食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

オスマン帝国初期の食(2)-中世のトルコ系民族国家の食(3)

2021-03-15 21:53:00 | 第三章 中世の食の革命
オスマン帝国初期の食(2)-中世のトルコ系民族国家の食(3)
モーツァルトのピアノソナタに「トルコ行進曲」という曲があります。これはモーツァルトが18世紀のヨーロッパで流行していたオスマン帝国の音楽に刺激を受けて作曲したと言われています。

これ以外にもモーツァルトはバイオリン協奏曲第5番もトルコ風に作曲していますし、オペラ「後宮からの誘拐(逃走)」はオスマン帝国のとある太守の後宮を舞台としており、トルコ風音楽がふんだんに盛り込まれています。また、ハイドンやベートーヴェンもトルコ風の音楽を作曲しており、当時の流行ぶりがうかがい知れます。

オスマン帝国の音楽が西ヨーロッパに知られるようになったのは、1683年にオスマン帝国軍がウィーンを包囲したことがきっかけと言われています。オスマン帝国スルタンの親衛隊である「イェニチェリ」には軍楽隊が付属していて、戦地でも士気向上のため軍楽(メフテル)を演奏していました。これが西ヨーロッパの人々に強い印象を与えたのだと考えられます。

さて、今回もオスマン帝国の食について見て行きますが、スルタン親衛隊「イェニチェリ」に活躍してもらいたいと思います。


イェニチェリ

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オスマン帝国での食事は1日2回だった。イスラム教の教えに従って家族はできるだけ一緒に食事をとった。しかし、食事中の会話はあまり歓迎されず笑うことも禁じられていた。

食事の時間になると絨毯などの布を地面に広げられ、座るためのクッションが置かれた。その上に料理が並べられた。食べ物は同じ器や皿から取られた。ムスリムの伝統では料理は個々の皿には分けられず、大皿に盛られて出されるのが普通だった。

オスマン帝国の食事は常にスープで始まった。いろいろな具材の入ったスープ料理は「チョルバ」と呼ばれ、パンと一緒に食べた。これが食事のメインだった。チョルバの具材には羊肉や牛肉、鶏肉、魚のほかに、コメやコムギ、マメ類、野菜、パン、ヨーグルトなどが単独あるいは組み合わされて使用された。また、エリシュテと呼ばれる手打ち麺(切り麺)も具材として人気だった。エリシュテは小麦粉、水、卵、牛乳などをこねてから延ばしてスライスしたものだ。

オスマン帝国は多民族からなる巨大帝国として発展して行ったことから、様々な民族や地域の特色を持つチョルバが作られるようになった。現代のトルコ料理では、チョルバの種類は数十種類に上ると言われている。なお、チョルバにはレモンを絞った汁を入れて酸味をつけて食べるのがトルコ式である。

ところで、オスマン帝国のスルタン親衛隊「イェニチェリ」は鉄砲を常備した精鋭軍だったが、その指揮官は「スープ係」という意味の「チョルバジ」と呼ばれていた。イェニチェリはトルコ人以外のキリスト教徒の子弟から徴用され、皆が兵舎に住んで一緒にチョルバを食べることによって連帯感を高めていたという。そのチョルバの給仕を取り仕切るのが指揮官の役割だったというわけだ。

また戦場では、イェニチェリはスルタンと一緒に同じ鍋で作ったチョルバを食べる特権が与えられていた。このためか、イェニチェリの隊旗はスプーンだった。

スープを食べた後は肉料理やドルマ、ピラフ(トルコ語ではピラウ)が出てくるのが普通だ。オスマン帝国ではムギの栽培が主だったが、雨が多い地域ではコメもたくさん作られていた。コメはドルマによく入れられたし、ピラフを作る上では欠かせないものだった。

ピラフは炊き込みご飯のことであり、コメに塩とスープを加えて炊きあげたあとにバターを入れて仕上げる。また、コメをバターで炒めたあとに塩とスープで炊きあげる作り方もある。なお、トルコ料理ではピラフは主食ではなく、おかずの一つという扱いである。

ピラフはトルコ民族がオスマン帝国を建てる前から食べてきた古い歴史をもつ料理であり、祝い事には欠かせないものだ。例えば、オスマン帝国の祝宴ではスルタンが重臣たちにピラフをふるまうのが常だった。また、イェニチェリに対しては祝宴だけでなく、給料を支払う時にもピラフがふるまわれていたという。

コメはデザートの材料ともなり、米粉に水あるいはミルクを加えて煮たあとに型で固めることでいろいろのプディングが作られた。

「ゼルデ」と呼ばれるプディングは、砂糖とサフラン、ターメリックを加えて鮮やかな黄色にして固めたあとに、赤スグリややピスタチオなどを乗せたデザートだ。イェニチェリに給料を支払う時に、ゼルデがピラフとともに必ずふるまわれたという。

ほかにデザートしては「シャーベット(トルコ語でシェルベティ)」が良く飲まれた。これはブドウやスモモ、イチジク、ザクロ、ナシ、モモ、アンズなどの果物の果汁やラベンダー、ジャスミン、すみれ、ユリなどの花びらに砂糖や蜂蜜を混ぜて、さらにバラやスパイスで香りづけした冷たい飲み物のことだ。

これがイタリアを通じて西ヨーロッパに伝わると「ソルベット」と呼ばれるようになり、やがて細かく砕いた氷が入れられるようになった。そして冷却技術が発達すると、現在の日本のシャーベットのように凍らせたものが登場するようになる(ただし、呼び方は各国においてかなり異なっている)。

さて、デザートのあとはコーヒーを飲む。このコーヒーの歴史については次回に詳しくお話しする予定だ。


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