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京の一枚

京都 祇園祭・山鉾一覧(長刀鉾 函谷鉾)


長刀鉾(なぎなたぼこ)    くじ取らず


鉾頭に大長刀を付けている長刀鉾は、古来より必ず巡行の先頭を行き、順番を決めるくじを取らない事からくじ取らずと言われる。


現在では、唯一この長刀鉾のみ生稚児が乗ります。


重 量
11.10トン(巡行時。人、懸想品含む) 7.63トン(山鉾装飾のみの重量)
※山鉾で3番目の重さ



住所:下京区四条通烏丸東入長刀鉾町


ご利益(お守り等):疫病除け


ちまきの値段:\1,000


鉾に登るには:ちまきを購入(女性は入れません)




装飾・踊り:真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)の衣裳着の人形を祀っている。


屋根裏の金地著彩群鳥図(きんじちゃくさいぐんちょうず)は松村景文(まつむらけいぶん)(1778~1843)筆、破風(はふ)の厭舞(えんぶ)と刀鍛冶宗近(かたなかじむねちか)が長刀を造る姿の木彫胡粉彩色(もくちょうこふんさいしき)彫刻は片岡友輔の作である。


前掛にはペルシャ花文緞通(だんつう)、ペルシャ絹緞通(古)、胴掛には中国玉取獅子(たまとりじし)文緞通、卍花文(まんじかもん)緞通、梅枝文緞通、トルコ花文緞通など秀れた18世紀頃の緞通類が用いられている。


見送は中国明時代の雲龍図綴錦(うんりゅうずつづれにしき)である。



由来・歴史


鉾先きに大長刀(おおなぎなた)をつけているのでこの名で呼ばれる。


長刀は疫病邪悪をはらうといわれ、三条小鍛冶宗近作(さんじょうこかじむねちか)の大長刀を飾ったことにはじまるが、現在は鉾頭(ほこがしら)は軽い木製に銀箔を張ったものにかえている。


この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児(いきちご)ののるのも今ではこの鉾だけである。


町内イチオシグッズ:手ぬぐい\500 長刀\1,000 図書カード\1000 のれん\1500 ミニ鉾\3000 他










函谷鉾(かんこぼこ) くじ取らず


鉾頭には、山の上に月をあしらう。


函谷鉾は、中国戦国時代の四君の一人孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の鳴きまねの上手な食客に函谷関を開かせ脱出できた古事に名を由来する。



住所:下京区四条通烏丸西入函谷鉾町
 
ちまきの値段:\1,000


鉾に登るには:拝観券\1000を購入


装飾・踊り:屋根裏の金地著彩鶏鴉図(きんじちゃくさいけいあず)は今尾景年(いまおけいねん)(1845~1924)の筆、前掛は、旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀末の毛綴(タペストリー)はゴブラン織りで、16世紀にベルギーで製作されたで重要文化財である。


水引は山鹿清華(やまがせいか)作の手織群鶏図(ておりぐんけいず)、胴掛は梅に虎を織り出した李朝製の朝鮮緞通、花文のコーカサス緞通、玉取獅子文中国緞通の三枚継ぎである。


見送は古く弘法大師真筆(しんぴつ)と伝える紺地金泥(こんじきんでい)の金剛界礼懺文(こんごうかいらいざん)と天保年間(1830~44)に河辺延之の模織(もしょく)したものがあるが今は皆川泰蔵作「エジプト天空図」にかえている。


この鉾は天明の大火(天明8年・1788)で焼失、五十年後の天宝10年(1839)に再興され、それ以後、昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)の兄実良卿をモデルにした「嘉多丸(かたまる)」という稚児人形を用いている。


また、欄縁金具は蓮田修吾郎作の「梅と鶯金銅浮彫」である。



由来・歴史


鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声によって函谷関(かんこくかん)を脱出できたという故事にちなんで付けられている。


鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」(てんのうざ)には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。


町内イチオシグッズ:函谷鉾うちわ\300 1色刷り手拭\500 カラー手拭\600 扇子(大)\6000 他






※写真は全て過去のものです。


















祇園祭マップ:http://www.e-kyoto.net/saiji/161





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