SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要7:《中国禅》(第3回)

(神代植物公園の紅葉      12月7日撮影)

 

 

 仏教思想概要7《中国禅》の第3回目です。
 前回から「第2章 中国禅の発展」に入り、「1.北宗禅と神会の主張」を見てみました。
 今回は「2.体から用へ-南宗禅の二つの立場」「3.洪州宗の立場」を取り上げます。

 

2.体から用へ-南宗禅の二つの立場

2.1.神会の荷沢宗の立場

(1)神会の本知の整理
 神会の本知は、『起信論』にいう本覚の立場を深め、もしくは拡充して、悟りとか目ざめとかという行動の限界をつき破り、もっとも普遍的な人間の主体性に帰入するものでした。
 北宗に対立するというより、背後の華厳哲学をよりいっそう徹底しようとしたものでした。
 したがって神会の本知の動きは、もはや何かの対象を予想するのでなくそれみずから知り、それみずから見るものとなったのです

(2)神会の継承者宗密の主張
 神会の思想を継承したのは、華厳宗の第五祖宗密(780-839)でした。
 彼は、著書『禅源諸詮集都序(ぜんげんしょせんしゅうとじょ)』(宗密の禅の哲学体系『禅源諸詮集』100巻の総序の部分)にて、すべての仏教学を唯識と般若と華厳に代表させ、それぞれの仏教学と禅との一致点を見い出し、最後に「ただちに人間の心の本性をあらわす立場」とよばれる南宗禅の中に全仏教を収め、この立場からあらためて、それ以前の諸宗を演繹しようとしたのです。

(3)南宗禅の二つの立場
 さらに宗密は、南宗禅を二つの立場に分けています。(下表13参照)


 ここに論ぜられた南宗禅の二つの立場とは、前者の場祖道一(ばそどういつ)の洪州宗(こうじゅうしゅう)と、後者の荷沢神会(かたくじんね)の荷沢宗のことです。(南宗禅の二つの立場の系譜(図2)参照)


 荷沢宗は体を中心に、洪州宗(こうじゅうしゅう)は用を中心とした立場をとりました。宗密は体の立場の荷沢宗を正統としたが、禅思想の流れは用が主流となっていきました。

(4)宗密の洪州宗批判と二派のその後
 宗密は、マニ宝珠(*)の例えにより、北宗禅と荷沢、洪州の中間の立場の牛頭(ごず)を加えた四宗(北宗・洪州・牛頭・荷沢)の立場を順次説明し、洪州宗を批判しています。(下表14参照)


*マニ宝珠とは:マニ(摩尼)宝珠は如意宝珠とも呼ばれ、サンクリット語では魔尼宝珠を「シンタ・マニ」と呼び、「マニ」は珠、「シンタ」は思考するや熟考するという意味を示す。 仏教の経典では、宝珠は心の中で思い描いたものをすべて与え、あらゆる願いを叶えるとされている。

 われわれが現にものをいったり、分別して動作をするのは、すべて「随縁の応用」であって、自性の本用ではない。洪州宗で、それをただちに仏性の作用だとするのは、自性の本用を欠くものだ、と宗密は洪州宗を非難しました。
 じっさい、言語動作など日常生活のすべてが、ただちに仏性の作用だとすると、喜怒哀楽やさまざまな悩み誤りなどもすべて仏性の作用となって、人間の精神的価値をまったく認めぬことになりかねないこととなります。
 すべてが仏性の作用なら、刀をとってむやみに人を殺すのも同様となるが、洪州宗は正統を名のる宗密の批判にもかかわらず、その後の中国禅の主流となっていきます。内容的には荷沢の本知より、透徹した現実の作用にその本質をおくものでした。
 一方、北宗より荷沢・宗密で完成する初期中国禅の思想は、ここに至って、その限界をつくしたといえます。形而上的な絶対精神の運動として、もはやこれ以上の発展は望めなかったのです。

2.2時代背景と仏教界の動き
 玄宗(げんそう)朝の末期、安史(安禄山・史思明)の乱(755-63)をきっかけにとした、門閥貴族中心文化に代わる革新性の空気の強まりとともに、野性的な裸の人間の実力がものをいう時代となっていきます。
 その結果、帝都中心の古典的な仏教が衰え、人々の生活に密着した現実的な新しい仏教が起こりました。→新たにインドから伝えられた密教、一般民衆を地盤とする浄土信仰及び南宗禅など。
 このような時代背景の中で、曹渓の慧能を祖師とする南宗禅は、人々の心を大きくとらえることとなったのです。
 その運動の主力は、四川出身の馬祖の弟子たちで、門下は800人に及び、彼らは、江西の洪州(こうじゅう)を中心に、やがて中国全土に活動し、地方の支配者たちの心もとらえはじめます。それはかっての神会やその正統を名のる宗密らの比ではなかったのです。
 彼らの主張は、なによりも具体的な生活に密着しており、それは、平凡な日常生活の中に、宇宙の神秘を見るものでした。かっての郭象や王弼(おうひつ)以来の、中国的思惟が、その真理性をいっそう具体的に実証したのは、おそらくこの時代の禅宗の人々においてのことであったのです。

 

3.洪州宗の立場

3.1.日常生活の中の禅-すべてが仏事である-

(1)馬祖道一の主張
(馬祖の語録による説法の例:表15)


