春烙

寒いなあ…

風の斬撃 4話

2014年12月08日 00時16分37秒 | 新なる神

「余君! 恵ちゃん!」
「あ、くよんちゃんも浴衣だ!」
「すごく似合ってるよ」
「ありがとう!」

 哲学堂公園の近くにやってきた水月たちは、先に来ていた竜堂家と天風家の姿が見えて手を振った。
 駆け寄ってきたくよんは淡い黄色の浴衣を着ており、彼女の後ろをついていく泳奈は静やかな青を羽織っている。

「かっ薫さん、そっその、似合ってますよ、浴衣っ!」
「ありがとうございます。スバルさんは着てないんですね」
「俺は、海外に行くことが多いので、浴衣とか持ち合わせがなくてっ」

 薫のところに近づいたスバルは、頬を赤く染めながらおどおどとして感想を述べている。
 終は普段とは違う服装を着ている凍華の姿に、言葉がでなくまじまじと見つめていた。

「……何?」
「いや、お前でも、そういうの着るんだな」
「悪い?」
「赤色って凍華に合ってて、結構似合ってるって!」
「……あっそ」

 恥ずかしそうにそっぽを向き「ありがと」と小さく告げてくる少女に、終はきょとんと目を瞬いてからゆっくりと笑みを浮かべる。

「あき君、もう着いたから離れてくれないっ?」
「いや」
「あきー。こう兄が困ってるから離れろよー」
「いや」

 こうきの方足に張り付きながら、あきは首を横に振って離れようとしなかった。

「どうしたの、あき君?」
「いや、ちょっと恥ずかしがってて。いたたっ」
「自分で着たいって言っただろっ」
「…忘れてた」
「片足だけ伸びそうだからっ」

 仕方ないなっとため息をつきながら、水月はあきを無理矢理こうきの足からはがす。
 双子姉弟の浴衣は白と黄色と赤をメインとした姿だが、見間違えだろうか、あきが着ているのは女性用であるのだ。

「あら、あき君、可愛いじゃない」
「久々に着るからってよ、覚えてろよなっ」
「無理だと思うよ~。普段から可愛い服着てるから」

 くよんの言葉を聞き、こうきは苦笑しながら痺れる片足をほぐしていた。

「大丈夫、こうき君?」
「まあ、何とかね。わあ、真希ちゃん、その浴衣似合ってるよ」
「そうかな? こうき君も着ていたら似合うと思うよ」
「ははっ、ありがとう真希ちゃん」

 水月とこうきとスバルは浴衣ではなく動きやすい格好をしており、肩にはリュックを背負っていた。

「茉理ちゃんは浴衣じゃないんだね、残念だよ」
「私もこうき君の浴衣が見れなくて残念だわ」
「じゅの君と遊びたかったのになあ~」
「仕方ないよ、先約があるんだもん。だからお兄ちゃんの分まであそぼ?」
「そうだね」
「こう兄ー、お腹すいたー」
「早くいこうぜ。楽しみがなくなっちまう」
「なくならないよ。ほんと、二人って似てるよね」

 耐えられなくなったいちと終が声をかけてきて、凍華は深くため息をついた。
 そんな彼女を見て、スバルと薫は顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。



 哲学堂公園の野球場へと移動すると、そこにはたくさんの夜店が並んでいた。
 このところ熱帯夜でたまらないけれど、こうして夜店を眺めていると少しだけ涼しい気持ちがするのだから不思議である。

「みんなのサイズを測って、来年の夏には浴衣をつくってあげるからね。今年はちょっと間に合わないけど」
「あ、それ素敵。私も手伝うわ茉理ちゃん」
「うん、お願いしようかな」
「ありがたいけど、こいつらは、二人の労作を汚すのがおちだな」
「はは、違いない」
「ふふっ」

 始があごをしゃくった先には、泳奈とあき以外の中高生をともなって歩く年少組がいた。
 ふたりとも、焼きそば、ソフトクリーム、たこ焼き、トウモロコシと手当たり次第買い込んで、口も手も自分にある分だけでは足りなさそうである。

