ただ文章を書くだけのブログ

登山とか旅行とか音楽とか楽器とか

知らん婆さんと孫の話

2020-06-10 22:21:42 | 昔の話

 3年位前に真夏に北海道にキャンプツーリング(キャンプ主体じゃなくて温泉と登山の為の旅だけどさ)に行った時の話なんだけど、宮城から三陸方面を通って青森の大間まで行って大間からフェリーで函館に行って、んでその日の内に函館恵山の道の駅、たしか、なとわえさんとか言う名前だったと思ったんだけどこの道の駅のすぐ横に何にもないキャンプ場があってそこにテント張って泊まって、んで次の日に恵山に登ってから降りてきて、少しまた海岸方面に戻って、今多分検索しても出てこないんじゃないかと思うけど御崎海浜温泉っていう知らないとちょっと入れない様な温泉が近くにあってそこに入ってからぐるっと恵山を周って、向かい側の水無海浜温泉っていうフナムシだらけの温泉に入って、そっから少し北に行った辺りでちょっと疲れたからバイクを降りて縁石に座って休憩してたのよ。

 その辺りは確か南茅部(みなみかやべ)っていう地名で、大き目の橋を目の前にした脇の縁石に座ってたらその縁石のすぐ前にある民家(なんか昔個人商店やってた様な造りの家)から80歳くらいの婆さんが出てきて「そんなとこさ座ってたら日射病さなるから、うちさあがってお茶飲まいん」(記憶違いじゃなければ北海道のこの辺の方言ってこんな感じで東北の方言に似てた気がする)って声掛けられたのよ。

 俺は元々愛想が悪い人間だけど、親切心で言ってくれる人や特に歳行った人からの善意はホントに断れない人間だから愛想よく家に入れて貰って、缶の冷たいお茶を貰って30分くらい話を聞いてたんだけど、そん時に聞いたので覚えてるのが「この辺りで採れる昆布は白口浜って言って、利尻や羅臼昆布に比べてあんまり知られていないけど高級料亭で使われるような本当に凄い昆布だ」とか「もう少し北に行って鹿部の道の駅に行くと、道の駅の施設の中に間欠泉が湧いてる」とか「南に行った所に虫だらけの汚い露天風呂があるけど、あそこに入る奴はキ〇ガイだけだ」とか、そんな具合の事を覚えてるけど、多分まあもっと色々な話をして貰ったのよ。

 そんで大体話終わったかなって時に「孫がオートバイに乗ってたからね、オートバイで旅してる人見るとね、声掛けちゃうのよ」って言われてさ、何の気無しに「お孫さんは今は?」って聞いたら「遠くさ行ってしまったからねえ……」って言われて話が切れたのよ。

 これはもしかして、死にまつわるタイプの、あんまり聞いては良くない話だったんではないか? と思ってそのまま黙ってたんだけど、またあっちから喋り出して「おっきなバイクで今ね、熊本の大学さ行ったから、1年に1回くらいしか帰ってこないのよ」って。

 まあつまらないオチの話だけど、旅してて色々なんか貰ったり親切にされたりする事ってそれなりにあるけどさ、まあ、凄い正直な言い方すると「その、親切にされた時は別にそこまで嬉しいとは思わない」んだけど、何故か親切にされたその出来事ってのはいつまでも覚えてんだよね。別に詳しくは書かないけど、納沙布(のさっぷ)岬近くで昆布くれたおっさんとか、興部(おこっぺ)でチーズくれたジジイとか、北海道じゃないけど宮城の気仙沼大島のキャンプ場でコーヒーくれた一家とか、後全然親切でもなんでもないけど音威子府(おといねっぷ)の道の駅で、俺のバイクの宮城ナンバーを見てなのか、急に「私の親戚皆ねえ、石巻(いしのまき)で津波で死んじゃったの!」って笑顔で言ってきたお姉さんとか。

