コーヒーの歴史(1)-中世のトルコ系民族国家の食(4)
私は昼食後にブラックコーヒーを飲むのを日課にしています。
コーヒーには覚醒作用があるカフェインが多く含まれており、仕事や勉強の能率を上げることが知られています。また、カフェインが運動能力を向上させることもよく知られており、多くのアスリートが競技前にコーヒーやカフェインを含んだ飲料を飲むそうです(カフェインはドーピング対象薬に指定されていた時もありました)。
一方、コーヒーは死亡リスクを減少させることも分かってきています。例えば、フランスの研究者たちがヨーロッパの35歳以上の男女約45万人について16年間にわたって追跡調査したところ、コーヒーを多く飲む人の死亡リスクはコーヒーを全く飲まない人に比べて、男性で12%、女性で7%減少していることが分かりました(Ann Intern Med 2017)。彼らの計算によると、毎日のコーヒーを1杯増やすごとに総死亡リスクを男性で3%、女性で1%減少させることができるそうです。
このようにコーヒーを飲むと死亡リスクが減少する理由は、コーヒーに含まれるポリフェノール類が肝臓の機能を改善するからだと考えられています。つまり、肝臓の病気になりにくくなるため長生きできるということです。
今回はこのように健康に良いコーヒーを人類が飲むようになった歴史を見ていきましょう。
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コーヒー豆は「豆」となっているが、マメ科ではなく、リンドウ目アカネ科コーヒーノキ属の植物だ。コーヒー豆と呼ばれている部分は、コーヒーチェリーと呼ばれる実の中にある種子のことだ。この種子の外側の皮を取り除いて焙煎すると、私たちがよく見る写真のようなコーヒー豆が出来あがる。
コーヒーチェリー(vandelino dias JuniorによるPixabayからの画像)
焙煎したコーヒー豆
コーヒーにはアラビカ種・ロブスタ種・リベリカ種の三種類があるが、この中で現在もっともよく飲まれているのがアラビカ種だ。またアラビカ種は人類が最初に飲み始めたコーヒーでもある。
アラビカ種の原産地はエチオピアだ。実はこの地はホモ・サピエンスが誕生した地でもある。ただし、アラビカ種が誕生したのは約400万年前で、ホモ・サピエンスへの進化が約20万年前と考えられていることから、コーヒーの方が大先輩と言える。
コーヒーノキの実(コーヒーチェリー)は食べると美味しいと言われていて、サルなどの哺乳類や鳥類の食糧になるそうだ。「コピ・ルアク」というインドネシアの高級コーヒーは、コーヒーチェリーを食べたジャコウネコのフンからコーヒー豆を取り出して飲料にしたもので、このことからもコーヒーチェリーが小動物のエサになっていることが分かる。
人類も大昔からコーヒーチェリーを食用にしていたと思われるが、確かな証拠として残っているものはなく、コーヒーノキの利用が歴史上の確かな記録として現れるのは15世紀になってからである(10世紀のイスラムの医学書にコーヒーらしきものの記載があったらしいが、この書物は現在では失われている)。
16世紀にエジプトで書かれた書物の中には、15世紀のイエメンでスーフィー(イスラム神秘主義者)がコーヒーを作って飲んでいたという記述があるという。スーフィーとは、イスラムの教義や日常の生活の規範を重視していたイスラム主流派を形式主義だとして批判し、神との精神的な一体化を第一とした人たちのことである。彼らは一晩中神の名を唱え続けるという修行を行うが、この時にコーヒーが眠気を覚ますのに役立っていたようだ。
なお、この頃のコーヒーは現在のようにコーヒー豆だけを使ったものではなく、コーヒー豆の入ったコーヒーチェリーを丸ごとあぶってから煮出す「ブン」と呼ばれるものと、コーヒーチェリーの果肉の部分を乾燥させてから煮出す「キシル」と呼ばれるものの2つがあったそうだ。
このブンとキシルはその後イスラム社会に広まり、1500年頃にはメッカで「カフェハネ」と呼ばれるコーヒーハウスが誕生したと言われている。そして1510年頃にはエジプトのカイロでもたくさんのカフェハネが生まれた。
一方、その頃はオスマン帝国が勢力を拡大していた時で、エジプトやイエメンを支配していたマムルーク朝(1250~1517年)を1517年に滅ぼし、これらの地を征服することになった。その結果、コーヒー文化がオスマン帝国に持ち込まれて花開くことになるのである。
スレイマン1世(在位:1520~1566年)は献上されたコーヒーをすごく気に入り、それ以降オスマン帝国の宮殿ではコーヒーは欠かせないものになった。宮殿では「コーヒー職人長」という新しい役職が作られ、厳重な管理の下でコーヒーが淹れられたという。また、美味しいコーヒーを作るために、焙煎器やコーヒーミルなどの道具も次々と開発・改良された。
イエメンはコーヒーの一大産地だったが、オスマン帝国はイエメンでのコーヒーノキの栽培を奨励した。これは宮殿で飲むだけでなく、他のイスラム教国に商品として輸出するためでもあった。
オスマン帝国の宮殿で飲まれるようになったコーヒーは、1552年にはイスタンブルに最初のカフェハネが作られ民間にも普及し始める。また16世紀後半になると、コーヒーはイスラム法的にも合法な飲み物(ハラル)であると認められるようになり、普及を後押しした。
なお、オスマン帝国に最初に伝わったコーヒーもブンとキシルだったが、やがてキシルは廃れ16世紀末にはブンだけとなる。そして、その頃にヨーロッパに伝わったコーヒーは現在のようなコーヒー豆だけを使用するものになっていたが、その理由についてははっきり分かっていない。
ところで、イスラムのカフェハネではコーヒーのほかにアルコールや麻薬などの禁止物に手を出したり、反政府的な集まりを催したりすることもあったため、時折「コーヒー禁止令」が出された。1633年にイスタンブルに発令されたコーヒーとタバコの禁止令では3万人もの人々が処刑されたと言われている。しかし、コーヒーは生活にしっかり定着していたため、コーヒーの消費が衰えることはなかった。