星空のバラード

窓を開け星空を見詰めてみても
帰る故郷はもう見えない

「心の中に身を隠す」

2008-07-23 02:21:47 | Weblog
タイトルは新渡戸さんが詠った漢詩だそうです。

この一ヶ月ぐらいはほとんど部屋に身を隠してた。
普段の話す相手は二人の上司しか居ません。
ですから、しゃべる能力は急遽↓...
上司たちは、前から「ここに来る人間なかなかいないんだ」と話してた。
でも、自分だけの世界に隠れることも、ある意味で、隠れられることは、なかなかすごいでしょう。

今日は、くずし字と2時間ぐらい戦った後、仕方なく飽きた。。。
ちょうどお昼の時間だから、大学祭をもう一回巡ってきた。
朝は雨だったので、観客はお昼から集まってきて、にぎやかだった。
食べたかったたこ焼きは安すぎるから、長~く並んでる。
待ちたくないから「春巻」「ちまき」「ごまボール」の店に行った。
(今入力してる時初めて分かった、ちまき=粽のこと。汗!)
そこのちまきとは、竹の葉で作った四角の箱に、海鮮ご飯を入れる蒸し物のようなものですが、
普通、端午節の定番は「粽子(そうし)」という4つの三角の側面を持つ奇妙な形になってるもち米を包んでる食べ物です。
海鮮ちまきの隣にあります。
「生煎」「麻球」「粽子」のセットは、いずれも昔の朝よく食べたものです。
知り合いサービスの値段でセットを買った。そして「春巻」と「ちまき」もご馳走になった~とても美味しかった~~~~~~予想以上美味しかった~~~粽子の形は少し崩れたが、それは、もともと難しいものです。

春秋時代、楚国の屈原大夫が王に上諫したが、王は全然聞いてくれなかった。屈原は悲しくて石を抱いて汨羅江(ミラこう=現在湖北省)に身を沈んだ。後世の人は彼を記念するため、毎年の端午節に、粽子を作って魚に江に投げる。今になっても全国で龍舟レースが行われます。

もっと前の朝代、王に無視された大臣たちは、自殺したものもいれば、山の奥に遁隠したものもいる。中国文学にも、隠者の歌がたくさん残っている。
ところが、山に身を隠すことは、実に易い。他人とつき合わせずに自分の心の穏やかを求める一方だ。言い換えれば、人間との接触が少しでもあれば、心が乱れられる。
この意味で、「市」(人の世)に身を隠すことは、もっと素敵な境でしょう。いくらぐらい周りが激変しても、多分自分も変わったりするとしても、精神の純粋が守れる(善とか)。
この場合、身が市に隠れるのではなく、本当は自分の心に隠れているでしょう。強い心があれば、自分の信念が守れる、というのは理想な境かもしれません。。。

話を戻しましょう。
それて、「北京糖葫芦」の前で、店員さんに捉まれた。
砂糖がなくなったから、買ってくれ~え、え、私でいいの?
生協に行ったら、1パックしか残っていない。大学祭って、生協も儲かるね~店に戻ったらまた知り合いサービスで試作2本をご馳走になった。

知り合いとか、全然知らない中国人たちでした。

嬉しかった。

夕方帰る時、ネパール雑貨店でバックを買った。本は一冊しか入れないぐらいのサイズで、少し足りない感。ネパール店といっても、ボスは日本人のおばさんらしい。「どこから来たんですか?」の問に対して、「中国」って答えたら、おばさんにすぐ店で手伝いしてる中国人男性を目の前に押された。そのお手伝いさんは、この春に来たばかりなので、まだ日本語が話せないって言ってた。
それを聞くと、少し感心してた。
言葉の壁を乗り越えて、活躍している彼に。
私は、もう、長い間にしゃべったことがないから、話せなくなった。