「終の奴、イソップ物語の主人公になれるぞ。欲をかきすぎて結局すべて失うってやつ」
「確かに手から落としそうだが……三男坊のバランス感覚ってすごいのな」
「それでしたら、いちちゃんも同じですよ」
「曲芸師になれそうね、いちちゃんと終くん」
「二人にはぴったりの職業かもしれませんね」
「やだな、続くん。いちちゃんは姑っていう職業があるんだよ」
「職業じゃないと思うけど……」

 確かにと、わたあめを口に入れながらあきはそう思った。

「そういえば。いちちゃんとあき君の浴衣ってどこかで買ったの? とっても素敵よね」
「買ったんじゃなくて、手作りなんだよ。茉理ちゃん」
「あら、そうなの?」
「お父さん……が作ってくれた…」

 恥ずかしそうに繋いでいるこうきの手を握りしめながら、あきは頷かせる。
 握られたこうきは「いたたっ」と少し顔を歪めていたが。

「あき君のお父さんって、裁縫も出来るって前にこうき君言ってたよね?」
「そうだよっ」
「こうき君、大丈夫なのですか…?」
「大丈夫っ、もう指伸びることないからっ」
「こう、そこじゃないと思うぞ」

 年長組がそんな会話をしている事を知らず、終と余は夜店を心の底から楽しんでいた。
 さすがに兄ほどのバランス感覚がすぐれているとは思わない謙虚な余は、買った食べ物をくよんと恵に少しずつ分けながら食べていく。
 凍華も終の節操のなさに呆れながらも、彼から差し出された食べ物はちゃっかりと食べている。
 いちが不機嫌そうな顔つきになっていることに、薫に半分食べ物を渡していたスバルは気付いた。

「んー……」
「いちちゃん。どうか、しましたか?」
「いやさ……嫌な視線を前にも感じたなと思って」
「俺は何も感じないけど」
「レベルの低い悪意みたいだからじゃね?」
「たぶんこの匂いは…花井さんでしょうか」
「げえ。あのおばさんも来てんのかよ」
「前に話してたお隣さんだっけ。尾行とかしてるかもよ?」
「気にしてもしょうがないし、無視無視」
「あ、金魚すくいがあるよ」
「余くん、金魚すくいやろう!」
「あ、楽しそう。終兄さん、いい?」
「よっしゃ。誰が一番多くすくえるか勝負だ」

 そう息巻いたのはいいものの、結果は余が三匹、他の兄弟は一匹もすくえずという情けない結果になってしまった。
 こういうのは純粋なヤツの方が強いらしいぜー、と笑う零に不満そうな視線を向ける男三人に、泳奈とこうきは笑い声を上げる。

「あれ」
「? どうしたの薫お姉ちゃん」
「……いちさんと終くんがお好み焼屋の前で止まってます。スバルさんを困らせながら」
「何してるのやら…」
「あきれた奴だな。まだ食いたりないのか」
「終くんの胃袋は、クラインの壷になって異次元に通じてるんですよ。放っておきましょう」
「でしたら、いちちゃんも同じなのですね」
「早くおいでよね、終兄さん」
「お姉ちゃんったら……」
「胃袋とちがって、財布はクラインの壷じゃないのよ。ほどほどにしなさいね」
「お前も肝に銘じろよ恵」
「くよんちゃんもだよ」
「「はーい」」
「ふふ、兄さんってば」
「一番に言えるのって、じゅの君だと思うけどなあ」

