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Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

あの頃

2025-03-12 06:00:00 | エッセイ

 

 

52年も前のヒット曲に『あなた』(小坂明子)というのがある。

──もし家を建てるなら、大きな窓と小さなドア、部屋の中には暖炉。

真っ赤なバラとパンジーを飾り、あなたのそばには子犬がいる。

小さな家だけど、それが私の夢。いとしいあなたは今どこに──

「一億総中流」と言った頃の歌で、まさにそれを象徴するような歌詞だ。

 

あの頃の日本は1960年代以降の高度経済成長下、

68年にはGDPは世界第2位となり、所得倍増計画が打ち出されたこともあり、

国民の間に「自分は中流階級だ」との意識が急速に高まっていた。

70年の国民意識調査では約9割、要するにほぼすべての国民が

「自分は中流」と思っていたという。

『あなた』はまさに、それを象徴するような歌だったのである。

 

 

 

 

だが、あの高度経済成長はうたかたの夢と消えてしまった。

浮かれに浮かれたあのバブル経済が崩壊し、世界第2位だったGDPは、

今や米国、中国、さらにドイツにも抜かれ第4位に転落している。

また、これが国民一人当たりとなるとさらに驚く。

2023年のそれは、何と世界34位だし、

OECD加盟国の中ではお隣の韓国にも抜かれ22位に転落。

日本人の豊かさは思いのほか低くなっているわけだ。

そう言えば、訪日外国人がひどくリッチに見えるのも、

彼らの所得水準自体が高まっているのに対し、

日本のそれは上がっていないことも大きいのだろう。

 

ところが、専門家によると国民の間にはそうした

「中流」意識がいまだに残っているのだそうだ。

ただ、かつてのように「総」というわけではない。

一方では80年代以降所得格差が急速に拡大し続けており、

いまや「格差社会」とまで言われているになっている。

国民が「総中流」と思えるようなかつての勢いを取り戻すには、

為替、物価、金利、人手不足、米国・中国経済などさまざまな要因が絡み合う。

日本経済が復活するのはいつになるか、見通すのは簡単ではないが、

一日も早くそうあってほしいと誰もが願っているはずだ。

 

テレビなどで70年代の歌がカバーされ、盛んに歌われている。

「あなた」もそうだし、「喝采」(ちあきなおみ)、「ロマンス」(岩崎宏美)、

「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、「化粧」(中島みゆき)、「異邦人」(久保田早紀)……。

やはり、「総中流」と思っていたあの頃が懐かしいのだろうな。

 

 

 


プライド

2025-03-06 08:44:35 | エッセイ

 

 

プライド──誇り、自尊心、自負心。

人として持つべき大事なものだ。

だが、何事も「過ぎる」のは禁物。

高過ぎると、自己中心的で独善的、

上から目線の傲慢な態度で周囲から煙たがれる。

 

ある県の知事をされ、

後に総理大臣にまでなられた方であるが、

あまり良い印象が残っていない。

知事時代にお会いし、お話を伺ったことがあるが、

僕がまだ若輩だったこともあったのだろう、

終始上から目線で対応され、うんざりし、嫌気がさしたものだ。

広く名も知られた方だから

プライドが高いのは当然だろうが、

それがちょっと「過ぎた」ように、僕には思えた。

そんなことがあり、

世間の評判ほどに僕自身は、その言動をあまり信頼できなかった。

 

       

 

このような「過ぎた」人は、世間には結構多い。

「東大出身だ」などと高学歴をひけらかし、

あるいは高級官僚経験者、

さらには一流企業の役員等々……

社会におけるステータスを「どうだ」とばかり

周囲に見せつける。

そんな態度に周囲はうんざりしているのを知ってか知らずか……。

 

実は、そういう人は結構繊細で、

傷つきやすい性格なのだという。

だから、他人から傷つけられることを嫌がり、

自分を防御しようとして独善的、威丈高になるそうだ。

「低すぎる」と軽蔑されかねないし、

世における身の処し方はなかなかに難しい。

 

 


馬鹿

2025-02-27 06:00:00 | エッセイ

 

給食費を収める日だった。

登校する時、母が袋に入れ「落とさないようにね」と言って渡してくれ、

それを無造作にポンとランドセルの中に入れた。

ところが、担任の先生に渡そうとしたら、

どこでどうしたのか給食袋がなくなっていたのだ。

世の中は朝鮮戦争後の大変な不況。

街の小さな鉄工所の経理部長だった父は苦労を強いられ、

時に遅配や欠配ということがあったらしい。

そうとあって、僕が給食費を失くしたことを知った父が

「こん、馬鹿が!」と怒鳴りつけたのも無理もなかったのだと思う。

まだ小学三年生の僕は父の怒声に縮こまり、わあわあと泣くしかなかった。

 

