京の一枚

京都 紅葉100シリーズ大原散策 NO.104


高野川に沿って鯖街道と呼ばれた若狭街道が走っています。


京都市中から北へおよそ12キロ。


比叡山への入口である八瀬を通り抜け、山に挟まれた谷間の道を走ると、やがて比叡山麓の小さな盆地に辿り着きます。


のどかな田園風景が広がる大原です。


どこからか頭に柴をのせ、都まで行商に出かける大原女と出会いそうな錯覚にとらわれます。


春には野道に石楠花が咲き、霧島躑躅(きりしまつつじ)が鮮やかな花をつけ、夏には青田に挟まれて紫色の紫蘇畑が大原の里に彩りを添えます。


大原バス停から三千院への参道を呂川に沿って上っていくとしば漬け屋や雑貨の店が軒を連ねています。


秋になると参道の木々は紅葉に染まり、落葉を踏みしめて隠れ里を訪れた往時の人々への郷愁を誘います。


参道が尽きる辺りに魚山橋があります。


左に曲がると、そこが桜の馬場と呼ばれる三千院の門前です。


厳めしく格調高い三千院の石塀に圧倒されます。


この秋修復の終わった御殿門がみなさまを迎えてくれるでしょう。


三千院を挟んで流れるふたつの川があります。


右手の川が呂川。


左手の川が律川です。


見上げるばかりの楓の大木、分厚い苔におおわれた石垣、呂川沿いの路を分け 登っていくとやがて白木の御堂が現れます。


魚山上の院・来迎院本堂(らいごういんほんどう)です。


慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)が声明梵唄の道場として建立し、平安末期には聖応大師良忍(しょうおうだいし りょうにん)が中興、天台声明はここに大成され魚山上の院の根本道場となりました。


本堂には薬師・弥陀・釈迦の三如来坐像が安置され、いずれも藤原時代の作で重要文化財に指定されています。


また、寺宝には伝教大師の度牒(国宝)など貴重な資料を所蔵されています。


来迎院の支院(里坊)には蓮成院や、良忍上人の止住した融通念佛寺の旧跡である浄蓮華院などがあります。


律川に懸かる未明橋を越えた先に、魚山下の院勝林院本堂(しょうりんいんほんどう)があります。


こげ茶色の葺きの大屋根、前には苔ひといろの大地、かつて声明の音に揺るがされた巨大な御堂も今は自然と調和し、堂々とし、しかも静かで優しい佇まいを見せています。


長和2年(1013)に寂源上人が中興し、六時行道を修め、以来僧侶たちが仏法を論じる研修道場として栄えました。


とくに、大勢の天台碩学たちが見守る中、顕真が法然にたいして念仏について一問一答の激しい論議を行った「大原問答」は有名です。


勝林院の支院(里坊)には、富士山をかたちどった樹齢500年の五葉松が有名な宝泉院、学僧の宿坊として建立され、三十六歌仙画像を有する實光院などがあります。






音無の滝


良忍上人はじめ、家寛(後白河法皇の声明の師)、湛智など代々の声明法師は、この滝に向かって声明の習礼をさされたという。


初めは声明の声が滝の音に消されて聞こえず、稽古を重ねるに従って、滝の音と声明の声が和し、ついには滝の音が消えて、声明の声のみが朗々と聞こえるようになったと言う。


それで音無の滝と名づけられたと言われている。


※写真は全て過去のものです。









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