 歩きだしてしまう家族に、三人と一緒に行くと伝えて薫はお好み焼屋の前へと移動した。

「美味いな、ほんと」
「んー、確かに」
「薫さんも、食べますか?」
「一口」
「えっと……この箸使って下さい」
「すみません…」

 スバルから借りた箸でお好み焼きを食べ、後々考えると……と恥ずかしさに無言になりながらも薫は口内に広がる温かさに胸が波打つのを感じる。
 満足気に手と口を動かしていちと終は兄たちに追いつくために足も動かそうとした。その瞬間。
 いちもスバルも終も薫も、急にあらゆる動きを止めた。
 それぞれの琴線に引っかかる悪意を感じて、ゆっくりと視線を移動させる。
 木陰からこちらを見つめている人物を発見し、その姿の違和感にスバルと薫は眉を寄せた。白い狐の面をかぶった男のようで、なぜか夏なのに長袖を着込んでいる。
 しかしそれを暑がる素振りも見せず、むしろ熱い血など通っていないかのような不気味さを持っている。
 肌を悪寒のようなものがはい上がってくる。終も生理的な嫌悪感を覚えたようで見構えた。いちだけは、なぜか自分と似たものを感じて眉間に皺を作っている。
 自分達の周りから祭の喧噪が消えたような気がして、それを打ち壊すかのように男は身をひるがえして逃げ出す……というより、こちらを誘っている。

「終くん?」
「怪しいやつ発見。スバルさん達、ここでちょっと待ってろ」
「え、ええっと」
「あ、ちょっと!」
「挑戦されてためらうようじゃ、竜堂家の三男坊として存在意義にかかわるってね」
「なんか違うと、思いますがっ」
「その積極さをもう少しなんとかできないんですか」
「慎重で消極的な俺なんて俺じゃないだろ」
「うん、確かに終にーちゃんじゃないかも」
「……なんかそこで納得されると微妙だなぁ」
「わがままだなっ」

 四人でぶつぶつと口を動かしながらも、手にしたお好み焼きをしっかりと消費していくいちと終。
 食べきれない分は仕方ないと思い、二人から受け取った紙皿をスバルはきちんとクズカゴに放り込み、狐面の男を追いかけるいちと終と薫の後ろをついていく。
 なんだかんだ言いつつ、薫もかなり好戦的な性格だと気づかされ、自分が後輩達のストッパーにならねばとスバルは苦笑を浮かべてしまう。



 不思議そうにこちらに呼びかける兄弟たちの声を背中に受けつつ、哲学堂公園を出て道路を渡り、暗い場所へと入り込む。
 そこはささやかな公園になっており、給水塔がそびえていた。竜堂兄弟が幼い頃からよく遊んでいた場所だが、いまはそれをいち達三人に説明している時間はない。
 親しみやすい小公園を通って給水塔の方まで駆けていくと、狐面の人間がその外壁を蜘蛛のように登り始めた。たどたどしい動きではあるが、手をかける場所があるはずもないコンクリートの壁面を登っていくのだ、その握力やバランス感覚は常人のものではない。

「うっしゃ、俺もいってくる!」
「き、気をつけてっ」
「…はあ、あまり興奮しすぎて塔を破壊しないで下さいよ」
「するかよ。俺が生まれるずっと前から建ってるご近所さんだぜ」

 にっと笑って壁を登り始める少年にスバルと薫はため息をついている隣で、いちは先をいく狐面の男を見上げていた。
 あの人間は尋常ではないように思え、何かひっかかってどうも薄気味悪い。
 しかしこのところ退屈で鬱憤がたまっていたらしい終は、やっと訪れた刺激にぞくぞくと興奮しているらしく、それを止めようとは思わなかった。

「どうせムダな努力で終わるんでしょうし」
「あはははっ」

 薫の呟きに、スバルは苦笑するだけで答える。
 あの少年が危険の中に身を置くことを楽しみ、なおかつ望んでいることを知っている。そうすることによって竜身に変化したいからだ。

「ん?」
「えっと、何でしょうか…」

 上空からばさりと何かが落ちてきて、三人は足元に広がった何かに首を傾げる。服か何かのようだが……。

「見覚えがありますね」
「あの仮面野郎が着てたよな?」
「えっ、じゃあ……」

 狐面の男のものであると気づき、まさか上りながら服を脱いでいるのだろうかと考えてしまう。

「薫!」
「いちちゃん! スバル君!」
「あ、兄さん」
「いきなりどうしたんだ。三男坊がどうかしたのか?」
「というより、終はどこに行ったんだい?」
「えっと、ですね……」
「…上に……」
「あそこにいるわ」

