星空のバラード

窓を開け星空を見詰めてみても
帰る故郷はもう見えない

白線流し~空も飛べるはず

2006-11-25 14:19:36 | Weblog
 二日間深夜まで続いて見てとうとう終わった「白線流し」の話です。
 たぶん2年前だろうが、初めてspitzの「空も飛べるはず」の歌を聞くと、すぐ気に入ったのだ。すごく励ましてくれるのだ。その後はhatsuki先輩が「これはドラマ白線流しの主題歌だよ」と教えてくれた。ずっとドラマを見てみたいのに、暇がなくて、気持ちが合わせなかったから見なかった。やっぱりこれが気が沈んでゆっくり味わうはずなドラマなのだ。
 「白線流し」というのは岐阜県にある高校の卒業式で行う儀式で、このドラマは高校三年生の物語。九十年代の日本の青春ドラマはほとんどそうだった、友情、夢、人生の道そして迷ったこと。今見れば少し嘘っぽい感じだが、高校時代の私ならきっとそれを信じるわけと思う。しかし、今更たた静かに最後まで見てしまうのができたのはもう十分で、感動とかの気持ちがあっても、それに従ってやるわけはなくなった。
 ここでは、ただ自分の体験、高校あるいは大学では自分に起こった体験を書こうと思う。
 その時は気がついていなかったが、周りの人たちとの付き合いは足りなかったかもしれない。いつも自分が一所懸命訴えるに対して、他人の気持ちをちゃんと聞くかどうか今覚えていない。確かに誰が何が好きとか聞いたことあるが、この人がどんな人とか、周りには誰と誰が仲良くとか、このような問題は答えられない。だから大学に入った後、「クラスメートでは誰かと誰かが恋をするよ」を聞くたびに、「そうか、思いがけないね」と驚いた私。つまり、自分の気持ちだけを中心とした高校時代なのだ。
 それから大学では、さらにクラスメートの好物も知らなくなた。四年生になってから、初めて「皆すごいなあ」と気づいた。nasyo、jumperやyolky、一番仲良いような友達でさえも、今まで何が起こったら、「あ、彼女のやり方はそうなんだ」とふっとした。何回もこうしてから、結局自分が友情には何かをしたことあったかいと迷うようになった。それに、今にも残ってきた中学校時代、高校時代の友情は?別に、存在するかどうかも分からないから。昔いつもたくさんの人に囲まれた私は、いつの間にかこんな淋しい人間になったのだ。
 今考えられるのは全ての問題が恋にあるのだ。恋そのものにはかからないが、自分と周りの人たちの抱いた恋への疑問から生まれた問題だ。とは、今まで正真正銘の恋することは一度もできなかったからだ。なぜ親友以外の人と話し合っても許されない、なぜ好きでも打ち上げられない、もしあれはルールなら、私誰も要らない、何も要らない。ーーこうすると、とうとう全てを失った。別に、自分が捨ててしまったとも言えるのだ。でも何でそんな考えが自分の心にあったっけ?やはり自分のせいではないか。
 だから、今更誰かの友情がほしいとか、こんな話はもう話せなくなった。自分のできることはただ静かに生き抜いて、いつかたぶん来る再びのめぐり合いを待つことだ。

