食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ドイツ系移民の食-アメリカの産業革命と食(7)

2022-05-04 10:26:22 | 第五章 近代の食の革命
ドイツ系移民の食-アメリカの産業革命と食(7)
アメリカンドリーム」とは、「誰もが身分や出自の関係なく平等に機会を得て、豊かな生活を追求できる」というアメリカ合衆国建国以来の理想理念と言われています。そして、アメリカには、アメリカンドリームの実現を目指して、主にヨーロッパからたくさんの人々が移住してきます。

アメリカへの移民は、1880年頃までは主にドイツアイルランドの出身者でしたが、それ以降はイタリアなどの南欧の国や、ポーランドやロシアなどの東欧、中国や日本などのアジアといったように出身国の多様性が高まります。

そして、これらの国々からはその国独自の食文化がアメリカに導入され、それらがイギリス料理を基本としたアメリカ料理に融合することで、アメリカ独自の料理が生み出されて行きます。

今回からアメリカにやってきた移民たちの食について見て行きます。第1回目はドイツ系移民の食です。

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17世紀から18世紀にかけてドイツからアメリカに移住した人々やその子孫のことを「ペンシルベニア・ダッチ」と呼ぶ。その頃は、イギリス植民地だったペンシルベニアで主に生活していたからだ。

ペンシルベニア・ダッチは西部開拓時代が始まると、ほとんどが西部に移住した。また、その頃には、新しいドイツからの移民も海を渡って西部にやってきた。

初期のドイツ系移民の料理はとても簡素なものだったと言われている。主食は濃い茶色をした全粒コムギを焼いたパンだった。当時の朝食では、バターを塗ったパンと黒砂糖入りの紅茶、そして大根などの野菜を食べていたとされる。

特徴的なのは、古代穀物のスペルトコムギがよく利用されていたことだ。このコムギはグルテンが少ないので、パンなどはふっくらとせずに堅かったと思われる。スペルトコムギはパン作りだけでなく、団子やスープ、粥などにも使われた。

昼食や夕食には肉類を食べた。肉は貧しかったドイツではなかなか口にできなかったものだったが、豊かなアメリカでは簡単に手に入るようになった。

肉は豚肉が好まれた。ペンシルベニア・ダッチは、ブタのすべての部位を使うことで知られていて、「唯一使わなかったのは鳴き声だけだった」と言われるほどだ。

付け合わせでよく食べられたのが「ザワークラウト(英語:サワークラウト)」だ。これは塩漬けしたキャベツで、数日漬けると乳酸発酵によって酸っぱくなる。西洋の漬物のようなもので、現代では全米で広く食べられるようになっている。ペンシルベニア・ダッチの古くからの言い伝えでは、お正月に豚肉をザワークラウトと一緒に食べると幸運が訪れると言われている。


豚肉とザワークラウト(kalhhによるPixabayからの画像)

また、ゆでたジャガイモマッシュポテトグレイビーソース(肉汁に小麦粉とワインを加えて作ったソース)をかけたものも、付け合わせとしてよく食べられた。これらも現代のアメリカでよく食べられている。

19世紀末には、付け合わせとして「7つのお菓子とサワー(酸っぱいもの)」、つまり7種類のお菓子とサワーを出す習慣が生まれた。その内容は、ハチミツ、リンゴバター、ジャムと、青トマトや赤トマトのピクルス、野菜の酢漬けなどである。

また、ボットボイ(bot boi)と呼ばれる肉・野菜・卵麵が入ったシチューが登場した。これは伝統的な料理として今でも食べられている。

現代のアメリカでよく食べられているお菓子に、ペンシルベニア・ダッチが作り始めた「シューフライ・パイ」というものがある。これは、小麦粉にバターと糖蜜、ベーキングパウダーを加えて作るパイで、1880年頃にベーキングパウダーや鋳鉄製の調理器具などが家庭で使われるようになって作られるようになったと考えられている。

また、「スティッキー・バンズ」というアメリカ定番の菓子パンも、ペンシルベニア・ダッチが作り始めた。これは、シナモンや黒砂糖が入ったもちもちの生地の上に、ナッツ入りのトロトロした糖蜜がトッピングされたパンだ。


スティッキー・バンズ(Isabelle Boucherによるflickrからの画像)

さらに、ドイツ系移民たちは、フランクフルトやウインナーソーセージ、ブラットヴルストなどのソーセージもアメリカで作り始めた。そしてソーセージをロールパンにはさんだ「ホットドッグ」を生み出したとされている。1860年代には、ドイツ系移民がニューヨークで、ロールパンにザワークラウトと一緒にフランクフルトをはさんだホットドッグを売り歩いたと言われている。また、1871年には、ドイツ人のパン職人チャールズ・フェルトマンがニューヨークで最初のホットドッグスタンドを開いて人気を博したという。

これら以外にドイツ移民は、クッキープレッツェルをアメリカに持ち込み、そしてビール醸造を始めた。

アメリカの有名なラガーと言えばバドワイザーとミラーだが、「バドワイザー」は1876年にドイツ系移民のアドルファス・ブッシュが造り始めた。また、「ミラー」も1855年にドイツ系移民のフレデリック・ミラーが既存の醸造所を買い取ることで創業されたものだ。


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