星空のバラード

窓を開け星空を見詰めてみても
帰る故郷はもう見えない

芥川(伊勢物語の段六)

2004-12-26 21:09:06 | Weblog
昨日、文科図書館で自習する時、芥川という物語を読んでしまった。
鬼とかなかなか不思議なのだけど、面白い物とは言える。
今を大切にしようよ。。

芥川(白玉)

 昔、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来(き)けり。芥川(あくたがは)といふ河を率(ゐ)ていきければ、草の上に置きたりける露(つゆ)を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。
 
 ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・胡(やな)ぐひを負ひて戸口に居(を)り。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐて来(こ)し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
 
  白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを

俺のクリスマスイブ

2004-12-25 12:09:03 | Weblog
 今日はクリスマスイブだが、誰にもご馳走に呼ばれなかった。
 昼ご飯はハンバーガーひとつ、晩ご飯はインスタントラーメンで済んで、
とても寂しかった。いや、これは千利休の侘びの精神じゃないか。
 八時ごろ、受験勉強の同士からのメッセージを受けた。文科図書館には
人が少ないって。それを読んで、すぐ本を持って出かけた。生まれたから、
そういうような意儀深いクリスマスイブは初めでだ!
 もともとは友達とお供をして一緒に大学院の試験を受けると約束したが、
いま、千里の外のここで忍ぶことしか何もできない。
 悲しかった、慕うことは。

Meikyo

花は盛りに

2004-12-23 17:17:07 | Weblog
(徒然草第百三十七段)
 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ、あはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散りすぎにければ。」とも、「障ることありてまからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさることなれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。
 よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。
 望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる群雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴、白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、見にしみて、心あらん友もがなと、都恋しうおぼゆれ。
 すべて、月、花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。
 よき人は、人へに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろつはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。

世間可観之景非止満開之花、盈盈之月。対雨思月、閉戸探春之情,岂非勝一筹。
含苞之枝桠、花落の庭院,比之“今日賞花”更富歌詠之意味。

星空のバラード

2004-12-21 11:36:18 | Weblog
さっき投稿のボタンを押したら、ブログのタイトル「星空のバラード」を見た。
星空のバラードって何の意味?
自分自身に「もう忘れちゃったの」と聞いた。
おおとりゲンだっけ。
おおとりゲンと比べると、どうか。
諸星隊長は厳しくても、おおとりと一緒に戦う同士なのだ。
やはり同じ志を持つのは大切だと思っている。

しかし、ゲンや星司のように悲しみを抱いて反抗するはずだ。

悲しい!朝の授業から

2004-12-21 11:22:52 | Weblog
あの変態は最後まで恥をかかせそうだ。
ほかの学生に有効である仕方かもしれないが、
私なら、憎むしかならない。

やはり私の大学はあの変なおっちゃんのせいで悲しみしかなくなる。

身体

2004-12-20 14:03:55 | Weblog
 安徽省の南部に美しい山脈がうねりながら長く続いて並んでいる。中には黄山という世界にも有名な山がある。毎年世界各地から数えない観光客が来て、山裾の辺りの町がますます賑やかになっていた。私も湯口という小さな町にガイドのサービスを兼ねる小さな旅館を経営していて、毎日いろいろな客と付き合う。去年の夏、ある尋常でない女の子がうちの旅館に来た。これは彼女の物語だ。
 連日の雨がやんだばかりで、手軽な荷物を持った彼女はと遠くの雨の中から歩いてきたそうだった。長い黒髪が肩に広がっている。
 「一人?」私はびっくりしてチェックインノードから頭を上げた。
 「はい、そうです。」ニコニコした彼女はそう言った。
 「危ないわ。」
 「知ってる。」
 「ハア、ネットで調べたんだろう。」
 それを聞いてから彼女は笑い出した。
 「ネットでお姉ちゃんの旅館が分かる。」

 午後。彼女と同じ汽車で来たお客さんたちは黄山の西海大峡谷に行くつもりだ。彼女も行きたそうだ。
 「行く?」
 「行くよ。」彼女が飛び上がった。
 「カーメーラ。」そんなに元気なそうな女の子を、はじめで見た。
 「持ってるよ。」
 車を飛び込んだ彼女の声に、なんとなく元気すぎるんじゃないかという感じがした。まあ、本当は私自分が考えすぎるんじゃ。