日舞

2006-11-22 14:20:30 | Weblog
この前の土曜日、日舞五條流の師範五條鈴彩さんと鈴の助さんが北大の留学生センターに来たのだ。講座の後、皆は婦人会から借りた浴衣を着て先生のご指導のもとに日舞のいろはを体験した。その時先生たちが今日の午後にエルムプラザにワークショップがあるのを紹介してくれた。今年はちょうど北海道日本舞踊協会が成立したことに当たり、東京から藤間流の師範がくるのだ。藤間流というと、日本舞踊の一番歴史長い流派であることは当たり前だけど、やっぱり大好きな女優星光子さんが所属する流派であるわけで、見に行きたいと思う。チケットは2000円でもいいんじゃ…
 こう思って、午後の授業をサボってエルムプラザに行った。会場の外で、受付の先生たちに「誰かに紹介されたか」って聞かれたら、「五條先生です」って答えた。思い掛けないかったのは、先生たちはある封筒から一枚の招待券を出してくれたのだ。「お金はいらないですよ」って。なんとかお得な気持ちで会場に入ったのだ。
 先生はたくさんの例を挙げて「伝統文化」を説明した。例えば、日本人の数え方や人を呼ぶ時の手振り、それと中国人とアメリカ人との区別とか。たぶんふつうはそんな細かいところには気にしないが、言われたら誰も「確かにそうだ」と悟った。そのことには日本の伝統が生きているのだ。こういうような説明は優しくて分かりやすい。さすがに名門家だ。^^
 次は藤間流の方々の演じた時間。「春が来た」とか知っている曲も出てきたのだ。面白い。
 それからは質問コーナーと体験コーナー。函館からの一人のばあちゃんは「今日は若者がほとんどいないよ」って、ついに「伝統文化」と今の「いじめ自殺」との関係までも話しちゃった。面白い。隣のばあちゃんは何度「前に行って体験しなさい」って励ましてくれたから、一番前に立ったのだ。すぐ隣のお姉さんに「え?もしかして日本人じゃない」って言われてばれちゃった。結果的には、このラジオ放送のお姉さんに取材されちゃった=。=
 (具体的な内容は一応省略させていただく)
 やっぱり行ったのは楽しかったのだ。

燃えろ!アタック

2006-11-21 14:22:23 | Weblog
 小学校の時、日本ドラマの「燃えろアタック」は中国で再放送して、クラスでは大人気を呼んだのだ。皆毎日休む時間に校庭に集まってバレーをやったのだ。しかし、その時スポーツが下手だから、一度もやったことがなかった。体育の授業でバレーを練習されたたびにごまかして逃げちゃった。その後、ほかのスポーツ=水泳やランニング、バスケット、卓球など=はだんだんできるようになったけど、バレーはどうしてもできない、というより、大きくなっても、頭を打たれるのをずっと恐れるから、ぜんぜんやりたくなかったことである。
 しかし、日本に来てから、改めてバレーをやり始めた。そのきっかけも偶然だ。それは二回目の韓国語の授業が終わった後、同じクラスの太田さんは目の前に来て、「サークルに参加しないか」って誘ったが、「バレー」を「バスケット」に勘違ったので「OK」って答えた以上、後断るわけがない。結局、「頭を打たれたらどうしよう」っての配慮を抱いたまま出かけた。その日、太田さんと二人の先輩=ちえみちゃんとよりこちゃんと一緒にスープカレーを食べて、いろいろ話し合って少し気が沈んだ。久しぶりの体育館に入ると、すぐやりたくなった。しかし何もできない…