 旅の思い出ってなんかこう、変なんだよな。テレビとかなんかで言う様な美談的なものってのは少ないしあっても別にそこまで覚えてないんだけど、ふとした時にホントに大した事ない思い出がふっと頭に出てきて、なんか忘れられなくなるんだよね。そんな時に、たまに思うんだ。あの人はいま何してんだろうなあ、って。別に俺に何の関係も無いし、知る方法も無いけど、何となく、あの時あったあの顔をもう一度よく見て見たいな、とか、もうちょっとちゃんと覚えておけば良かったな、とか。

 いや、ホント、こんな程度の話だったら腐る程あるわさ。

ちょっとマジでビビった話

2020-06-08 10:27:52 | 昔の話
 宮城県と山形県の境に船形山(ふながたやま)っていう山があってさ、俺は登山をやるから登ったことがあるんだ。

 この船形山には色んなトコから入れるコースがあるんだけども一番楽なのが色麻町っていう所から入る大滝コースっていうコースなんだけど、直線距離も標高差も一番小さい代わりに登山口まで「かなり酷い未舗装の林道を20㎞」移動してこなきゃならないっていう欠点があるんだ。その林道ってのは正直言って本当に酷くて、路肩に車のアンダーカバーが転がってるような酷いとこなんだ。

 2年位前の6月頃に船形に登ったんだけど、オフロードバイク(セロー250)に乗ってるだけに林道は経験があるからセローで登山口まで行って、登って降りて、登山口の無人のキャンプ場についた時に確か午後4時くらいだったんだよね。平日だったしあんまり多くの人が登る山って程有名な山じゃないしアクセスが悪いから、その時間帯にはもう誰一人もいなくて空もやや暗くなってきてて、いやはや、こっから20kmの未舗装林道走って帰るのか、気が重いなあと思ってたんだ。

 んで、腕時計とかしてないからとりあえず時間を確認しようと思ってスマホを見たら、ふっと手が画面に触れて「電話」のアイコンを押してしまって、電話番号を入力する画面になったのよ。あららと思って見てたら急にその画面のままダイヤルが無茶苦茶に押されて「78120849684024156」みたいに数字が入力されたのよ。怖いとかどうこうとかじゃなく急になったから、何だ何だと思って一回ホームボタン押したらまた電話のダイヤルキーの画面になってまた「94713872048210864」って、ぐちゃぐちゃにタップされ続けるのよ。

 なんかバグってるんだなと思って電源一回落としてもう一回起動したら、何も起こらなくなって治まったんだけど、その時までは単にスマートフォンの問題だからと思ってスマートフォンばっかり見てたから夢中になってて何とも思ってなかったんだけど、ふと自分のいる場所に気付いて周りを見たら「夕闇時の、誰一人も居ない山奥の林道終点で、1時間くらいかけて未舗装を走って帰らなきゃならない自分」がいるのに気付いて、その瞬間になんか凄くゾッとしたのよね。

 結局は怖い怖いと思いながらも無事走り切って家に帰ったんだけどさ、それ自体何だったのかは解らないながらもなんかこう幽霊的な事とかそういう事じゃなくて、あの、なんていったらいいか「本屋で立ち読みしてて夢中になって『へへっ』って笑った瞬間に周りに気付いて恥ずかしくなる」っていうのの怖いバージョンみたいな状態を経験して、なんつったらいいのか解らないけど、とにかくアレはなんか、今まで生きてきて何番目かくらいに入るくらい「怖い」と思った状態だったなあ。

 登山だけじゃなく廃道歩きをやったりするから、滑落しそうな道を歩いたり、クマと遭遇するってのもそれなりに経験あるけど、なんかそういう突発的な恐怖と違って精神やられる感じの怖さだったなあ、アレは。

クソ田舎の移動販売車の話

2020-06-08 09:58:04 | 昔の話
 俺の家というか俺の町ってのは県内でも有数のド田舎町で人口の7割が高齢者、人口密度1km平方当たり20人くらいで且つ町の7割が山林なのよ。まあ今でもそうだけど、大きな店ってのも殆ど無いし、集落によっては個人商店の一つも無く今でも自販機一台も無いってとこもそれなりにあるくらいには、ド田舎。

