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元たばこ屋夫婦のつれづれ

つれづれなるままに

平成の富嶽二十景とは

2010-01-09 | 地元の話題
   東京新聞の1月3日号に、平成の富嶽二十景が写真入りで紹介されていた。
古代から日本人の心をとらえ、詩歌・絵画・写真・小説に登場、信仰の対象としてもあがめられてきた富士山。現在は世界文化遺産への登録運動が進められている最中である。その中で、さまざまな地点から撮影されている富士山の二十景を紹介している特集である。
   新幹線で通過するときも必ず目を走らせて、その雄姿を焼き付ける富士山。プロ中のプロが、その神秘的な一瞬を、さまざまな地点から撮影されたものだという。写真はここに載せられないが、記録に残し、その地点20箇所を拾って見た。
   その一、雄大さ間近に「越前岳・黒岳展望広場14キロ」静岡県裾野市須山。愛鷹連峰の最北端にあるのが黒岳。山頂から少し南側に下ったところにある黒岳展望広場は、さえぎる物が何も無く、雄大な富士を見られる。
   その二、湖面に優美な姿「田貫湖15キロ」静岡県富士宮市猪之頭。長者ヶ岳、天子ヶ岳の麓にある湖。逆さ富士が見られる湖として知られているが、4月と8月の20日前後の早朝にダイヤモンド富士がみられる。
   その三、沈む太陽の輝き「山中湖17キロ」山梨県山中湖村平野。山中湖の北東の湖岸から見る日没時のダイヤモンド富士は素晴らしい。毎年2月初旬から中旬を「ダイヤモンド富士ウィークス」とし、アイスキャンドルの点灯や花火などの
イベントが催される。
   その四、水神祭る展望台「二十曲峠18キロ」山梨県忍野村内野。富士山の北東、杓子山と石割山の中間にある峠。車で入れる富士山の好展望台として知られている。
   その五、千円札の原型「本栖湖19キロ」山梨県身延町中ノ倉。富士五胡の一つ、本栖湖の北西湖畔にある「湖畔の展望台」からの富士。この近くで撮影された富士山が旧五千札・新千円札の基になっていると言われる。(続く) 
 

静かな年の瀬の商店街

2009-12-30 | 地元の話題
  年の瀬の商店街の様子がすっかり変わってしまった。街頭放送からジングルベルが流れはじめると、いよいよ歳末商戦の戦略の詰めに入る商店街事業部、活動も一段と活気を増し、業種の如何に関わらず店にも活気がみなぎる。そしてこれに応えるように来客の消費意欲が高まってくる。店主の意欲もみなぎり、歳末の売り出しの12月に入る。これが例年の商店街の歳末情景であった。
  だが、コンビニの出店をきっかけにスーパー大型店の攻勢、特に大店法が撤廃されてからは、なだれを打って営業時間が延長され、近隣商店街との協定は全て破棄され、やがて食料品関係の24時間営業が始まり、商店街の物販店はリング場で
サンドバックのように叩かれる状態に陥った。生鮮三品の売上げが、急激に落ち込み、鮮魚店・青果店の閉店が続き、遂に商店街の柱が折れてしまった。売り出し事業の推進母体の崩壊は、商店街活動に大きな影を落とした。
  加えて平成に入ってからの不況は、あまりにも長く、売上げの減少は年々深まるばかり、賃貸の店では「利益が出ない」と嘆き節が出るまでになった。そこに100年に一度と言う世界同時の経済破綻による大不況の嵐である。
  耐えに耐えて頑張った商店街に消費者の姿はまばら、急を間に合わせる買い物客と、わずかな常連客の善意に守られているのが実情である。売り出し事業が盛り上がるわけが無い、申し訳け程度の福引抽選の売り出し期間も、消費者のながれはいつもと変わりない。残念であるが、このままでは街の灯が消えてしまう、この反動を受けるのは誰なのか、将来の街の姿を考えると深刻な問題が提起されていると
思うのである。