 始まった。まずは「鬼ごっこ」だった。初めて日本人女の子の手をつないだ時、昔から知り合った友達のような感じがした。それから基本の技を練習して、すぐ三つのチームに分けて試合に向けた。何もできないままに試合にも参加するのを、恐れているが、皆「大丈夫よ」「がんばって」って励ましてくれたから、やってみたのだ。太田さんが居たチームはすごく強かった。むしろ太田さんは強かった。ボールをネットの向こうにアタックしたたびに、自分の新しいスポーツショーズを指して、笑顔を出した。その次は私たちの番だ。初心者だから後ろに居させられた。アタックとかは前に居た人だけで十分かもしれないが、サーブなら誰もするはずだ。どうしよう、できないから。そしてもう14対14となった。私はボールを持って、一番後ろの線に立って、深く呼吸して、力を尽くしてボールを打った。奇跡が起こった。ボールはネットを飛び越えた。得点だ。皆大声で「ナイサー」「もう一本」って叫んで、最後に向けた。私もう一度のサーブをして、皆と一緒に勝利を迎えたのだ。ちょっと不思議なのは、その時思っているのは1995年、卓球のワールドカップで何(小山)智麗さんの叫んだ「よーし」とその後彼女が受けた批判。今は彼女がその前中国国家隊で不公平に待遇されたことは明らかだけど、当時はただ「自分の母国を裏切った」とされていた。たぶん彼女にとっては、もっと公平な環境の下に、もっと自由に戦えることは一番大切なことだろうか。正直に言えば、日本人の女の子の叫び「ナイサー」とか「もう一本」とかなどはとても魅力的なものだと思って、心がいつの間にか捕まられるようになった。この時、別に政治関係のことどころが、ただ自分の仲間同士のために戦おうとする気持ちだけなのだ。
 これまでは先月の話。今週の月曜日もまたちえみちゃんたちと一緒にベレーをやったのだ。今回のサーブは前回のようないい運がなくて、何度も失敗してしまった。チームも2回の得点も1点だけで負けたのだ。皆は「惜しい」でけといっても、本当は「悔しい」なのだかもしれない。ほかの二つのチームが対戦する間、私はそばでサーブを練習している。もう一人のりかさんはこれを見てから、教えに来た。(ここは省略、疲れたから)
 最後の一役。すばらしいサーブができた~そして勝つ~11点のゲームは15まで勝負がやっと明らかにした。本当によかったんだ。ふつう中国では、サーブもできない人は決して試合に参加するわけがないものだ。このわけで私みたいな下手な人はいつまでプレーのチャンスがえない。でも今は…まずはやらせて、それからやっているとともに身に着けるように教えられたり、練習させたりすることである。もちろん誰も初めから上手にするわけがない。でも一番重要なのは「やる」。やったらきっとだんだんだんだん上手になれる。皆こういうことを信じているのだ。
 それに、これを信じる力こそは青春だ。