 西海大峡谷は数年前開発された比較的に新しい観光区で、それほど険しくなく、きれいな公園みたいな所だ。峡谷に有名な「ラブバリ」や「九龍滝」があって、木が茂って、谷川が澄んでいるので、記念写真の名所とされている。しかし、一人で行く彼女なら、写真のほうはちょっと割引をされる。将来きっと残念に思うので、やはり二人か多くの人で一緒に旅行したほうがいい。

 晩ご飯の時、ほかのお客さんは戻ってきた。30分ぐらい後、彼女も玄関に現れた。
 「私、隣の店でラーメンを食べた。」
 「え、なんで隣?うちのラーメンもおいしいよ。」台所のおじちゃんはからかった。
 「ええ、知ってるけど、お金を節約ために、」彼女は真面目くさって答えた。
 「へえ、耳飾をかったの?さすがにお金を足りなくなった。」と、私は微かな変化を見つけた。
 「ええ、隣の店で穴を突かれた。」彼女は急に声を呑んだようになった。
 「旅行中に耳に穴を突くと、炎症を起こしやすいね。自分の身体を大切にするわけじゃ。」
 「それはここに来る目的。」

 怖い。わざわざここに来て自殺するつもりを持つ人は少なくない。私そんなことが絶対いやだ。命が尊く、そしてこんなに美しい仙境のに、なぜ。なぜ、そこでどうしようかしら。彼女が一階の広間にほかのお客さんと明日の道のりを商談していながら、たまに笑顔をだしたが、これはまさか本音を隠すために。
 彼女の後ろに立った私はその右の足首には浅く赤い傷がいくつ刻んであることを見た。それは潅木の傷ではない。
 「天気予報によると、明日日の出が見られるよ。」と、差し出口をした。
 「本当?よかった。」と、彼女は目がきらきらしていた。
 「70%の可能性は確かに高い。しかし雲海はただ30%で、仏の光はほとんど見られない。残念ね。」
 「そうお。友達によって、雲海を見るとあそこに飛び込みたい気持ちまでなるよ。本当にそれほどすばらしいもの?身を捨てても近くにしたいの?」
 「本当だ。昔山に住むお坊さんは、仏の光に向かって飛んだ人も少なくなかった。そういうような耽った信仰を持つ人が本当にいるわ。」しまった、かえって悪い方向へ行った。と、私は心細かった。
 「そうお。じゃ、日の出、雲海や仏の光、お祈りいたします。」と、彼女の掌を合わせたのは、かわいいと思っていた。
 「温泉に行くお金は、ないか?」と台所のおじちゃんはまたからかった。
 「そうお。」彼女は笑った。

 二日間後の午後。彼女はほかのお客さんと同じ車で黄山から帰った。デジカメを持って私の部屋に入った。
 「写真をフラッシュディスクに移させていただけませんか。」と聞いた。
 「もちろん。」私は彼女のデジカメを受けて、コンピューターにつけた。ついでに写真を見た。
 「これは日の出。確かに珍しいほどすばらしい日の出ね。」
 「そうよ。けど、残念ながら、仏の光は出なかったが、雲も海にならなかった。ただ、薄い紗のようだった。」
 「だからこそ飛ばなかった?」
 「あ、ばれちゃったか。」と、彼女はばつ悪いで笑った。「朝、日の出る前に薄雲を染めた金色の霞を見たら、突然に悟った。この身体を捨ててもいいと思う時、身体が大切でないものになった。そうしたら、捨てなくてもいいだろう。嬉しさを得るのは心のことで、痛みを担うのも心のことだ。」

 実は、一番目の夜には、彼女の絶対自殺しないことが分かった。遅くまで、院生の進学するための参考書を読んだから。ただ忙しくてたまらない受験生活から逃げてきた女の子にすぎなかった。

