二日間深夜まで続いて見てとうとう終わった「白線流し」の話です。
たぶん2年前だろうが、初めてspitzの「空も飛べるはず」の歌を聞くと、すぐ気に入ったのだ。すごく励ましてくれるのだ。その後はhatsuki先輩が「これはドラマ白線流しの主題歌だよ」と教えてくれた。ずっとドラマを見てみたいのに、暇がなくて、気持ちが合わせなかったから見なかった。やっぱりこれが気が沈んでゆっくり味わうはずなドラマなのだ。
「白線流し」というのは岐阜県にある高校の卒業式で行う儀式で、このドラマは高校三年生の物語。九十年代の日本の青春ドラマはほとんどそうだった、友情、夢、人生の道そして迷ったこと。今見れば少し嘘っぽい感じだが、高校時代の私ならきっとそれを信じるわけと思う。しかし、今更たた静かに最後まで見てしまうのができたのはもう十分で、感動とかの気持ちがあっても、それに従ってやるわけはなくなった。
ここでは、ただ自分の体験、高校あるいは大学では自分に起こった体験を書こうと思う。
その時は気がついていなかったが、周りの人たちとの付き合いは足りなかったかもしれない。いつも自分が一所懸命訴えるに対して、他人の気持ちをちゃんと聞くかどうか今覚えていない。確かに誰が何が好きとか聞いたことあるが、この人がどんな人とか、周りには誰と誰が仲良くとか、このような問題は答えられない。だから大学に入った後、「クラスメートでは誰かと誰かが恋をするよ」を聞くたびに、「そうか、思いがけないね」と驚いた私。つまり、自分の気持ちだけを中心とした高校時代なのだ。
それから大学では、さらにクラスメートの好物も知らなくなた。四年生になってから、初めて「皆すごいなあ」と気づいた。nasyo、jumperやyolky、一番仲良いような友達でさえも、今まで何が起こったら、「あ、彼女のやり方はそうなんだ」とふっとした。何回もこうしてから、結局自分が友情には何かをしたことあったかいと迷うようになった。それに、今にも残ってきた中学校時代、高校時代の友情は?別に、存在するかどうかも分からないから。昔いつもたくさんの人に囲まれた私は、いつの間にかこんな淋しい人間になったのだ。
今考えられるのは全ての問題が恋にあるのだ。恋そのものにはかからないが、自分と周りの人たちの抱いた恋への疑問から生まれた問題だ。とは、今まで正真正銘の恋することは一度もできなかったからだ。なぜ親友以外の人と話し合っても許されない、なぜ好きでも打ち上げられない、もしあれはルールなら、私誰も要らない、何も要らない。ーーこうすると、とうとう全てを失った。別に、自分が捨ててしまったとも言えるのだ。でも何でそんな考えが自分の心にあったっけ?やはり自分のせいではないか。
だから、今更誰かの友情がほしいとか、こんな話はもう話せなくなった。自分のできることはただ静かに生き抜いて、いつかたぶん来る再びのめぐり合いを待つことだ。
たぶん2年前だろうが、初めてspitzの「空も飛べるはず」の歌を聞くと、すぐ気に入ったのだ。すごく励ましてくれるのだ。その後はhatsuki先輩が「これはドラマ白線流しの主題歌だよ」と教えてくれた。ずっとドラマを見てみたいのに、暇がなくて、気持ちが合わせなかったから見なかった。やっぱりこれが気が沈んでゆっくり味わうはずなドラマなのだ。
「白線流し」というのは岐阜県にある高校の卒業式で行う儀式で、このドラマは高校三年生の物語。九十年代の日本の青春ドラマはほとんどそうだった、友情、夢、人生の道そして迷ったこと。今見れば少し嘘っぽい感じだが、高校時代の私ならきっとそれを信じるわけと思う。しかし、今更たた静かに最後まで見てしまうのができたのはもう十分で、感動とかの気持ちがあっても、それに従ってやるわけはなくなった。
ここでは、ただ自分の体験、高校あるいは大学では自分に起こった体験を書こうと思う。
その時は気がついていなかったが、周りの人たちとの付き合いは足りなかったかもしれない。いつも自分が一所懸命訴えるに対して、他人の気持ちをちゃんと聞くかどうか今覚えていない。確かに誰が何が好きとか聞いたことあるが、この人がどんな人とか、周りには誰と誰が仲良くとか、このような問題は答えられない。だから大学に入った後、「クラスメートでは誰かと誰かが恋をするよ」を聞くたびに、「そうか、思いがけないね」と驚いた私。つまり、自分の気持ちだけを中心とした高校時代なのだ。
それから大学では、さらにクラスメートの好物も知らなくなた。四年生になってから、初めて「皆すごいなあ」と気づいた。nasyo、jumperやyolky、一番仲良いような友達でさえも、今まで何が起こったら、「あ、彼女のやり方はそうなんだ」とふっとした。何回もこうしてから、結局自分が友情には何かをしたことあったかいと迷うようになった。それに、今にも残ってきた中学校時代、高校時代の友情は?別に、存在するかどうかも分からないから。昔いつもたくさんの人に囲まれた私は、いつの間にかこんな淋しい人間になったのだ。
今考えられるのは全ての問題が恋にあるのだ。恋そのものにはかからないが、自分と周りの人たちの抱いた恋への疑問から生まれた問題だ。とは、今まで正真正銘の恋することは一度もできなかったからだ。なぜ親友以外の人と話し合っても許されない、なぜ好きでも打ち上げられない、もしあれはルールなら、私誰も要らない、何も要らない。ーーこうすると、とうとう全てを失った。別に、自分が捨ててしまったとも言えるのだ。でも何でそんな考えが自分の心にあったっけ?やはり自分のせいではないか。
だから、今更誰かの友情がほしいとか、こんな話はもう話せなくなった。自分のできることはただ静かに生き抜いて、いつかたぶん来る再びのめぐり合いを待つことだ。