未来へ飛び立てウルトラマンの光を信じて(2)

2006-11-03 14:25:31 | Weblog
  (下面进入花痴阶段)
  首先有一个疑问,关于导致4兄弟无法变身的战斗,俺听得明明是“半年后,神户港海洋发生异常”,怎么后面整部片子里提到这场战斗都是“20年前”?天啊,4只小奥失去变身能力在日本隐姓埋名20年?可怜的孩子们啊,爹妈怎么不来救你们啊?谁守卫火星来着?乡哥哥你竟然胆敢不娶留美子!诸星团你跟安奴怎样?最莫名的是早田大哥,您不是在最后一集里跟初代划清界限了吗?Zoffy哥哥“萨夫利”同志不是送您一条命么?为什么您之后五次三番还能变成初代!——可见失去变身能力只不过是借口,根据剧情需要可以让他们变不回人间体or变不成奥特曼,太过分了,奥特老爹,您快来蹂躏一下编剧!
  其次那么多怪兽在太空里蹦达,为什么偏偏选择了亚波人?再说亚波人在A里就已经被“彻底”消灭了2次了,竟然还能在14年后再出来蹦达还连累4只小奥不能变身?看来这一次编剧学聪明了,在片尾,亚波人只是被“封印”而没有被粉碎,应该是在为50周年纪念作品做铺垫。然而,亲爱的编剧,50周年的时候还有几位爷爷奶奶能陪着我们一起蹦达?还是打算让迪加、小梅在轮椅爷爷们的指点下率领更年轻的小奥上前线?如果真是那样,请问他们还跟亚波人有啥关系?为什么不是圆盘生物?
  我觉得北斗那戒指好像比72年版华丽了,好在他今次没有喊出“奥特合体(Ultra Touch)”的惊悚话语,强烈要求高峰圭二和小光各戴一枚饮交杯酒!显然老爷爷比老奶奶更容易掩饰年龄,本剧场版剧情内未见任一老奶奶出现,甚至连实际上一直活跃在奥特演艺界的樱井浩子也没有弄点龙套角色出现(这就是我的错了,华丽丽的大制作怎么能让女一变龙套!)
  GUYS的小姑娘们不好看,还学得像是山本百合子+ZAT男一般的油腔滑调好吃懒做,这么说也许过分了一点(我指对百合子),但确实百合子是最居家的女队员,特别是头发剪短以后一点也没有剑道4段的风采了。感觉未来似乎和任何女性角色都不太配啊,不像昭和系,我们立刻就能从人堆里认出那个属于主角的Miss Right;不过平成系好像没有让Miss Right们死掉过,相比之下昭和系太血腥了。顺便说,本片统共只挂掉了一只可怜的狗狗,真是小奥系列在人道主义上的一大进步。
  为了显示小梅与昭和系的亲缘关系,小梅不仅重现了姐弟组合,更加让“救小狗”这一主题从TV版贯穿到了剧场版,希望下次能够换成救小猫。GUYS队员素质参差不齐,感觉太幼齿,当年的TAC队一群人也没比他们大几岁啊,成熟多了。姐弟档也是,看过小梅再想想星野、次郎和段,这群小孩怎么可以那么勇敢?健一戏份不多就不讨论了。
  下面严肃批评筱田三郎同志。如此华丽丽的40周年作因为你的缘故竟然没有出现东光太郎的脸,这应不应该!第一你是现役男优,舞台TV电影都有涉足,fans遍布日本列岛;其次跟你一样享有盛誉的森次晃嗣也不顾自己年迈发福、更加发福的团时朗哥哥甚至还染了花白胡子,于情于理你都不应该怯懦!第三泰罗一直是6兄弟中最被宠爱的一个,小夕都没有做饭给北斗吃过你还听过小夕弹钢琴,结果泰罗同学好意思在20年后飞到地球上来说一句什么“我们来晚了”吗?人家佐菲大哥是没有人间体,你、你给我说,你溜到南太平洋哪个岛上钓鱼去了?说到这里,我突然想起来其实也不能完全责怪筱田,因为在泰罗第53集中光太郎同学把变身徽章还给了老妈,可是早田不也跟初代一刀两断了吗?如果不是因为筱田的原因,编剧至少可以让光太郎和ZAT队在片中露个脸吧?我美丽的森山泉T_T
  不过我美丽的留美子也没有出现,出现的是坂田秋兄妹,看来能够载入史册的始终是初恋。及至A估计大家全都不记得梅津姐弟啦,什么?香代子是谁?A中的女一显然从始至终只有小夕!神奇啊,有22集没有露面的主角……传说中的安奴我终于看见了一张侧脸,哪位高人来给我讲讲她和团的故事吧……似乎也是史上怨念极大的一对怨偶。
  接着我要郑重辱骂编剧同志,虽然本片叫做小梅与6兄弟,但是奥特爹妈也可以晃一个镜头的吧?既然连爱迪、乔尼亚斯和迪加都出现在了回顾镜头中,为什么偏偏没有我家雷欧!不错,雷欧兄弟属于旁枝末节,但是凤源好歹是诸星团的门生吧?如果不是为了什么保卫地球,小源难道不是幸福的跟百子生活在一起!还有我美丽的星凉子,奥特公主都没有资格吗?麻烦50周年请务必完整,不要因为人家收视率低就抹消人家的存在……
  最后我要隆重的感激一下本片策划。剧中多次穿插了昭和系TV版的画面,我看到了MAT忠厚的南以及我最最热爱的TAC美丽的南,我一眼就可以辨别出那是妖星考拉和死刑奥特五兄弟里的画面。可惜没有认出来关西小帅哥冰川清到底演了谁。以后请记得把演员表打在前面(合肥的电影院现在都直接掐掉片尾的,无耻!)最后片尾的40周年PARTY太令人感动了,我先是在友情出演里看见了小光的名字,接着在镜头里看见了樱井阿姨、菱见百合子阿姨,还有池田骏介(MAT的南猛)……看见了小光做华丽妇人姿与高峰圭二举杯。不得不说她这身装扮太华丽了,于是这部电影我是从头到尾流着泪看完的。以上。