 小学生の頃の話だけど、こんなド田舎だから集落によってはハイエースとかで魚とか肉とか売りにくる移動販売車ってのがあってさ、ウチの集落にもよく来てて、その運転してる人の苗字が「一条」だったから皆「あ、一条さん来たよー、オロナミンC買うべしゃ」みたいな感じだったのよ。んでも、小学校に近い街中には一応なりとも個人商店が幾らかあるから街に近い所に住んでる子供達は移動販売車ってのを知らなかった。だから、街に近い子達は集落住みの俺らに対して「車で物を売りに来てくれる人がいる」ってのが羨ましくていいなーってよく言ってて、俺らは逆に「来てくれないなんてかわいそう」みたいな考えで、よく「ウチには一条さんが来るんだぞ」って自慢してたもんだったのよ。

 あの頃はなんつーことも考えずにそんな気持ちで喋ってたけど、よくよく今になって考えるのと不憫なのは俺らの方だったんだな、っても思うのよね。俺の家はまだ、4㎞歩けば街に行ける程度の「クソ田舎だけどまだマシな方」の場所で、最奥の集落の子なんかは街まで15㎞あるから親に車で乗せてってもらわないと行けないなんてのもあったしさ。それこそ、夏目漱石の「こころ」の序文にある「ところてんだの昆布茶だのといったハイカラなものは長い畷をいくつも越えぬと手に入らなかった」ってのと同じで、そういうトコの子達は小遣い貰っても使う場所が無くてさ、その最奥の集落にいた友達が「親さ500円貰ったから〇〇(個人の乾物屋)行って味付け海苔買うべ」って言ったのを見てさすがに可哀想と思うくらいだったからね。俺が子供の頃っていっても、平成の時代の話だぜ?

 ゲームソフトだのプラモデルだのってのは隣町の街中に一軒だけそういうのを扱う所謂おもちゃ屋(わんぱくこぞうっていう店)があってさ、どっかの親がそこに連れてってくれるってなるともう子供の連絡網みたいなもんで学校中に伝わって乗合みたいな状態で行ってさ、今考えりゃ、例えば仙台(俺自身が宮城県のもんなので)にあるゲーム屋みたいなとこから考えたらホント物置みたいなレベルの店だったんだけど子供の俺らにとってはもうそんな片田舎のおもちゃ屋が夢の国でさ、その頃の俺ら子供達にとってはとにかく小遣い貯めてここに行くのがステータスだったのよね。

 今はもう流通がしっかりしてるから移動販売車は来ない、なんてことはなくて廃れる町ってのは時代が進むともっと廃れるもんで今では街中でも移動販売車が来てる状態の我が町だけど、今の子達はどういうトコで何をして遊んでんのかな。きっと、スマートフォンとかあるから普通に一人で遊べんのかもしれないけど、何でも知れてしまうから、ちょっと寂しい部分もあんじゃないのかなっても思うな。

北海道のジジイの話

2020-06-08 09:25:18 | 昔の話
 今から4~5年位前だったかな、その年の1年前の夏に仕事の仲間と二人で北海道ツーリングに行ってね、それからは毎年バイクで夏に北海道に行くのがちょっとマイブームみたいになってたんだけど、そん時に屈斜路湖のキャンプ場に泊まった時の話。

 北見から美幌峠ってのを抜けて屈斜路湖の和琴半島キャンプ場ってトコに着いたのが確か午後4時くらいで、そん時はなんも知らないからこのキャンプ場に無料の温泉があるってのを気付かずとりあえず風呂に入りたいと思ってこのキャンプ場の近くにある三香温泉ってとこに行ったんだ。

 何か多分内湯もあるんだろうけどそん時は露天しかやってなかったみたいで言われるままに露天に言ったんだけど、まあその頃はあんまり温泉に興味がなかったから正直「なんか藻生えてるしきったねー・・・・・・」って思って入ったんだけど、熱いし夏だから虫いっぱいいるしで嫌になってきて上がろうとした時に入れ違いみたいに入ってきた80歳ぐらいのジジイに話しかけられたから上がるに上がれなくて仕方なく湯船の横で座りながらずっと話をしてたんだよ。(俺自身、結構リアルだと大人しい人だから人から声掛けられるとなんかこう、喋りたいんだろうから喋らせてあげないとなーみたいな感じになっちゃうんだよね)

