村上春樹さんの小説です。文藝春秋2014年1月号に掲載されています。
冒頭に出てくるのは、ビートルズのイエスタデイにつけた、何と関西弁の歌詞です。
木樽(原文のタルは、左が木で右が墫の右側)は早稲田の予備校に通い早稲田大学を目指していた、とのことですが、これは早稲田予備校を意識しているのか、と考えてしまいました。
『僕の抱えている問題のひとつ』という表現が然り気無く三ヶ所に散りばめられています。これが人物像の全体と小説の急所を同時に掴みとらせることへの触媒になっている、というdetailの技術は当然のことながら巧みです。これは『僕の印象からすればそれは、本物であるにはいささか感じの良すぎる微笑みだった。』(同様の表現が離れた箇所でも出てきて意味をもつ)にも通じます。
さて、東京出身者が関西弁を話す。このことについて、谷村・木樽間でなされた雑談を伏線として、木樽・栗谷間では議論と呼んでもおかしくないレベルに昇華されます。“議論”における、文化差別かどうかという話から別の『文化交流』へと繋がっています。そして『文化交流』こそがきっかけともなり、冒頭の歌詞、そして『氷でできた月の夢』を思わせる事態になっていきます。歌詞と夢が、実は共通の事態を暗示していると捉えることができます。もっとも、思わぬ事態になったきっかけが『文化交流』だったのであろう、ということが明るみになるのは十六年後の場面です。「文化交流」の提案は結果として「文化断絶」を生んだ、というのはあまりに雑なまとめ方(私=高谷のまとめ方のことですよ)でしょうか。
感情が論理的に語られている。それこそが、この小説の最大の特徴でしょう。『氷でできた月の夢』と聞くと神秘的ではありますが、夢の内容は非常に論理的です。夢を見た人が木樽の知性に対して深い尊敬の念をもち、かつ、夢を見た人自身も知性を備えている、ということが分かります。
全体を見通しても、登場人物の会話は非常に論理性を帯びています。感情を論理的に説明する、というのは理屈っぽさを喚起させるかもしれません。が、この作品では、論理に基づいた感情の告白が、むしろ感情を明快にしているという点が特筆されるべきことだと感じました。(そもそもは、論理とは明快さの保証材料なのだが、日常会話における感情の説明ではなかなか明快さを保証してくれない(笑)。)だから、読みやすく面白く、かつ、内容の希薄さとは無縁、そんな作品なのでしょう。
冒頭に出てくるのは、ビートルズのイエスタデイにつけた、何と関西弁の歌詞です。
木樽(原文のタルは、左が木で右が墫の右側)は早稲田の予備校に通い早稲田大学を目指していた、とのことですが、これは早稲田予備校を意識しているのか、と考えてしまいました。
『僕の抱えている問題のひとつ』という表現が然り気無く三ヶ所に散りばめられています。これが人物像の全体と小説の急所を同時に掴みとらせることへの触媒になっている、というdetailの技術は当然のことながら巧みです。これは『僕の印象からすればそれは、本物であるにはいささか感じの良すぎる微笑みだった。』(同様の表現が離れた箇所でも出てきて意味をもつ)にも通じます。
さて、東京出身者が関西弁を話す。このことについて、谷村・木樽間でなされた雑談を伏線として、木樽・栗谷間では議論と呼んでもおかしくないレベルに昇華されます。“議論”における、文化差別かどうかという話から別の『文化交流』へと繋がっています。そして『文化交流』こそがきっかけともなり、冒頭の歌詞、そして『氷でできた月の夢』を思わせる事態になっていきます。歌詞と夢が、実は共通の事態を暗示していると捉えることができます。もっとも、思わぬ事態になったきっかけが『文化交流』だったのであろう、ということが明るみになるのは十六年後の場面です。「文化交流」の提案は結果として「文化断絶」を生んだ、というのはあまりに雑なまとめ方(私=高谷のまとめ方のことですよ)でしょうか。
感情が論理的に語られている。それこそが、この小説の最大の特徴でしょう。『氷でできた月の夢』と聞くと神秘的ではありますが、夢の内容は非常に論理的です。夢を見た人が木樽の知性に対して深い尊敬の念をもち、かつ、夢を見た人自身も知性を備えている、ということが分かります。
全体を見通しても、登場人物の会話は非常に論理性を帯びています。感情を論理的に説明する、というのは理屈っぽさを喚起させるかもしれません。が、この作品では、論理に基づいた感情の告白が、むしろ感情を明快にしているという点が特筆されるべきことだと感じました。(そもそもは、論理とは明快さの保証材料なのだが、日常会話における感情の説明ではなかなか明快さを保証してくれない(笑)。)だから、読みやすく面白く、かつ、内容の希薄さとは無縁、そんな作品なのでしょう。