 馬祖の説は、すべてが伝統的な意味と異なって、なによりも平明で新しい生活実践によって一貫されている。かってのいかなる宗派や思想と異なる「生活の仏教」といえます。
 真理はいまやあらためて学ばれたり修したりするものではなく、すべての人々の生活の中に自明のものとしてあり、そして特別に意識されぬところに、ほんとうに地についたはたらきを発揮することとなります。

↓(ポイント)
「真理を離れて現実の場所があるのではなく、現実の場所がそのまま真理であり、すべてが自己の主体である。さもなければ、いったいそれは誰なのだ」
→これは、僧肇以来のもっとも中国的な思惟である。体系の論理ではなく、もっとも日常的な行動に徹するものであり、そうした作用のほかに思惟の形式を残さぬのであったのです。
(ボサツの行『二入四行論』の一段の例:表16)

(2)臨済義玄の主張
 臨済は著作『不真空論』にて、「随処作主立処皆真(ずいしょにしゅとなればりっしょみなしんなり):あらゆる場所でその主人公になること」ということを説いています。
 その言葉は、煩悩や無間地獄の重罪に即してのことであり、たんにのんびりと日常生活の中にあぐらをかくこと意味していません。それはむしろ、あたりまえの生活の中で、もっともきびしい道徳性を要求するものであったのです。日常生活の中にほんとうの楽道の思想があるのであり、たんなる隠遁生活や山居修道のあこがれを意味しないのです。

3.2.洪州宗の仏性とは

(1)平常心とは何か-即心即仏-
 馬祖は平常心を、造作なく是非なく、取捨なく断常なく凡聖ない心のこと。つまり、別のことではなく、心そのものがただちに仏(即心即仏)であるような心であり、修行を仮(か)らず、坐禅を待たぬものであるとしています。
 知らずに迷っている心そのものが、すでに悟りの場所であり、そのほかに何もない。平常心とは、そうした心の全体であり、迷いと悟りのすべてを含みそのいずれにもかたよらぬ当のものであるとしています。
 平常心とか即心即仏という考え方は馬祖以後の時代に至って、もっともその特色を発揮することとなります。
 以前との内容の相違を考える手がかりとして「直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)」ということばがあります。

(2)「直指人心」と馬祖の仏性
 「直指人心見性成仏」ということばは、「直指人心」と「見性成仏」の二つのことばに分割できます。「見性成仏」は『涅槃経』の注釈書に見えるように「一切の衆生は悉く仏性を有する」という有名な句に関連しています。馬祖の説の中心は「見性成仏」ではなく、「直指人心」にあります。
 「直指人心」は即心即仏と深く関係しており、従来の見性や仏性についての考え方を厳しく修整するところにあるのです。
(従来の考え方:『涅槃経』のいう仏性とは 表17)


 これに対して、馬祖の説は『涅槃経』でいう仏性とは異なります。かれは、「現実的な心全体を、ただちに仏性の作用だ」とするのです。問題は仏性より現実の人心に移るのです。
 馬祖に始まる新しい禅宗の特色は、「現実の心の動きを、すべて仏性の現れとする」にあるのです。

(3)馬祖の仏性の事例
『伝統録』巻三にみるハラダイ(ダルマがインドで修行中の弟子)の偈(表18)


 これは、ハラダイが見性は人間の日常的な作用であることを主張したものです。
 見性はもはや内面的な本知や本覚にとどまらず、日常的な見たり、聞いたりする具体的な行動となるのです。ここでの日常的な行動の根底に、それらの主体としての自性や本性を前提としない。むしろ、そうした形而上的主体や神秘的な能力を認めるのは「精魂」であり、実体的な神秘主義への逆転にすぎない、としているのです。

(4)臨済の仏性-全体作用-
 臨済は「全体作用」ということを説きます。それは、「見たり聞いたり、覚知し行動する現実的な活動のすべてが、ただちに仏性のはたらきであって、そのほかの仏の悟りを予想せぬこと。縁に随って前世の業を用い、一念も仏の悟りなど求めぬ自在な生活が、そこに展開される。」としています。
 これは、華厳哲学の縁起に対して性起を主張し、現実の事々物々が、ただちに真理そのものの表現であるとともに、真理全体が現実に活動することを強調するのと一致しています。

(5)臨済の説教の例
 「・・(略)・・・、祖師(神会のこと)もいっている、『君たちがもし、心をとどめて静けさを内省し、心をあげて対象を観察し、心をおさめて内にしずめ、心をおさえて禅定に入るなら、そんな連中は、みな業つくりの人だ』と。・・(略)・・・」
 この説教で、臨済がハラミツや諸善万行(しょぜんまんぎょう)を、地獄に堕ちるほかない業とするのは、すでに彼の仏教が、伝統的な修証や行動よりも、現実の人間のもつ限りなき価値を、直接肯定するものであったことを示しています。
(宗密の洪州宗批判と臨済の説の意義(表19))


 禅はこの時代に至って、なにより歴史的に人間のものとなるのであり、従来の如来禅に対して「祖師禅」とよばれるようになります。これは、広く中国仏教における人間観のもっとも独自の成果の一つであったとみることができます。

 

 本日はここまでです。次回は「4.洪州宗を中心とした中国禅の展開」を取り上げます。

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