 給水塔に登っていった、と聞いて始は深々とため息を吐き出す。一般人に見られていたらどうするんだ、というところだろう。
 疲れた様子の始の肩に楽しげに叩いた零は、三人の足元に落ちている服に気付いたようでなんだそりゃ? と首を傾げている。
 狐面の男のことを話そうとすると、いきなり爆音のようなものが聞こえてきて思わず上空を見上げた。

「あれは…」
「ヘリ、ですね?」
「何だってこんな街中に…」
「あ、行っちまった。何だったんだろうな」
「さあ……」

 給水塔にしばらく近づいたかと思うと、また夜の空へと消えていってしまったヘリに訝しく思う。
 遠ざかっていく乗り物を見て、スバルは不意に顔を少し歪めた。
 そこへ少しのんびりと後を追ってきた浴衣組が到着した。くよんと恵は仲良く手を繋いでいて、その微笑ましさに薫は目を細める。

「いきなりどうしたのですか、いちちゃん?」
「変な男がいたから、つい追いかけちゃったさ」
「やれやれ、三人が終くんのせいで悪い道に逸れないか心配ですね」
「お姉ちゃんは、十分に逸れてると思う……」
「おいこら、どういう意味だよっ」
「お兄様が道を外したら殴っていいよね?」
「終くんを? それともいちちゃん?」
「両方」

 こうきの質問に即答で返してきた凍華に、泳奈は小さく笑ってしまう。こうきは大変だね、と肩をすくめていた。
 ちょうどそこへ終が給水塔の壁をつたって下りてくるのが見える。すとん、と着地した弟に始が説教を述べるよりも早く、終が口を開く。
 どこか慌てたような様子で、半ば叫ぶように声を発した。

「兄貴、たいへんだ。共和学院が燃えてる!」

 その言葉に全員がそれぞれの顔を見合わせてしまう。
 凍華は目を細めて、周辺の気配を探った。確かにどこからか、火の感じがしてきているようだ。

「ほんとうだよ、あれは俺たちの学校だって! 学校が火事だ!」
「終の言うとおりだと思うよ。探ってみたら、どこかで火の気配がするから」

 夜目の利く終が給水塔の上から確認し、火を操る凍華が断言するように賛同するのであえば事実なのだろう。すぐには頭が回らないものの、始はすぐに茉理を振り返った。
 共和学園には学院長公舎というものがあり、そこが茉理たちの家になっている。彼女の家が危険だ。
 そう思って急いで道路へと出ようとした一行の前に、肉の壁が立ちはだかった。花井夫人である。

「どういうことか説明してちょうだいっ。私は見たのよっ。納得できる説明がほしいわねっ」
「何を説明しろというのですか」
「つか、誰このおばさん」
「おばさん、邪魔だよー」
「兄さん、失礼でしょ!」
「くよんちゃんも言わないのっ」

 両目をらんらんと輝かせる花井夫人に優美な微笑を向ける続の後ろで、さらりとくよんと零が失礼な発言をかます。こうきと真希はそれを鋭く窘めつつ、竜堂家のお隣さんであることを説明した。
 お隣さんがいることを知り今日初めて会う双子と河野兄妹は、ああこの人なのかという顔をしている。

「あなたの弟さんが、この給水塔の上から飛びおりて無事でいられる理由よっ」
「おやおや、三十メートル以上の高さから飛びおりて、人間が無事でいるはずがないでしょう? 夜でもありますし、まちがえるのもむりはありませんね」

 花井夫人が見たのは確実に本物の終ではあるのだが、だからといって自分たちが常人ではないということを話す義理はない。

「でも、大きな声を出して、ご自分の誤りを宣言なさることもないと思いますが」
「そうですね。夢でも見たのではありませんか?」

 そう言葉を残して、一行はその場を去る。突っ立ったままの花井夫人にちらりと視線を送って、薫は終の脇を肘で小突き、スバルは苦笑を浮かべていた。
 悪い、と舌を出して謝る少年にいちはため息を返して、共和学院に向かうために下駄の音を響かせる。
 さすがに走って向かうのは無理なため、タクシーを呼ぶことにして。
 せっかくの楽しい夜が、騒がしい夜へと変わっていくようで。
 それぞれの兄妹の一番上はげんなりとため息を吐いたのであった。




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