未来へ飛び立てウルトラマンの光を信じて(1)

2006-11-02 21:24:49 | Weblog
  1994年2月,我在上海第一次看到了ULTRAMAN A,第一次看到了小光,从那一天起,我一直把她和小奥看成榜样,不断从他们的故事中获得心灵的慰藉。早已不年幼的我迄今还是和千千万万的追星族一样,渴望能够接近自己的偶像。终于,在今天,还不到24岁的我在经过了12年零8个月的期盼之后,第一次,在奥特曼诞生的国度里看到了最新上映的剧场版——圆谷公司和松竹映画为纪念奥特曼诞生40周年而特别制作的《梅比乌斯奥特曼与奥特兄弟》。
  12年零8个月的漫长等待,以至于走进那家偏僻的电影院时像是踏进了仙境。今天是周四,Lady's Day,所有女性观众都可以享受1000日元的优惠价。我穿过一排排的游戏机,冲到售票小姐面前,“欢迎光临。”小姐微笑招呼。“你好,我要奥特曼!”我发誓,今天我的日语说得绝对没有打结,只是我背不出电影的名字,并且在此时,究竟是哪只奥和哪只奥已经不重要了,他们是小奥,这个意义重大。
  放映厅里意外地只有我一个人,安静,温暖,之前我还在地铁站里买了一袋草莓巧克力,庆祝我与小奥在日本的相会。(可惜放映前两分钟又进来一个男性社会人,天啊,这是儿童向,今天是Lady's Day!大喊大叫手舞足蹈的幻想破灭了-.-|||还好那男子坐在最后一排的角落,并且容忍了我夸张的动作和尖叫,看来也是来怀念童年的,可是他……不上班么?)幕布拉开,灯光渐暗,正式放映之前还放了一段很长的美国电影预告片,吓得我个土人还冲出门确认我没走错放映厅——我要看40周年特典,不要看其他电影的预告片!
  片头里,带着可爱微笑的五十岚隼士向大家介绍了GUYS队的战斗机等等道具——讽刺的是,这部电影完全没有GUYS的用武之地,完全成为了华丽丽的奥特家族片。影片第一秒,荧幕中间出现一枚蓝色的地球,我的心随之起伏。初代、赛文、杰克、艾斯一起追击一只巨大的亚波人怪兽(话说该怪兽的造型大约抄袭了凤凰星座圣斗士一辉同学的圣衣),第一个出招的是我家A,第一个被摔倒的是A他哥杰克——这个设定似乎不太对,北斗同学怎么可以抢乡哥哥的风头!4只小奥一起用了一个从未用过的招数把这只怪兽封印在了海底,而他们也因此而失去了变身的能力。
  (下面是人间体老爷爷们的出场)
  神户是日本最大的海港城市之一,跨海大桥、高楼林立。一家高级餐馆里,美丽的小姑娘正在吃饭,不小心把玻璃杯碰落了下去。眼看杯子就要摔碎,说时迟那时快,一只手接住了美丽的玻璃杯。玻璃杯也许很普通,但那只手上的戒指却不普通(我大叫了一声北斗,泪水夺眶而出)。镜头一切,一顶厨师帽下是我最最熟悉的咧嘴笑脸。尽管北斗不是我最喜欢的男人间体,但我曾有那么多个日日夜夜站在小夕的立场上牵挂着这个热血男。如今,他的笑脸依然俏皮,但额头的皱纹柔和了脸上的线条,加了几分温暖人心的力量。我终于明白了为什么有那么多人会喜欢北斗,显然我当年是一心恋着小夕,为她落寞的爱情而扼腕,结果才完全没把这男人当回事——事到如今,我还是要说,他根本就配不上我家小夕嘛,怎么能去中华料理餐馆,应该去孤儿院打义工!