子供

2004-12-20 14:02:06 | Weblog
 夏休みに一人で黄山に行った時の話である。

 山すその旅館で、同じ上海からのおじさんと娘さんと知り合った。お父さんは大手会社の社長で、娘は名門高校の新入生である。ほかに、彼らと一緒に来た若い4人はおじさんの部下2人とその奥さん2人である。6人はセルフサービス式の旅行を選んで、旅行社に参加しなっかた。私もそうだった。一人でその美しい境に行ったのは少しおかしいが、友達を誘いたくないとは言えなくて、実はその時ずっと将来のことに苦しんで、親しい人に、誰にも話したくなかったから。
 「許さんは、一人で山登りに行くつもりか」と、初めの日の午後、黄山の東海大峡谷に行く途中、おじさんが聞いた。
 「ええ、そうつもりですが」。明日の計画をまた知らない私は、心細くても元の決心をとことんまで遣り通したいから、そう答えた。
 「じゃ、私たちと一緒にはどう?」と中の姉さんが誘ってくれた。
「明日西海大峡谷に行くじゃ、あそこには桟道ばかりで、観光客もすくないし、とても危ないわよ。」
それを聞くと、私は急いで頷いて、「お願いします」と6人にお礼をした。

 翌日朝4時ごろ、みんなリュックサックを背負って西海に出発した。黄山のような高山は初めてだが、高校時代の遠足は万仏山や天柱山などに登った体験がある。ところが、昔と違うのは、今はただ私一人だけ高くて、険しい山にいる。
 黄山にはうちの父と母は結婚旅行の記憶があるので、私にとっては親の愛の証みたいな存在だから、ずっと憧れている。しかし、母は仕事に忙しくて、父はいつも簡単に「危ない」を理由として私の要求を断った。「じゃ、自分で」と思って、学校の電子掲示板を通して黄山の旅館を注文して、セルフサービス式の道順を決めてもらった。
 これをおじさんたちに打ち上げてから、彼らは「一人でここに来たのはやっぱりすごいね」と褒めてくれた。しかし、おじさんの「両親に教えるかどうか」という問題に、「全然」と答えたら、おじさんは娘に「子供だからやはり両親に教えたほうがいい」と言った。重い荷物を背負っている娘は、目を見張って、軽く頷いた。

 西海大峡谷は新たな観光区として、開発されたのはつい最近のことで、道は凸凹で、小売店もない。若い夫婦4人は手を繋いで、早くて前に行っていたが、私は最後に、非常に注意深く足を踏み出した。その中に、おじさんと娘さんが歩いでいた。
 「綺ちゃん、歩く時、横の草を捕らえていいぞ。」
 「綺ちゃん、リュックサックが重い?渡して、」
 「綺ちゃん、見て、杖をこういうようにちゃんと使える。」
 「綺ちゃん...」

 おじさんの娘を注意する声は耳に絶えない。もし私が娘なら、きっと指摘と思って我慢できなくなったけど、他人としての私にとっては返って利かすヒントに違いない。微妙な気持ちなのだ。娘の顔を見てみたら、ずっと気にしない様子であった。
 あ、一緒の人はみんな大人だから、ちょっと不自然と思っているかもしれない。と、私は娘に同情を与えた。

 大峡谷の景色の素晴らしさは言うまでもない。いい景色の作用かも、インスタントかゆなども美味しくなった。昼ご飯の時、おじさんは私のことを聞いた。
 「日本語を習うのは...」
 「自分で選んだのです。」
 「両親の仕事と関係ない?」
 「全然関係はありません。」
 「ところで、お父さんはお幾つ?」
 「父の属相は馬です。」
 馬の属相を聞いたら、隣にずっと黙って食べる娘さんは笑い出した。自分のお父さんも馬だから。これは娘の1回だけの笑顔なのだ。
 午後の旅は午前と同じ、娘さんはずっと重いリュックサックを背負ったが、おじさんは何も背負わなかった。いい子供だなあ、父親を思いやっていると、私はそう思った。自分のことを顧みると、なんと恥ずかしい気持ちがした。しかし、恥ずかしくても、黄山に行くために父と母に「上海でアルバイトをする」という嘘を付けたことに後悔しなかった。必ず成功して、無事にお土産を家に持ちたいと思った。このような私はかつて友達に「我が儘な子供」と指摘された。

 夜、晩ご飯を食べた後、みんな後の日程を相談した。
 「明日の山下がりは蓮花峰を登りたくないと思っている」と、黄山に2、3回に来たおじさんは。
 「登らない」って、私は少し満足しないと思った。
 「ぜひ登りたいなら、許さんは一人で行くとなる、危ない。」
 しかし、せっかく黄山に来たら、蓮花峰を登らなければ私は失敗したことになるかと思って、一人で行くことに決めた。