成増北口に小さな洋食店誕生

2009-12-10 | 地元の話題
   我が店の左隣に小さな洋食店「ビストロ・コクリコ」が誕生した。オープンは先月の15日、派手な宣伝はせず、商店街を中心に近隣の人々に挨拶をしての開店
であった。
   10坪余の自宅を改装しての洋食店であるが、店主はフランス料理のシェフ、20代には海外で3年の修行を積み、帰国後は街の飲食店をへて大きなホテル・レストランで腕を磨き、直近では文京区のドームホテルのレストランで働いていた人である。
   この家を購入してリフォームを始めたのが3年前、そのときから店を開く準備を始めていたようであるが、花を慈しむ物静かな若夫婦としかとらえていなかったが、親しくなってから、ここで店を開きたいとの想いを知らされた。
不況続きのこのところの消費者の動向、さらに商店街の飲食店の現状を知るだけに、3度に亘って「いまはそのときにあらず」「この場所では難しい」と反対をしたが、「店を持つことが夢でここに来たので、やらせてください」と言う奥さんの最後の言葉で、反対をやめて応援体制を取ることに切り換えた。
   そんな中での開店なので、来客数が気にかかり、そっとのぞいて偵察する有様、「お宅の息子さんが開いたお店ですか・・」と声をかけられるハプニングもある始末。
   料理に対する思い入れは並ではない、その姿勢を知るだけに何とかお客さんに愛される店になって欲しい。逆境の中の船出の感があるが、耐え抜いて欲しいと願うばかりである。









  

ポテトチップスの湖池屋・創業者の逝去に思う

2009-06-16 | 地元の話題
  ポテトチップスで一躍スナック菓子業界を席捲した湖池屋。その創業者の小池和夫氏(株・フレンテ取締役名誉会長)が本年5月3日に82歳で永眠されたとの報を知らされたのが5月のなかば。会社の総務課の方から連絡を頂き驚きの声をあげると、すでに近親者のみで葬儀を済ませてをり、生前にご厚誼をいただいた方々との「お別れの会」を行いたいので、ご案内に上がりましたとのことでした。
  頂いた案内状は、次の通りでした。
  日時 平成21年6月16日(火)午前11時半から午後1時半
  場所 ホテルニューオータニ 千代田区紀尾井町4-1 3265-1111
  葬儀委員長 株式会社フレンテ 代表取締役社長 小池 孝
  喪主 小池 陽子(故人の妻)
    誠に勝手ながら ご香典 ご供花  ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。「お別れの会」当日は、皆様のご都合のいい時間に平服にてお越し下さいますようお願い申し上げます
               株式会社フレンテ
                 代表取締役社長  小池 孝

   この案内状を見ながら、在り日の社長時代の小池和夫氏を偲び妻と語らいながら、何があっても出席してお別れをしてこようと決した。
  当日、平服に近い黒で商店街から一人会場に向かった。その道すがら、30年前の出会いの時から今日までの、さまざまな思い出を回想しながら・・・     ある機関紙の発行に携わり、激務に絶えられず体調を崩して退職。店に入ったのが40代の前半、正式な書店としての模索を続けていたころ、昼食後にぶらっと立ち寄られたのが50代の社長でした。初めてのときから気さくに声をかけてくださり「店の景気はどう、うまくいっている」との切り出しから、商店街の話題になり、30分を越す立ち話になり、あわてて、椅子をすすめたのが初めての出会いであった。
   もっとも湖池屋の社長とは全く気づかず、社会情勢、商業動向に豊富な話題をもっている方だと言う認識でした。それから週に一回は立ち寄られ、ゴルフ雑誌を求められては、色々な話題を楽しく聞かせていただいた。その中の一つに今でも忘れられないのが「ここにもコンビニが出てくる、そうだなあ4店ぐらい出てくるだろう、そして2店が残るだろう」という宣託でした。当時80店舗ぐらいの規模の商店街でコンビニ出店の兆しもないときでした。それから数年後にサンエブリー・サンクスがあいついで出店。更に数年を経て、ローソン・セブンイレブンと顔を揃えたが、やがてサンエブリー・サンクスが撤退したのである。
   また、「この程度の商店街の将来はきわめて厳しくなる。大型店の生き残りをかけた攻勢が年々強くなる、それに対抗する商店街の取り組みの脆弱さと商店主の高齢化・若手を登用する事の出来ない役員幹部の硬直した考え方は、それに拍車を加えるであろう」などなど、その通りの姿が現実に表われている。
   コンビニの影響はボデイブローのようにじわじわと商店街を構成する店に打撃を与え、パンと菓子店・洋菓子店・飲食店特に寿司店は、次々に姿を消した。大店法撤廃から、大型店の堰を切ったような攻勢は、営業時間の延長から現在は24時間営業になり、すざましい営業を展開している。商店街はその攻勢になすがままの状態が現実になっていることを思い出すのである。まだまだ想い出は沢山あるが次の機会にする。