  赛车场,一群小朋友们围着教练,乡终于还是在跟他的离合器方向盘打交道;诸星团一副牛仔装束似乎在做导游;最玉树临风的是早田同学白发苍苍高望重工程师状……
  GUYS的日比野未来队员驾驶飞行器(忘了名字,还是遵循昭和系的传统吧)前往神户协同调查,遇到了14岁时曾在GUYS少年队接受过训练的绫(或者彩或者亚也反正是Aya),这小姑娘出落得伶俐可爱衬托出未来的呆。在调查中,未来得知Aya的弟弟曾经在3个月前遇上过一次怪兽,当时,吓坏了的小朋友眼巴巴地看着自己心爱的狗狗被怪兽用山砸死(想起了仙剑……),因为自己没能保护狗狗而万念俱灰的小弟弟从此一蹶不振,连见到了一直崇拜的GUYS队员也出言顶撞。未来想方设法安慰、开导弟弟,却始终很难打开小朋友的心门。这时,他听到一个声音说:人心是复杂的(原谅我忘记是谁说的了,但我觉得应该是乡,参照什么“自然是伟大的”),于是他回头看见了4个哥哥(啥?那也就是说小梅正式被列为第7个弟弟了?)大家围绕被封印在海底的怪兽交换了情报,会谈在亲切友好的气氛中进行。4个哥哥当年都是带小孩的高手,轮番向弟弟传授了争取小孩信任的高招。“信任的力量会成为勇气(信じる力が勇気になれる)。”“最重要的是永不放弃,心灵的坚强会成为勇气(一番大切なのは最後までも諦めない。心の強さは勇気になる)。”“而这勇气会将不可能变为可能(この勇気は不可能を可能に)。”于是未来和弟弟约定,一定要相信小梅,只要这番心意能与小梅相通,下一次小梅战胜怪兽以后一定会做出“V”的手势。后面的内容就是姐姐被绑架,亚波人变出了假小梅,好在未来硬撑着到揭穿了骗局。几次三番恶战之后4个哥哥纷纷变身,几次三番互相搭救。最后佐菲和泰罗到,7只小奥终于再次把怪兽封印回海底,4个哥哥也还能变回人间体,本片结束。V——
  由于小梅是一部复古的作品,所以把他和6兄弟放在一起显得特别和谐,6只皮套都是重新制作的,特技演员显然也都换了新人。初代的脸甚至还像过去一样布满青春痘,除了小梅的皮套略显臃肿之外一切都是那么华丽。4只变身的时候都使用了昭和系剧场版里的镜头,当时的特技那么傻,傻到有一个名词叫作“光学作画”,片场里堆满汽油桶和硬纸板,但昭和系所宣扬的精神——科学、守护、勇敢、信任、友爱——一直被坚持到了现在。剧中人物设定是符合昭和系TV版原意的,看到小梅被亚波人囚禁,北斗立刻要去帮忙,团却不同意,认为4兄弟连自身的性命也得不到保证,白白去送死只会将地球推进更深的深渊;乡站在了北斗一边,早田站在了团一边。然而北斗说:没有了我们,还有人类自己~于是4人才开始行动,真是深思熟虑+猪突猛进的兄弟档啊。由于怪兽竟然是亚波人,所以在特技上采用了与A一贯的做法,仿佛所谓异次元空间的人就是看起来像是水面上浮着的一层汽油。激烈的打斗场面由电脑合成,由于不需再吊钢丝,小奥的飞行速度比昭和时代加快了许多,但明显合成画面不如皮套来得华丽,皮套有一种光泽和神韵是电脑合成不来的,我始终坚信。