 おじさんたちと離れてから、ホテルの前の広場に座って、未知の明日を考えていた。とうとう一人となるね、元の計画が叶えるねって。携帯の時計は明日に近づくとともに、なんて一人でここに来たかという後悔の気持ちが上がってきた。ただ、両親は私を連れて来たくないというわけではない。それに、毎年の夏休みに、高校時代の友達を誘ったのに、彼らはいつも、やはり両親と一緒に行ったほうがいいと答えたーー一体行ったかどうか分からないけど、この答え本体は私を悲しめた。黄山だけでなく、多くの友達は、両親から要求に従って大学の専門を選んだり、大学院に入るかあるいは就職するかを決められたりして、簡単な人生の道を歩ける。けど、私はいつも自分で選んで、自分で決めて、大人みたいだが、心奥には子供のような不安が生まれた。

 広場にはテントが並んで、昼間の賑やかさから静かに戻った。人々も自分の部屋、いわゆる自分の位置に戻った。しかし私の位置はどこ?静かに怖くなって、携帯で高校の友達に電話を掛けた。
 「なんでみんなは両親あるいは恋人に連れて観光することができる?なんであなたも両親に将来の道を決められたの?なんで私の自分でやってみたい気持ちを我が儘と言うの?」と聞いた。
 暫く黙った後、彼は「私たち、まだ子供みたいと思わないか」と反問してくれた。
 つい涙がぽろぽろと零れた。近くの夜空にいっぱいの星が輝いて、とても美しかった。
 第三日、私一人で山を下がった。昨夜の話がよく浮び出た。

 無事で山すその旅館に戻って、たいへん疲れちゃった私は、もう一度おじさんたちに会った。おじさんは「ちょうど都合よく、一緒に徽州料理を食べましょう」と誘ってくれた。綺ちゃんの顔色も赤くて、林檎みたいだ。きっと十分に山を楽しんだだろう。よかった。
 おじさんはビールを注いでくれて、「許さんはもう大人になったぞ、綺ちゃんもお兄さんやお姉さんたちに習ってよ」と話した。

 しかし、これはただ彼らは、私がその前の夜に泣きながら電話を掛けたことを知らなっかたから。

結婚

2004-12-20 14:00:02 | Weblog
 最近、高校時代の同級生の女の子が婚約して、来年5月に結婚するという噂話を聞いた。中学校で知り合った彼女の10年前の子供みたいな様子がまだ目の前に浮かぶので、もうそろそろ結婚するということはとても不思議に思った。しかし、本人に聞いてみたら、すぐ「確かにそうだ」と返事してくれた。彼女は今、華東師範大学の四年生で、相手も同校の院生で、二人とも法定結婚年齢に達したばかりで若い結婚だ。

 昔の友達は、この女の子のことを聞いたら、皆羨ましさが顔に出たが、たいていの人がまだ恋した体験がないから、結婚とは「高嶺の花」みたいだと思っている。人々は結婚は人生の一大事として自分の未来にかかわって、自分の幸福を持ってくればよかったと思っている。もちろん、人に愛されて、いつも守られるのはすばらしいことだが、しかし、これがただ婚姻からもらうものだけで、自分の方は何かをやってあげることはないではないか。なんで結婚するか、後でどんな姿勢をとって暮らすか、これは、結婚相手が誰かよりずっと大切なのだと思っている。こういう問題は自分の生き甲斐または価値観に関してよく考えなくてはいけない。

 結婚は二人のことに違いない。しかし、二人の中のそれぞれにとっても大切な意味があるのだ。中国では「いい家で生まれるよりいい家に嫁ぐほうが良い」という俗語がある。これの言うように、結婚も出世の一つの道とされている。10年ほど前、計画経済の時、戸籍も住宅配置も結婚と関係があるから、いい生活を得るためにどうにか結婚した人がたくさんいる。そして、栄転または海外に移住したい人も。このように現実のために感情を捨ててもいいか。もう一つはお見合い結婚の場合は、まだ恋人がないので結婚した後で感情を育ててもいいが、もし逆に恋人が既にできたなら、やはり現実的な結婚をしたら、感情を裏切る行為となるだろう。

