京の一枚

京都 紅葉100シリーズ 東福寺 NO.82


東山月輪山麓、渓谷美を抱く広々とした寺域に、由緒ある大伽藍が勇壮に甍をならべ佇む....東福寺の名は、「洪基を東大に亜(つ)ぎ、盛業を興福に取る」と、奈良の二大寺にちなんで名付けられました。
諸堂の完成は1271(文永8)年。
以来、京都五山文化の一角を担う禅林・巨刹です。




11月下旬、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる楓の雲海が赤くきれいに色づいています。
通天橋の上から眺めれば、まさに天にいる心地。
聖一禅師が宋より持ち帰った唐楓など、現在は約2千本といわれています。
東福寺の紅葉は、種類と多さと、通天橋からの眺めの良さで、数ある京都の「もみじ」名所の中でも筆頭格にあげられています。
毎年みごとな紅葉が見られ、11月中 旬から下旬にかけては人出も最高潮に達します。



摂政九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。
嘉禎2年(1236)より建長7年(1255)まで実に19年を費やして完成しました。
工事半ばの寛元元年(1243)には聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ,まず天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが,元応元年(1319),建武元年(1334),延元元年(1336)と相次ぐ火災のために大部分を焼失しました。

延元元年8月の被災後4ヶ月目には早くも復興に着手し,貞和3年(1346)6月には前関白一条経道により仏殿の上棟が行われ,延元の火災以降実に20余年を経て,再び偉観を誇ることになりました。

建武被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていましたから,再建後の東福寺は完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。
仏殿本尊の釈迦仏像は15m,左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ,東福寺は永く京都最大の禅苑としての面目を伝え,兵火を受けることなく明治に至りました。

明治14年12月に,惜しくも仏殿・法堂(はっとう),方丈,庫裡(くり)を焼失しました。
その後,大正6(1917)年より本堂(仏殿兼法堂)の再建に着工,昭和9(1934)年に落成。
明治23(1890)年に方丈,同43(1910)年に庫裡も再建され,鎌倉・室町時代からの重要な古建築に伍して,現代木造建築物の精粋を遺憾なく発揮しています。
また,開山国師の頂相,画聖兆殿司(ちょうでんす,明兆)筆の禅画など,鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。

開山聖一国師
円爾弁円(えんにべんえん)といい,三井園城寺の学徒として天台の教学を究め,のち,栄西(建仁寺開山)の高弟行勇・栄朝について禅戒を受け,嘉禎元年(1235)34歳で宋に渡り,在宋6年,杭州径山の無準の法を嗣ぎ,仁治2年(1241)7月に帰朝しました。
まず筑紫に崇福・承天二寺を建てて法を説き,名声は次第に国内に及んで寛元元年(1243)には藤原(九条)道家に迎えられて入京,道家に禅観密戒を授けました。
次いで東福寺開山に仰がれ,同4年(1246)2月には山内の普門寺を贈られて常住しました。

その後,宮中に宗鏡録を進講し,後深草天皇の勅を奉じて,京都岡崎の尊勝寺,大阪四天王寺,奈良東大寺などの大寺院を観閲し,また時には延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したので,学徳は国中に讃えられ,遂に建長6年(1254)には幕府執権北条時頼に招かれて,鎌倉の寿福寺に住することとなりました。
翌7年6月,一条実経の東福寺落慶供養にあたり帰山,爾来東福寺に住し,弘安3年(1280)10月17日79歳で入定(にゅうじょう)しました。
聖一国師の号は花園天皇より贈られたもので,日本禅僧最初の賜号です。
中国(宋)より帰朝にあたっては多くの文献を伝え,文教の興隆に多大の貢献をしましたが,また水力をもって製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し,今日,わが国最大のお茶の生産地となった静岡茶の原種を伝えたことも見逃せない功業です。
数多くの素晴しい塔頭
龍吟庵(りょうぎんあん)
本坊庫裏の背後、偃月橋を渡ったところの山裾の平坦地に位置する塔頭で、東福寺三世・南禅寺開山である無関普門の塔所(墓所)として、入寂直前に創建された。
(毎年11月に一般公開)

芬陀院(ふんだいん)
元亨年間(1321-1324)に当時の関白であった一条内経が父の菩提を弔うために創建した塔頭で、水墨画を大成した雪舟の作と伝えられる名庭があることから雪舟寺とも呼ばれている。(公開塔頭)

霊雲院
明徳元年(1390年)に岐陽方秀が開いた塔頭で、肥後細川家の信仰をうけ、寛永年間(1624-44)に「遺愛石」と銘をつけた須弥台と石船を寄贈されたという。(公開塔頭)

同聚院(どうじゅいん)
室町時代中期の文安年間(1444-1448)に東福寺第129世が開山した塔頭で、定朝の父・康尚の作といわれる本尊・不動明王坐像(重文)は、寛弘3年(1006年)に藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝える。(公開塔頭)

光明院
明徳2年(1391年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建された塔頭で、重森三玲による「波心の庭」がある。(公開塔頭)

天得院
正平年間(1346-70)に東福寺第30世・無夢一清禅師が開いた塔頭で、びっしりと杉苔に覆われた枯山水の庭園に凛と咲く桔梗の青や白の花が美しい。
(6月中旬~7月上旬、11月1日~30日のみ一般公開)

退耕庵
貞和2年(1346年)に東福寺第43世住持・性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建された塔頭で、応仁の乱により一時荒廃したが、慶長4年(1599年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興された。
(拝観には予約が必要)

万寿寺(まんじゅじ)
かつては下京区万寿寺通高倉にあったとされ、京都五山の第五位として大いに栄えていた。
天正年間(1573-1592)に現在地に移された。




アクセス
JR奈良線・京阪本線
「東福寺駅」下車,南東へ徒歩10分。
京都駅市バス202,207,208系統
「東福寺」バス停下車。
拝観時間 午前9時~午後4時 (11月のみ午前8時30分~午後4時30分)
通天橋・開山堂拝観料  400円(小中学生 300円)
方丈八相庭園拝観料  400円(小中学生 300円


秋の特別拝観期間中は,境内への車両進入ができません。
また,北駐車場も閉鎖します。
ご拝観の際は,公共交通機関をご利用ください。



紅葉状況
色づきはじめ 11月中旬から下旬
11月10日頃~









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