その時である。側にいた母が心配そうな顔をして小さな声で

「本当に馬鹿なんだからねぇ」と言って、頬をぬぐってくれたのだ。

不思議なことに、母の「馬鹿なんだからねぇ」という声に

僕の心は少しばかり軽くなったのだった。

父はもう僕をにらみつけることはせず、横を向きそれ以上は何も言わなかった。

 

     

『馬鹿』というのは不思議な言葉だ。すそ野が広く、奥が深い。

一般的には「馬鹿野郎」だとか「馬鹿者」などと相手を罵り、侮辱する時に使われる。

その一方で、相手に対する思いやり、親しみ、

愛情などの気持ちを込めて使われることがある。

声を荒げて僕を叱った父に対し、

母は「馬鹿なんだからねぇ」と慰めるように優しく言ってくれ、

その一言が僕の心をスーッと和らげたのは確かだ。

そんな風に言われれば、罵られただの、侮辱されただのといった思いは誰もしないはずだ。

両親はそんな言葉のあやを上手に使ったのかどうか、

もしかすると子を叱る時の父と母の絶妙の掛け合いだったのかもしれない。

いずれにしても、言いよう、聞きようによって

意味合いがまったく違ってくるのがこの『馬鹿』である。

 

また、「馬鹿! あきらめるな」と言われればどうか。

「馬鹿」と言いつつも、そこには「頑張れよ」という意味合いが込められてくる。

だから「何を!」と腹を立てることはないはずだ。

ただ、そこを取り違えると言い争いになりかねず、

せっかく「頑張れよ」と言ってくれた相手から「馬鹿馬鹿しい」と一笑されるに違いない。

つくづく日本語というのは、ややこしくも面白いものだ。

 

 


メシウマ

2025-02-20 06:00:00 | エッセイ

 

 

「人の不幸は蜜の味」という。何の注釈もいらないだろう。

最近は同じ意味で、「他人の不幸で今日も飯がうまい」──

“メシウマ”と言うのだそうだから恐れ入る。

なぜ、こんなことを言い出したのか。

それは覚えたての「シャーデンフロイデ」という言葉が、

ひっきりなしに頭をよぎるからだ。

これは、他人を引きずり下した時に得られる快感のことだ。

さらに言えば、正義を振りかざして人を叩くと得られる快感であり、

攻撃すればするほど、ドーパミンによる快楽が得られるという。

 

何事にも意見を異にする人たちがいる。そして、互いを批判する。

民主国家であれば、当然のことだ。

だが最近、批判を通り越して誹謗中傷の類が多いように思う。

特にSNS上で、そんなことが横行しているようだ。

そういう人たちは、間違いなく「自分こそが正義」だと固く信じ、

自分の正義の基準にそぐわない人を、正義を壊す悪人として叩く。

攻撃して、相手が弱れば「してやったり」の快感を得るであろう。

 

こうしたことは個人対個人だけではない。

政治の世界では与党対野党、さらに国対国などということもある。

それぞれが、自らを正義として相手を攻撃する。

韓国を“くず”呼ばわりする北朝鮮。

北朝鮮にすれば、自らを正義だと決めつけてのことだろう。

だが、事はそう単純なことではあるまい。

韓国をこれほど攻め立てている北朝鮮だが、

「今日も飯がうまいわい」─そう、ほくそ笑んでいるとは思えない。

独りよがりの攻撃で得られる快感なぞ、そんなものだろう

 

 


孫からのLINE

2025-02-12 18:00:00 | エッセイ

孫からの思いがけぬLINEだ。

それにはThe Waltersというバンドの

『I Love You So』という曲のYOU TUBEが付けてあり、

「この曲知ってる?」とだけ書いていた。

すぐに聞いてみたが、まったく知らない曲だった。

そう返信すると、「最近聞いていたから、教えてあげたわけさ」だと。

この祖父がビートルズをはじめ洋楽を聞いたり歌ったりするのを

知っているものだから、わざわざ送ってくれたのだろう。

 

それだけかと思っていたら、しばらくして続きが送られてきた。今度は何だ。

「この歌を歌えるようにしててよ! 僕もギター練習するから! 

そしたら、一緒にやって動画でも撮ろうよ!」だと。

 

 

 

この子はいくつになったろうか。長女の二番目の男の子。

孫の年齢というのは小さい頃は3つだ、4つだとすぐに出たものだが、

これほど大きくなると正確にはなかなか出てこない。

あれやこれやと考えを巡らせた末、26歳だったかと思い至った。

一つ違いの姉は「私もうアラサーよ」と言いながら東京の外資系の会社で奮闘中。

孫の成長というのは早いものだ。

 

26歳にもなった孫が「歌を覚えろ、そして自分のギターで歌え」、

そして自分もギターを練習し「3月末頃、一緒にやろうよ」というのだ。

早速、YOU TUBEを開いて練習を始めた。

それほど難しくない。何とかなるだろう。

何と言おうか。それほどの年齢になっても孫とは愛おしいものだ。

3月末が楽しみになってきた──I Love You So