 現代人の悲恋はほとんどこの裏切りからこそ生まれた。お互いに愛している恋人なのにお金が足りないので、あるいは都市の人と田舎の人と付き合う場合、恋人がいいけど、家庭側がいろいろ問題が出来たので結婚できない例もよく見られる。歴史を顧みると、日本の弥生時代に妻問い婚がよかったと思う。同居しない夫婦関係は交合で始め、夫が妻の家に行くことを止めることで終わる。そうしたら恋愛と結婚と明らかな区別がなく、そして肉体関係抜きの精神恋愛のような付き合いもなくて、男女関係は始めから終わりまでは霊肉一致なのだ。この妻問い婚に従う婚姻関係はセックス問題についての偽善を弱めたのだ。今の単婚制が悪いとは言えないけど、結婚そのものは人間の本性を裏切るものだ。

 そう言えば、結婚とは二人だけのことでなく、社会にもっと広い影響を及ぼすこととなる。妻問い婚は感情にとってはけっこういいけど、夫婦関係がそれほど緊密でなく、血族の繋がりも無視されて、事実的な血族結婚が防止できないので、人間の進化にとっては悪い。それに、財産配置や倫理の秩序には大変乱れるもので、つまり原始の母系社会の結婚にすぎない。現代人の私たちにとっては完璧な結婚はただ憧れられることだ。

 私たちはまだ憧れているが、友達はもうそろそろ結婚する。彼女は感情のほかに二人の経済や家庭状況も大切だと言った。それを見ると、結婚したい人にとっては、やはり現実に従うとともに、できれば適当な相手と結婚するほうがいい。

物語

2004-12-20 13:58:50 | Weblog

 僕、21才、彼女がいる。今の彼女と付き合う前に、ほかの好きな女の子もいる。あの子と中学校も高校も同じクラスにいて、いい友達だけど、告白というのはちょっと無理じゃ(苦笑)。卒業した後、すごく遠くの都市にある大学に入ってから、昔の友達と会うチャンスがあんまりなくなった。ただ電話やネットとかを通して連絡できる。三年生の時、一度勇気を出してあの子に告白した。結局は断られちゃった。後、今の彼女と付き合い始めて、だんだん寂しくなくなった。

 しかし、1ヶ月前に、同窓会で昔の好きな女の子に会った。断られちゃった原因はあの子が僕の一番いい友達を好きになったことを示された。でも、僕の友達、B君は「いい親友はいい親友だ」、「特別な感情はない」って言ってくれた。彼を好きになるきっかけが教えられなかったから、今でもそんなことを不思議に思っている。偶々に、あの女の子のことを心配している。


 私とA君やB君と、またほかの3、4人はずっといい友達で、グループともされている。大学に入ると、皆ばらばらになった。でも、よくBから電話を掛けてくれた。先学期、ゲームファンのBは日本語を勉強し始め、いつも文法などを聞いた。その代わりに、ラベンダーの乾燥花をくれた。そして微笑みながら「ラベンダーの花言葉、知ってる?」と聞いた。知っているが、でもどう答えたらいいか。長い間に会わなかったから、お互いに知り合わなくなって、彼は私のことが「好き」かどうかはっきりと分からない。あるいは、ただ友達として面白いものを贈ることぐらいだ。二人とも最後までラベンダーについての話を話さなかった。

 Aに告白される時、初めで自分の気持ちをよく考えた。実はずっとBのことが好きだから、Aを断った。しかしBはAの告白したことを知りそうで、だんだん私と疎遠になった。同窓会の時、「A君はいい人なあ、何で断ったか」と話した。それを聞くと、すごく悲しんでしまった。なるほどね、Bのラベンダーは冗談にすぎないね。

 やはり花言葉のせいか。ラベンダーは、ヨーロッパでは、花言葉が「愛を待つ」というので、恋人に贈るプレゼントとされる。しかし日本では、ラベンダーの花言葉が「不信」なんだ。