 まあ話の内容は「どっからきたの」「なにしてんの」みたいなどうでも良い話だったんだけどさ、一個だけハッキリ覚えてんのが、そのジジイが言った「俺はもう生まれでがらね、毎日毎日、日中働いで、夜はこの温泉さ入って、そんで明日も頑張っかって思うのよ。他の温泉なんかいったごとねーのよ」っていう言葉。

 別の年の話なんだけど、えりも岬の手前にある様似って町の温泉で話したジジイは「襟裳岬はこの町の次だけど、俺はいったことねえがらよくわかんねえね。俺はこの町、様似の街から出たことねえがら」って言ってた。また別の年、屈斜路湖近くの川湯温泉ってとこの共同湯で話したデブのジジイは「お風呂はここ以外行かないの私は。なんてったって川湯で生まれて川湯で育ってきたんだからね」って言ってた。

 まあ何が言いたいのかっていうとさ、俺自身は「色んなトコに行きたい、見れるものを見たい」っていうタイプだから正直に言うと「地元以外行った事が無い」っていう言葉になんというか衝撃を受けるのよね。俺自身もド田舎生まれだけど、生まれた町は好きだし、町の山道なんかも色々行くから自分の町にはかなり詳しいつもりでいるけど、それでも「他の町に行った事が無い」ってのはなんかこうスゲーなと思う。レベルが違うな、と。

 色んなトコに行って、色んなモノを見て、色んな体験をする、そうじゃなくちゃ生まれてきた意味がないじゃないかと思う反面、生まれた町にあるものだけで満足する気持ちというかその町で働いてその町で死のうっていう心ってのは、なんつーか順列を付ける訳には行かないけど、結局「そういう人達がいるから俺も旅が出来るんだろうな」っても思えるのよね。だって町が維持出来なけりゃその町に旅する事も出来ない訳だしさ。そして、自分の生まれた町になんかの貢献をしてる訳でも無い俺と違って、俺の町に貢献してる年寄りも俺の町にいるわけだろうしさ。

 本人たちはそういう大仰なつもりで何かしてる訳じゃないし、俺も何かの使命を持って旅してる訳でも無いし、ホントのとこ、お互いただ漫然と生きてきただけでたまたま出会ったのかもしれないよ。その理由についてなんてどうでもいい。ただ「そうじゃなく生きてきた俺にとって、なんとなくその言葉は衝撃的だった」っていうだけの話。

なんか何となくブログをはじめようと思ったんだよ

2020-06-08 09:19:37 | 昔の話
 昔、まだガラケーが主流だった頃で俺が18歳くらいだったから多分2006年頃だと思うけど、その頃ってのは「魔法のiらんど」とか何とかいう簡易的なブログみたいなスタイルのケータイ向けサイトってのが一杯あってさ、今のFacebookとかSNSよりも遥かに不便で画像も1記事1枚しか乗せられない上に虫メガネがないと見れないようなサイズでしか掲載できなかったり、文章も400文字までしか書けないとか色んな制約があったんだ。その頃にそういうのを見てた人達はよく知ってるだろうけど、そういうサイトに個人で書いてる人達の、こう、なんというか、投稿ってのは今で言うTwitterみたいなもんの投稿以下のもんもあれば、もうちょっと長いもんみたいな、例えば「今日どこそこでギョーザ食った、めっちゃ不味かった。潰れればいいのに」みたいなクッソくだらないもんから「CB400SF(オートバイのこと)のオイル交換やった!」みたいな見る人が見りゃ有益で且つ自分の経験から書いてる記事ってのがそれなりにあったんだけど、そういう個人のサイトってのが今と何が違うって昔は「人に紹介する事を余り目的としてないから、俺はこう思うよ、私はこうやったよ」みたいな「体験談」が聞けるっていう長所があったんだよね。

