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おだやかな日々が続きますように。

脳腫瘍で結婚して3年間たたかった新婚カップルの日々

私には仲間がいる。母に感謝!!

2009年05月09日 | たけちゃんのこと
 先日、同級生がたずねてきた時など、繰り返し巻き返し、今までのことを義母と語ることになります。義母は、たけさんがいたからといいます。そのとき、私は「私は好きになった女性が病気になって、それを支えてきただけ。私のわがままを支えてくれる人たちがいたからだきたこと。私には、私を支えてくれる仲間がいた
」と言うようにしています。最近、コメントしてくれるおにぎりさんは、そんな仲間の一人です。仲間という表現とはずれますが、私のお袋の存在は、大きいです。
 当初、ともさんと結婚して、籍を入れたいという私に対して、オヤジもオフクロも猛反対でした。そして、母が松田家にお邪魔して、いろいろ話しました。その時におフクロは、「今は、反対ですが、息子は言ったからきかないので・・・」と言ったそうです。その後は、二人ですんだアパ-トや妻の実家にほぼ毎日来て、妻の面倒を見てくれました。実は、私は、東京に3年間出向したときがあります。(その時、オニギリさんと出会い、はじけました。)その時も両親は、大反対でした。
でも、支えてくれました。
 ブログで知り合ったみなさんもそうだと思ってます。私とオニギリさんは、30代で胃がんをわずらいながら、懸命に生きつくした仲間を見送った経験があります。その時は、ブログはなかったですが、ネットで労働組合運動、平和運動等で
つながった仲間で彼を支え、彼を送りました。
 だから、ともさんを支えることが出来ましたし、今後もがんばらないといけないと思います。尾崎世代なので「僕が僕であるために?」という曲があり、「僕が僕であるために立ち続けなければならない」というフレ-ズのように。