょうか?少なくとも私はまったく納得がいきませんでした。「地図を球に戻せない(このことは直感的に分かりました)のに、さらに最短距離が直線にならないとは、この地図には何の役割(正統性)があるのだろう。」という感覚でしたが、それを言語化する能力を当時の私はもちあわせていませんでした。ここは、「丸い地球を『どうやっても』平面には出来ない。だから、最短距離の方向や面積を『犠牲』にして、緯線と経線の直交性を『守った』。」とでも解説すれば良かったのではないかと思います。まあ、周りの生徒はそこまで理解していて私だけ理解力が不足していたのかもしれませんが。

最後は高校時代にケプラーの第二法則を習ったときの話です。一秒で掃く(楕円の一部と直線で囲まれた)面積について教わり、その後、「近似として」瞬間での面積速度がいつでも等しいと提示されました。しかし、これは論理的には誤りです。実際には、瞬間での面積速度が等しいから、それを積分することによって、一秒で掃く面積が一定となります。

二つ目、三つ目の例は、もちろん先生には明快な意図があったのでしょう☆その上で、いま自分が教える立場になって、自分の教授法を考える原点となった体験の一部です。