ウイニングボールをキャッチした瞬間、正直ほっとした。きのうの館山さん、きょうの石川さんがこれだけいいピッチングをしてくれていたからなんとかしたいと思っていた。先制点が大事だと思っていたから、一回に打てたことがよかった。
もう、毎日必死だった。なんとしてもクライマックスシリーズに出る。ただ、それだけだった。故障者が多く出たから、責任感を持って、絶対に離脱できないと思った。本当にいろいろなことがあったシーズン。最後に目標を達成することができた。
バッティングは正直どうすればいいのか分からない状態があった。心が折れそうなときもあった。ただ、どんなに苦しくても、しっかりと地に足を付けて練習だけは継続してやっていこうと心に決めていた。早出の特打ちや休日返上を続けて、休まない時期もあった。梅雨から夏場にかけて走り込みの量も増やした。悩みながら毎日練習していると、今までに気づかなかったことが、ふっと分かることがあった。バットを振りながら、『好きこそものの上手なれ』という言葉が浮かんできた。苦しかったけど、もっと野球が好きになった。
北京五輪やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を経験したことが大きかった。チームは前半戦から好調だったけど、調子が悪くなることがあるかもしれない。チームが苦しくなったときに、自分が打って絶対に貢献してやろうと自分を信じていた。後半戦に頑張れたのは、北京五輪や今春のWBCの経験があったから。負けられない試合で戦うプレッシャー、最後まであきらめない姿勢を学んだからこそ、どんな逆境に立たされても絶対にあきらめないという気持ちを強く持つことができた。
やることをやって、あとは試合に集中した。最後は『ヒットをください!』と神頼みしかない、と思ったこともあった。4月30日に中日の岩瀬さんから頭に死球を受けた。広島遠征中の翌5月1日。体はまだむち打ちのような状態だったけど、休日を利用して一人で宮島に行った。厳島神社に参拝して「もうデッドボールがないように」とお願いした。遠征先や移動時間に読書をする時間も増えた。阪神と広島と争っていた9月上旬には『勝負脳』に関する本を読んだ。ここ一番で実力を発揮するために参考になったかな。
クライマックスシリーズ進出は決まったけど、まだまだ先がある。ヤクルトファンの熱い応援に応えるためにも、日本一を目指して最後まで頑張ります。クライマックスシリーズを勝ち抜いて、神宮に帰ってきます!(東京ヤクルトスワローズ外野手 青木宣親)
↓このページの出所
http://www.sanspo.com/baseball/news/091010/bsf0910100508002-n1.htm
ヤクルト・青木手記「野球がもっと好きになった」 (2/2ページ)
2009.10.10 05:03