コミュニケーションは大事です。
言葉ではありません。

あの夏、いちばん静かな海

2008-07-23 02:15:38 | Weblog
一ヶ月前ある日、アメリカの友人から不意なメッセージが届きました。
 ――水原の夏、あなた、覚えていますか

 覚えていますか。2005年の夏でした。
 卒業式の翌朝、Lサイズのスーツケースを引いて初めて浦東空港国際出発ラインを越えました。
 スーツケースの中に入っているのは、インスタントラーメンでした。
 金持ち向けとよく言われる大学間国際交流の一環になったサマースクールに向かう貧乏学生の私。
 大学の専門は理系とまったく関係なし、というより、実は韓国なんか大嫌いの私。
 ただ一人ぽちの夏休みが怖かったから、どっかへ逃げようと思って申し込みをしました。
 同行する人には、朝鮮族の子もいるので6週間ずっと彼女に頼りました。

 覚えていますか。初めて登ったキャンパスの山。
 荷物を学生寮まで運ぶのは大変でした。しかもそれから毎日何回もあの山を登ったり降りたりしました。
 授業は言うまでもなく、寮には熱湯がないので、シャワーもキャンパス外のジムまでいかなくてはならなりません。
 そこで、ただで水泳もできます。
 毎日微笑んでいる受付嬢。
 筋肉を鍛えるためクロールとバターフライだけで必死に泳いでいる韓国人。
 殆ど毎日英語で声かけてくれた男。
 最後の日にアイスヨーグルトをご馳走してくれた中国人のお姉さんとお兄さん。
 そして、一階のFamilyMartでサンドビスケットを買って戻ります。

 覚えていますか。街中に満々と掲げられる太極旗。
 そして、旗に咲いている顔が大きなむくげの花。
 私は文化ショックを感じた時は滅多になかったのですが、韓国だから当たり前と思ったことが多かったのです。
 朝6時に工事をしに勝手に寝室に侵入した作業員。
 肩を抱いて店に誘おうとした声が大きなおばさん。
 あなたのデジカメはだめと言って、綺麗にとれらた写真をくれたホットドッグ店のおじさん。
 「卵の花」がいっぱい咲いている水原華城を観光する途中で出会った散歩される可愛いワンちゃん。
 郊外のタミナールで迷い子になった私に中国語で「小姐、請上車(バスにどうぞ、お嬢さん)」と言って大学まで送ってくれたバス運転手さん。
 ちなみに、川端康成が「ありがとう」で書いた運転手さんの敬礼を国境の田舎で見えました。

 覚えていますか。河回で作った紙の仮面と手鏡、そして一枚の白紙。
 そして、毎週の韓国文化体験タイムのこともありました。
 想像力に乏しい私は、キラキラ陶器を作れるあなたたちが羨ましいです。
 アリランの歌を全部覚えてきたあなたたちが羨ましいです。
 でも私も太鼓をよく敲きました。
 跆拳道(テコンド)がよくできました。
 その時、アメリカで黒帯まで取れたあなたと友達になりました。
 年下だけどおとなしいあなたが、板門店のあの「統一」という彫刻の写真を撮っている私の後ろ姿を何枚も撮りました。
 あなただけではなく、日本語専攻の弟みたいな彼たちとも一緒にお昼を食べて、韓国語を勉強しました。
 
 覚えていますか。図書館の前に植物の香が匂っていること。
 毎日午後視聴室で韓国ドラマと日本映画をみて過ごしました。
 ティッシュを大量消耗させたあのドラマの名は「夏の香り」でした。
 ばかばかしいストーリですが、ただ主人公の顔だけ見れば涙が溢れてきました。
 新海誠の「星の声」も見えました。
 「届かぬメールを待ち続けるのないように、心を硬く、冷たく、強くしよう」
 この言葉にも、また涙を掬いました。
 一万ウォンの国際電話カードが切れました。

