京の一枚

京都 下御霊神社・下御霊祭 5月22日


平安時代は国風文化・貴族文化が隆盛した時代である事は皆様よくご存知だと思いますが、一方で災害や疫病の流行が繰り返し起こった不安な時代でもありました。


医術や科学が未発達の時代において次々に起こる災いになす術がなく、官民を問わずその恐怖に畏れおののいた事でしょう。


当時の人々はその原因を貴人の怨霊がもたらすものと考え、御霊(ごりょう)としてお祀りをしお慰め申し上げることにより、災禍からお守りいただこうと御霊会(ごりょうえ)を行うようになりました。


初めは京の郊外でそれぞれの御霊が祀られていましたが、後にまとめて八所御霊としてお祀りする事で御神徳が高まると考えられ当社が鎮座されたものと思われます。


『日本三代実録』という国史の貞観五年(863)五月二十日条に文献上最古の御霊会が記載されております。


疫病とは咳逆(新型インフルエンザのようなものか)・天然痘・赤痢などで、医学が未発達であった当時多くの人が亡くなりました。


さらには最大の都市であったが故に人口密度に比例して感染の威力も凄まじく全くなす術が無かったでありましょう。


それだけに人々は怖れおののき、切なる願いから御霊信仰が広まっていったと考えられます。


朝廷もこの事態を受けて官主導の盛大な御霊会を催したのでありましょう。神泉苑を一般に開放することは誠に特別なことであります。


こののち祇園御霊会、紫野御霊会など盛んに行われていきます。


当社は神泉苑御霊会に祀られた六座に二座加えた八座をお祀りしており八所御霊と申します。


鎮座された年について雑誌などで間違って伝わっておりますが、本当の所は全く不明でありまして、おそらくこの頃祀られたと考えられます。


初め愛宕郡出雲郷の下出雲寺(のちに廃絶)の境内に鎮座されたと伝わっております。


今で申しますと寺町今出川の北辺りと考えられます。


後に新町出水の西に移り天正18年(1590)に現在地に鎮座されました。


                      (境内案内板より)








前日の宵宮では19時頃から子供達が子供神輿と2基の「十二灯」を担いで寺町を練り歩きます。


本祭は10時より神幸列、10時半より神輿が巡行します。


雨天決行。(※予定)


剣鉾刺しも見もので、両日とも寺町通に露店が並びます。




■場 所: 下御霊神社


■時 間:※2021年度はの神輿渡御や露店は全て中止。


神事は関係者のみで斎行。詳細は公式サイトをご確認下さい。


5/1~/24


宵宮:2021年5/22(土)、還幸祭:5/23(日)




■アクセス: 市バス4・17・205「河原町丸太町」

■お問合せ: 075-231-3530


■詳細ページ:http://shimogoryo.main.jp/


※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。








京都の古都なら:http://www.e-kyoto.net/



京の一枚
京都四季折々・祭り その他

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「京都旅行」カテゴリーもっと見る