 その頃に読んでたブログは今はもうなくなっちゃったけど、キャバクラで働いてる20歳くらい膠原病持ちの女の子(よくよく考えればその頃20歳だから俺より年上だったんだなあ)のブログで、内容はハッキリ言ってクソで「ドラクエ買ってきた、レベル上げすんのだるい」とか「冷蔵庫ん中に油揚げしかないから死にます」みたいなレベルだったんだけど、なんつーかこう、今の”いかがでしたかブログ”と違って「普通に生きてる一人の人間が書いてるもの」っていう感覚が強くて、その感覚が好きだったんだよね。

 今はホントに何でも検索すれば出てくるけど、その内容ってのはやっぱり百科事典的というか機械的な感じがして嫌気がさす時があるし、普通に生きている人が気持ちを書いているようなもの自体が少ないというか、あっても、こう、個人でやってるブログでもそうだけど「もっと有名になりたい」「良い人と思われたい」みたいな欲が見えて明け透けな感情をそのまま書いてない感じの、なんかこう、裏側が見えるようで好きになれないものが多くなってきてる印象があるんだよね。だから、っていうか、だからなんなのか解らんけど、もし自分がブログをやるなら「元々綺麗な生き方をしてる訳でもないし良い人でもないんだから、無遠慮な言葉で思ってる事をそのまま書けばいい」とか「見る人だけ見りゃいい」とか、そういう気持ちでやりたいし何より「元々文章を書くのは好きだから、どうせ書くなら一番気楽で好きなスタイルで、書きたい気持ちをただづらづら書けばいい」って感覚でやりたいよなと思ったんだよね。

 こういうスタイルのブログって正直言って、誰かの役に立つなんてことは全く無いからアクセス数も少ないままだろうけど、役に立つってのは何かに困ってる人がどうすればいいかっていうやり方を探す事が主体にされがちだけど、何となく生きてる時間が長い今の世の中だと「はー、こういう事考えてる人もいるんだ」とか「へー、そんなこともあるんだ」とか、単なる好奇心の先にあるだけの内容のものでも、ふとそれを思い出したりして面白い気持ちになったりする事もあって、そっから何かに興味を持つってこともあったりするもんだと思うんだ。例えば上で書いた事で言うなら、俺も何も考えないでその先述のキャバ嬢のブログ見てたけど、そのブログ見てなかったら多分「膠原病」っていう病気があることも知らないで生きていただろうしね。でもその病気を知ってるから何がどうなった、ってことは無いんだ。ただ知ってるか知ってないかだけで、その先に何があるかはどうでもいいんだ。人のテキトーな好奇心ってそういうもんだろって思うんだ。それを思うと、影響はホントに少ないだろうけど、ただだらだら書いただけの文章で人が何かを知る事もあるし、一時的にも楽しい時間を過ごせるかもしれないし、不快な思いをするかもしれないし、一応なりとも影響ってのはあるだろうって、ね。必要不要論じゃなくさ。

 まああの、何書いてるかわからんようになってきたけど、そういう気持ちでただ文章を書くだけのブログをやろうと思ったんだ。だからルールは何も設けないし、丁寧な文章で書く時もありゃ無作法に言いたい事だけ書く時もあるだろうし、もしコメントが来たら「そうですね、なになにはなになにでどうこう」って返答する時もありゃ「うるせーばか」って返答する時もあるだろうし、何より一番大事にしたいのは「そん時の俺の気分」を失わないで書きたいというか行動したいなって思うなあ。それだけ。

 ただ、一応ルールは決めておこうと思う。ルールって言っても当たり前の事だけどこのブログでは「自分の気持ちと異なる事、つまり、嘘は書かない」ことと「画像は自分が撮ったもの以外は決して使わない」こと。こういうのを曖昧にしちゃうとクソ文章を書くだけのブログなのにちょっと人から良く思われたいとか、人の役に立ちたい、みたいな変な虚栄心が生まれそうだから、ここだけは徹底しておきたいと思う。プロフィールの画像は「確か5年位前に北海道の北見のキタキツネ牧場で撮ったやつ」だ。