 僕は平凡な大学の学生のに、昔の友達、ある名門校の女の子に憧れている。高校時代のグループには僕一人だけ落ちこぼれだ。彼女が日本映画が大好きで、日本語もできる。近付けるために、日本語を習い始めるんだった。そして、あるチャンスでラベンダーを贈った。僕の気持ちを伝えたいんだから。でも彼女はただ迷いそうな顔を出して、喜びは見えなかった。きっと僕のことが好きじゃないだろう。よく考えると、彼女が好きな男の子はまだ何人もいる。友達のA君も。そしてAも名門校のエリート。「じゃ、自分の落ちこぼれを変えに勉強しかなにもならない!」と、僕はこう思ってる。

 けど、Aは「告白したが断られちゃって、今のガールフレンドと付き合っている」と、電話を掛けて言ってくれた。後、同窓会の時、Aから「あの子がお前が好きだ」って話を聞いて、びっくりした。喜んだけど、不安な感じも出てきた。もう高校生じゃなく、卒業や就職など、いろいろ現実問題が無視していけない。もう好きじゃなくなるとは絶対言えないが、自分の将来も、二人の将来もあんまり知らない僕は、ずっと待ってる彼女の愛を受けられない。彼女の涙を見るたびに、心も傷付いたようになった。

 もう一つ問題はAとの友情。昔からAは何度もあの子が好きって伝えてくれた。僕の行為は友情を裏切ったのか。


 昔の3人の友達は自分の困ることを教えてくれた。3回を聞いてから、それぞれ違う点がある。いったい誰が一番かわいそうだかとはとても言いにくいと思っている。
同一の出来事も、違う視点から見たり、違う方式で解読したりすると、違う結論が纏まることになる。そう考えると、一つのテーマであっても、違う語り手によって、違う物語になる可能性が高い。生活もまた物語のようなもので、ただ聞くだけなら、本来の様子は分からない。幸いに、私たちはその物語を聞くのと同時に、他人に語る作業を行っており、さらに自分もその中で役を演じたり、物語を作ったりしてもいる。
 私たちはその物語を作る過程で、自分なりの意味を見出しているのだ。

戻りました

2004-12-18 23:36:07 | Weblog
戴 維佳ちゃんがアメリカから戻りました。
1階の下の窓から彼女の笑顔を見ては、大心^_^
夜には、陳 郢さんと宋 潔婷ちゃんのご馳走に行きました。
みんな楽々として、話しながら鍋を食べました。

昔のことを省みると、維佳はいつも私にとって模範学生みたいな存在です。
いつからですか、生活には恋愛感情しか何も残っていなくなりました。
そんな私は私のあり方に会いません。

この間、去年11月に維佳から撮られた写真を見つけました。
それはどんくり書庫で目次を作っている私の写真です。
その時の私は寂しくても、悲しくても、惜しくてもやはり頑張っていました。
その私こそ幸せを得るわけです。
そのような私にもどりたいと思います。

ようこそ、戻ってくれました

タンボウ

2004-12-18 13:11:21 | Weblog
歯を調整して帰る途中、南区の後ろにある阿冒酒家という店で南京タンボウを買いました。
一年間か二年間かずっと「南京」という看板をかけますが、主が安徽人の姉ちゃんです。

タンボウなら、蕪湖のが南京のよりもっとおいしいと佳ちゃんはそう言いました。
だから、南京にいった時そのタンボウを食べませんでした。

部屋に着いてから、安徽巣湖風味のタンボウを食べてみて、さすがにとてもおいしかったです。
しかし、やはりいつか南京のタンボウを食べようと思っています。
おいしくないものを食べようという考えはおかしいでしょうか。
これは。。。たぶんケイちゃんのせいで?(笑う)

曼珠沙華

2004-12-17 22:20:01 | Weblog
涙にならない悲しみのある事を
知ったのは ついこの頃
形にならない幸福(しあわせ)が何故かしら
重いのも そうこの頃
あなたへの手紙
最後の一行 思いつかない
どこでけじめをつけましょ

窓辺の花が咲いた時
はかなく花が散った時
いいえ あなたに愛された時
マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
白い花さえ 真紅に染める

机の花が揺れた時
ほのかに花が匂う時
いいえ あなたに愛された時
マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
白い夢さえ 真紅に染める

新しいブログ

2004-12-17 21:48:19 | Weblog
とうとうgooに日本語のブログを作りました。
Feola姉ちゃんの日本語ブログに羨ましいですから。
これから、日本語の上達ために、毎日記事を書きたいと思います。
が、叶えるかどうか、自分にも分かりませんよ。