 覚えていますか。6月末のくせにまだまだ冷たくて堪えなかった慶州の海。
 湿り気をたっぷり含んでいるから重さが感じられる塩味の空気。
 あのピアノが上手の朝鮮族の子は知らないとこから知らない花を摘んできました。
 彼女は靴を抜いて、砂浜に座り込みました。
 17歳の夏に裸足で海水と砂が踏みたかった私は、この22歳の夏に初めて不可能という言葉が分かりました。
 隣に彼女は花びらを切って、小さなテストをし始め、恋の運命を探していました。
 「(彼が)愛してる、愛してない、愛してる、愛してない、愛してる…」
 カモメが飛んでいる青空の下は、あの夏、いちばん静かな海でした。

翻訳拒否はトイレットペーパーよりも軽かった

2008-07-18 01:52:09 | Weblog
小泉孝太郎・大泉洋
1944年8月5日、オーストラリア・カウス捕虜収容所
1104人の大脱走
~あの日、僕たちの命はトイレットペーパーよりも軽かった~

 戦陣訓を早く忘れて、精一杯生きていくことを願う大泉は、帝国軍人としてやはり死を望む小泉を助けて、代わりに自分が銃弾に撃たれた。しかし、帰国後、大泉のことをずっと敬愛して悔しかった小泉は、彼が妻に書いた手紙を持って、彼の実家に訪れた時、手紙を渡すことができなかった…
 前半は楽しいけど当たり前の感じで、平凡に展開してきたこのSPは、終盤に入る前に、一つ予想以外のエピソードが現れてきました。

 今回は、中国のネット上で活躍する字幕作りチームが1時03分と1時31分のセリフに対して、「翻訳拒否」をしましたから、友人にはぜひそのセリフの意味を教えてと頼まれました。きっと「軍国主義」の言葉だろうと思いましたが、実際観たら、そんなにたいしたものではない感じでした。
 脱走する前に、大泉がした脱出した後は何かとの質問に対して、班長は「靖国で会おう」と答えたこの言葉と、オーストラリア軍の銃弾に撃たれて死ぬ直前ある人が叫んだ「大日本帝国万歳」と二つのところです。
 それは別にこのドラマが主張する理念でもなくて、それを言った人物が持つ本音と必ずしも一致しているわけでもないですから、翻訳拒否をしたのは笑われるべきほどの大袈裟になってしまったのではないかと思っています。

 ドラマでは、他にも「鬼畜米英」や「非国民」など、戦時の用語がいっぱい出てきました。日本人にとっては、それは常識かもしれませんが、一般中国人には、あまり親しい言葉ではないでしょう。私たちは日本兵のことを「日本鬼子」と、朝鮮戦争の頃に「美国(アメリカ)鬼子」、また外国人のことを「洋鬼子」と呼ぶことがあります。同じように、太平洋戦争中、日本も英米のことを「鬼」と思っていました。彼らが考えた敵は英米です。しかし、私たちはその戦争を中国と日本との戦争だと認識しています。分岐もあるし、同じような情緒もありました。これは知らなければいかんと思います。

 今回の大日本帝国万歳と、映画「大日本帝国」の篠田三郎が死ぬ前に叫んだ「天皇陛下万歳」と、いずれも賛美と思いかねます。彼たちが生きたかった理由もお母さんですし、死に賛成した理由も村八分への恐怖です。どちらかというと、国家ではなくて、家族や郷土です。しかし国家に強制されたから、というところは悲しいことです。
 また、靖国も靖国だけど、物語を語るための一つの言葉に過ぎないですから、歴史を述べる時もそうだし、現在の人の心情を考えて、皇帝の名前を忌避するように敏感な言葉を伏せることはなんだろうとしか考えられません。一言で言えば、翻訳拒否を通して、自分の愛国の心情また政治的立場を表明するのはあまりにも甘すぎると思います。

 まあ、孝太郎「ちゃん」の演技は相変わらずあれだけど、最後まで(最後だけ?)観れば楽しめる作品です。